映画『火だるま槐多よ』「表現できる時間は大切」佐藤寿保監督インタビュー

映画『火だるま槐多よ』「表現できる時間は大切」佐藤寿保監督インタビュー

2024年1月9日

ガランスに塗りつぶせ!映画『火だるま槐多よ』佐藤寿保監督インタビュー

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–本日は、よろしくお願いします。本作は、今の若者世代に観て頂きたい作品です。まず、制作経緯を教えて頂きますか?

佐藤監督:その通りで、特に若い方に観て頂きたいです。実際のところ、村山槐多が描いた絵は昔から興味を持っていました。あと、映画の中でも取り上げている『悪魔の舌』という怪奇小説。日本で初めてのカニバリズムを題材にした小説だと江戸川乱歩は言っていますが、その作品を基に何か映画を作れないかと思っていたんです。今回の場合、なぜ映像化したのかは非常に重要です。14年ほど前、村山槐多没後90年に東京にある渋谷区立松濤美術館で村山槐多展が開催されたんです。そこで、今回の映画のモチーフにもなった絵画「尿する裸僧」の実物を見て、うわっと驚かされたんです。私は、そこで村山が描いた「尿する裸僧」をモチーフにした映画を作りたいと思った訳です。伝記映画のような人物の綺麗事を描くだけでなく、村山槐多自身が22歳5ヶ月で早世してしまったんですが、天才肌でもある一方、問題児でもあったんです。授業中に前の生徒の背中に絵を描いたり詩を書いたり、突然踊り出したり、フラフラどっかに行ってしまったり。彼は、4歳から18歳まで京都で生活したんですが、当時はそんな槐多を受け止める包容力があった。しかし今は周りの理解も乏しく、今のご時世も含め、表現する事自体、自主規制も激しくなっていますよね。コロナ時代になって、益々、世に発信する事が難しくなったような気がします。役者にしても表現する場も奪われてしまった今、鬱屈した物を今の世に問い、映画を作れよと問われているようにも思うんです。コロナ禍では、私は毎晩、悪夢を見て魘されていたんです。その中で村山が描いた「尿する裸僧」のイメージがパンと、夢の中に出て来たんだ。私にとっては、幸運でした。「尿する裸僧」もオーラのような内なる炎が表面に出ているような絵だと、感じているんです。だから、この絵を通して、世の中に何かを問いたかったんです。この作品を制作しなければいけないと、強迫観念に駆られたのが、本作の始まりです。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–あの絵を見て、何かしら強い情熱を感じられたんですね。作品を鑑賞するにあたり、村山槐多について調べてみました。佐藤監督のおっしゃる絵画「尿する裸僧」は、非常に衝撃を受けました。

佐藤監督:彼は自らアニマリズム時代と言っていますが、動物的な部分と霊的な部分の造語なんです。特に、その点にも惹かれましたが、彼は10代の頃から、海外のエドガー・アラン・ポーやランボーなどの翻訳や詩や小説も書いていた天才児と言われていますが、彼は死ぬ間際まで画家としての村山槐多として生き死にしたいという考え方を持っていたんです。だから時代によって、絵の描き方も非常に模索しており、タッチも生きた時代によって変わっています。印象派に寄ったり、ゴッホに傾倒したり。だから、死ぬ間際までずっと画家として模索していたんです。だから、村山槐多には、画家としての捉え所がない訳です。キャラクターも含めて、どんな人間なのか分からない側面もあります。人によって、見え方も全然違うと思うんです。映画も観る人によって感想が違うように、今回の作品では、槐多的な要素を混ぜて、様々な観え方ができるように仕上げているんです。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–村山槐多が描いた絵画のように、本作もまた色々な方が観て、違う感性で観れるようになっているんですね。では、大正時代の画家、村山槐多が描いた作品を、本作は取り上げていますが、大正時代の若い絵師と現代の若者が巡り合う共通点や共感し合える要素は、この作品にございますか?

佐藤監督:実際、村山槐多は22歳5ヶ月で亡くなった原因は、スペイン風邪を併発して亡くなったんです。いわゆる、今で言えば、コロナ禍で亡くなった一面があるんです。ただ、世界的パンデミックの時代において、突拍子もない行動も起こす一方、死ぬ間際まで、表現する事に没頭して、神経質になりながら、死と対峙して恐れを感じながら、絵を描き続けた事実や姿勢は、今のご時世と被る部分もあると思います。ただ今において、大きな違いで言えば、より画一性や同調性が増えた世の中だと思うんです。やむを得ず、自主規制をしてしまう背景が、若者たちの姿を観て思います。ただ、自分自身も含めて、無意識下で自主規制してしまっても、もっとやりたい事があって、それが生きる事にも繋がると思うんです。表現とは、絵師だけではなく老若男女一般人に於いても表現する事自体が生きる事、生きる事は表現する事ではないかと、問いかけをしたかったんです。映画のキャスティングにおいても、佐野史郎さん以外は皆さん、全員オーディションで決めています。役者の方は今、舞台も含め、実際問題、表現の場を奪われて、鬱屈していると感じたんです。 有名無名関係なく、今回の映画では作品に合うような柔軟性のある若者と組んでみたかったんです。佐野さん自身は、年齢的には私より年上ですが、頭でっかちではない柔軟性がある役者なんです。今回の作品は、ピンク映画でデビューしてから一般映画を含め、私史上初めて映倫審査でR指定無しの一般映画として公開されます。しかしながら表現や情熱の部分では、非常に過激な映画だと自負は持っているので、お客さんには熱さを感じてもらいたいんです。何かしら情熱や表現について、感じて頂けたらと思います。

