映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』「「言葉」を交わしていくことが大事と、小さな少数民族から教わる普遍的なテーマ」金子遊監督、伊藤雄馬さんインタビュー

映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』「「言葉」を交わしていくことが大事と、小さな少数民族から教わる普遍的なテーマ」金子遊監督、伊藤雄馬さんインタビュー

2022年5月25日

映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』金子遊監督、伊藤雄馬さんインタビュー

©幻視社

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—–本作の企画は、どのように立ち上がりましたか?

金子監督:タイのアピチャートポン・ウィーラセータクン監督や他の映画監督が好きで、タイ北部のゾミアと呼ばれる山岳地帯に、ここ数年以上、通っておりますが、その中でアカ族やラフ族など、色んな少数民族のシャーマニズムやアミニズムを研究して、文章を書いたり、写真を撮ったりしております。

アジアにいる多くの民族の中でも、今回取り上げた「ムラブリ族」が、最も異彩を放っておりました。

ベルナツィクと呼ばれるオーストリアの民俗学者が、1930年代にフィールド・ワークをし、冒険的な民族史『黄色い葉の精霊』という書物を執筆しております。

日本語訳として出版されてもいます。その書籍を拝読させて頂き、80年後のムラブリ族が一体、どうしているのか興味を持ちました。

ラオスとの国境沿いにあるタイ北部のナーン県で、ムラブリ族探しをしてみました。2017年の2月から3月あたりまでですね。

その時に、探しながら取材をしていたら、映画に出てくるフワイヤク村で伊藤雄馬さんがちょうどフィールド・ワーク中で、村に住み込みしている所を偶然出会いました。

会った初日に、井戸の前で伊藤さんとお話する中、定住化しているムラブリ族と定住化していないラオス側で暮らしているムラブリ族がいることを、教えて頂きました。

20人以上のその土地で暮らしている方々は、写真にも映像にも撮られていない民族ということでした。

「まだ、そんな方たちがおられるの?」と驚きました。更に、ムラブリの方々には人喰い神話が存在し、お互いが「人喰い」だと信じて、100年以上会っていなかったと言います。

「僕は、その方たちの橋渡しをしたい」というプロジェクトを考えているんだと、伊藤さんから聞いて、頭の中で電撃的に物語が降りてきて、「これは、長編ドキュメンタリーで製作できるんじゃないか」と、感じました。

伊藤さんと僕が、初日に会って、その場で本作の企画が、立ち上がりました。本作には、こういう流れがあります。

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—–言語学者である伊藤さんは、言語学を学ぶきっかけは、なんでしょうか?

伊藤さん:言語学を専攻した理由は、高校生の時には既に決めておりました。

大学進学の際、専攻を決める必要がありますよね。何を勉強し、専攻するかは自分で決めないといけないシステムですよね。

大学案内のパンフレットを見て、学べる科目を探しておりました。高校の時、ほとんど勉強していたかったので、大学生からいきなり、高校の頃の勉強をし始めると、差が着いてしまいます。

大学で初めて勉強することを大学で専攻しようと思ったのが、最初です。

だから、歴史や古典は既に高校でも学べますので、勉強してないから差が付いてしまいますよね。

「マイナス・スタートなのは、ちょっと嫌だな」、「ゼロ・スタートで始められる学問を専攻しよう」といった動機がありました。

もう一つありまして、結局、専攻を一つに絞ることはできませんでした。

色々やりたい事、興味のある事がありました。自分が将来何に興味持つか、あの時は予測できませんでした。

何にでも繋がるものを選ぼうと、思っておりました。この二つを考えた時に、決まったのが「言語学」です。

高校では国語などを勉強しますが、「言語学」はないですよね。

「言葉」って、文系理系関わらず、何かしら関わります。書くにしても、議論するにしても、観察を記録するにしても。

ですので、言語について学ぶことは、どの分野を専攻するにしても、無駄にはならないかと、言語学を専門分野として専攻するに至ったということです。

だから、今もそうですが、結局自分がどっち行くか分からない状況の中、決めなきゃいけない時に、自分が嫌じゃない方向を決めると、「言葉」を主軸に軸足を置いて、勉強しようと気になったのが、最初です。

「言語学」を専攻していますので、「言語学者」と名乗っておりますが、言語だけに興味があるかと問われれば、まったくそうではなく、専門性を発揮する時にこそ「言語学」だとやりやすいので、「言語学者」を名乗っております。

他の分野にも興味ありますし、興味ある学問を組み合わせて、自分のやりたい事をやったり、興味を持つことにしています。

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—–監督は、言語学者の伊藤さんと出会ってから、何か考え方は変わりましたか?

