ドキュメンタリー映画『正義の行方』忘れてはいけない

ドキュメンタリー映画『正義の行方』忘れてはいけない

いまも〈真相〉は、あの森を彷徨さまようドキュメンタリー映画『正義の行方』

©NHK

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この国に正義なんて、一つもない。この国の正義は、一体どこに行ってしまったのか?誰も真実を語りたがらない。事件の関係者は自身の保身に走って、本当にあった実際の事は闇に葬り去ろうとしている。事件は起きた、犠牲者がいて、その遺族が確かに存在し、事件を起こした犯人が逮捕された。でも、その逮捕が本当に正しかったのか?その犯人が、事件の容疑者であったのか?1992年2月にある事件が今、再度注目を浴びている。それが、福岡県飯塚市で起きた「飯塚事件」だ。二人の少女が誘拐され、殺害され、そして甘木市の国道322号八丁峠の崖下に遺棄された凄惨な出来事だった。当時、犯人として逮捕されたのが、事件発生時、54歳であった久間三千年元死刑囚だ。彼は逮捕後もずっと、一貫して自身の無実を訴え続け、2年後の死刑確定以降も自身の身の潔白を訴え、2008年の死刑執行前までその訴えは変わる事はなかった。司法には、「疑わしきは罰せず」「推定無罪」と言う考え方があるように、物的証拠が無ければ、限りなく黒に近いグレーであっても、無罪として裁かなければならないが、この事件ではDNA形鑑定の結果が動かぬ証拠となった。しかし、この鑑定そのものの精度の低さや信用性(※1)に対して、異論の声が今でも上がっている。ドキュメンタリー映画『正義の行方』は、この飯塚事件に対して、当時の捜査や裁判、死刑判決が本当に正しい判断であったのか、弁護士、警察官、記者の3視点で事件捜査の是非を再度、浮き彫りにする。この事件の真犯人が他にいるのであれば、死刑執行された元死刑囚の久間三千年の死は本当に正しく裁かれたものであったのか?各方面の関係者や当時の映像素材を交えて、この事件を再検証して行く。人が、人を裁く以上、時にはヒューマンエラーが起こってしまう事もあるが、それは本当にあってはならない由々しき事態だ。映画的に言えば、古典映画『十二人の怒れる男』に出てくる十二人の陪審員の男達のように、一人の容疑者の人生に真剣に向き合って欲しい。それは、若者かそうでないか関係なく、人一人の人生だけでなく、多くの関係者の人生が一つの誤った判決によって、狂わされていく。そして、それは事件の当事者でもある被害者や被害者家族も同じ事だ。本作では一切、語られていないが(プライバシーの都合上)、被害者少女の無念を晴らす捜査であって欲しい。作品も観客もまた、被害者の想いを置き去りにする事なく、被害者不在の作品であっても、あの日あの時あの瞬間、命を奪われた幼き少女へ思いを馳せて欲しい。それが、被害者への供養ともなり、作品を通して、事件そのものがあった事を認知し、風化させない努力が大切だ。

