テロリストの烙印を押された谷を描くドキュメンタリー映画『アダミアニ 祈りの谷』
戦争は、いつの時代でも無くならない。紛争は、どんな環境でも人々に牙を剥く。チェチェン紛争後、「テロリストの巣窟」としてレッテルを張られた小さな地域が、ジョージア(グルジア)(※1)に存在する。「テロリストの巣窟」なんて呼ばれるようになった所以は、2001年に発生した第二次チェチェン紛争が原因で、ロシアから逃亡した多くのチェチェン人ゲリラの潜伏先となったパンキシ渓谷。この件を巡って、ジョージアとロシアの関係は益々、悪くなる一方だと言われている。そんなパンキシ渓谷に暮らす市井のジョージア人の日常の姿を追ったドキュメンタリー映画『アダミアニ 祈りの谷』は再度、私達に平和とは何か?日常の細やかな幸せとは何か?と、問い直しているようだ。世間からネガティブなイメージを持たれ、遠回しに敬遠されている地域に住む人々は、周囲が声高にして発する「テロリストが住む村」ではない。その村に居住する村人は、至って、どこにでもいるごく普通の人間だ。朝起きて、食事をし、日光の光を浴びて、壮大な山々の自然に囲まれた渓谷でその日その日の瞬間瞬間を、人生の喜びとして謳歌する。そこには、「戦争」という二文字とは無縁な無害の人々が、心無い誹謗中傷に傷付ながら、日々の平穏さを求めて、生活を営んでいる。世界では今、あらゆる国と地域が戦争を勃発させ、あらゆる国民の命と生活が蔑ろにされている。2022年2月から始まった「ロシア・ウクライナ戦争」(※2)は、まだ終戦の気配を見せない。2023年10月から攻撃が始まった「2023年パレスチナ・イスラエル戦争」(※3)は、残念ながら、先の「ロシア・ウクライナ侵攻」の影響を大きく受けていると考えられる。一部の地域で起こる戦争は、周囲の地域を刺激し、至る所で戦争が始まってしまうのだろう。ここアジア諸国も他人事として傍観するのてはなく、他国で起きている有事に対して、自国がどう対処するのか、政治だけの力で考えるのではなく、国民一人一人がどう向き合って行けば良いのか、熟考して行きたいと願うばかりだ。本作は、チェチェン紛争によりパンキシ渓谷に逃げたとされるテロリスト達の存在に対して、その地域を「テロリストの巣窟」と世界が呼んでいるが、その実態は外側からは知る由もない。私達は、その真実を知ろうともせず、誰が最初に言ったのか分からない伝聞だけを信じるのではなく、この目で今、何が起きているのか確かめる必要がある。
パンキシ渓谷が、「テロリストの巣窟」と呼ばれるようになった発端は、先にも書いたようにチェチェン紛争で逃亡したテロリスト達が潜伏先に選んだのが、始まりと言われているが、私達はそのチェチェン紛争の実情を、まだ知らないのではないだろうか?チェチェン戦争の始まりは、1991年12月25日に時の独裁者であるゴルバチョフ大統領が辞任した結果、ソビエト連邦の崩壊が始まり、その余波の元、ソ連の中に包括されていた小さな国々が、崩壊と共に独立した。今、ロシアと熾烈な戦いをしているウクライナもまた、ソ連崩壊時に独立した国家の一つだ。本作の舞台となっているジョージア(グルジア)もまた、同時期にソ連から独立した国として認識されているが、ジョージアとは別に、ロシアとチェチェンの間で繰り広げられた「チェチェン紛争」という戦争がその時代に起きたが、その時に生まれたチェチェン武装勢力が、ジョージアにあるパンキシ渓谷に逃げ込んだ結果が、今に至る。このチェチェン紛争は今なお、根強い問題を抱えており、ソ連から独立した各々の国家はロシアとの間で何かしらの問題を引きずっている。それが、ロシア・ウクライナ戦争としても膿として放出されている。また、チェチェン紛争を分けて見ると、1994年~1996年にかけ、ロシア連邦からの独立を主としたチェチェン共和国による独立派武装勢力と、反ロシア組織を阻止しようとするロシア連邦が用意した軍隊との間で発生した第一次チェチェン紛争(※4)とチェチェン独立派勢力(チェチェン・イチケリア共和国など)と、ロシア人およびロシア連邦への残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で発生した第二次チェチェン紛争の2つに大きく分類される。