映画『コーダ あいのうた』
映画『コーダ あいのうた』という日本語タイトルで考えた時に、少しミスリードを起こしそうになるかもしれない。この題名にある『コーダ』とは、主人公のファースト・ネームでもなく、ミドル・ネームでもなく、ラスト・ネームでもまったくない。
では一体、この呼称をどこから拝借したのだろうか?それは、海外のタイトル『CODA』に深い意味があることを忘れてはならない。
この“CODA”にはどのような意味があるのだろうか?元々は「Child of Deaf Adults」の頭文字を1文字ずつ取って、「CODA(コーダ)」と名付けた。
日本語の意味にすると「聴覚障害の親をもつ健聴児」となり、一人以上の親または保護者によって育てられた子どものことを指す。
まさに、本作『コーダ あいのうた』のエミリア・ジョーンズ演じる主人公ルビー・ロッシ本人そのものを指す言葉でもあるのだ。
アメリカ人のミリー・ブラザーという人物が、この名称を作り出し、「CODA」を組織名にして活動し始めたのが、一番最初だ。
また、ミリーブラザー奨学金という支援もあり、社会貢献もしているようだ。
また、ミリーブラザー奨学金とは、聴覚障害のある成人の子供たちの教育を支援するために毎年授与される奨学金を指す。
これは、学部または大学院の研究に使用でき、1回限りの使用となるが、学校にいる間は何度でも申請できるシステムとなっているようだ。
ミリー・ブラザーという人物の詳細を調べみてみたが、この方に関する詳しい情報が出てこなかったので、「CODA」という機関が産まれた背景を伺い知ることはできない。
ただ、世界的な活動をし、社会的な功績を残しているようだ。
また、コーダという組織は、聴覚障害者(聞こえない世界)と聴覚世界(聞こえる世界)の道案内役を担っている。
聴覚障害者の両親と健常児との間の連絡役を務め、彼らにより良い世界を提供しようと活動している団体だ。
聴覚障害の両親から産まれる子どもの約90%が、聴覚の機能が正常に働いているという。
本作に登場する家族(聴覚障害を持つ親と健常の子ども、またはその逆も然り)は、現実の世界にも必ず存在し、自分たちが住む社会のどこかにひっそり暮らしているのだろう。
映画自体が遠い話ではなく、自分たちが住む街の隣人にも、この作品に登場するような家族がいることを覚えておきたい。
映画『コーダ あいのうた』を通して、聴覚障害者とその家族を支える団体「CODA(Child of Deaf Adults)」の存在に触れてみるのもいいことだろう。
さらに、本作の魅力が一体、どこにあるのだろうかと考えると、矢張り有名な役者が出演していない点が挙げられるだろう。
そのお陰で、作品の世界に没頭して、浸ることができる。
まさに、観る者を引き寄せる力がある作品だ。本年度の第94回アカデミー賞では、作品賞と助演男優賞トロイ・コッツァー(父親役の方)の2ノミネートのみ。
たとえオスカーは難しくても、今年のインディペンデント映画の代表作として注目度は大きい。
また、サンダンス系列の映画としては、作品賞の有力ランキング(予想)の『DUNE 砂の惑星』や『ドライブ・マイ・カー』と言った話題の大作映画を押さえて、6位に食い込んでいるのは、インディーズ映画としては大健闘だろう。
ここで出演者の周辺情報を調べてみると、なかなか興味深い作品に出演していることに気付かされる。
本作にて、聴覚障害の親と健常児の自分自身の狭間で揺れる、ティーンエイジャーの苦悩や葛藤を瑞々しい演技で表現した主演のエミリア・ジョーンズは、子役からの女優だ。
イギリス出身の彼女は、2011年の大作映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』でのイギリスの少女という端役での出演を皮切りに、『ワン・デイ 23年のラブストーリー』『海賊じいちゃんの贈りもの』『グランドフィナーレ』『ハイ・ライズ』『ゴーストランドの惨劇』など、各ジャンルの良作に出演し続け、10年という長いキャリアを持っている若手注目株の一人だ。
また、出番は少なかったものの相手役の同じティーンエイジャーの少年には、映画『シング・ストリート 未来へのうた』で主人公のコナー役を演じたフェルディア・ウォルシュ=ピーロ。
彼の出演作が日本配給されているのは、本作と『シング・ストリート』の2作のみ。
国内ではあまりお目にかかれない役者かもしれないが、テレビ映画『Dave Allen At Peace(2018)』短編映画『Topping Out(2020)』『Troubled Times(2020)』長編映画『Here Are The Young Men(2020)』など、日本にまだ輸入されてない作品に出演している次世代の若手俳優ということを覚えておきたい。
そして、主人公ルビーの家族を演じた役者は皆、驚くことに聴覚障害者の俳優だ。
父親役のトロイ・マイケル・コッツァーと兄役のダニエル・デュラントもまた、ろう唖者でありながら、この業界で活動している役者だ。
そして、最も本作において注目したいのが、母親役のマーリー・マトリンだろう。