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1990年前後、本事件含め、同類の重大事件が起きた。それが、東京・埼玉幼女誘拐殺人事件と北関東幼女誘拐殺人事件だ。前者の事件では、宮崎勤元死刑囚という犯行当時25歳の青年が捕まった。犯行目的は皆、幼女に対する性的目的であった。ただ、この元死刑囚もまた、冤罪では無いかと、実しやかに世間では囁かれて来たが、この者は2008年6月17日に東京拘置所で死刑を執行された。奇しくも、2008年の6月8日、ちょうど今から26年前に遡るが、秋葉原通り魔事件が起きた影響で、死刑執行されたとも一部では指摘されている一方で、反対の意を唱える者もいる。また、後者の北関東連続幼女誘拐殺人事件は、1970年代から連続して起きている幼女行方不明事件の総称だが、今回作品が題材にしている飯塚事件と並べて議題に出されている足利事件との関連性も深く、1996年に起きた太田市パチンコ店女児失踪事件もまた、この北関東連続幼女誘拐殺人事件の類似事件としてカウントされている。足利事件だけに言及すると、事件が発生した当時、逮捕された菅家利和さんは、後にDNA形鑑定における不正確さが原因で、有罪を受けていたが、後の再鑑定の結果、この逮捕が不当逮捕、冤罪事件として刑が逆転した。飯塚事件でも当時、同じDNA形鑑定が行われており(鑑定士も皆、同じ)、この事件も冤罪事件だったと言われている。北関東連続幼女誘拐殺人事件は本当に複雑な事件のあらましであり、この足利事件では本件を含め、足利連続幼女誘拐殺人事件と言う名称がある。言うまでもなく、これらの事件での真犯人は、捕まっていない。私は、1990年前後に起きた世間を揺るがし震撼させたこの一連の事件は、昭和から平成、80年代から90年代の時の移り変わりの中で、事件性における要素がガラッと変わった時代の転換期の重大事件と捉えている。1980年代までの幼児誘拐事件のその全貌はすべて、日本社会の貧困から来る身代金目的の事件が多かった。例を挙げるなら、1960年に起きた雅樹ちゃん誘拐殺人事件も、1963年に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件も、1969年に起きた正寿ちゃん誘拐殺人事件も、すべて身代金目的の誘拐事件だ。戦後昭和時代の重大事件としてこれら3つの事件を誘拐事件における「三大凶悪事件」と呼ばれている。他に、1952年に起きた大治君誘拐殺人事件、1955年に起きたトニー谷の長男誘拐事件、1964年に起きた元俳優による幼児誘拐殺人事件、1974年に起きた津川雅彦の長女誘拐事件、1980年に起きた司ちゃん誘拐殺人事件、1984年に起きた泰州ちゃん誘拐殺人事件、1987年に起きた裕士ちゃん誘拐殺人事件、1985年に起きた芦屋市幼児誘拐事件はすべて、身代金目的の幼児誘拐事件だ。例外を挙げるのであれば、2002年に起きた群馬女子高生誘拐殺人事件、2001年に起きた黒磯小2女児誘拐事件もまた同類の事件だが、この傾向はすべて昭和の時代に起きている事件が多い。先にも述べたように、昭和から平成に移り変わる1900年以降、バブル期が到来し、日本社会のほとんどが中流階級になった時代の幼児誘拐の事件の目的はお金ではなく、自身の性的欲求を満たすための誘拐事件が増えている傾向にある。ここで挙げた先の3事件の他に、1990年に起きた新潟少女監禁事件、2014年に起きた朝霞少女監禁事件、2018年に起きた新潟小2女児殺害事件が挙げられるが、これらは1990年代以降に起きた性的搾取、性的目的を主とした凶悪な誘拐監禁事件だ。社会や時代が変わると共に、犯罪の目的や趣旨は変わる。児童を殺める行為は、筆舌し難い糾弾されて当然の事ではあるが、昭和の社会的困窮が根底にある犯罪と平成以降の自身の欲求を満たすための犯罪であるならば、後者は非常に悪質で、また非常に邪悪な為、より世間から非難を浴びるべきである。