2009年に終戦を迎えたチェチェン紛争ではあるが、この残党が起こした北コーカサスの乱(※5)が、続く2017年まで起きていた事も事実として残っている。また、このチェチェン紛争の犠牲者は、4万~5万人と言われている。第二次チェチェン紛争で生まれたチェチェン独立派勢力が、パンキシ渓谷で隠伏したのが始まりだが、よくよく考えてみると、ジョージアはチェチェン紛争に巻き込まれた単なる被害者に過ぎない。これが発端となりジョージアとロシアが、また争わないといけなくなり、戦争における悲しみの連鎖は途絶える事はない。この地に住む村人達は、ただ今まで平穏に幸せに暮らして来ただけにも関わらず、戦争が引き起こした問題のせいで、彼等は不名誉な言葉を投げられている。でも、本作をしっかり観れば分かるが、ここに住む住民は皆、テロリストとは一切関係なく、日々を慎ましく生きている。世界は、そんな人々が住む地域を悪意を持って、貶めようとする姿勢には理解に苦しむ。なぜ、彼等がテロリストなのか?なぜ、パンキシ渓谷が「テロリストの巣窟」と総括して呼ばれるのか?それは、一部のチェチェン独立派勢力の潜伏が発端なだけで、住民やその地域には一切関係が無い事をしっかり示す必要がある。ものの見方は、その一面だけで見るのではなく、より広い視野で確認し、考慮し、想像する事が大切だ。
そして今、チェチェン紛争やジョージアのパンキシ渓谷はどうなっているのか?私達は、2023年における問題を再度、見つめ直す必要があるのではないだろうか?その前に、チェチェンとロシアの醜い領土争い、独立争いは、民間人にまで危害を及んでいる事を知っておく必要がある。およそ20年前の2004年に起きたベスラン学校占拠事件(※6)もまた、チェチェン独立派武装勢力によるテロ事件だ。330人以上の子供と大人が犠牲となったこのテロ事件を覚えている人も少ないだろう。政治的背景、領土問題、独立問題、大人たちの事情で決まって犠牲になるのは、何の罪もない民間人や子供達だ。そして現在、2009年にチェチェン紛争は終結を迎えているが、ロシアとの間で独立を果たした諸外国との緊張関係は消える事はなく、それはロシア・ウクライナ戦争となって、問題が浮上している。第二次チェチェン紛争で政治家として頭角を現したのが、現ロシア政権の最高指導者であるウラジーミル・プーチン大統領だ。第二次チェチェン紛争において彼が生まれてなければ、もしかしたら、ロシア・ウクライナ戦争も起きなかったのかもしれない。この背景を知れば知るほど、今世界で起きている戦争は、過去から続く問題であり、切っても切れない深い歴史の関係を伺い知ることができる。そして、私は思う。あらゆる戦争は、何一つ終わっていないと言う事。姿かたちを変えて、私達の日々の生活を脅かす。2023年現在、今もどこかの地域で紛争が起きているが、それは今始まった事ではなく、過去に起きた戦争の地続きのその先に、今があると思わなければならない。それでも、戦争に巻き込まれた人々は、その土地で暮らし、日常を過ごしている。それは、日本に暮らす私達日本人と何ら変わらないジョージア人の姿ではないだろうか?本作『アダミアニ 祈りの谷』で非常に印象的だったのは、渓谷の壮大な景色とそこに暮らす人々の屈託のない笑顔だ。「テロリストの巣窟」と呼ばれる地域に暮らしながらも、彼等は戦争とは無縁に明るく前向きに生きている。それでも、その隣には戦争やテロリストと言ったネガティブな言葉たちが横たわる。パンキシ渓谷に暮らすジョージア人は、世界から向けられる心無い視線を浴びながら、その土地でひっそりと日々を過ごしている。これが、チェチェン紛争やロシア・ウクライナ戦争における現実の一部だ。私達は、世界の現実を知る必要があり、本作はその事実を私達に提示してくれている。