金子監督:いつも同じ日本の社会の中にいると、少し疲れを感じる時があるじゃないですか。

同じ仕事を、同じ人としていると、疲れる時もあります。フィールド・ワークと言いつつ、春休みや夏休みと言った長期休暇を利用して、息抜きをしています。

好奇心がある方なので、東南アジアやアフリカやアラブ地域によく赴いております。

旅が好きなので、旅に出る時に「カメラ」と「パソコン」を持って行き、現地で出会った珍しい動物や、偶然出会った人について、文章を書いたり、写真にしたりしています。

今回は、映像にしている訳です。このような事を繰り返しながら、部族の方々を追っております。でも時には、大きなネタと偶然会うことがございます。

その場合は自分だけの力だけでなく、外側から偶然やって来る事があります。

呼ばれると表現すればいいのかな。今回の場合は、「伊藤さん」という先導役、コーディネーターという様々な言い方がありますが、共同製作者と呼んでおります。

伊藤さんから「ムラブリ族」の方たちを探究しようと仰って頂けたのは、私としては大きなチャンスでもありました。

それを見逃さなかったことで、伊藤さんのお誘いが久しぶりのチャンスであることが、今までの経験を通して直感的に感じて、決断力みたいなモノが働きました。

少数民族や先住民族に興味がありまして、色々な場所や彼らについて調べていくうちに、狩猟採集民にお会いして、取材するのは初めてのことでした。

彼らの世界観に触れられる機会に恵まれ、ムラブリ族の生活に触れると、日本とはまったく違うのは分かります。

如何に、日本人が農耕民族で、定住生活しているスタイルに慣れきっていて、それに疑問を抱いてなかった反面、狩猟採集民の色々な生活、例えば労働しないことやお金のやり取りをしないこと、また森の中の小動物や魚、木の実の恵みだけで暮らしていける姿を目にして、彼らの考え方が日本人とまったく違うんです。

仲間を大切にし、ご飯をみんなで分け合う姿ですね。結婚しても、ケンカして、家を別々に作るだけで、離婚が成立してしまう習慣など、様々な価値観が日本とは違うことが明白です。

違うから面白いだけでなく、かつて僕らの先祖も昔、山の中で生活をしていたのだな、と実感します。

民俗学の書籍を読んでいると、かつて日本にも多くのノマドが存在したという研究の記述がありますが、それはそれで面白いのですが、どこか物足りなく感じておりました。

遠い昔に存在したことが、本の中でしか触れることができなかったんです。

それが今でも、東南アジアの山奥に行けば、本当にそこにいて、同じ飯を食って、話すことができるんです。

自分の中では目からウロコの事実ばかりで、伊藤さんと一緒に面白い経験ができました。

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—–「ムラブリ語」をどこで知り、なぜ研究しようとしたのでしょうか?

伊藤さん:「ムラブリ族」や「ムラブリ語」を知ったのは、大学三年生の時でした。

大学で人類学の授業を受けていた時、色んな地域の狩猟採集民の映像を見せてもらった時に、その映像の中に「ムラブリ族」もおられました。

昔、某テレビ局の番組「世界ウルルン滞在記」がありましたね。あの番組でも、「ムラブリ族」が出演しており、その時初めて「ムラブリ語」を聴きました。

その時、僕は就職するか、院に行くか選択しないといけない時期でした。

就職する気にならなかったので、大学院の進学を視野に考えておりました。

でも院に行くには、研究課題が必要でしたが、進学しようと考えていた時は、まったく決まっておりませんでした。

その時に、どこかの国の言語を研究しようとは、思っておりました。

ただ、どの言語にしようか決められない状況で、偶然「ムラブリ族」「ムラブリ語」と出会うことができました。

特に、この言語の持つ「イントネーション」の響きがとても良くて、そこに惹かれました。

その話を指導教員にお話したら、たまたま「ムラブリ語」を当時一人だけ研究している方とお知り合いで、ご紹介して頂けました。

—–「ムラブリ語」を研究されていた方も、日本の方でしょうか?

