映画『虹のかけら』「明るい未来を予感させる「虹」」宮野孝子さんインタビュー

映画『虹のかけら』「明るい未来を予感させる「虹」」宮野孝子さんインタビュー

2023年11月28日

それぞれの《かけら》たちが紡ぎ合い歩み出す映画『虹のかけら』宮野孝子さんインタビュー

—–まず、本作『虹のかけら』への出演が決まった経緯を教えて頂きますか?

宮野さん:過去に、人生がどん底だった時期に大阪府の貝塚市に引っ越したんです。そんなある時、関西ローカルの朝の某バラエティ番組に出演するきっかけがありました。すごく大変だったその時期に、引越し先の貝塚で何か新しい事をしようと決意したんです。在宅の時間を有効活用しようと考え、突然思い付いたフリーマーケットを家先で始めました。知り合いの方にお願いして、要らなくなった物を頂いたものの、そもそもフリーマーケットなんてした事も無く、非常に迷いもありました。ただ迷っても何も始まりませんし、皆さんの協力も無駄にしたくなかったので、一つ勇気を出して、一歩踏み出すためにフリーマーケットを開きました。その2時間後に、先程お話させて頂きましたロケ先を探していた某バラエティ番組の目に留まり、その後番組出演が決まったんです。そして、撮影当日にフリーマーケットを始めた話をしながら、自作曲の話をした所、出演者の方から作曲をして頂ける話となり、瞬く間にCDデビューが決まってしまいました。そしてある時、貝塚市で行われた春のフェスタで、その曲を歌う機会があったんですが、本作出演のモリオさんと内木場さんが、そのイベントのMCをされておられたんです。この火の出会いがきっかけで、本作の関係者が出演者を探している事をお2人からお聞きして、今回芽衣の叔母役として出演が決まりました。

—–私が気になったのは、作品が認知症をテーマにしている事に対して、宮野さんがツイッターで、宮野さんも病気に対して思う所があると呟かれていたのをチラっと拝見させて頂きまして、何かお言葉をお聞きしたいと感じたんです。

宮野さん:ちょうど一ヶ月前に、92歳で私の母が亡くなったんです。若年性ではありませんが、母も認知症を患っておりました。病気の進行中は、本人が別人になっていく感覚があるんです。昔から知っているお母さんではなくなっていくんですよね。私は、その過程をどう受け止めていいのか戸惑いました。また、親に対してイライラする自分自身を嫌になって来るんです。ずっと喋りかけられても、うるさいから黙ってと言っても、喋り掛けてくる親に対して、イラッとしてしまうんです。私は今、施設で働いていますが、先日若年性の認知症を患った方がご入所されましたが、私の母と重なる部分もあるんです。

—–映画は、どうしても遠い存在にしか感じないですが、改めて、実体験のお話をお聞きしますと、認知症そのものがもっと身近にあるのではと思わされます。

宮野さん:身内が、そんな状態になった時、今まで知っている母とは、全く違う母になってしまうんです。大変な作業ではありませんが、諦めて受け入れるまでは、心の葛藤がどなたもあるのかなと思います。

—–完全に忘れてしまえば、ご本人にとっても楽なのかもしれないと思います。ただ、初期段階での忘れ行く記憶を取り戻そうとするけど、取り戻せない歯がゆさ。想像する事だけしかできませんが、恐らく、ご本人には歯痒いと思うんです。

宮野さん:だから、ほとんど忘れてしまった後は、ある意味、楽しく過ごさせてもらいました。三か月程、私の姉の家で皆で世話をしながら、お腹を抱えるぐらい、皆で笑い合う事ができました。症状が出始めた頃、笑い方が自然な笑いではなかったので、自身を取り巻く環境に少し戸惑っていたのかなと、思います。多分、本人にとって、混乱していたのかなと思うんです。今まで自然に笑っていたお母さんではなく、その時のわざとらしい笑い方が、今でも非常に印象的です。少し嫌だと拒否感を抱きつつ、無理してでも笑ってるお母さんは、必死に生きていたのかなと思います。

—–可哀想と言ったらいけないですが、恐らく、ご本人も薄々、気づいていたんでしょうね。会話の流れが掴めなくて、笑って良いのか悪いのか戸惑っていたのでは、と感じます。

宮野さん:私達が出す自然な笑いではなく、少し困った笑い声が、耳に残っているんです。多分、認知症が始まって、自身の中でも混乱して、色々な思いを感じていたんだろうと、思うんです。

—–映画の話に戻すと、宮野さんは主人公の芽衣を気にする親戚のおばさん役ですが、宮野さんから見て、この親戚のおばさんという人物は、どう映りましたか?