—–先程、若い世代の方にもぜひというお話をさせて頂きましたが、特に表現を目指している若い世代に本作を観て頂けたら、何か刺さるものがあるのではと、思います。

佐藤監督:だから、色々感じてくれればいいと思うんです。映画には、定義みたいなものがないので、もっと自由に感じ取って頂けたらと思います。映画の方法論においても、今は本当にデジタルで撮れるのが映画ですよね。私達は8mm世代で、回した分だけ本当にお金かかっちゃうから、今と昔では映画を作る方法論が違うんです。だからこそ、今の時代はもっとやり方がたくさんあると思います。

—–改めて、大正時代の若者と今の若者の繋がりは、スペイン風邪とコロナという世界的パンデミックで結ばれるんですね。もし、コロナが無ければ、この作品も産まれて無かったのでは?

佐藤監督:それは、あると思います。だから、尻叩かれた部分もあります。あと、本当に身近の人間の死もあったんです。映画に影響を与えてくれた一回り上の兄貴がいたんだけど、コロナ禍になって三年間ぐらい面会もできなかったんです。最後に面会できても、制限を設けられて、リモートでの面会を余儀なくされたんです。だから、その時の経験に対して、今でも思う所がたくさんありますね。

—–監督の身内の死と村山槐多が若くして亡くなった事実が、この作品の創作意欲に繋がっているのですか?

佐藤監督:兄貴自身が私の映画に影響を与えてくれたんです。ひと回り上の兄だったので、子供の頃はたくさん、映画館を含め遊びに連れてってくれた兄貴だったんです。ピンク時代からずっと、私の作品を観て、会う度に感想や批評を伝えてくれていたんです。映画を撮れなかった時期には、一番励ましてくれたのも兄貴でした。村山槐多自身も、7歳ぐらいの子供の頃、弟と妹を亡くしているんだよ。彼は子供の頃、死と対面しているんです。実際、自分自身も病気になって、恐怖を感じて、生きたい描きたい表現したいと思えたんです。生きる事は描く事。描く事は生きる事。自身の中にある感情が表面に出て来た時、これは私でしか撮れないと思ったんです。

—–この作品が何かと問われれば、「生きる事への執着」なんです。「生」への何か強い想いが、作品の中に眠っていると感じます。生きる事とは、何でしょうか?最近、若者の自殺の報道が、多くあると思います。そこへのアンチテーゼや逆説的に、生きる事への美しさを、本作が伝えていると感じます。

佐藤監督:息苦しく感じる事は、若い時にたくさんあると思うんです。私も、よく息苦しさを感じていました。社会に押し潰されるのではなく、社会と対峙する事が大切なんです。だから、視野を狭くすればするほど、自分を追い込んでしまうんです。そんな価値観に押し潰されてしまうと、面白くないですよね。だから、ピンク時代含めて、登場人物は押し潰されるのではなく、対峙して自らの道を見つけて行く。もっと自由に生きれますし、もっと色んな生き方があると思うんです。それぞれ人間は、社会に縛られて、操り人形ではない訳です。それぞれの生き方は、狭い所で追い込むのではなく、もっと社会に対する鏡になればいいんです。私の場合の鏡は、映画です。私は非常に舌っ足らずなので、映像表現の方が得意だと思っているんです。だから自分でしか表現できない事をスクリーンを通して、世に問いたいと思っています。若い世代に限らず、老若男女、誰でも観て欲しいんです。還暦を迎えて、童心に戻った今、私は4歳児の感覚で映画を撮っているんです。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–本作は現代に生きる若い世代の人々が、過去に活躍した画家の姿をアバンギャルドに追う物語ですが、作中では若者の世界観をミステリアスにも描いていると感じました。監督は、今の若人達の世界をどう見つめておられますか?

佐藤監督:決して自己満足してないと思うんです。若者も含めて、みんな自己満足してないと思います。ただ、社会に抗って、道から外れてしまうと、不安を感じる事もあると思うんです。でも、もっと脱線し、逸脱した方が面白いんじゃないかと、言いたいです。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–プレスのコメントにて、監督は「村山槐多との出会いは衝撃的だった。その背景には、絵画「尿する裸僧」があると。また、村山槐多が作品を残した彼を、本作を通して閉塞感漂うこの世に解き放ちたかった」と、今の世に村山槐多の存在がどう必要不可欠なのか、お話しいただけますか?

