映画『終点は海』『Kay』「信念のようなモノを持って生きて」鯨岡弘識監督インタビュー

映画『終点は海』『Kay』「信念のようなモノを持って生きて」鯨岡弘識監督インタビュー

2022年11月26日

人生の孤独を埋めるには?映画『終点は海』『Kay』鯨岡弘識監督インタビュー

© Raita Nakashima’s Cinema
© Raita Nakashima’s Cinema

© Raita Nakashima’s Cinema

© Raita Nakashima’s Cinema

—–映画『終点は海』と『Kay』のそれぞれの着想や製作経緯を教えて頂きますか?

鯨岡監督:『Kay』は本作の内藤Pと原作の中嶋から『春は菜の花』という小説を映画化したいという打診を受ける形で始まりました。

僕は原作を読み、登場人物の一人であったKayに非常に興味を持ったんです。

映画『Kay』は、原作『春は菜の花』の中に収録されていた一篇だったんです。

そして、今までに描いた事のない「死」というテーマが、ありました。

もし自分が死んだ時、自分の人生をどう見てくれる人がいるのか。

生きていた時に仲違いした人達が、どのように見てくれるのか。

そんな想いが、顕著に原作に表れていました。

その点が、非常に魅力的でした。

『Kay』には、日本の宗教的慣例である四十九日を取り上げ、内藤がプロデューサーとして携わっていた台湾映画を参考に掘り下げようと思いました。

個人的にも、ホウ・シャオシェン監督も好きだったので、その存在と変化していく過程の描き方を掘り下げて話をした記憶があります。

そうして、特に台湾映画の『父の初七日』やホウ・シャオシェン作品を参考にしながら、製作に取り組みました。

これが、製作経緯です。

ただ、『Kay』が完成して、2020年4月19日の上映に向けて、映画館をブッキングしていましたが、まさにコロナが原因の非常事態宣言が決まってしまい、一年以上は上映を保留する必要がありました。

ただ、上映はできないにしても、何もせず立ち止まっているのは嫌だったので、もう一本映画を作ろうと、前向きに考えました。

今のうちにやれることをなにかしようと、がむしゃらにプロットを書き上げて、製作したのが、映画『終点は海』でした。

この作品に出演して頂くなら、と内藤から洞口依子さんを提案して頂きました。

僕自身も、洞口さんはとても好きな俳優だったのでダメ元でオファーしたところ、脚本を読んで頂いたら、すぐにOKの返事を頂き、洞口さんの出演が決まりました。

加えて、息子役をどうするのか打ち合わせした結果、清水尚弥さんをオファーしました。

この製作の流れが、もう一本の映画『終点は海』の誕生でした。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–二作それぞれ、どこの何を、大切にされて、また何に重きを置いて、製作されましたか?演出面やシナリオ面など。

鯨岡監督:脚本は『Kay』では原作の中嶋と共に、『終点は海』は一人で書かきました。

やはり、普段からドラマ製作をしている時、どうしても共感することや、相手の気持ちを理解する所が、物語の軸となっている部分がセオリーとしてある中、僕は正直、『Kay』も『終点は海』も、登場人物たちがお互いがお互いを理解しているかと言われれば、そうではないと思うんです。

恐らく、『Kay』であれば、彼らには非常に大きな隔たりがあるんです。

さらに、ケイはお父さんを最後まで許していないんです。

こうして、お父さんの人生に対して、隔たりと理解の話がベースにあったなと思っています。

ただ、短編映画ですので、彼らの溝や距離感、想いを描けるかと言われれば、難しいところもある。

だからこそ、演出面でも挑戦したい題材でした。

母親役は片岡礼子さんに演じて頂けましたが、片岡さんとはワークショップ形式に近い感じで、主演のケイ役の七瀬可梨さんとは練習を重ねました。

今回は、七瀬さんはお芝居をするのが、初めてでした。

数百人の応募がある中から、選ばさせて頂きましたが、新人でありながら物怖じしない器をお持ちの方でした。

片岡さんは、彼女のその部分を非常に褒めておられました。

今回は、俳優部と徹底的に、今までの関係性や非になる部分を話し合いました。

あとは、段取りの段階で、何度も練習を重ね、腑に落ちる所で、テスト・本番はなるべく少なくするという目標を立てていました。

僕は設定を一緒に話す演出を心掛けました。七瀬さんと片岡さんの中で、親子の関係性について話し合ってもらいました。

例えば、普段は仲良く出かけることもない親子だが、「ジャッキー・チェンの大ファンで新作だけは絶対一緒に観にいく親子」という裏設定にしました。

映画『終点は海』に関しても、どちらかと言えば、今の話の作り方と近い部分もあり、衣装合わせのタイミングでしっかり話し合い、今回の作品における母親や息子の人生を人物設定表を通して、今までどんな人生を送り、どんな時間を共有してきたのかを考えて頂き、あとは現場に入って演じてもらいました。