伊藤さん:お亡くなりになれましたが、その方も日本人でした。

—–その方も昔から長い間「ムラブリ語」を研究されていたのですか?

伊藤さん:(※1)坂本 比奈子先生という方で、10年以上研究されていたと思います。

—–伊藤さんは現在、お一人で研究されてらっしゃるのでしょうか?

伊藤さん:言語学者だと、世界中見ても研究者は僕だけです。

誰も研究していない言語は、世界中探せば、たくさんあります。

世界オンリーワンを目指すなら、少数言語の研究は、とても適していると思います。

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—–撮影を通して、何か気づき、もしくは気付かされたことはございましたか?日本とムラブリ族の文化の違いなど。

金子監督:特に、後半のラオス側の森に入って行くところですね。

実際に、会えるかどうか分からない中、伊藤さんと二人でムラブリ族が出没する辺りを、人づてに聞きながら、森へ入っていきました。

映画に出てくるカムノイさんと偶然出会って、「すごい偶然だね」という場面がありますが、本当にたまたま出会ったという経緯があります。

「偶然」の糸を辿って、最後の野営地まで辿り着くことができました。ただ書籍では80年前から森の中で裸で暮らしていた頃の生活は読んでおりましたが、実際に目の当たりにすると、本の記述と実際の本人たちと出会って、とても違いを感じました。

まず、バナナの葉っぱを屋根やカーペットにして暮らしている民俗が、まだ存在していたことにも驚きがありました。

焚き火に対しても、人類にとって「火」は非常に重要で、「火」を通して肉を食べられるようになりましたし、「火」が誕生したことで菌類が死滅され、「火」を通すことで全人類は簡単に病気に罹りにくくなりましたね。

「ムラブリ族」の場合は、家族単位で住んでいる家の前に薪を焚いていて、ほぼ24時間絶やさずに、暮らしています。

普段、ゴロゴロしている人達ですが、薪だけはちゃんと大切にしているんですよね。

もちろん「火」は料理にも使われますし、「虫除け」として使用されてもおります。

「火」が中心の生活なんですよね。焚き火を囲むことによって、誰が家族であるかとか、誰が夫婦であるかを決まっているんです。

「同じ釜の飯を食べる」という日本語もありますが、後半で夫婦げんかをして、別れてしまうムラブリ族の夫婦がいます。

ダメ旦那が村に入り浸り、奥さんが子どもの面倒を見ないと怒るんですよね。

—–そんな夫婦は、日本でも、どこにでもおられますよね。

金子監督:どこにでもいるんですが、ただ日本と違うのは、夫婦で喧嘩して別れても、川の近くにすぐ一人でバナナの葉っぱを使って、家を建ててしまうんですよね。

新しく「家」を建てることで、ムラブリ族は「離婚」が成立してしまうんですよね。

日本であれば、離婚はそんな簡単なものではないと思います。

—–日本では、複雑な手続きの上、ルールがたくさんありますよね。

金子監督:そうですね。また、子どももいるから、離婚した場合は養育費も必要となる社会構造ですよね。

法律上、戸籍を抜かなければいけないとか、家系同士の結婚ということも考えられますよね。

でも、ムラブリ族の「サッパリさ」は、焚き火を囲まなくなり、一緒に寝なくなったら、「夫婦」ではないという感覚なんですよね。

別のパートナーが現れて再婚し、一緒にそこに住めばいいだけです。

—–日本とでは、価値観が全然違いますよね。

金子監督:好きであり、愛がある間は結婚しているのでしょうが、それがなくなれば、パッと別れてしまう。

その「サッパリ感」が、ムラブリ族の男性女性は、一生の間に数回ほど、結婚と離婚を繰り返します。

やはり、定住生活をし、家を守り、畑を耕す労働力も必要で、家におり子どもを育てることも必要になってくると思います。

そうではなく、森を移動する彼らの生活では、日本とはまったく別の価値観やライフスタイルがあることに気付かされました。

よく考えれば、凄く驚いてしまう部分かと思います。

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—-伊藤さんは現地で彼らと共存しながら、研究されていたと思いますが、監督と出会い、現場にカメラが入ってから、何かご自身の中で気持ちの変化は、ございますか?

