石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」映画『じゃ、また。』『巨人の惑星』「想像を膨らす、その先へ」石川泰地監督インタビュー

石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」映画『じゃ、また。』『巨人の惑星』「想像を膨らす、その先へ」石川泰地監督インタビュー

2024年5月5日

「想像の彼方へ」石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」映画『じゃ、また。』『巨人の惑星』石川泰地監督インタビュー

©Ishikawa Taichi

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映画『巨人の惑星』予告編│石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」

映画『じゃ、また。』予告編│石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」

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—–まず、今回の特集上映で上映される2作『じゃ、また。』『巨人の惑星』の制作の成り立ちを教えて頂けますか?©Ishikawa Taichi—–まず、今回の特集上映で上映される2作『じゃ、また。』『巨人の惑星』の制作の成り立ちを教えて頂けますか?

石川監督:アイディアを思い付いたのは、ほぼ同時だったんです。コロナ禍がまだ厳しいなか、心の中で何か作りたいという気持ちを熟成させていた時、緊急事態宣言が明けて、映画が外で観られるようになったタイミングで、アテネ・フランセ文化センターで、ペドロ・コスタ監督の特集上映に触れて、映画を作りたいという気持ちが爆発しました。ただコロナ禍という条件下で、大人数で自主制作の映画を作る事が、リスキーでもありました。できる限り少人数で、場所も移動せず、リスクの低い撮り方で作れるものは何かと考えて、生まれた2つのアイディアが、今回の2作になりました。思い付いたのは、2020年の秋ぐらいだったと思います。

—–その時の条件と環境下での渾身の二本と言う感じですね。

石川監督:同時に思い付いた2本の内、『巨人の惑星』を先に撮る事にしたのは、企画としてこちらの方が奇抜さがあったからです。注目してもらうには、インパクトがあるものを作る必要があると思いました。『巨人の惑星』のメインのロケ地にさせてもらったあの部屋は、出演者の国本が当時住んでいた部屋です。実家を出て一人暮らしを始めたから、その部屋で映画を撮っていいよと、彼が言ってくれていたので、何かあの部屋で撮れるものをと考え、『巨人の惑星』と『じゃ、また。』では、前者の方があの部屋の雰囲気に合うということもあり、先に『巨人の惑星』を撮る事にしました。

—–ペドロ・コスタの作品を観てとおっしゃっていますが、やはり彼からの何かしら影響はこの作品に受けていると思いますか?

石川監督:ペドロ・コスタの映画は、フィックス(固定撮影)で作り込まれた画面が印象的な、すごく静かな作品で、アクションがある訳ではありませんが、ものすごく映画的で、ショットの積み重ねによって、ちゃんと映画になることを証明してくれています。それを目の当たりにした時に、この撮り方は自主映画、特に会話劇に向いているんじゃないかと思ったんです。カットの積み重ねの工夫次第で自主制作の会話劇でも映画的な画面になり得るのではないかと。ペドロ・コスタは、マスター・オブ・マスターですから、その域には達することは到底不可能としても、参考にしながら何か試せるのではと思いました。

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—–おっしゃる通り、マスター・オブ・マスターだとしても、ペドロ・コスタはインディーズの作家と言うイメージがあります。彼の作品は、観る人を選びますが、この方の作品は嫌いになれないんです。 神秘に包まれたあの監督にしか撮れない映画は、確かにあると感じました。お話をお聞きして、改めて、似ていると思えました。色のトーンの落とし方や静の部分など。ペドロ・コスタ作品を意識して観ていませんでしたが、お話をお聞きして意識した瞬間に、点と線が繋がりました。『じゃ、また。』は、人生ゲームのルーレットが回転する音が非常に気になりました。映画における音は、SEで調節して、編集の時に落とす事もできますが、敢えて、上げて来てるように私は思えました。これらを各々の作品で強調させる目的とは、何だったのでしょうか?