また、清水尚弥さんが演じる役は、特殊な設定でしたので、近い存在を演じている映画を探しました。

それらの映画における、存在のルールはどうだったかなど、作品を通して話し合いました。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–今回上映される二つの作品は、鏡像的であるにも関わらず、設定や物語、作風が異なる部分もございますが、個人的にそう感じました。この二作が、共通して言えるのは、登場人物たちの孤独を描いている点かと。この孤独を通して、現代社会における、何を浮き彫りにされようとしましたか?

鯨岡監督:これに関しては、プロデューサーの内藤とも話し合いを重ねました。

やはり、現代社会においては、エンタメが抱える問題でもありますが、極論として、死が悪。

生きることが善のような二元論になっている。

そうすると、結局、孤独も悪の部類に含まれてしまうという問題点が、描き方としてあるんだなと、思っています。

本作では、洞口さんが演じる母親の明子は、ただの孤独であり、生きて欲しいと願ってくれる人も、もしかしたらいないかも知れない人生なんです。

尚且つ、自分が最愛の人間が、もう居ない状況です。

ただ、彼女が抱く孤独に対して、善悪決めつけるのではなく、生き死に云々の善し悪しでもなく、存在している事がただ一番大切だと、行き着きます。

ただ、そこにいてくれれば、100%誰かが救われるではないかと。それは極端な理想かもしれませんが、ただそれだけを淡々と描く方が、普遍的なテーマに近づけるのではないかと、内藤プロデューサー含め、清水尚也さんとも様々な議論を重ねました。

だから、あくまでも、ハッピーエンドの物語ではないんです。

けれども、孤独であること、存在していたことに対して、どういう風に物語に向き合うのか、その行為自体が作品のテーマになっていると、思っています。

世の中で、二元論的に語られる善悪ではなく、もっと存在に対しての孤独を描きたかったと、思います。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–まず、映画『終点は海』ついて、ご質問致します。この作品では、親子の関係性について、敢えて、彼ら二人の過去を描かない、何があったのか、セリフでも説明しない構成かとお見受けできましたが、彼らの過去を描かない事で、より想像力も掻き立てられますが、親子の関係性の何を描いておられますか?

鯨岡監督:もちろん、出演者お二人に、人物設定表をお渡しした時、二人の関係性や、再会する5年までに、どんな人生を歩んで来たのかは、人物表には示していました。

どちらかと言えば、洞口さん演じる明子という人間は、息子に対して愛情は、たくさんあったんです。

しかし、それがすれ違ってしまい、今に至る。

なのに、こうなってしまった。そうした家族の距離感が、非常に不思議だなと、思っています。

家族って彼らがお互いに、踏み込めてしまうからこそ、切り離せない何かが、あるんです。逆を言えば、敢えてすべてを描かないことで、その関係に想像を膨らましてほしいと願っています。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–映画『Kay』では、死んだ父親との過去を含め、一人の女性を通して親子関係を表現しておられますが、監督自身が考える「親子像」とは、なんでしょうか?

鯨岡監督:映画『Kay』の家族像がある種、映画『Kay』の中での大きなテーマになっています。

原作の中嶋雷太さんと一番話した所ではありますが、やはり日本が持っている幻想としてのステレオタイプな「家族像」がまず、前提としてあると思っています。

父親がいて、母親がいて、子供がいて。

正しい形の「ホーム」としての家族が一つあるとすれば、「血の繋がり」という家族のテーマがありますよね。

勿論、その一方で血が繋がって居なくても、家族になりうるテーマもあります。

今回の『Kay』では、ステレオタイプな血の繋がった、父、母、子供がいる家族像に、ケイという主人公が縛られています。

それに囚われている結果、恐らく周囲との距離感や父親との確執や彼の存在に苦労して来た人間でもある。

ドラマでは、ステレオタイプな家族の描き方や血の繋がりのある家族でしか、家族というテーマは、語られにくいところもあります。

逆に、そこに疑問を感じている娘と、そこを壊して来た父の関係が対照的な物語を作ったら、逆に新しい家族像が見えるのではないかと製作に挑みました。

—–鯨岡監督の作品に対するコメントの中で、「過去を振り返ることで、初めてその人に対する~」少し一部を切り取り、抜粋しましたが、それぞれの作品が持つ過去への後悔が、登場人物たちにどう影響を与えていると思いますか?

