映画『凪の憂鬱』『コーンフレーク』「平凡な日常を描きながら…」脚本家・永井和男さんインタビュー

映画『凪の憂鬱』『コーンフレーク』「平凡な日常を描きながら…」脚本家・永井和男さんインタビュー

いつか懐かしくなる、平凡な日常を描く映画『凪の憂鬱』『コーンフレーク』脚本・永井和男さんインタビュー

©belly roll film

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—–まず、永井さんが脚本家を目指されたのかお聞きしたいと思います。

永井さん:最初は、大学時代にシナリオセンターに通っていました。そこは脚本の勉強ができる場所なんですが、とても楽しかったんです。なので、そのまま脚本を書き続けることができました。

—–大学では、芸大で映像を専攻されていたんですか?

永井さん:そうではなく、一般的な大学で物理を専攻していました。興味のあった物理学科に入学して、勉強していましたが、仕事はエンタメ関係に就職したいと、ずっと考えていました。3回生の時、単位不足で進級できず、留年するのであれば、違う学校にも通おうと考えて、先程お話したシナリオセンターと心斎橋大学という構成作家を勉強する学校にい始めました。大学卒業後、一度就職してADになりましたが、半年ほどで退職して、再度シナリオセンターの時の仲間と一緒に集まり始めました。ただ、通っていたシナリオセンターで教えてくれるのは、基本的にコンクールに作品を出品する事なんです大手のテレビ関係からのシナリオ募集があり、ドラマ1時間分のシナリオを書いて、みんな応募するんです。そこでグランプリを獲れば、映像化が決まります。最終選考に残れば、大手のテレビ局の担当者との面談があり、もしかしたら別のお仕事を頂けたりします。そういう道筋があるんですが、応募総数が1600件以上のものもあり、脚本家仲間と相談した結果、コンクールに出しても可能性は低いと実感して、その流れで自主映画を撮り始めました。

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—–磯部監督の作品では、数作品に渡り、監督と共同執筆されていますね。この関係上、自然の流れだと思いますが、映画『凪の憂鬱』『コーンフレーク』の両作品に参加された経緯を教えて頂きますか?

永井さん:映画『コーンフレーク』は、監督から企画の提案を頂きました。映画『凪の憂鬱』は、3作シリーズがありますが、1作目が網走映画祭で縁があり、制作に至りました。『凪の憂鬱』も同様に、監督からの企画の提案を頂いた記憶があります。『コーンフレーク』は、磯部監督と話し合いながら僕がシナリオを書き進めました。映画『凪の憂鬱』はその逆に、磯部監督中心にシナリオ執筆が進みました。様々なパターンで、シナリオを書いています。

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—–監督と一緒に書くことによって、より刺激を与えられたり、また完成した作品を通して、自身のシナリオへの捉え方や変化はございますか?

永井さん:それは、非常にありますね。磯部さんは、映画的なアイディアをお持ちの方です。僕は、エンタメ要素を持っているんです。昔からバラエティ番組やお笑い番組が好きだったので、少しだけですがバラエティのADの経験もしていました。その考え方が強くて、エンタメ的な要素を持っています。もちろん、ドラマや映画も好きですが、どういう部分で話が面白くなるのかに、興味があるんです。磯部さんは、映像的にどう飽きさせないかと考えているんです。例えば、ワンシーンで2人で話している場面をダラダラずっと続けて、たとえ会話が面白くても、画変わりしない場面は面白くないので、そこに工夫を加えたり、違う展開を用意するのが、磯部さんです。あるゆる映画的アイディアを持っていてくれるので、僕の中では話の内容や展開を考えがちですが、磯部さんが映画的な発想をしてくれるので、その点が僕への刺激に繋がっています。逆に、磯部さんがメインで脚本を書く時、僕ができることがあるとすれば、話の筋をどうすれば面白くなるかを考えることです。

—–また、作品が完成した時にシナリオとの違いにおいて見え方が変わることはございますか?

永井さん:現場で脚本の内容やロケ地が変わる以上、完成した後の作品の印象は大きく変わる時があります。居酒屋の設定が、ロケ地の都合で、場所が変わってしまうと、脚本への変更もあります。実際、シナリオ通りに撮れる事は珍しい事なので、完成形を観た時に、改めて、当初のイメージと大きく異なる事に納得する時もあります。僕自身、監督や映画スタッフで現場に入る事はありますので、それは、どの映画でも感じることあります。

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—–永井さんが、紡ぎ出すセリフについて、作品を観ながら耳を傾けました。作中では、日常的な言葉をセリフにするのは至難の業かと思いますが、そういう点で言えば、どのように日常的な会話をセリフとして作品に落とし込んでいますか?

永井さん:日常的な言葉や会話を脚本に起こすのは、ただ一択なんです。それは、日常的な言葉を書く事です。それ以上はないんです。誰もが日常的な言葉を喋りますよね。それをそのまま、言葉に起こせばシナリオはできるはずです。ただ、そこには必ず作為的なものが、物語の場合、必要です。この場面で、この言葉を言わせたいとか、ここで泣かせたいとか、そういう意図があればあるほど、不自然なセリフになっていくんです。でも、物語には意図が必要です。毎回書く度に、そこのせめぎ合いがあるんです。できるだけ、自然体にセリフを言い合いたいんやけど、ただ自然に会話しているだけなら、話が始まらないし、終わらないんです。できるだけ、自然に説明ゼリフ(※2)を配置して、状況を説明し伝えるために、どう自然なセリフの中に紛れ込ませるのかが必要で、意識するところです。でも、決めゼリフも必要なので、その点、ここの一言で何を言うのかは、詰まった時は、たとえ一行であろうと、ずっと話し合う事はあります。

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—–映画『凪の憂鬱』と映画『コーンフレーク』を観比べて、コロナ以前とコロナ禍、そしてコロナ以降という3つの時間軸として、あらゆる側面を持って、それぞれの作品を観る事ができますが、脚本を書く上で、シナリオの時間軸を意識した構成も考えて書かれておられますか?