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また、飯塚事件が発生してから30年の月日が流れたにも関わらず、再度、この事件に対して問題や議題が浮上しているのは、この事件の容疑者(真犯人)が他にいて、2008年10月24日に死刑執行された久間三千年元死刑囚の死は、間違いだったかも知れないと、捜査関係者は息巻く。本作『正義の行方』は、この冤罪の可能性と真犯人の有無について、当時、事件を取り扱った警察関係者、裁判所関係者、報道関係者達が、あれが真実であったか、冤罪であったかを各々の口で語り続ける。この冤罪の可能性の理由については、2つの事柄が争点となっており、一つ目は上記でも述べたDNA型鑑定における鑑定ミスと最後に犯人の姿を見たとされる女性の証言(※2)が、30年過ぎて覆された事にある。その女性は現在、「目撃したのは別の日だった」と弁護団に証言しており、調書を取る日にその間違いを正そうと警察が指定する喫茶店に出向いたが、出来上がった調書に捺印させられ、「見ている」と無理に強引な誘導や押しつけがあったとされる。その後、久間の妻が「遺体に付着した血液が久間元死刑囚と一致したとするDNA鑑定は誤りだ」と裁判のやり直しを訴え、裁判所は2021年4月に請求を棄却したが、3ヶ月後の7月、過去に証言した前出の女性の「風貌の違う男が、女の子2人を乗せて軽乗用車を運転していた」という新たな証言が出てきたため、弁護団が2度目の再審請求を行い、現在も協議が続いている。もしこれが、すべてにおいて誤りだとしたら、元死刑囚が亡くなった後に再審請求が行わるのは異例中の異例で、しかも受刑者である久間は刑が執行されて、この世にいない。いないにも関わらず、司法が引っくり返されるのは、この死刑判断が間違いだった可能性も高く、冤罪事件だと知りながら、法は一人の人を平気で死刑台に送っている。これは、由々しき事態であり、繰り返してはいけない過ちだ。国内の冤罪事件は、定期的に起きている。たとえば、国内における四大冤罪事件と言えば、昭和に起きた免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件が挙げられる。それぞれ、1980年代前後に再審請求が行われ、死刑確定が一転、再審によって覆され、無罪となった世に言う「四大死刑冤罪事件」と呼ばれている。他に、先に述べた足利事件をはじめとして、袴田事件、梅田事件、遠藤事件、金森事件、宇和島事件など、昭和に起きた冤罪事件は数多くある。当時は、現代のような精密なDNA形鑑定があった訳でもなく、捜査は人が動いて、証拠を探す地道な作業が多く、結果として、冤罪事件を招いてしまうケースが多かったと言える。また、近年では、湖東記念病院人工呼吸器事件(※3)や東住吉冤罪事件(※4)が、冤罪事件としてニュースでも取り上げられた記憶に新しく残る一例だ。冤罪事件が起こる一要因は、警察による無理な尋問や暴力、脅し、嘘の調書と公人とは思えない捜査方法が採用されており、この問題は昭和からずっと続く警察の負の体制に他ならない。取調室が、死角の場所だからと言って、何をしても良いとは限らない。たとえ罪人であっても、最低限の人権は守らなければならないところ、非常に強引な捜査の結果、真犯人は取り逃し、事件に無関係の人々を罪の沼へと陥れる。一体、ここのどこに「正義」があると言うのだろうか?冤罪事件は、国家権力である警察組織の腐敗による起きた人為的な作為でしかない。故意に事件を警察側が思う方向に無理に捻じ曲げ、真実を公の元に晒さず、恰も警察の捜査が正しかったかのように、無実の人間を有罪化する行為は悪質としか言いようがない。この腐り切った日本の警察組織を一度解体しない限り、同じように冤罪事件は必ず起きる。そして、その事件に巻き込まれるのは、明日のあなたかも知れない事を肝に銘じておきたい。映画『正義の行方』を制作した木寺一孝監督は、あるインタビューにて、本件における冤罪や関係者についてこう答えている。

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木寺監督:「関係者は事件を今まで引きずってきた。事件当日、被害女児の捜索に携わった小学校の教員でさえ、自分が見つけられていたら…という苦しみを抱えている。その先生は生け花を始め、子ども向けの小説を書くようになった。あの日を起点に人生が左右された人々がたくさんいる。DNA鑑定などの科学鑑定にしても、一つの結論ではなく、二手に分かれて論争の対象になる。司法の場では、検察官、弁護士、裁判官が証拠をそれぞれ取捨選択し、人物の主観が入り込む余地がある。『正義の行方』と題したが、撮影を積み重ねるうちに、正義の行方はさらに混沌(こんとん)としてきた。飯塚事件の白黒も簡単には言えない。難しいからこそ、本来はもっと慎重に、厳密に精査しないといけない。死刑制度のある日本では特に。誤りが分かればすぐに改めればいいのに、なかなか日本では認めたがらない。報道も、司法も。袴田巌さんの事件だって、再審開始が決定後も長々と公判は続いている。間違いが分かっても、そこから逃げている面は否めない。浮かばれないのは被害者の2人。死刑が執行されたのに、もし犯人が別に存在するなら、遺族はどうすればいいのか。その点を絶対に忘れてはいけないし、知ってほしいという思いで撮影した。」(※5)と引用が少し長くなったが、今後の日本において非常に大事な事が詰まっていると感じたため、全部盛りでお送りした。多くの人の人生が狂わされ、それは被害者家族や加害者家族、証言者だけでなく、事件に携わった全関係者の価値観が、根底から根こそぎ強制的に変わってしまったと言える。また、DNA鑑定による科学鑑定の稚拙さ、再審請求後の重い腰を上げない日本の司法の問題にも一言、釘を刺している。そして何より、この作品を通して、被害者少女二人の無念さを肌で感じなければならない。この考えは、本レビューにおける最後の論考として考えていただけに、監督との同じ価値観に頷くしかない。事件を語る上で、いつも置き去りにされているのは、当事者達の存在だ。私達は、彼等の存在を忘れてはいけない。