石川監督:会話がベースの作品なので、僕らキャストの声が、基本的な音になってきます。現場のお芝居でも、編集の段階でも、テンポ感は大事にしていました。ある種の音楽映画とまでは行きませんが、聞いていて心地のいいリズムを全体に作りたいと。そのアクセントとして、人生ゲームのルーレットの音も意識した内の一つでした。

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—–最初に聞いた時、何の音だろうと気になりました。 正直、日本の伝統楽器の鳴子を鳴らしている音と勘違いしました。1回、2回聞いて行く内に、なんだこの音は?となったんです。改めて、場面の前後を確認した時に、敢えて、人生ゲームのルーレットの音を意識的に強調していると認識したんです。あの場面の会話と人生ゲームは、脚本上、リンクさせている点、非常に理解できました。でも、2人の会話に対して、この音をプラスアルファする事によって、作品に何が生まれるのかな?

石川監督:元々、僕が演じた主人公の部屋は、時間や空気が止まってしまっているような場所と考えていました。そこにかつての友人が無理やり入ってくることによって、あの部屋の中の空気や時間が、回り出す話にしようと。そこで徐々に音が増えていくという演出を考えてました。最初すごく静かに始まって、彼が来たことによって、部屋全体や物語そのものが非常に喧しくなっていくんです。時間や空気の「動き」を音も含めて表現したかったのだと思います。

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—–『巨人の惑星』の青みがかった照明は、他の作品のシーンによっても、意味合いは非常に変わって来ると思いますが、この場合のあの「青」とは、どのような意味合いを持たせているのでしょうか?

石川監督:『巨人の惑星』は、途中で一度ブラックアウトする場面を境に、前半の昼のシーンが青、後半の夜のシーンはオレンジと、極端な色使いにしているんです。国本が演じていたホンダというキャラクターの、前半と後半での雰囲気やモードの違いを演出することが狙いの一つだと言えます。前半では、ホンダは巨人がいると訴えても信じてもらえないだろうと、静かなトーンで相手に探りを入れながら、話し始める。その彼のトーンとしての青。夜になり、興奮して巨人について語り、テンションが上がってきた彼のトーンがオレンジ。友達の知らなかった一面を見てしまったという話なので、彼の裏表を色でも表現しようとしました。表面が最初に来て、後から裏面が登場して。大きく分けて、二幕構成として考えていたので、前半と後半の色のトーンの違いと、特にあのキャラクターの喋っている時のトーンの違いを対応させました。

—–前半の静の部分と後半の動の部分が、照明の色の違いとして表現されているんですね。でも、青とオレンジの対比を見せる事によって、その登場人物の内なるものを表現できる事もあると思いますが、その点どうでしょうか?

石川監督:『じゃ、また。』にも繋がってくると思いますが、部屋の中とは、その部屋に住んでいる人の頭の中みたいなものだと思っています。単純に、この書類がこの部屋のここにあってとか、本当に取り組まなきゃいけないものが下の方にあって、趣味のものばかりが上に来て、やらなきゃいけない事は他にあるのにとか。物理的に何が部屋のどこにあるのかということからも、その人の今の頭の中の状態がわかると、いつも思っているんです。なので、『じゃ、また。』に関しても、『巨人の惑星』に関しても、部屋の中がどうなっているのかは、そこに住んでいる人が今、何を考えているのか、またどんな状態なのかと対応させ、表現しています。『巨人の惑星』では、青と赤という色目、もしくは、あの部屋の中のちょっとした美術に、ホンダが今、何を考えているのか、どんなモードなのかという事を対応させました。

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—–『巨人の惑星』に言及すると、「巨像恐怖症」という映画では聞き慣れない言葉が並んでいて、私は非常に耳に残りましたが、ここにスポットを当てた理由とは何でしょうか?