宮野さん:家族兄弟の関係にも拠りますが、過去にはすごく仲良かったのか、結婚してから付き合いをしていなかったのか。作品の雰囲気的には、そんなに仲良くしてなかったと思うんです。とりあえず、みんな兄弟だったかな?という距離のある印象ですね。

—–あの法事の場面は、それぞれの家族関係が非常に冷たく感じました。芽衣に対して、認知症を患ったお母さんを施設に早く入れた方がいいと、助言していますよね。家族でも悩む話ですが、親戚の人間が踏み込んで言える立場は、冷たく感じます。宮野さんが演じる親戚のおばさんだけが最後まで寄り添っていて、優しい人物にも映りました。姪っ子を支えようとする女性かと。

宮野さん:支えたいとけど、どこまでどう支えれば良いのか、悩んでいる方ですよね。だから、「施設に入れちゃいなよ」と言えるのは結局、従姉妹に当たる関係だからですよね。反対に、その従妹という少し距離のある関係だからこそ、サラリと言えたのかなと、捉える事もできますよね。でも、物の言い方が冷たかったかもしれませんが、本当に今の時代は昔と比べて変化がたくさんあり、私もその変化に非常に感じる部分もあります。施設に入れる=(イコール)家族を手放す事では無いと思うんです。皆さん、そんな意識を持って行けたら良いのかなと感じます。施設に入れる事だけがダメと考えるのではなく、大変な時は皆で助け合って助けてもらい、また社会に助けてもらったり、誰かに助けてもらう世の中になって行きつつあれぱ、大変な事を抱えても、頑張って行ける雰囲気になれればと、願っています。施設の環境が、すごく良くなって行けば、皆さん、悩みの一つも解決できるのではと思うんです。だから、母は施設に入っていましたが、体調が優れなく、点滴が必要で病院に入院したんです。何の治療をする訳でもなく、点滴だけ5ヶ月、6 ヶ月入院費だけが増えて行くばかりでした。一度、病院と相談させて頂きまして、姉が自宅介護で家に連れて帰るという話に落ち着きました。でも病院ではほとんど寝たきりで、体全体がカチカチに硬直していたんです。オムツ交換も一苦労なほど、身体は硬く固まっていたんです。姉の家に帰って来て、兄弟で交代で助けながら、看病させてもらっていました。今からちょうど3ヶ月前に亡くなりましたが、その前はコロナが原因で、リモートの面会しかできず、ベッドで寝たきりの姿。話し掛けても、本人はちゃんと聞こえていない状況。今度会う時は、もしかしたら、亡くなっているかもしれないと思いながら、その都度会いに行っていました。最後に、姉が自宅に引き取ってくれた分、3ヶ月の間、思う存分、皆でお世話出来たのが本当に、良かったと今でも思っています。

—–コロナ禍で病院に入院しているより、少しでも、ご家族と一緒にご自宅で過ごせた方が良かったのではと思います。

宮野さん:それでも、引き受ける側にも覚悟は必要だったんです。

—–ご本人としては、最後の3ヶ月、ご自宅に帰れたのが、一番の幸せだったのではと感じます。

宮野さん:それはもう、本人が一番、思ってくれてたら、嬉しい限りです。

—–家族から少し距離があるのは、親戚と言う存在だと、私は思います。この親戚の叔母さんは、芽衣にとって、どんな存在であると、宮野さんはどうお考えですか?

宮野さん:あのストーリーで言えば、それほど頼れるおばさんではないと、受け取れます。頼れるという言い方よりも、甘えられる存在ではないのかもしれないです。

—–法事の時にしか会わない感じの距離感でしょうか?