永井さん:少なくとも、映画『コーンフレーク』は、コロナ前に撮影していますので、コロナに関しての意識はありません。映画『凪の憂鬱』で言えば、2作目の大学生編はコロナ禍で制作しましたが、設定としてはコロナ以前の物語です。だから、あえてコロナを当てて書いた訳ではありません。社会人編ではコロナ禍の物語になっているんですが、脚本の段階で僕は意識せずにいましたが、撮影の段階で監督がどうするかはかなり考えたそうです。

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—–2つの作品を観比べて、それぞれ類似点や相違点はございますか?

永井さん:映画『コーンフレーク』では「夢を追う男と働く女…(略)」と主人公達をキャッチコピーの冒頭で説明しているのですが、映画『凪の憂鬱』を作る時、磯部さんと凪という人物はどんな人物像だろうと、話していました。高校生編の時は、大阪から北海道に引っ越して来て東京に憧れている女の子という設定でした。大学生編になったら、大阪に戻って来るんですが、周りの友達は映画を作っていたり、芸術系の人が集まっている反面、凪は派遣先の事務員の就職が決まっている現状。友達から夢があるかと聞かれる場面がありますが、このシーンでは凪が将来何になりたいのか、何をやりたい子なのか考えた時、特に何もないのではないかという話になったんです。僕らは映画を作って、表現したい夢や目標がありますが、特に何も目標を持っていない方も世の中には、たくさんいると思っています。凪みたいに就活や就職が面倒くさいと思いつつ、面接に行って、就職先を決める方も多いと思うんです。僕らは夢を追っているからこそ、物語では夢を追う主人公の設定にしがちですが彼女含め、世間の方々も夢を追っている方ばかりではないので、目標も持たず日々を平坦に過ごす人々を主人公にしても、面白いのではないかと思い、大学生編を制作しました。引き続き、社会人編でも同じ設定にし、仕事をして頑張る彼女を描きました。周りの友達は夢があって、必死に頑張っていますが、凪自身はそんな人物に巻き込まれていくパターンの主人公として描き、面白い物語にしようと展開させて行きました。映画『コーンフレーク』と『凪の憂鬱』の主人公は、真逆の人物像として描いています。夢を追っているけど、ダラダラしている裕也と、夢を追っていないけど、ダラダラしている凪。そんな二人が、類似点でもあり、相違点だと思います。

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—–映画『コーンフレーク』と『凪の憂鬱』が、シナリオを通して、相互作用している点が、もしあるとするなら、それはどの点でしょうか?

永井さん:両方観て頂けたら、必ず響く所があると思います。それこそ、主人公が夢を追っている姿と追っていない姿は、大きな違いがあると思うんです。夢を追っている人に対しては、映画『コーンフレーク』は共感を持って頂けると思います。夢を持てない主人公の凪は、珍しいかもしれません。ただ、映画『凪の憂鬱』の方が、物語の軸からそれて主人公が寄り道する物語で、その点が、楽しめる要素でもあります。このような設定が好きな方には、気に入ってもらえると思うんです。例えば、映画内の小ネタは多くありますが、小ネタばかりを観たい方もおられると思うんです。映画『凪の憂鬱』には、多くの小ネタが散りばめられた作品に仕上がっています。主人公の凪だけでなく、他の登場人物も一緒に輝ける作品です。映画『コーンフレーク』は、男女2人だけの世界観や関係を、ちゃんと描いた作品ですので、物語の軸はしっかりしているんです。その一方で、『凪の憂鬱』は比較的、凪の日常を描きながら、特に繋がりのない場面を作りつつ、その一つ一つが面白い映画になっています。

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—–永井さんが考える脚本の重要性とは、なんでしょうか?

永井さん:脚本は、昔から言われている通り、映画の土台で間違いありません。作品の設計図です。ただ、どれだけ素晴らしい脚本が書けても、面白くない映画になる可能性は秘めています。役者やスタッフが、全員がダメであれば、どれだけ脚本が面白くても、撮影や編集段階を経て、とんでもなく面白くない作品が生まれてしまうのも事実です。だから、脚本がないと映画はできませんが、良いシナリオが書けても、必ずしも大傑作の作品が生まれる事はないと、日々感じています。

—–最後に、映画『コーンフレーク』と『凪の憂鬱』の魅力を教えて頂きますか?

永井さん:映画『凪の憂鬱』のキャッチコピーにもあるように、「日常」が似合う2作品だと思います。どちらも、近所で起きているような物語なんです。だから、どこか特異な場所で起きた変な話ではなく、友達や、そのまた友達の友達のちょっとした面白い話を垣間見れるような作品です。そういう感覚で観てもらえたら、共感もしやすいと思います。過去に経験した事を、映画を通して追体験できるのが、両作品の魅力です。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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映画『凪の憂鬱』は現在、6月30日(金)より兵庫県の塚口サンサン劇場にて上映中。

(※1)Webライターズバンクについてhttps://webwniritersbank.com/about.html(2023年6月28日)

(※2)脚本・小説のセリフのタブー「説明台詞」とは?それを避ける4つのコツhttps://takagi-shinry.com/2017/04/15/description-speech-of-story/(2023年6月28日)