石川監督:現実に巨人がいたら、とても怖いんじゃないかというアイディアから、何か不穏な映画を作れないかなと少し前から考えていました。この映画は自分の中ではワンシチュエーションの会話劇で怪獣映画を作れないかという挑戦でもありました。本当に巨人が存在したら怖くないですか、想像してみてくださいと、突拍子もないことを突然言ったとしても、多分、理解してもらえない。どうやったら観てくれた方に、現実に巨人がいたら怖いということを想像してもらえるか。映画の中で理屈を積み重ねて理論武装していこうと思いました。巨像恐怖症の人は、実際に僕の友人にもいます。それを絡めることで、説得力を出せるんじゃないかと思い、取り入れました。©Ishikawa Taichi石川監督:現実に巨人がいたら、とても怖いんじゃないかというアイディアから、何か不穏な映画を作れないかなと少し前から考えていました。この映画は自分の中ではワンシチュエーションの会話劇で怪獣映画を作れないかという挑戦でもありました。本当に巨人が存在したら怖くないですか、想像してみてくださいと、突拍子もないことを突然言ったとしても、多分、理解してもらえない。どうやったら観てくれた方に、現実に巨人がいたら怖いということを想像してもらえるか。映画の中で理屈を積み重ねて理論武装していこうと思いました。巨像恐怖症の人は、実際に僕の友人にもいます。それを絡めることで、説得力を出せるんじゃないかと思い、取り入れました。

—–『じゃ、また。』では、作中に流れる盆踊りの音楽が印象的だと思いました。日本の映画では、あんまり使われていないと、私は思えました。盆踊りの楽曲を作中に持って来る理由とは、何でしょうか?

石川監督:元々あの場面は、ダンスシーンにしてしまおうかとすら、最初はアイディアとしてありました。結局そこまではしませんでしたが、印象的な音楽を使うことで、印象に残るシーンを作りたいと思っていたんです。どんな音楽を使うかという時に、お盆の時期の話なので盆踊りという。盆踊りもある種のダンスチューンですし。僕の実家の目と鼻の先に神社がありまして、その境内では毎年、夏に盆踊り大会が行われるんです。なので、自分の家の部屋にいても、その近くで行われている盆踊り大会の音楽が部屋の外から聞こえてくるのが、僕の少年時代の原体験としてあったんです。最近それが皆にとっては当たり前の風景じゃないということにようやく気づきました。お盆になったら部屋の外から盆踊りの音楽が聞こえてくるのが当たり前だと勘違いしていました。原初的な自分のお盆の風景を映画の中で再現したかったということもありました。懐かしい気持ちになる映画にしたいとも考えて作っていたので、個人的な体験ではありますが、盆踊りの要素を入れてみようと思いました。

—–先程も、『じゃ、また。』について、音楽映画と仰っていましたね。その繋がりでの盆踊りと考えれば、非常に面白いですね。監督の原体験や原風景が、作風の中に入っている点、とても面白いと思います。恐らく、撮影が終わって編集段階であるポスポロで、「よし、このシーンは盆踊りの音楽を付けよう」となったら、即断られる案件かなと思います。盆踊りと言う選択は、映画にはまずない音楽だと私は思いました。映画とイコールでは、結び付きません。その点、結びつけて融合させたあの場面は、私も結構たくさん映画を観てますが、今まで観た事も、聞いた事もないですね。だから、逆に面白い挑戦だと思います。

石川監督:なぜか、映画館から流れてきているのも変ですよね。あの部屋での出来事は夢か現実かどちらかということではなく、夢であり現実、過去であり現在、と二項対立の状態が共存しているんです。どちらかではなく両方、どちらでもあるという考え方で作っていました。あの映画館のシーンは、現実から続いているようでもあり、夢のようでもあります。夢って、起こることが本当に無茶苦茶ですよね。スクリーンに映っているものと流れている音楽が関係あるようでないような、夢のように支離滅裂で突拍子のないシーンにしたいという思いがありました。うまくシーンにハマったんじゃないかと思っています。

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—–ハマっていると思います。私目線で言えば、耳に残ります。なぜ盆踊りなのかと、疑問にもなります。盆踊りの流す映画は、今まで聞いたことありません。盆踊りのシーンなら、流すかもしれませんが、全く話の脈絡に関係なく、突然、盆踊りが流れて来るのは斬新だったので、それだけで追求したくなりますね。これら、二作品を比べてみると、一つの空間、二人の人物、そして会話劇が両作に跨る共通した部分と私は思いましたが、これらの条件が今を生きる若者たちの何を表現していると思いますか?

