映画『遺灰は語る』死は、誰の隣りにもある

映画『遺灰は語る』死は、誰の隣りにもある

2023年7月1日

ある遺灰の行方を描く映画『遺灰は語る』

©Umberto Montiroli

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人は死して尚、自身の人生や死生観、生まれてから死ぬまでの身上を語ることができる。

逝去する残りの時間をどう過ごすか、死後の人生をどう残すか、自発的に考えるのは今からでも遅くはない。

私たちが日々悩み抱える死が隣り合わせであるように、生への希望もまた表裏一体である。

誰もが持つ死生観について再考する時、自ずと生没への扉が開かれるだろう。

そのドアの先には、何が待っているのかは、誰もが知り得ない。

ただ、生きて来た人生の次に、また新しい人生があるのであれば、今を力強く生きてみたいと思いたい。

©Umberto Montiroli

映画『遺灰は語る』は、2018年に永逝したイタリア映画の兄弟監督の巨匠ヴィットリオ・タヴィアーニの弟にあたるパオロ・タヴィアーニ監督が、自身の兄に献じた死へのアンサー映画だ。

91歳という老齢に差し掛かったパオロ・タヴィアーニが見つめる死への旅程は、何事にも変え難い秀麗さを放つ。

他の評論家の方は、本作やタヴィアーニ監督自身を、世界の老齢監督である(であった)マノエル・ド・オリヴェイラ監督やクリント・イースト監督と同等のフィルムメーカーとして評している。

私自身、本作『遺灰は語る』をスウェーデンの巨匠であるイングマール・ベルイマン監督の代表作『野いちご』と連想してしまう。

老齢の医師が、自家用車を使って授賞式に赴く間に、自身の人生を語り口で振り返る様子が、まさに本作の様式と異曲同工だ。

まるで、パオロ・タヴィアーニが兄のヴィットリオ・タヴィアーニに捧げつつも、自身の過去や生い立ちを追懐しているようでもある。

人生の終幕へと差し掛かったタヴィアーニ監督が自身の監督人生におけるラストへの哀愁に向けて、命とは何か、死生とは何か、自他とは何かを、自身の兄であるヴィットリオ・タヴィアーニや本作の題材となっているノーベル文学賞を受賞した文豪ルイジ・ピランデッロの姿形を借りて、自問自答しているようにも見える。

映画は、作品の主題に対して、最後の最後まで、余韻や余白を残しつつ、私達に90分というモノクロの画質で綴られた稀有な映像体験を丁寧に提供する。

監督は、私達に問いかけているのだ。

「あなたの考える人生とは、何か?」「あなたの考える死生観とは、何か?」「あなたが今、求めている希望とは何か?」そんな謎掛けが、私達の映画鑑賞に対するスタイルに刺激を与える。

あたかも、作品の空欄部分を埋めて答え合わせをするような不思議な映像体験が、あなたを待っている。

©Umberto Montiroli

本作『遺灰は語る』は、今まで兄弟監督として名を馳せたイタリアのタヴィアーニ兄弟の弟パオロ氏が、兄の逝去後、初めて単独で制作した記念すべき作品だ。

タヴィアーニ兄弟は、この道70年という長きに渡り活動してきた世界的に見ても重鎮、最高齢に近い名監督だ。

彼らの代表作は、70年代後半に発表した映画『父/パードレ・パドローネ(1977年)』から『サン★ロレンツォの夜(1982年)』『カオス・シチリア物語(1984年)』『グッドモーニング・バビロン!(1987年)』『太陽は夜も輝く(1990年)』『フィオリーレ/花月の伝説(1993年)』まで。

そして、2012年年公開の映画『塀の中のジュリアス・シーザー』がピークで知名度のある作品ばかりだ。

2012年の作品より、およそ10年が経過した今年、パオロ・タヴィアーニ監督が選んだ題材は、彼らが兄弟監督として1984年に制作した映画『カオス・シチリア物語』の原作者ルイジ・ピランデッロのある有名な言葉を基に作った本作。

一部を抜粋するが、映画の内容とは一切関係なく、実際にピランデッロが遺した遺言がある。

Pirandello:“I. Sia lasciata passare in silenzio la mia morte. Agli amici, ai nemici preghiera non che di parlarne sui giornali, ma di non farne pur cenno. Né annunzi né partecipazioni. II. Morto, non mi si vesta. Mi s’avvolga, nudo, in un lenzuolo. E niente fiori sul letto e nessun cero acceso. III. Carro d’infima classe, quello dei poveri. Nudo. E nessuno m’accompagni, né parenti, né amici. Il carro, il cavallo, il cocchiere e basta. IV. Bruciatemi. E il mio corpo appena arso, sia lasciato disperdere; perché niente, neppure la cenere, vorrei avanzasse di me. Ma se questo non si può fare sia l’urna cineraria portata in Sicilia e murata in qualche rozza pietra nella campagna di Girgenti, dove nacqui”(※1)