宮野さん:その関係性については、監督からお聞きしていませんが、ほとんど顔を合わせない関係かもしれないですよね。

—–今のお話をお聞きして、最後に家を出る時に封筒に包んだお金を渡す場面、あの姿だけを見れば、優しく見えますが、違う角度で言えば、なかなか会えないからお金で解決しようとする冷たさも感じます。

宮野さん:これぐらいしか、私の出来る事はないのよという感じを少し受け取れるかもしれないですね。それでも、人への優しさって、難しいんです。もう少し、しっかりした関係であれば、芽衣の話を聞いて、彼女が抱えている大変さに耳を傾ける事もできたと思うんです。愚痴を聞いてあげる機会がない関係なのか、もしかしたら、少し遠くに住んでいるから、法事の時ぐらいしか顔を合わせない関係かもしれないですね。だから、あの物語の流れで考えたら、芽衣ちゃんが子どもの時からのお母さんとの関係が、少し拗れていますよね。その関係性が、もしかしたら、一番大事な部分で、彼女自身が人に頼って、人に甘える事を知らなくて、できないんです。私自身も、似たような一面もありまして、頼ったり甘えたりしなくても、生きて来れたんです。生きていると色々経験する事もあると思いますが、どうにもならなくなった時には、頼ったり、大声で泣かせてもらったり、ごく少数の方に話を聞いてもらうんです。精神的にギリギリの所に来た時、「助けて」と言える生き方が、皆さん出来たら、絶対誰かが助けてくれるんです。芽衣ちゃん自身が、誰かに頼れなかったのは、幼少期の頃からの母親との確執や関係性に起因していて、2人になった時になって、一歩手前にまで行ってしまう人物だと思います。ただ他人に助けてもらうため、声を出す事が彼女自身もできなかったんです。

—–声を上げる事は今、大切だと私は思います。助けを呼ぶ声を上げる事に対して、まだまだ出来ない環境にあると感じます。

宮野さん:声を上げるのは、どこでもいいと思うんです。行政や家族、友達でもいいんです。勇気を出して、声を上げる事が大切です。

—–一人でも頼れる人、甘えられる人がいて、思い切って、相談できたら環境も変わるのかと思います。私自身、親が既に高齢の年代に差し掛かっている今、いつか認知症を患う可能性もあると危惧しています。認知症だけではなく、病気や怪我。心配は、尽きません。そんな来たる日に対して、私たちは何か準備する事があるのか。また、どう受け止めれば良いのか、何かございますか?

宮野さん:知識を持っている事が、非常に大事な事だと思います。その知識を持ってないと、それこそ、言っても言う事を聞かず、今までと雰囲気が違うから、暴力を振るってしまうのかもしれないです。だから、その認知症の症状に対して、どう進行するのか、どんな症状があるのか、そんな情報や知識を持っている事が、凄く大事だと思います。

—–「知る」ことが大切ですね。

宮野さん:初めは分からなかったんですが、1週間に一回ほど、母が泊まりに来ていたんですね。普通に寝ていたのが、日を経る毎に、就寝時にいつまでも喋り続けるんです。どれだけ眠たくても、ずっと話し掛けて来るんです。どんどんイライラして来る、喋り掛けられても無視をする、そしてそんな自分を責めてしまうんです。自身の親を邪険に扱ってしまう自分が、嫌になるんです。でも、認知症に関する知識を知っていたら、どんな場面でも受け入れる事がでるのであれば、自分を責めなくても良いと思うんです。

—–本作の題名「虹のかけら」には、失われつつある記憶や思い出を拾って行こうとする姿を私は表現しているようにも感じます。このタイトルに対して、宮野さんはどんな印象を受けたとかございますか?

宮野さん:正直言って、このタイトルの意味が分からなかったんです。ただ、坂監督のコメントを見て、今おっしゃったような感じの印象を抱きました。そして、「かけら」に「虹」が付いているのは、救われるような印象を受けました。色々な「かけら」を集めた時に、「虹」という言葉が救いに変わるんです。それまでは、はっきり言って、意味が分からなかったんです。でも今、お話しさせてもらって思った事があります。集めた「かけら」達が、雨が降って、嵐に襲われて、その後に出る明るい未来を予感させる「虹」みたいな感じも受けました。

—–最後に、本作『虹のかけら』をご覧になられた方に、何かメッセージはございますか?

宮野さん:本当に、いつもツイッターで言っているように、大変な事を一人で抱え込まずに、助けを求めながら、ちゃんと前を向いていたら、必ず道は見つかります。そして、見つけた道を歩きながら、光の方へ歩いて生きて行きましょう。今までは、芽衣もお母さんも、本当に暗闇の中にいたと思います。どんどん人との関係を広げてながら、生きて行きたいんですよね。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『虹のかけら』は現在、大阪府のシアターセブンにて、12月1日まで1週間限定上映。