映画『さすらいのボンボンキャンディ』「様々な事に気づいて行くために」サトウトシキ監督インタビュー

映画『さすらいのボンボンキャンディ』「様々な事に気づいて行くために」サトウトシキ監督インタビュー

2022年11月28日

現代社会でふわふわ漂う大人のための映画『さすらいのボンボンキャンディ』サトウトシキ監督インタビュー

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』製作委員会/延江浩

自身の孤独を埋めるため大都会・東京の片隅でひっそりと息をする一人の女性の人生をエロチシズムに描いた映画『さすらいのボンボンキャンディ』を監督したサトウトシキ監督に本作の見どころや魅力、作品を通して見えてくる大人たちが抱く「孤独」について、お聞きした。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』製作委員会/延江浩

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–まず最初に、本作『さすらいのボンボンキャンディ』の製作経緯を教えて頂きますか?

サトウ監督:非常に細かい話になってしまいますが、およそ8年前ぐらいです。

当時、助監督をしてくれていた十城(とうしろ)義弘くんに脚本を書かせました。

彼が、主催している勉強会のようなものを始めたんですが、その会に呼ばれて、私も参加しました。

その中で、月2回程の勉強会を通して、皆で脚本を書こうとなったんです。

十城くんが、改めて新しくシナリオを書いた方がいいのではないかと話になりました。

その時に、原作の『さすらいのボンボンキャンディ』を脚本化できないかと、思ったのが本作の製作のきっかけです。

それ以前の話をすると、製作とは関係ありませんが、 延江浩さんが執筆された短編小説集の一篇として『さすらいのボンボンキャンディ』を読みました。

延江さんとは、以前からの知り合いだったんです。

なぜなら、私が監督した1999年公開の映画『アタシはジュース』という作品の原作者でした。

2005年に短編小説集を読んだ時に、興味を持ちまして、可能であれば、映画化したいと話をしたんです。

その勉強会の中で、脚本を具体的に作る過程で、映画化まで行ける分からない段階でしたが、延江さんと話を進めました。

当然、映画化を目指そうと思いますが、そんなに上手く事が運ぶかは分かりません。

その後、脚本が少しずつ進んで行って、主演の影山裕子さんという女優さんに出演して欲しくて、色々お話をしていくと同時に、延江さんから男性役に原田喧太さんに出演してもらえるようにと、提案を受けたため、推薦して頂きました。

二人が候補として挙がって来て、初めて具体的に動けるようになったんです。

初めの頃はなかなか動けなかったけど、今回動き出せるかも知れないと、慎重に少しずつ進めていきました。俳優さんのお顔が見えて来たのは、6年ぐらい前だったと思います。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–延江さんが執筆された小説『7カラーズ』の一篇が、今回の作品『さすらいのボンボンキャンディ』ですが、監督自身は作品のどこに興味を惹かれましたか?

サトウ監督:小説の内容は、旦那さんが海外出張中の一人の主婦の話ですが、主婦である彼女の色々な顔を持っていたり、普通の女性という側面も持ちつつ、彼女にとっての社会的地位や時間、空間、また自身の環境への不満。

それらに抵抗してもがいている感じを作品として表現できないかなと、彼女のそんな部分をどんな風にしたら映画として、昇華できるのかなと常に考えつつ、魅力的な原作だとも感じていました。

誰もが、限りある中で、私たちは生きているんです。

そんな中で、焦ってみてり、未来に対する何らかのイメージを大なり小なり、明日でも明後日でも、持って生きているはず。

それが、必ずしも、そうなるとは限りません。

その中で、色んな事が起こり得る事が、現代なのかも知れないです。

何が起きても不思議ではありません。

また、どうしても人は対応していかなければいけない。

そういうものの中での抗っている姿を、映し出せないかと思ったのが、この小説を選んだ理由です。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–タイトル『さすらいのボンボンキャンディ』には、どのような意味が込められていますか?