佐藤監督:縛られない事です。自身の感性を大事にした方がいいと思っています。人間は社会性を持っていますが、元々は動物で、本能を持っているんです。だから、それぞれの個や個性、自分でしか感じられない感受性もあると思います。 いわゆる行動として起こして行くんです。ピンク映画時代、よく犯罪物を作っていましたが、犯罪者には反社会的な部分を持っており、社会に認められない部分もあると思いますが、人間としては非常にナイーブで面白い方がおられます。だから、ベクトルや方向性の違いによって、生き方はその人でしか生まれて来ないんです。だから、社会に押し潰されず、つまんないと感じたら、もっと行動しようって伝えたいです。

—–もっと自由に、自分が思うままに行動してもいいのでは無いかと。恐らく、今の人は他者の顔色を見て、他人の意見に流され、どうしても自分の意見が言えない背景もあると思います。

佐藤監督: 世界は理不尽な暴力に溢れ返っているにも関わらず、それに対して目を逸らしている状況です。マスコミ含めて、小市民の私達が権威主義や忖度に対して叫ばざるを得ないと、いち映画人として感じています。今回の映画に関して、特に、伝えたい事はたくさんあります。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

—–佐藤監督は、「悪夢の日々を送った新型コロナ禍によって、表現する事の不自由さが露呈して来て、以前から映像化したいと思っていた村山槐多を制作しなければいけなかった衝動的に思っていた」と、コメントとして発表していますが、この新型コロナウイルスの時代と村山槐多を結び付け、この2つの関係性を作品にどう昇華させましたか?

佐藤監督:スペイン風邪と先日頃のコロナ禍や今のアフターコロナをオーバーラップさせて、表現者である村山槐多が大正時代にどう生きたのか。また、自らがスペイン風邪に罹患して、22歳という若さで命を落とした。その彼が、死ぬ間際まで画家として存在した村山槐多。彼は、画家として認められたいという強い想いを持っていたんです。だから、時代において、画風がどんどん変わって行きましたが、志半ばで早世するのは本人として無念だったと思います。だから、抑え難き迸る感情が、絵に出ているんです。私の感性は4歳児に戻って、4歳児的なガキ的感性を持ってして、世の中の当たり前を疑い続けています。昔の事は、私にとって大事な事です。だから、今回の映画の場合は、村山槐多が10代の頃に書いた詩や小説、村山槐多的なる物。観る人によって、見方や捉え方は全然違うと思います。絵を見ても、それぞれ違った感想が出てくると思うんです。解説文が映画や絵について説明していますが、いつも懐疑的ではあるんです。人それぞれ、感じ方が違うからこそ、映画においての捉え所に関しても、人によっては拒否反応を示してしまうかもしれません。映画とは、人それぞれの感じ方が存在すると、当然思っています。ただ、心に突き刺さるような映画は撮りたいと、いつも考えているんです。

—–村山槐多が生きた時代と今の時代に繋がりがあるのか考えていましたが、時はひと区切りとして時代で分断されています。人々は、分断された時代を感覚的に捉えていると思います。監督のお話をお聞きして、すべて地続きに続いていると、改めて、考える事ができました。

佐藤監督:そうですね。私達の時代は、しらけ世代と言われていますが、私達はまだしらけていません。いわゆる、学生運動が終わった後のしらけ世代と捉えられていますが、人間はずっと生きています。本質的な部分は、それほど変わっていません。それでも文明によって、利便性を追求したが為に、自ら頭を使わなくなった背景もありますよね。

—–思考する人間が、だんだん減って来ている時代ではありますが、結局、今も昔も全く変わっていません。

佐藤監督:人間は、基本的には変わらない生き物です。 死ぬ事は怖い、自分の言う事は分かってもらいたい。それでも、世界情勢においては、ウクライナやパレスチナなど生きる事さえままならず、表現したくても潰される社会体制においては、弾圧される人も確実にいます。表現できる時間は大切で、死に対しても意識して、生きざるを得ないんです。

—–最後に、本作『火だるま槐多よ』の今後の展望をお聞かせ頂けますか?

佐藤監督:まずは映画館で観ていただきたいですね!その後は日本だけでなく、世界は広いから、世界中の人々に観てもらいたいです。可能な限り、世界中の映画祭だけでなく、ネット配信もありますので、どんなスタイルでも上映はできます。老若男女関係なく、多くの方に観て頂きたいです。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©2023 Stance Company / Shibuya Production

映画『火だるま槐多よ』は現在、関西では1月6(土)より大阪府の第七藝術劇場にて上映中。1月19日(金)より京都府のアップリンク京都にて上映開始。また、全国の劇場にて公開予定。