映画『静謐と夕暮』「18,239」という尊い命の上に

映画『静謐と夕暮』「18,239」という尊い命の上に

2022年11月22日

喪失だけではないこの記憶を頼りに映画『静謐と夕暮』

18,239。

皆さんは、この数字をご存知だろうか?これは現在、(※1)警視庁が発表している今年2022年における、日本国内で発生した自殺者数の数だ。

計算上では、先月10月までに起きたとされる数をリストアップしている。

ただ、警察側がこの数字を「暫定」として公表している。

そこにはまず、11月、12月の総数が含まれていない点。

また、確認できているだけの数字となるので、把握出来ていない事案を足すと、18,239人の自殺者数を遥かに上回る結果が、飛び込んでくるのは間違いない。

今や、「自殺」は日本社会における問題のひとつだ。

様々な環境、様々な年代、様々な要因で、人々は自死を選ぶ。

その方法も幾多とあり、この哀しき連鎖は、尾を引くことを知らず、連日テレビやネットニュースにて、報道されている。

なぜ、人は自殺したくなるのか?なぜ、人は自死を選んでしまうのか?その(※2)メカニズムは、一体何だろうか?

ここに、とても参考となる論文がある。

福島県における自殺者数を論じた文ではある上、比較的限定的な記述ではあるものの、一部記述を抜粋したい。

(※2)自殺の背景には、 精神医学・心理学的要因や種々の社会的要因があると考えられる。すなわち、精神疾患の罹患や、経済・地域・家庭・学校・職場などにおける種々の要因である。一方、 自殺の結果は、一人の尊い命が失われるということにとどまらない。 周りの人たちや社会に対する影響も計り知れないものがある。 自殺は、私たちが、全力をもって防ぐべきものである。

人の自殺は、一人の尊い命が消滅するに留まらず、社会全体に対する影響も考慮した上で、自分たちが今すべき事は、人の自殺を全力をもって防ぐべきだと言う。

とても熱心な言葉ではあるものの、もし近親者が自死を選んだとしても、遺された者は「全力で防げなかった。」と、自身を責めないで欲しい。

起こるべくして起きた事実を、自分たちの力ではどうしても変えることは出来ない。

まず、その事を念頭に置いていて欲しい。

また、より深く「自殺」について考えていきたい。

なぜ人は自殺をするのか?

その一線を超える人と超えない人との、その差は何だろうか?

ある医師が語る「自殺」について、興味深いネット記事を見つけた。

タイトルは(※3)「医師が語る 自殺する人と、踏みとどまる人の違い」だ。

この記事内で話されている「自殺に至るまでにはプロセスがある」の項目には、とても目を引くモノがある。

人ななぜ、自殺をしてしまうのか、その背景とメカニズムを事細かに綴っている。

とても参考にもなるので、一度目を通して欲しい。

自殺については、本当に奥が深く、こちらの頁だけでは、事細かい記述を紹介するのが到底、難易度が上がる。

ただほんの少しでも「自殺」とは何か、本項の記事や映画『静謐と夕暮』から、考えるきっかけとなって欲しいところだ。

人の死や自殺を題材として扱った本作は当時、京都造形芸術大学に通っていた学生たちが、卒業製作で作った自殺を要素として取り入れた壮大な作品だ。

この作品の製作背景には、少し朧気だが、監督が学生時代に経験した大切な人の自死が、大きく影響していると。

人の死における人への求心力は、計り知れない事でもある。

人の死に対して、真摯に取り組み製作した本作には必ず、何かメッセージを見つけ、受け取ることができるだろう。

本作の梅村監督は、あるインタビューにおいて、自身の「死生観」について質問を受け、こう答えている。

一部抜粋。

(※4)「僕自身、この映画を作って良かったと思っています。人間自身、美しい存在だったのだなと、気付かせてもらいました。だからこそ、感動するセリフを言うとか、作品の中で変な仕掛けを用意する必要ないと思ったんです。もっと「日常」と言う風景自体が、こんなにも美しいのにと言うところを観てもらいと思いました。」と話す。「今」を生きている自分たちが、忘れかけた「何か」を、梅村監督の言葉は再度、想起している。

この慌ただしい情報社会で生きる自分たちは、今一度、歩を止めて、「日常」と言う風景に気持ちを傾けてもいいのかもしれない。

余裕のない生活が、死を誘引するのであれば、時には街の、河の、空の、人々の、自身の心の「静謐」にほんの一瞬でも、肩を預けても良さそうだ。

最後に、自死を選ぶ多くの人々を救うために、自分たちは一体、何ができるだろうか?