最後に、本作『アダミアニ 祈りの谷』は、「テロリストの巣窟」と呼ばれているジョージアのパンキシ渓谷に住む住民たちの日々の姿を追った作品だが、そこにはテロリストなんて一人も登場しない。映像に映る現地の人々は皆、日常を懸命に生きているだけの人間だ。テロリストとは無縁の彼等が、なぜ世界から誹謗中傷を浴びないといけないのか。私達は、一部の側面で提示された事実だけでしか物事を判断していない。この地域が、「テロリストの巣窟」だと説明されれば、その言葉の通りにしか受け取らない。でも、本作に登場する村人の姿を見れば、必ず理解できる事もあるだろう。私は、本作を通して、日本のドキュメンタリー映画『A』『A2』を思い出した。オウム真理教が、日本国内で起こした無差別テロという事実や重大結果は変えられない上、社会は厳しく糾弾し続ける必要がある一方で、教団内部では必死に青春を謳歌しようとした青年達がいた事も事実だ。ドキュメンタリー映画『A』『A2』は、彼らのその姿を捉えている。異論はあるかもしれないが、「テロリストの巣窟」と言われて敬遠されているパンキシ渓谷の姿を追った本作『アダミアニ 祈りの谷』では、テロとは縁のない住民達が、ただ粛然と生きている。世界は、「多様性」「多様性」と価値観の変容を私達に求めているが、「多様性」を受け入れる事が必要である一方で、私は「多角性」という言葉が持つ意味も、今の私達に必要ではないだろうか?「社会的事象をさまざまな角度から捉える事」が多角性ではあるが、一つの言葉だけで物事を判断するのではなく(この場合は、「テロリストの巣窟」)、想像力を働かせて、多角的に物事を判断する事が差別を産まず、格差や認識の違いを生じさせない事に繋がって行くのではないだろうか?今後、受動的に「多様性」を受け止めるだけでなく、能動的に自ら働きかえて、物事を考え、想像する事を求められる時代が訪れる事が重要だ。
ドキュメンタリー映画『アダミアニ 祈りの谷』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)ジョージアってどんな国?https://sakartvelo.jp/?tid=5&mode=f8(2023年12月11日)
(※2)ロシア・ウクライナ戦争https://www.hrw.org/ja/tag/russia-ukraine-war#:~:text=2022%E5%B9%B42%E6%9C%8824,%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82(2023年12月13日)
(※3)最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2023/10/16/35127.html(2023年12月13日)
(※4)【チェチェン紛争】紛争の背景や経過をわかりやすく解説https://akademeia-literacy.com/international-relation/chechen-conflict/(2023年12月13日)
(※5)「キエフ制圧」でもロシアの泥沼は続く、アフガン、チェンチェンの二の舞いにhttps://diamond.jp/articles/-/298528?_gl=1*1mhf7aq*_ga*YW1wLXFJQ29XbXFkeENOV2FfTHhwUDc4TmxnaFZLdkhCNjAzT1N0NUNuOVVpa0pVRUVoODlBb0c1cFp4cmpVTWZNMWY.*_ga_4ZRR68SQNH*MTcwMjQxMjk2NC41LjEuMTcwMjQxMjk2NC4wLjAuMA..(2023年12月13日)
(※6)<ベスランの傷跡>(上)新たな命、生きる希望に 娘が犠牲に 死願う母に起こった奇跡https://www.tokyo-np.co.jp/article/27339(2023年12月13日)