伊藤さん:もちろん、色々ございます。

特に、撮影中の話になりますが、調査スタイルやムラブリ族との関わり合いに対して、幅が出てきたと思います。

たとえば、僕は基本的に「待つ」タイプの人間なんです。聞き出して、何かを調査すると言うよりも、自然に話して、その会話から発見があれば、いいのかなと思っております。

自然的に発生する会話の中から、データを引き出すという手法を取っております。

基本的に、金子さんの作品はドキュメントなので、「こっちから撮りたいです」とか、「あの人を撮りたいです」とか、「こういうことを聞きたいんです」と、色々聞いて頂きました。

僕は、金子さんの言葉に従って、ムラブリの方に通訳しました。そうお願いすれば、ムラブリの方々も、楽しそうに乗ってくれるんですよね。

お話をする場面は、なかなか撮れないシーンかと思います。様々な理由がありますが、一つ目はお話をするということは、解決しなければならないこととして、儀礼的な意味合いを持っています。

途中で止めてしまうとか、間違ったことを言ってしまうと、悪いことが起きてしまうという考えを彼らは持っているんです。

僕は、その言い伝えを知っているので、迂闊にお願いできないですし、お願いする時はしっかり向き合って来ました。

撮影時は、「お願い、お願い」の連続でしたが、出演者のロンさんがデキル方で、たくさんの物語を話してくださいました。

今回、その中のひとつを選びました。僕自身の話になってしまいますが、積極的に人と関わりを持って、何か新しいことを起こすタイプの人間ではないんです。

金子さんは、僕にとっては物事を起こしてくれる方で、僕一人ではもちろん、映画を作れなかったです。

金子さんのような方と一緒に何かすることで、色々起きましたし、この作品も上映される運びとなりました。

インタビューをして頂き、僕の話を聞いて頂いたりしてもらえるのが、とても有難いですお話です。

僕一人では、ホント何もできていなかったと思います。

だから改めて、外側に発信する時に、僕だけじゃなくて、今回は金子さんのような方が必要ですし、人と人との出会いが新しい何かを生み出し、起こることがとても面白く感じております。

—–限界もありますが、一人で何かすること、または誰かと何かを取り組むことも必要ですよね。

伊藤さん:でも本当に、その通りですよね。自分でしないと、という決断があり、自分がやらないといけないことをする。

という気持ちがまず先行しておりますが、その感情がまず大切だと思います。

他のことを大きくしたいとか、別の何かしたい、何か新しいことを展開したいと思う時に、「これにはこういう方が必要だ」と連れてきて、違う事を要求することも必要かもしれないですが、結果上手くいくものは基本的には、ある日突然ヒョッと来た「何か」「誰か」となんです。

少ないですけど、何度かそのような経験をしております。

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—–プレスにて、「文明社会に暮らす私たち日本人にも、真の重要なことは何かが見えてくる」と記載されておりますが、監督自身が現地で体験したことを通して、「感じること、見えること、見えてきたこと、真に重要なこと」は、なんでしょうか?

金子監督:この映画は、ドキュメンタリーの手法でもある(※2)ダイレクト・シネマを使用しました。

近年、この手法を取り入れた作品も製作され、流行りを見せておりますが、過去にはフレデリック・ワイズマンや想田和弘監督の観察映画が、これに当たります。

やはり、観る人が映像と音声から感じ取って、何かを考えて欲しいものなので、解説的なことを言葉にはせず、自分の中で解釈できる自由という幅を作りたかったんです。

このポスターのキャッチコピーの言葉も、僕が考えた言葉でもありますが、観ている人がこの作品を観た後に、「ムラブリ族」から何を教わったのかを、持って帰って欲しいというキャッチコピー(「ラオスの森の民が、私たちに教えてくれること」)にしております。