サトウ監督:すいませんが、原作を書いていないので、はっきりしたことは言えません。

ただ、どこまで自分を解放できるかどうかだと思います。

ボンボンキャンディーは、砂糖菓子の中にウィスキーが少し混ぜられた甘い汁が入っていますよね。

また、外は硬い食感ですが。どちらかと言えば、中身の方が大切なんじゃないかなと。

私たちは、外部から自分を守るために、神経を尖らせているけど、実はその中身はボンボンキャンディのようにトロッとしてるんじゃないか。

この題名から、私はそんなイメージを抱きました。

—–個人的には、ベタですが、影山祐子さん演じる仁絵そのものが、「ボンボンキャンディ」と思えました。少し違いますが、どうしても浮かない気分の女性とボンボンキャンディが、非常にフィットするのかなと。物に例えると、仁絵自身が固い殻(飴)に固められた浮かない気分を持つ女性をボンボンキャンディとして表現されているのかなと、感じました。

サトウ監督:そうですね。ボンボンキャンディが、仁絵である事は確かです。

ボンボンキャンディを何に見立てかと言われれば、答えに詰まりそうですが、このタイトルの面白さは一つ映画化したい気持ちになったのは、確かです。

「さすらいのボンボンキャンディ」という題名は、なかなかイメージしづらいですよね。

そのお考えは、面白いかもしれないです。

—–タイトルに対して昭和レトロな感じもしますが、色々想像できるのもいいですね。ボンボンキャンディが、さすらうって言う解釈もまた、想像が膨らみます。

サトウ監督:「さすらう」って言う言葉もまた、最近めっきり聞かなくなった言葉ですよね。

「さすらう」は格好つけてるようで、「ボンボンキャンディ」は非常にチャーミングですね。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–本作の作中のイメージとして、バイクが頻繁に登場しますが、それが非常に印象的でした。バイクに対する作品のメタファーは、ございますか?バイクを通して男女の関係性を描いておられるのか。

サトウ監督:バイク自体が、二人乗りですよね。

一人で乗るのと、二人で乗るとでは、また違います。

二人で乗った時は、最初は少し恐怖心もありますが、慣れてくれば息を合せて、走れますよね。

ライダーと同乗者は走行中、呼吸を合わさないと走りにくい乗り物かと思います。

それが、身を預ける行為と言いますか。

そういう意味では、恋愛であるとか、男女(それに限らず)の関係に結びつける事ができますし、似た物かと思います。

単純に、バイクが走ることは、色々な重力に対して、計算しているんです。

カーブを曲がるとか。色んな力やベクトルを計算して走っています。

だから、走れたり、曲がれたりするんです。そういうのが、肌で感じれる乗り物だと思うんです。

自転車とは少し違う、強い動力を持っている。

また、車と比べると、非常に視界が広いですよね。

走っていると、違う景色がどんどん、どんどん目に飛び込んでくる。

視覚的にも、肉体的にも、様々なものを発見する力もありますよね。

そういう物事が、映画と非常に似ているのかもしれないです。

—–その作中における、バイクを通しての男女関係は描かれておられますか?

サトウ監督:作中では、「不倫」を描いていまして、現実社会みたいなものです。

東京の渋谷界隈の話になりますが、そこから違う場所から逃避するという意味を含めて、バイクという自由な乗り物に乗って、今の自分から少しでも開放されるという夢を持たせる事ができるかも、と思いました。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–主人公の仁絵自身は、寂しさが原因で、セックスに溺れてしまう人物ですが、実際のところ、セックスをしても心は満たされないモノかと。人それぞれですが、それでも人は満たされないのにセックスしたくなってしまう生き物ですが、何故、人はセックスで満たされると思う生き物なんでしょうか?

サトウ監督:一時的にも、あるかもしれないですね。

一時的に見ても、人への恋しさもあることでしょう。

頭で考えるよりも、心が先に動いてしまうのではと。

脳の中に心っていうのはあって、そういうものが頭で理解する事と、心の有り様はやはり、ズレがあるのかもしれないですね。

どちらかと言えば、映画でできるのは心をどうやって、意識させるのかです。

人を描くとは、どこかそういう所があるのかもしれないですね。

様々な要素があると思いますが、心をどう映画に取り入れるのか、今回はそこへの意識はしたと思っています。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–この作品は、都会に生きる大人たちの孤独が、作品の根幹にあると、私は感じましたが、監督自身が思う「大人たちの孤独」とは、なんでしょうか?