石川監督:アイディア自体は二作同時に思いついていましたが、『じゃ、また。』を作る上では、『巨人の惑星』を先に作っていたことも少なからず、影響していると思うんです。ありきたりかもしれませんが、巨人は災害や疫病、もしくは入植者のような、我々の日常を揺るがしてしまうような大きな出来事のメタファーとも考えられると思います。それに対して、そんな事あるわけないじゃんって、ある種、平和ボケしている主人公と、それを本気で信じながら、怖がっているだけでなく、むしろ待望もしている友人という対岸の二人が出てきます。どちらも、僕と同世代といっていいのか分かりませんが、今の時代を生きている人たちが、持っている感覚のような気がしているんです。海の向こうの戦争や虐殺、日本国内であっても、東京から少し離れた場所で起きている災害に対して、「大変だよね」と言いながらも、他人事のような人もいれば、自分事として考えてはいるけど、すごく不謹慎ではありますが、寧ろ、それを待ち望んでしまっている人もいるのでは?という感覚もあります。言葉にはしづらいんですけど、そんな時代のムードを『巨人の惑星』では捉えたいと思っていました。これに対して、『じゃ、また。』はもう少し、パーソナルなんです。『巨人の惑星』の話は主語の大きい話という感じでしたが、『じゃ、また。』は小さな主語の話にしたいと考えていたと思います。皆にとっては、大事ではないかもしれないけど、誰か大切な人が亡くなってしまう。ただ、世界全体から見たら小さい出来事に対して、それを本気で考え、それとどう向き合って生きていくのか考えたいと思いました。両方を作った事によって、それで終わりではありませんが、自分の中ではバランスが取れたと思っています。

—–今回の特集名「一部屋、二人、三次元のその先」にもまた、今の話や共通点が、通じて来ると私は思いますが、たとえば、特集タイトルの最後の「その先」には、何があるとお考えでしょうか?

石川監督:三次元という言葉を、僕達が生きているこの世界だと捉えると、映画は更に、その先を映すものだという意味でしょうか。「想像力」と言い換えていいかもしれません。映画を通して、自分の知らない世界や、自分とは対立にある、日常を送っていたら関係のない生活や人間を想像する力に繋がると。多分、僕はそれを映画にすごく求めているんです。一観客としても求めていたり、自分で作る上でも求めながら作っています。三次元というものが手で直接触ることができる世界の範囲だとすると、その先にある世界に対する想像を、映画を通して膨らませたいと願う気持ちが、今回の特集タイトルにも表れていると思います。また、「一部屋、二人、三次元のその先」で、1、2、3。ホップ、ステップ、ジャンプのような。そして、その先へ、というイメージ。今回上映される2作品はすごく小さな自主映画ですが、その小さな世界から想像を膨らまして、大きなその先にまで、観てくれた方と一緒に考えたい、ということが理想です。

—–最後に、『じゃ、また。』『巨人の惑星』が、今後どのような広がりを持って欲しいなどございますか?

石川監督:すごく現実的な話で言えば、今回のテアトル新宿での1週間の上映を大成功に終わらせたいです。その暁には、地方での上映もできれば嬉しいですね。すごく小さな映画が、このテアトル新宿の大きなスクリーンで1週間も上映してもらえるだけでも、結構驚いています。でも、ここまできたら、もっともっと全国に大きな規模で、多くの方に観て頂きたいです。もちろん、その経験を今後の自身の作品制作にも活かしていきたいと考えています。 楽しみにしています。

—–この度は、貴重なお話、ありがとうございました。

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石川泰地監督特集「一部屋、二人、三次元のその先」映画『じゃ、また。』『巨人の惑星』は現在、5月3日(金・祝)より東京のテアトル新宿にて1週間限定上映中。