そのひとつの例として、僕の場合は撮影しながら、ムラブリ族の方々の生活を見せてもらって、編集もして、分かったことは難しいことも言えますが、素朴なことを言いますと「21世紀のこの時代に、パンデミックもありますが、この「ムラブリ族」の方たちが、この狩猟採集生活やノマド生活を続けてくれていて、良かったな」と感じております。

とうの昔に、なくなっている民俗スタイルだと思っておりましたが、奇跡のような宝石のようなものが、そこに残っていて、他の外国の人類学者や言語学者ではなく、僕自身がそのキャンプに入って、その場所で彼らと同じ空気を吸って、一緒に過ごすことができた時間が、本当に素晴らしいことでした。

その経験から見えてきたのは、電気・ガス・水道・家・貨幣が無くても、人類は豊かに暮らせること。

数万年という人類史の歴史を見たら、貨幣があって、近代的な建物があって、情報をやり取りできるツールがある生活は、ほんの数千年というほんの一瞬のことだと思います。

もっと長い間、人類は彼らムラブリ族のように暮らして来ましたし、便利な暮らしがなくても、人間は幾らでも幸福になれることを、彼らは教えてくれています。

一人の人として、感動することはたくさんありました。

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—–伊藤さんにとって、「言語」もしくは「言語学」とは、何でしょうか?

伊藤さん:それに答えたくて、僕は「言語学」を研究しております。

「言語学」を研究する理由は、「言葉」とは何か?

「言語」とは何かと言うことが、大事な問いかと言いますと、僕はそれが人間の理解に繋がるからだと思います。

つまり、「言語」とは何かということを理解することに、人間の存在理由と繋がりがあるんじゃないかと、直感があります。

最近自覚したことですが、この直感は高校の頃から持っていたと思います。

だから、言語学を選んだのでしょう。まだ分からないことだらけですが、現段階で申し上げますと、人の言葉をお借りするなら、中原中也という詩人がいますが、(※3)中原中也の芸術論の覚え書という論考を書いておりまして、その中で言っている「名辞以前」という考え方があります。

詩人の中原中也は、「名辞以前」の世界に住まないといけないと、言っております。

例え話として、「手」について話しております。「手」とは、「手」と呼ばれる呼ばれた瞬間には、もう「手」でしかなくなりますよね。

たとえば、僕たちの身体の一部にあるのは、まさしく「手」ですよね?

誰がどう見ても、僕達から見れば「手」ですよね。でも、日本語の単語で「手」がなかった時期もあると、思います。

(名前が)ない時期から、ある時期に「手」という言葉が、生まれました。

「手」という言葉ができたあとには、僕達人間の身体の一部分として、「手」というものが見えるようになります。

「言語」とは、世界を分けるのです。カテゴライズし、「これはこれ、これはこれ」と分けていきますよね。

けれど、元々は、そこに区別はないと思います。「手」という言葉が、生まれたからと言って、人間の身体に「線」が生まれるかと言えば、そうではありませんよね。

その「線」は、頭の中だけですよね?それは、「言語」が区別していることなんです。

「リアル」ではなく、「言語」が作り出す「リアリティ」なんです。国境もまた同じです。国境も地図上では線引きされております。

僕らもタイからラオス側に国境を越えましたが、「線」が見えた訳ではありません。

壁が、国の間にある訳ではないですよね。でも、そこに国境があると人間が決めたから、そこにあるように思えるんですよね。

そういうものに、僕達は囲まれているんですよね。ルールも、言葉も一緒だと思います。僕は、その区別され、カテゴライズされたものを取り除きたいと思っております。

分かりやすく言えば、中原中也はそういうカテゴライズをすべて無くした世界に行き、そこで経験した事実を通して、新しい「名辞」を作る気持ちで、詩を作らないと、詩にはならないと、言っております。