ピランデッロ:「①私の死後を静かに過ごさせてください。友人に対しても、敵に対しても、私について新聞で話すだけでなく、言及しないように祈ります。②死んだ私は、服を着ません。裸でシーツに包んでください。ベッドには花も必要ありません。キャンドルも灯さないで下さい。③親戚も友人も、誰も私に同行しないでください。荷車、馬、御者、それだけです。 ④私を燃やしてください。そして私の遺灰は、散骨して下さい。たとえ灰であっても、私は残される事を望んでいません。しかし、散骨ができないのであれば、骨壷をシチリア島に持って行き、私が生まれたギルジェンティの田園地帯で荒い石で囲い込んで下さい。」

©Umberto Montiroli

と、戦前の著名的な文豪ピランデッロは、遺言の中で自身の死後をどう扱うのか示している。

彼は、死して尚、特別扱いを嫌い、物体である部分はすべて捨てるように伝えている。

それでも、未来に残り続けるのは本人の思想や考え方だ。

これは、何があっても消滅することはない。

未来永劫、人々の思い出や記憶の中に生き続けるのである。

余談ではあるが、日本人のほとんどが文豪と呼ばれるルイジ・ピランデッロの存在を知らないだろう。

彼は、生涯で43の戯曲、9の詩集、そして『生きていたパスカル』という名の小説を一作品残している。

彼の戯曲の代表作は、1921年発表の『作者を探す六人の登場人物』と1922年発表の『エンリコ四世 (戯曲)』。

国内で入手できる日本語に翻訳された彼の作品は、2012年発売の『月を見つけたチャウラ―ピランデッロ短篇集』と2000年発売の『ピランデッロ戯曲集I』の2作と数は少ない。

他は、日本語訳がされていない母国語のイタリア語で書かれた原著をイタリアから取り寄せる他、道はない。

日本では知名度が低いものの、イタリアでは文豪という名を欲しいままにしたピランデッロの遺言を映画としてチョイスしたパオロ・タヴィアーニ監督にとって、ピランデッロという存在は非常に私的で、特別な存在なのだろう。

©Umberto Montiroli

そして、本作『遺灰は語る』で忘れてはいけないのは、イタリアを代表する映画音楽家ニコラ・ピオバーニが作曲した楽曲たちだ。

作品の冒頭で流れる『Voce celeste sicula (feat. Maria Rita Combattelli)』は、弦楽器を基調にした作風はオペラだが、この楽曲は本作のために書き下ろされた一曲。

©Umberto Montiroli

ニコラ・ピオバーニは、映画のために12曲の楽曲を作曲している。

『Voce celeste sicula (feat. Maria Rita Combattelli)』以外にも、『Eco di viaggio』『Il colpo finale』『Le ceneri sul mare』『L’urna di Pirandello』他を作品に提供している。

国内では、イタリア出身の映画音楽家の知名度は、そう高くない。

著名な作曲家を挙げるなら、近年逝去された世界的巨匠のエンニオ・モリコーネやニーノ・ロータ、ロマン・ヴラド、ピエロ・ピッチオーニ、ステルヴィオ・チプリアーニ、アルマンド・トロヴァヨーリ、カルロ・ルスティケッリ、そしてゴブリンらが、挙げられる。

この錚々たる音楽家たちのメンバーは、戦後イタリアから活動した巨匠ばかりであるが、本作の楽曲を担当したニコラ・ピオバーニは、現代のイタリア映画における音楽家として見過ごしてはいけない作曲家だ。

彼は、本作以外にも、マルチェロ・アリプランディ監督による1970年の公開映画『La Ragazza Di Latta』という作品で映画音楽家として劇場デビューを果たしている。

また、マルコ・ベロッキオ監督の『Sbatti Il Mostro In Prima Pagina(1972年)』や『Nel Nome Del Padre(1972年)』等に、作品を作曲している。

1970年代前半は、ニコラ・ピオバーニにとって作曲家としての初期段階。

この後、より有名な作品のスコア担当者としてイタリア国内外に知れ渡る事になる。

その契機となったのが、1997年に公開され、1999年にアカデミー賞にて作曲賞を受賞したロベルト・ベニーニ監督による映画『ライフ・イズ・ビューティフル』だ。

本作は公開当初、日本国内でも特大ヒットしたのは記憶に新しい。

1970年からおよそ50年に及ぶキャリアの中、イタリア国内のみならず、フランス映画やアメリカ映画のオリジナル・サウンドトラックを仕掛けるニコラ・ピオバーニは、世界を代表する映画音楽家だ。