鯨岡監督:『Kay』で言えば、何となく過ごした最後の日を思い返す自己完結の物語なんです。

『終点は海』は、明子という存在がある種、二人の邂逅を果たせてるように描いていますが、やっている事は、同じです。

明子が、ある時ふと、海辺に行って、帰って来ただけの物語なんですが、そこで何か違った事が起きていれば、という過去が、彼らにとっては、ずっと靄として残っていた。

ただ、それが時間経過と共にある希望に移り変わる時間による自己完結の希望です。

短編で何年という月日を描くのは、難しいんです。

そこを乗り越えて、前後の時間軸を感じさせる事が目標でもありました。

明子という人物には、過去と後悔をどう消化するか、本当に難しいところを背負って頂きました。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–あるインタビューで、「生きづらさ」についてお話されておられましたが、この作品の根底には、その「生きづらさ」がひっそりと、存在しているのかなと思いますが、その反面、生きることに対しての、それぞれの人物が前向きに向き合う、もしくは向き合おうとする姿が見え隠れしましたが、その「生きづらさ」が作品の何を示しておられますか?

鯨岡監督:映画『Kay』に登場するお父親の太一と映画『終点は海』に登場する母親の明子それぞれが、時代に翻弄されてしまった姿なんです。

その一番の要因は、時代の価値観や雰囲気に適応すればするほど、多分生きづらさは必然的に産まれるということで、これはなかなか無視できない。

ではそれにどう向き合うのか、この世の中にどう存在するのかという点が、生きづらさを描く上での必然性としてあるんじゃないのかなと。

各主人公は、それを少し理解することで少しだけ、救われるのだと思います。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–先程、お話させて頂きました二作に登場する若者二人は、孤独の中で生きながら、「今」もしくは「未来」を一所懸命、生きようとしている姿が作品の中で印象的でしたが、未来のために生きようとする若者達を通して、日本の未来がどうあるべきか、何かお考えはございますか?

鯨岡監督:難しいですね。

未来へ向けての信念みたいなことに置き換えていいですか?

ケイが特に、生き方の信念みたいなモノを持っていると、僕は思っています。

『Kay』に登場する父親・太一が、酔っ払って何を言っているのか、分からないシーンがありますよね。

自分が好きだった昔のロック・バンドの話を持ち出して、音楽の話をしたりする場面です。

酔ってしまうと、自身を形成してきた時代や流行、その時の社会問題に囚われて話してしまう懐古主義である部分を、人間は100%、持っています。

太一という人間は、彼自身の過去を振り解こうとした結果、常に囚われている人間です。

時代に振り回され理想の家族を作れなかった事に対して、非常に責任を感じている。

その感情に対比して、主人公のケイが、その鬱屈とした親世代の感情を感覚的に理解しようとするんです。

あの人もあの人で、必死に生きようとしたけど、実は寂しかったんだなとか、実は悪ぶっているけど、全くそうではなくて、寂しさを感じていたんだなということを理解する物語なんです。

だから、ケイはあの後、強く生きれるんじゃないかなと、僕は思っています。

ケイのように時代に翻弄されてしまった人をある種、理解することによって、信念みたいなモノを持って生きていけたらいいなと思っています。

© Raita Nakashima’s Cinema

—–最後に、映画『Kay』と『終点は海』のそれぞれの魅力を教えて頂きますか?

鯨岡監督:今回、鏡像的という括りで作品を作らせて頂きましたが、正直なところ、本当にストーリーも、製作するアプローチも、実際に撮り方や現場の雰囲気含め、全く色の違う作品になったと思っています。

映画『Kay』という作品は、コロナ前の撮影でした。

しかし、コロナ後に生きづらさというテーマも踏まえて、ゼロから作り上げた映画『終点は海』が全く違うアプローチにも関わらず、テーマが根底的な所で、通じた点が、二作連続して観る意味でもあります。

それぞれの作品の見所で言えば、映画『Kay』では初出演、初主演の七瀬さんの演技にも注目して頂ければと。

また、映画『終点は海』は、俳優部が二人しか出演しない中、スタッフやキャストの信頼関係が強く残っている映画だと、思っています。

二作とも劇場で見てほしい仕掛けをいくつか用意しています。

是非劇場に足を運んで頂きたいと思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

© Raita Nakashima’s Cinema

映画『終点は海』『Kay』は、11月26日より大阪府のシアターセブンにて、1週間限定上映。