ドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』その夢だけは持ち続けて

ドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』その夢だけは持ち続けて

駆け出した青春は止まらないドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』

©プロダクション26
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「走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ!」

これは、太宰治の名作小説『走れメロス』の有名な一節だ。ただ友のために走り続けるメロスの深い心情をこの言葉に乗せて、人を信じる心の大切さを説いている。学生時代の友情や青春は、10代特有の唯一無二の貴重な時間だ。大人になってから、あの学生時代をもう一度、送ることはできない。学生には学生の、大人には大人の青春が存在すると思うが、学生の時に味わう淡い高揚感や焦燥感、初恋の甘酸っぱい感情や思い出は学生の時にしか体験できない10代の彼等彼女等の特権だ。夢に向かって、クラブ活動や放課後の課外活動に打ち込むのも良い。一方、目標も何もなく、毎日信頼できる友達とダラダラ過ごすのもまた青春のひと時だ。この時にできた友の存在は、この時期にしか身を持って味わう事しかできない。学生時代の青春は、永遠で儚い。モダン・ホラーの帝王ことスティーブン・キングもまた、映画『スタンド・バイ・ミー』の一節で「I never had any friends later on I like the ones I had when I was twelve.(12歳の時の友達のような友人を、わたしがあれ以来もつことはなかった。)」と、作品内で語っている。この場合は少し年齢は下がるが、ローティーンの年齢にしろ、ハイティーンの年齢にしろ、その時代その時代で出会う友の存在はその時にしか出会えない。だからこそ、学生時代に出会った親友は、大人になった今でも大切にして欲しい。私みたいに疎遠になって、誰とも連絡が取れていない状況は、できるのであれば避けて欲しい。私は友を大切にできなかったからこそ、私の分まで君達は目の前の友を、何十年先、大切にして欲しい。「友を大切に」と言うが、もっと広い視野で見た時、他者を大切にする事が人生を豊かにする事に気付いて欲しい。小説の一節「間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではない。」とあるように、メロスは友や自身の命のために走った訳ではなく、二人の間に跨る目には見えない「友情」の為に走り続けたのだ。友情だけではなく、将来の夢や未来の彼等自身、この先に続く今あるすべての事柄に対して、彼は走り続けた。走れ、走れ、走れ。これからの未来のために、勇気を振り絞って、その一歩を踏み出すのだ。必ず、必ず近い将来、君達を輝かせる時代が訪れるから。

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ドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』は、島根県東部の雲南市にある県立三刀屋高校掛合分校で、初めて演劇に触れた高校生4人の姿を追ったドキュメンタリーだ。2021年、コロナ禍という特異な時代の中で、4人の高校生達は演劇という文化を通し、友情を育み、将来を語り合い、時に喧嘩もしながら、切磋琢磨して成長し合う。先にも述べた太宰治の代表小説『走れメロス』は、日本の教育では中学二年生の教材教科(※1)として必ず登場する日本国内においては非常に重要度を占める読み物だ。上記で引用させてもらったサイトの表題には、「なぜ今、『走れメロス』を取り扱うのか?」と、反復疑問をする。そう、なぜ今なのか?このサイトの掲載年は「2021年」。まさに、この作品の関係者が高校生達に密着した時期と同じだ。コロナ禍に陥った2021年。今は、21世紀の令和の時代。なぜ今の時代に「メロス」は人々にとって、ひいては学生達にとって必要な存在なのだろうか?昨今、日本の教育現場では、不登校、校内暴力、いじめなど、様々な問題が浮上している。一部の生徒だけでなく、一部の教師の問題行動もまた、問題視されている。由々しき事態の学校教育の中、今の子供たちが伸び伸びと学び、知性を育み、学友との絆を紡ぐ為に、教育機関の中でどう導いて行くのか、子供達のために学校はどう教育環境を整えて行くのか、それが今後の課題だ。日本が今、抱えている教育課題(※2)は、いじめ・不登校等の生徒への対応、特別支援教育の充実、外国人児童生徒への対応、子供の学力低下への対策、家庭の貧困による教育格差など、多岐に渡る。子と達を取り巻く環境を少しでも改善させるために、何が必要なのか。それを考えるのは国や学校、教師や保護者だけでなく、私達第三者の大人達も一丸となって、未来を生きるこれからの子どもたちのために考える必要がある。そんな中、文豪太宰治が書いた小説『走れメロス』が、子ども同士の関係性の中に芽生える友情や知性、教養に大きく影響を与えているのは間違いない。今もこれからも、『走れメロス』は私達日本人にとって特別な存在であり続け、演劇の演目含め、必ず子ども達の人生や生活、感情面に対して、成長の過程で必要なものとなる。今一度、私達日本人は、名作『走れメロス』の重要性を考え直す時が来ている。今の子ども達に良い影響を与えるためには何が必要か、その答えのヒントは本作『走れ!走れ走れメロス』と『メロスたち』に隠されているのかもしれない。