この機会に、本作のサウンドトラックも耳にするのも良いのかもしれない。

また映画『遺灰は語る』を監督したパオロ・タヴィアーニは、あるインタビューにて、本作の制作経緯と過去に頓挫して、再度制作するようになった制作過程を聞かれて、こう答えている。

Taviani:“A me e Vittorio c’è sempre sembrato che fosse stato lo stesso Pirandello a scrivere in maniera grottesca il suo funerale. Incuriositi da questa storia, volevamo inserirla già in Kaos, nostro film del 1984 basato proprio su novelle del drammaturgo. Quando abbiamo proposto di realizzare anche questa novella il produttore di allora, Giuliani G. De Negri, ci disse, seppur con affetto e ammirazione, che aveva finito i soldi.Due anni fa, quando delle ceneri di Pirandello ne avevano già parlato in moltissimi. Mi sono tuffato in questo progetto, con il fiato di Vittorio addosso, e ancora oggi ce l’ho. Mi sono documentato su momenti veri di quella storia e mi sono inventato il contorno, compreso quello che accade in treno. Mi sono tuffato nelle verità di Pirandello, nelle mie e nella fantasia. Non può esserci logica in tutto. Mentre lo facevo ho provato piacere e sofferenza. Penso che siamo fatti dei film che abbiamo girato in precedenza. Pirandello ha ispirato me e Vittorio. Il grande scrittore diceva: le idee sono come dei sacchi, che vanno riempiti. E io ne avevo due da riempire. Per me il cinema è una bestia rara, che continua a sorprendermi ancora oggi alla mia giovane età.”(※2)

「私たち兄弟は、自分の葬儀をグロテスクな方法で書いたのはピランデッロ自身だと、思い込んでいました。この物語に興味をそそられた私達は、既に彼の短編小説を基にした作品を1984年の映画『カオス・シチリア物語』に、この物語を含めたいと考えていました。ただ、私達がこの短編も作ることを提案した時、当時のプロデューサー、ジュリアーニ・G・デ・ネグリは、愛情と賞賛を込めてではありますが、制作資金が尽きたと言いました。それから時が経ち、2年前、既に多くの人がピランデッロの遺灰について話していた頃。私はヴィットリオの息吹きと共に、このプロジェクトに飛び込みました。私は、電車内での出来事も含め、あらすじを考えました。私はピランデッロの真実、私の真実、そして幻想に飛び込んだんです。すべてにおいて、論理なんてありえません。制作中、私は喜びと苦しみを経験しました。ピランデッロは、私とヴィットリオにインスピレーションを与えてくれました。偉大な作家はこう言いました:アイデアは、詰める必要がある袋のようなもの。そして、私は2つの袋を埋める必要がありました。私にとって映画は、希少な生き物であり、今でも私を驚かせ続けています。」と本作の制作経緯から映画『カオス・シチリア物語』に含めなかった過去、そして、彼らタヴィアーニ兄弟監督にとって、ピランデッロの影響力が大いにあったと、パオロ・タヴィアーニは話す。

©Umberto Montiroli

最後に、邦題である『遺灰は語る』は、まるでピランデッロの死と兄のヴィットリオ・タヴィアーニの死を通して、パオロ・タヴィアーニ本人が、自身の死生観を見つめようとする姿の意味を持つタイトルたが、イタリア語の原題『Leonora addio』は、レオノーラという人物にさよならを告げている題となっている。

この「レオノーラ」とは、一体誰なのか?誰に別れを告げているのか?

イタリア語の原題『Leonora addio』が持つ意味を理解した時、必ずパオロ・タヴィアーニ監督が抱く死生観にリンクし、解読できるはずだ。

死して尚、人は人々に影響を与え、自身の言葉で他者に語りかける事ができる。

人の言葉が持つ力は、私達の死をも超えて、一つの思想として語り継がれる。

その死の先にあるものは、苦しみも憎しみも、悲しみもない、敬意と尊敬と光栄の世界だ。

パオロ・タヴィアーニ監督は、それを兄のヴィットリオ・タヴィアーニの死を持って表現している。

そして、2人の兄弟監督の功績を讃えて、本作は産まれた。

死は必ず、誰の隣りにあるものだ。

©Umberto Montiroli

映画『遺灰は語る』は現在、関西では6月23日(金)より大阪府のシネ・リーブル梅田にて、公開中。7月7日(金)より京都府のアップリンク京都。兵庫県のシネ・リーブル神戸にて、上映が控えている。また、全国の劇場にて、順次公開予定。

(※1)La pirandelliana storia delle ceneri di Pirandellohttps://www.pirandelloweb.com/pirandello-e-le-ceneri/(2023年7月1日)

(※2)BERLINALE 2022 ConcorsoPaolo Taviani • Regista di Leonora addio“Sentivo che questa storia scritta da Pirandello faceva parte del presente”https://cineuropa.org/it/interview/422471/(2023年7月1日)