今ではあまり耳にしない女優ではあるものの、聴覚障害の役者として初めて、アカデミー賞主演女優賞を獲得した人物ということを忘れてはならない。
彼女か映画俳優として初主演した映画『愛は静けさの中に(1986)』において、小さな港町のろうあ学校で働く聴覚障害の女性を力強さの中にも慎しさを帯びた人物として演じ、アカデミー賞で話題を攫った。
この作品で市民権を得たと言ってもいいほど、マーリー・マトリンは聴覚障害を持つ役者として、この業界に多大な功績を残している。
また本作で注目したいのは、「手話」だろう。主人公の少女と家族の心を繋ぐ「手話」の存在を忘れてはいけない。
世間の手話に対する関心は、過去数十年という長い年月の間でどんどん高まってきている。
だがしかし、そのような高まりは、聴覚障害者の間で実際に使われている「手話」そのものが、広まりつつある中、一般社会ではほとんど浸透することはなかった。
「手話」自体が、音声言語を基準とした社会の中では理解されることへの限界だった。
そもそも、音声コミュニケーションに慣れた健常者の多くが、ジェスチャーで表現するということ自体、特別に感じてしまう世の中だろう。
聴者は、身振りも指文字も、手話としての文法を備えた正規の手話も、見分けることができない方がほとんどだろう。すべて単なる「手話」だと勘違いしまう。
その上、聴者は、日本手話、アメリカ手話、イギリス手話と言う諸外国の手話を見分けることも難しいだろう。
「手話はジェスチャーと同じ」「手話は万国共通」「手話には文法がない」というような誤解は、今でも拭えないだろう。
聴覚障害者を助ける手話の関心が、世間で高まりつつあるにも関わらず、人々の理解や歩み寄りがまだまだ少ない昨今。
本作『コーダ あいのうた』は、「手話」を巧みに作品の重要なキーポイントとして位置づけている。
最も顕著なのは、物語の終盤の大学入試にて、主人公ルビーが自身が歌うジョニ・ミッチェルの代表曲『青春の光と影(Both Sides Now)』を耳の聞こえない両親に「聞いて」もらうために自ずと「手話」で表現する場面があるが、あの時こそ本作の主役が「手話」であるかのように錯覚させられる麗しいシーンでもある。
「手話」をテーマにした映画は、国内外問わず昔から数多く製作されてきている。
例えば、国内の邦画では松山善三のデビュー作『名もなく貧しく美しく(1961)』では、電車を巧みに利用して、ろうあ者夫婦が隣り合わせになった車窓越しに「手話」で互いの愛を確かめ合う場面が、作品のハイライトで夫婦の美しい姿を表現している。
また、海外ではアメリカン・ニューシネマの旗手、アーサー・ペンが監督したヘレン・ケラーの物語『奇跡の人』でも、「手話」で表現したラスト場面に心洗われることだろう。
ハリウッドで初めて聴覚障害者の役者として認められたマーリー・マトリンは、この業界で活躍する聴覚障害者たちの立場について、こう話す。
(1)「望ましくなく、気のめいる、制限的な業界です。肝心なのは、ハリウッドが聴覚障害者を含むより多くの人々が、今こそ物語を語る時です。俳優だけでなく、作家、プロデューサー、メイクアップアーティスト、衣装製作者など、誰であれ。私たちは彼らにチャンスを与える必要があります。それは長い間停滞しています。非常に長い間です。私は文句を言っている訳ではなく、ただ事実を言っているだけす。」
マーリー・マトリンは、ハリウッドの映画業界における障害者雇用への待遇を口にしている。
健常者であろうと、ろうあ者であろうと、誰にでもチャンスが必要だと。
それこそが、現在ハリウッドが求めている「ダイバーシティ(多様性)」なのかもしれない。
本作を通して、聴覚障害者が必要とする「手話」の重要性に少しでも気づくことができれば幸いだ。
最後に、本作『コーダ あいのうた』は、公開してから日が浅いにも関わらず、大変いい評価をもらっている作品だ。
ひとえに、分かりやすく、真っ直ぐで、前向きなのは、日本人向きの作品だからだろう。
明瞭で、朗らかな印象を受けた作品は、映画『グリーンブック』以来、久しぶりだ。
ここまで日本人受けした理由には、恐らく作中に登場する4人の家族の関係性が、人々の心に響くものがあったのだろう。
近年は昔とは違い、家族関係が希薄となった昨今。
大なり小なり、親子や兄弟と言った家族間で悲しい出来事が起きている。
現代社会においては「8050問題」や「9060問題」然り、数え切れないほどの問題が孕んでいる。
親が子を、子が親を蹂躙する事件が、増えつつある今、本作に登場する家族は、近年失われつつある本当の「家族の姿」を描いているようだ。
手話でしか言葉が通じない家族でも、「心」が通じ合える関係こそが、今世の中が求める真の家族像だろう。
映画『コーダ あいのうた』は現在、全国の劇場にて上映中。
(1)Marlee Matlin on the game-changing deaf representation of ‘CODA’ https://vogue.sg/marlee-matlin-coda-deaf-representation/(2022年1月31日)