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本作の主題は多いが、重となっているものは、高校生演劇(※3)だ。高校生の演劇は、なかなか目に触れる事がない。社会人演劇サークルや大学生サークルよりも私達の生活に範囲内にはない。高校生による合唱コンクールも書道コンクールも、その世界の扉を開こうと、こちら側から動き出さない限り、閉ざされた世界だ。高校野球、高校サッカー、高校ラグビーといった露出度の高い競技にならない限り、私達の生活に根ざしていない分野が数多くあり、高校生演劇のその一つに近い。日夜、演劇の世界に触れている方にとっては異論を唱え、否定的意見に声を上げてくれる方もおられると思うが、特に演劇に対する許容が少ない人間にとっては、閉ざされた世界であるのは間違いない。そんな私自身も映画に偏り過ぎて、大手の演劇からアングラ、学生演劇に関して、恥ずかしながら、どれも触れた事が無い。今回、本作を鑑賞して初めて、高校生達による演劇に触れてみたが、それは大手のプロと呼ばれる大人達演劇関係者と何一つ遜色ない佇まいだ。高校生演劇の歴史は、今からおよそ100年前の大正時代、小説家、評論家、翻訳家、劇作家の坪内逍遥らによって、教育現場における学校演劇、高校演劇が子ども達の成長を促進させる教育教材として導入された。主に児童期(特に、小学校)における学校教育として推奨されたが、同時期に高校生演劇としても歴史が始まっている。また、今でこそ演劇を目指す高校生達の登竜門となっている毎年7月下旬から8月上旬にかけて開催している全国高等学校演劇大会(※4)は、1955年(昭和30年)からおよそ60年以上は続いている老舗の大会だ。初開催から数えて60年を越えているから、歴代の全国高等学校演劇大会には、俳優を筆頭に、声優や小説家を人生の生業にしている著名な方々が参加している。また、高校演劇は、映画とも深く密接な関係があり、多くの高校生演劇をテーマにした作品が制作されている。たとえば、映画『幕が上がる』『野球部員、演劇の舞台に立つ!』『行け!男子高校演劇部』がある。また近年、映画が人気を博した『アルプススタンドのはしの方』のスタートは、高校演劇で上演された歴史がある。映画と高校演劇が、近い間柄にあったにも関わらず、私自身、一般演劇にも学生演劇にも興味を示さなかった事、今更ながら、猛省の極みである。本作を制作した折口監督は、あるインタビューにて、コロナに「可能性」を奪われなかった高校生たちが、とても魅力的という言葉に対して、監督はこう答えている。