サトウ監督:僕が大人かどうか分かりません。

ただ、簡単には言えませんが、言える事と、言えない事がありまして、その言えない部分はどうすれば良いのか。

どこか指摘している訳ではなく、自分の寂しさや苦しみを捨てている訳でもなく、それはなかった事にもできない訳ですよね?

そういうものの中が、忘れないで、どこかに捨てないで、考えていくのが大人なのかなと思います。

不倫やセックスを、無かった事にできないと。

ただ、その中で寂しかったり、辛かったりと、色々と苦しかったりするものですが、何かしら新しい自分を発見していく事が、人の可能性や人との出会いかもと、自分は理解しています。

とにかく、何かしら、自分の中のある部分を発見することは、自分一人ではできない事ですよね。

他人とおって、初めてできることなんです。

そのような僅かな変化に気付けるかどうかですね。

このような考え方はいつまでも持ち続けたいですね。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–監督はプレスでも、他のサイトや、公式ホームページでも仰られているように、「何者かである事と何者でも無いこと。そんな事に思いを巡らせた映像化の旅でした。」と、この作品の製作についての、コメントを残していますが、「何者かである事と何者でも無い主人公の仁絵という存在は、今の現代社会において、何を表現しておられますか?

サトウ監督:何を表現したかと言うと、映画の中で影山さんが仰るように、色んな顔を持っていると思うんですよね。

それは、時々に応じて、判断して、そういう顔をしているんだと思います。

それが、現代社会なのかもしれないです。

一つの顔で生きていく事はなかなかできなくて、生きていく中で、ある日突然、色んな事が起きる可能性があると。

それに対して、その時にどう対応していくかが、大切ですね。

それが、仁絵の顔であったりするんですよね。と、思います。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』
製作委員会/延江浩

—–あるインタビューで、主演の影山さんが本作に対して、「言語化することができない感情を、たくさん話して欲しい」と、仰られておられますが、本作に対して抱く感情を言語化するなら、どう言葉にしますか?

サトウ監督:感情ですね。恐らく、先程もお話した事だと思いますが、一つ一つ常に、変化していくものだと思っているんです。

いくつになっても、そうだと思います。

色んな事に気付いていく。例えば、それは家族のことや友達のことであったり、色んな事を一つ一つ気付いて行く感情みたいなものは、新しい感情だったりします。

あの時、こうしておけば良かったとか、凄く反省してしまったりする自分がいたりしますよね。

その事に気付かずに生きて来てしまっている事が、何か新しい自分の感情が、非常に大事なのかもしれないと、自分は思っています。

この映画も、仁絵を通して、何が彼女にとっての喜びなのか、何のために仁絵は生かされている事に気付く事が、彼女の感情だと思っています。

日々、様々な事に気づいて行くために、さすらっているのかも、しれないと。

それもまた、ある意味感情かなと思います。

—–最後に、本作『さすらいのボンボンキャンディ』の魅力を教えて頂きますか?

サトウ監督:魅力は、先程タイトルの「さすらいのボンボンキャンディ」が何を指すのかと、あなたが仰られたように、仁絵という一人の人間を通して、一見デタラメなように見えますが、物語の中には人一人の魅力が詰まっているんです。

人って、こういうモノなんだと、思って頂きたいと思って、作っています。

それは、この映画を観て頂いて、仁絵がどのように、皆さんの目に映るのかが、本作のすべてのような気がします。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©️映画『さすらいのボンボンキャンディ』製作委員会/延江浩

映画『さすらいのボンボンキャンディ』は現在、11月26日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて公開中。また、12月2日(金)京都府の京都みなみ会館にて公開予定。兵庫県の元町映画館は、現在調整中。