最後に、ドキュメンタリー映画『正義の行方』は、1992年に起きた幼女誘拐殺人事件における再審請求を巡る問題を、当時の関係者にインタビューを行い、事件の様相を多角に捉えた作品だ。この事件が実際に、白黒かは今現在はまだハッキリしないが、冤罪事件は時代を問わず、今でも起きている。もし飯塚事件が冤罪であった場合、被害者の少女、そのご遺族、有罪判決が出てスピード執行された久間元死刑囚と彼のご家族全員が、まったく浮かばれない。30年間、苦しみ続けたにも関わらず、またこの先、何十年になるか分からないが、また苦しまなければならない。事件の真相は、また闇の中に葬り去られ、今でもどこかで、真犯人はシャバでのうのうと生きている。その事を思えば、私の怒りも煮えくり返る想いだ。本当に日本は、日本の司法はこのままで良いのだろうか?このまま状態が続けば、日本の司法には「正義」という考えは一つもないと烙印を押されるだろう。冤罪事件は、幾度となく繰り返されている。先の項で述べなかったが、私が常に注目している八海事件は、最も大きく世間から注目を浴びた冤罪事件だ。この事件は、映画『真昼の暗黒』として映画化されたが、作品公開後、大きく話題を呼んで、結果的に世論を動かす事となり、司法までをも動かす一大ムーブメントとなった。私は扇動するつもりは微塵も無いが、本作『正義の行方』が世論を動かす一つのバイアスとなって欲しいと願う。この作品を観て、何か少しでも心を動かされた方がおられるのであれば、再度、冤罪とは何か考えて欲しい。この世に正義なんて一つもない。だからこそ、私達は私達の行いで事件が、正しい方向に向かうように誘導しなければならないだろう。ただ、これだけは、何度でも言う。被害者達の存在を必ず忘れるな。もしこの事件の被害者少女が事件に遭遇せず、今も元気に幸せに生きていたら、成人式に晴れ着姿を成人を迎えて、今ではご結婚されて、お子さんをご出産され、幸せな家庭を築けていたのかもしれない。私と当事者の年齢が非常に近いだけに、彼女達の無念を感じて止まない。ご遺族の方もまだまだお若い。あと何年、事件の苦しみを背負い続ける事になるのだろうか?忘れないで欲しい。事件の影には、被害者の方や被害者家族がいて、奪われた時間や命がそこに横たわっている事を、私達は忘れてはいけない。

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ドキュメンタリー映画『正義の行方』は現在、4月27日(土)より関東では東京都のユーロスペース、関西では大阪府の第七藝術劇場ほかにて、全国公開中。

(※1)30年前のDNA鑑定精度低く 犯人の試料保管へ法整備急務 <飯塚事件再審認めず>https://www.tokyo-np.co.jp/article/100120(2024年4月30日)

(※2)「警察の誘導や強引な押しつけで証言」「自責の念に駆られ」死刑執行済みの事件 再審請求で目撃者が証言覆すhttps://rkb.jp/contents/202402/202402160213/(2024年5月1日)

(※3)滋賀・呼吸器事件「冤罪」暴いた記者が問う”歪み”7回の有罪判決も調査報道が明らかにした真実https://toyokeizai.net/articles/-/611672(2024年5月1日)

(※4)晴れた冤罪。だが内縁夫の性的虐待はなかったことになった ――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語【再公開】https://bunshun.jp/articles/-/45681?page=1(2024年5月2日)

(※5)警察官も新聞記者も「葛藤」を抱えて…死刑執行された飯塚事件 再審請求で示される「正義の行方」はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/311256(2024年5月2日)