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「20年春に入学した彼らは、大声で騒ぐことすらはばかられる日常を過ごし、学校行事で校歌を歌うこともできませんでした。感染が拡大しているさなかに演劇を続けること自体、大きなリスクを伴いましたが、生徒たちは続けることを選びました。劇中のラストでは「演劇やりてえ」と大声で思い切り叫んだり、掛合分校の校歌を歌ったりするシーンがあります。私も自粛ムードに反発心を覚えていたので、彼らの叫びが世の中の雰囲気を壊してくれたようで爽快感がありました。「不要不急」とされた演劇でなくても、活動を制限されて悔しい思いをした人たちは多いはずです。同じような「あらがい」をした人たちにも、共感してもらえたらいいなと思います。」(※5)と話す。コロナ禍という制限された空間の中で、彼等はやりたい事もできず、大声で騒ぐ事も躊躇われる中、演劇だけは続けたいと言う熱い情熱には、私自身も心動かされる。監督のお話の中にも、高校生達が「演劇やりてぇ」と腹の底から本音を絞り出す慟哭は、共感を禁じ得ない。私自身もできることなら、死ぬまで文章を書き続けたい。どんな困難があろうとも、どんな障壁があろうとも、私はずっと書いていたい。高校生の姿を通して、私もまた多くの気付きを発見する事ができた。

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最後に、ドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』は、島根県の高校生達が繰りなす高校演劇の姿を密着取材した青春ドキュメントだ。たった4人の演劇部員達が、互いを砥礪切磋させながら、人として、一人の大人として成長する姿に私の心も満たされる。友の存在は、いつまでも大切にして欲しい。私は過去に大親友と言っても過言では無い友を、私は捨ててしまった。今は、あの時の自身の行動に深く後悔している。なぜ、あの時、あんな行動をしてしまったのか?昔に戻って、自身を止めたい。でも、それはもうできない。何があっても、過去は変えられない。10年以上経った今でも、私はその後悔を忘れた事は無い。謝罪のために、一度連絡を取って会った事はあるが、彼の瞳には私の存在は映っていなかった。彼にとって、私は過去の存在になってしまった。寂しい気持ちもあるが、それは私が蒔いた種。後悔は過去に残して、私は前に進まなければならない。今の若者には、そんな後悔を背負って欲しくないからこそ、これだけは伝えたい。目の前の親友、目の前の大切な人は、関係性が疎遠になったとしても、いつまでも大切にして欲しい。そして、「演劇やりてぇ!」「こいつらと何年先になろうとも、また一緒に演劇がしたい!」というその気持ち、大切に持ち続けて欲しい。アメリカの教育者ウィリアム・スミス・クラークが残した名言「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」ではないが、「青年よ、その夢だけは持ち続けて」と伝えたい。彼等は今日も、メロスのように未来に向けて走り続ける。そして、私達大人は、彼等が走る道や未来を作る必要がある。そして、彼等の姿を通して、私もいつまでも走り続けたいと、心から願うばかりだ。

「友と友の間の信実は、この世で一番の誇るべき宝だ」

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ドキュメンタリー映画『走れ!走れ走れメロス』『メロスたち』は現在、全国の劇場にて上映中。

(※1)【ほりしぇん副校長の教育談義】 (24) 国語の授業 『走れメロス』 (太宰治) ① なぜ今、『走れメロス』か?https://www.myojogakuen.ed.jp/junior_high_school/topics/25114#:~:text=%E3%81%95%E3%81%A6%E3%80%81%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB%E3%81%AE%E3%80%8E%E8%B5B0%E3%82%8C,%E6%95%99%E6%9D%90%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E9%95%B7%E7%B7%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82(2024年2月15日)

(※2)これからの日本の教育課題について考えるhttps://www.english-infonetwork.com/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/#:~:text=%E6%96%87%E9%83%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9C%81%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%A8,%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%95%99%E8%82%B2%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B0%91%E5%AD%90%E9%AB%98%E9%BD%A2,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%8C%99%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年2月15日)

(※3)高校演劇を見に行こう!https://theatre.kudok.com/(2024年2月15日)

(※4)全国大会の歩みhttps://koenkyo.main.jp/?page_id=168(2024年2月15日)

(※5)映画「走れ!走れ走れメロス」で注目の 映画監督・折口慎一郎さんhttps://ashitano.chugoku-np.co.jp/articles/article-14558/(2024年2月15日)