人を救うのは、そう簡単なことでは無い。

でも、人の苦しみに耳を傾けるのは、誰もができるのでは無いだろうか?

ほんの少し、気持ちに余裕を持ち、人の言葉や心に寄り添う姿勢を持ってもいいのでは?と感じて止まない。

人の命を救うのも、人の悩みを聞けるのも、あなた一人一人の微細な力で十分だ。

ただ一人の力では、到底足りないだろうが、その一人が二人となり、そして十人になった時、初めて効力は発揮され、環境も状況も大きく変わるに違いない。

もし、誰にも相談できず、ひっそりと死にたいなんて、頭に過ぎった時は、必ず自身を知らない誰かにその悩みを打ち明けて欲しい。

多くの(※5)相談窓口が存在し、多くの人々を助けようと、支援者たちは電話の前にいる。

ここに、日本いのちの電話連盟常務理事・日本自殺予防学会理事長の斎藤友紀雄さんへのインタビューも一部抜粋し、紹介しておく。

できれば、全文読んで頂きたい。

必ず、明日を生きるヒントが眠っているはずだ。

(※6)「自殺にはこれをやればOKという決め手がないんです。結局、精神科医は地道にうつ病患者を治療していくしかないし、宗教家は寺や教会を訪れてきた人と対話し、支えていくしかない。そんな風に社会全体で日常的に地道にやっていくことで、みんなが住みよい地域を作っていくしかないんだと思います。」と、如何に、現代社会に生きる自分たちが、自殺とどう向き合うのか、と示している言葉だろう。

実は映画業界でも、この「いのちの電話」を題材にした作品を製作している。

アメリカ映画になるが、シドニー・ポラック監督の長編デビュー作、シドニー・ポワチエ主演による1965年公開の映画『いのちの紐』もまた、自殺防止協会で相談員として働く黒人青年の奮闘を、シチュエーション映画として描いた秀逸な作品だ。

こちらも併せて、観て欲しい。

そして、あと40日ほどで、2022年は終わりを告げようとしている。

2023年を迎える前に、自分たちにはまだまだ課題がある。

昨今、増え続けるいじめ自殺問題には、自分たちが手と手を取り合って、解決していかなければならない事案だ。

映画『静謐と夕暮』や本作の梅村監督は、ほんとに小さく、誰にも聞こえない声で、「自殺」に対する是非を訴えている。

映画が、この年末に再上映されたのはタイムリーで、必然だったに違いない。

本作を通して、少しでも自殺問題が減り、思い止まる人が増えてくれれば、それが本望に違いない。

この「18,239」という尊い命の上に、自分たちは「今」という時間を生かされている。

映画『静謐と夕暮』は、そんな自分たちに、明日を、明後日を力強く生きて、新年を迎えて欲しいと、静寂の彼方から渇望しているのだ。

映画『静謐と夕暮』は現在、京都府の出町座にて、絶賛公開中。また、12月24日(土)より中部地方で初上映となる仙頭武則MONJIN映画祭にて、1日限定上映が決まっている。

(※1)令和4年の月別の自殺者数についてhttps://drive.google.com/file/d/19H6hfDQkkYVeFwOYHzeRFUHSN849WT6k/view?usp=drivesdk(2022年11月22日)

(※2)https://drive.google.com/file/d/19WNToRf41XwDePsE1TQ7lebNdE4N0MrX/view?usp=drivesdk(2022年11月22日)

(※3)医師が語る 自殺する人と、踏みとどまる人の違いhttps://style.nikkei.com/article/DGXMZO27917660Z00C18A3000000/(2022年11月22日)

(※4)映画『静謐と夕暮』「「日常」と言う風景が、こんなにも美しい」梅村和史監督インタビューhttps://moviearttiroir.com/https-silence-sunset-everyday-com-p2592/(2022年11月22日)

(※5)わたしサロン -こころの相談室-https://watashi-salon.com/?gclid=Cj0KCQiA4OybBhCzARIsAIcfn9nsx8cVIXZZzm7B97HbwYIMAnDITzyQZnxY7d5x0uf0fw2OCZaGLN8aAmZ-EALw_wcB(2022年11月22日)

(※6)第四回 斎藤友紀雄さん(日本いのちの電話連盟常務理事・日本自殺予防学会理事長)https://kokoro.mhlw.go.jp/column/intv004/(2022年11月22日)