言語の作り出す「リアリティ」の中には、僕ら自身の経験がない訳ですね。

この「手」という名辞を考えたのは、僕ではありません。「誰か」が、作り出した名前ですよね。

そう考えると、言葉全てがそのように見えてしまいますよね。でも、それを使って、表現する必要性があります。

僕自身が一体、何を経験するかと問われれば、「名辞以降」の世界では何も経験できてないんですよね。

でも、「名辞以前」の世界にも同時に生きていて、そこでは固有の経験をしているはずなんです。

でも、言語があることによって、固有の経験を実感できていないわけです。

こういうと、「言語」が悪者になってしまいがちですが、僕は全然そうは思いません。

「言語」には、今話したような副作用があるとは思いますが、「言語」があるからこそ、他者と話しができるわけですね。

副作用があることを踏まえて、言語の作り出す「リアリティ」から抜け出して、自分自身が経験をしていることを知るプロセスが必要になると思います。

「名辞以前」の経験をしたいと自覚するには、「名辞以後」が必要となります。

「名辞以後」の世界で生きるのが嫌だから、「名辞以前」を求めるようになるんですね。

「名辞以前」だけで生きているのは幸せかもしれませんが、そこでは何も起きていないに等しいかもしれません。全部自分であるけど、自分ではない。そういう世界が「名辞以前」です。

「名辞以前」と「名辞以後」を、行ったり来たりが必要ですね。

その二つの世界の一番エッジの部分に存在しているのが、「言語」だと思います。

要するに、「名辞以前」と「名辞以後」の世界を掻き回すのが、「言語」の役割だと思うんです。

—–最後に、本作の魅力をそれぞれ教えて頂けますか?

金子監督:「ムラブリ族」はたった400人しか存在していない、森の中の狩猟採集民です。

現在は、国境を跨いで、3つのグループに分かれてしまっています。お互い「人喰い神話」や「刺青伝説」を信じてしまい、近い人たち同士がそこでいがみ合い、100年以上会わなかった状態が続いておりました。

その状況下で、伊藤さんが融和するためにコミュニケーションや対話をしていく映画です。

それでも、人の世界がよく分かると思うことは、ロシアがウクライナに侵攻していることを見ると、ロシア側とウクライナ側は非常に近しい存在であり、ウクライナ文化はロシア文化と大きくは変わらないと思います。

近い人同士の方が、日本と韓国や日本と中国、隣人同士の方が憎み合うわけですよね。

でも、一種の縮図として、本作の後半に登場する「ムラブリ族」を見て、言語学者が言語学の領域を踏み越えてまで、介入し、対話を促進していく伊藤さんの姿を見てほしいところです。

21世紀になっても北朝鮮と韓国、北朝鮮と日本、ロシアとウクライナ間で起きている戦争や暴力、いがみ合いや憎しみ合いが、生まれてしまうと思いますが、そこには顔を合わせて、対話をして、同じテーブルに着いて、自分たちの違いを見ながらも、何か「言葉」を交わしていくことが大事だと、小さな少数民族から普遍的なテーマを考えるができると、思います。

伊藤さん:まず大画面を通して、僕の好きな「ムラブリ族」や「ムラブリ語」を堪能して頂けたらと、思います。

達成すれば大成功ですが、様々な感想やご意見を頂く中、今観ることに意味のある、価値のある映画にもなっていると気付かされております。

全然違う生活をしている人達が、違う国におり、山も川も違う森の民の生活ですが、どこか自分事のように見える部分もたくさんあるでしょう。

そういうところから、自分たちの違う生活の有り方もあるのではないかと、考えられるような一面もあると思います。

色んな層の方に観て頂いて、感想を頂けたらと思います。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は5月28日(土)より大阪府のシアターセブン、6月3日(金)より京都府の京都みなみ会館、6月4日(土)より兵庫県の元町映画館にて公開予定。また、全国の劇場にて絶賛上映中。シアターセブンでは、5月28日(土)に金子遊監督、5月29日(日)に金子遊監督、伊藤雄馬さん、元町映画館では、6月4日(土)に金子遊監督、伊藤雄馬さん、6月5日(日)に伊藤雄馬さん、6月3日(金)に京都みなみ会館にて金子遊監督、6月4日(土)に金子遊監督と伊藤雄馬さん、6月5日(日)に伊藤雄馬さん舞台挨拶が予定されている。

(※1)坂本比奈子教授の基本情報https://researchmap.jp/read0051147(2022年5月17日)

(※2)ダイレクト・シネマとシネマ・ヴェリテの違いhttps://yutabou85.hatenablog.com/entry/2016/07/22/115242(2022年5月18日)

(※3)芸術論覚え書中原中也https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/50239_64377.html(2022年5月18日)