それぞれの善意、思惑、そして悪意―映画『ある職場』舩橋淳監督インタビュー
—–本作『ある職場』の製作経緯を教えて頂きますか?
舩橋監督:僕の以前の作品を観て頂いたら分かると思いますが、単数の映画と言うよりも、複数の映画を作ってきました。
どういう意味かと言いますと、一人の主人公をずっと追っていくというよりも、複数の主人公や集団の中から、社会の網の目が見えてくるように作っています。
そうする事で、その時代時代の無意識みたいなものが見えてくる作品を作りたいと思って来ました。
ですので、映画『ビッグリバー』(2006)というNY時代の作品は、911が起こり、アフガニスタンへの報復攻撃が始まり、アメリカでイスラム圏の方々へのヘイトクライムや差別が非常高まった時代の中で、人種や言語、肌の色を超えた人間と人間の結びつきを掘り下げて描くロードムービーでした。
もうひとつは、『フタバから遠く離れて』というドキュメンタリー映画があるんですが、これは311直後に原発事故が起き、日本人だけでなく世界中の人類が、エネルギーを消費し尽くす発展一辺倒の生き方は、本当にいいのだろうか?
ふと立ち止まって、エネルギーの消費の仕方、原子力を使い続けていいのか、地球を汚し続けていいのか、という事を考え始めた時に、原発をわが町に抱え続けて来た方々を撮影した作品です。
その時代時代に、人々がみな頭の端っこで問題意識を持っているような共通テーマを作品として取り上げてきました。
新作『ある職場』に関しては、日本社会のジェンダー不平等をずっと描き出したいと思っていたのがありました。
アメリカに10年住んで2007年に帰国し、アメリカも男性社会が酷いですが、日本はもっと酷い現状です。
ジェンダーギャップ指数というのがありますが、日本は116位で、先進国中でダントツ最下位なんです。
僕も含め、男性は自分が社会の中で下駄を履かせてもらい、スタート地点から優位な立場で生き、女性が虐げられた難しいポジションを強いられている事を多くは意識していません。
それは、外国にいた人間だからこそ、日本に帰って来て、おかしいと感じるところでした。
(※1)「ガラスの天井」と呼ばれる社会の中、女性が管理職や政治家などリーダーの地位に女性が圧倒的に少ない問題、夫婦別姓の問題、男だから女だからと言われる時に、やはり女性の方が比較的、重要じゃないポジションを任され、男性が重要なポジションの多くを占めている。
社会の中での位置付けがそうなっていますが、日本では圧倒的な女性差別、女性蔑視が存在するにもかかわらず、それに対する問題意識が非常に希薄な状況です。
なので、このテーマで作品を制作したいと長い間考えていました。
具体的にどのようなトピックで、どのような物語で企画を進めるのか、ピンと来るエピソードがありませんでした。
2017年頃に、都内のあるホテルのチェーンにて、セクシャルハラスメントの事件があったと、耳にしました。
人づてで、関係者を紹介してもらいました。被害者や同僚の方、会社の周囲の人間、そして加害者の方にお会いし、話を聞きました。
ホテルのフロントで働いてきた女性が被害者で、その方の男性上司が加害者だったのですが、とても重たい内容でした。
現実ならではの話もあり、本人が辛い思いをした真摯な言葉を聞いて、ちゃんと映画にしないといけないと思いました。
最初はドキュメンタリーにしようと考え、初めはカメラも何も持たず丸腰のまま、お話をお聞きしました。
ただ、「次の取材の時にカメラを持ってきてもいいですか?」と聞くと、「それは勘弁して欲しい。顔も名前も出せません。」と断られました。
色々話し合った結果、最後には劇映画として、ホテルの名前を伏せ、個人が特定されないようにして、すべて変えてフィクション化し、劇映画にしました。
変えなかったのは、僕が感じた熱量です。
色んな言葉をお聞きしましたが、言葉を映画にする時に描くテーマにしました。
問題だったのは、自分が男性監督という事でした。男性の映画監督が、この作品を作ってもいいのかという意識はありまして、女性の方に監督してもらった方がいいのか、自分はプロデューサーに徹するとか、一歩下がって女性監督に依頼する事も考えました。
もしくは、編集か脚本家に退けばいいのか、女性脚本家に参加にしてもらうのか、色々検討しました。
その結果、それも違うなと思いました。なぜ、違うのかと思ったかと言いますと、一人の女性が大変な目に遭った悲劇のヒロインを中心に、女性目線で描くスタイルも違うなと感じたからです。
なぜなら、ハラスメントとは、それぞれの個人がセクシャリティに関して異なる感覚があり、ある人が些細なことと思っている事が、違う人にとってはとても重大であったり、とても深刻だったりする、この認識の違いがハラスメント問題を起こしている背景があります。
人間の感覚の違いなんです。
ですので、それぞれの人間は問題ないと思っているんです。
しかし、周りの人が間違っていて、一人だけが正しいという状態ではありません。
それぞれが、正義なんです。
それぞれの正義が、すれ違う様子を描かなければいけないと思いました。
その結果、複眼的な映画を作る必要があると思いました。
ですので、僕が(※2)マスターマインドとして、脚本を書いて、監督して、全体を指揮する事を辞めようと思いました。
俳優たちが、現場を仕切る現場にしようと思いました。
出演者が、セリフを自分で作り上げ、発話してもらうようにしました。
共同脚本のクレジットには、俳優の方の名前が全員入れております。
だいたいの箱は作って、シナリオには、「湘南に行きます」「観光地に行きます」「ビーチバレーします」「帰宅後、食事を摂ります」「食べたら、皆でお酒を飲みます」というように、だいたいの段取りだけを決めて、何を話すのかは、一切セリフを書きませんでした。それぞれのキャラの設定を作り、この人は「セクハラに関して、徹底的に間違っていると思い、正したいと思っている。」こちらの人は、「実はセクハラなんて、どうでもいい。騒ぎすぎだと思っている」と。
もう一人の人は、「セクハラに関して、当事者は可哀想だが、自分はどちらかと言えば、会社が全体でそれで騒ぐのは、おかしい。
会社は会社で粛々と、問題を処理すればいい。
会社が個人のために振り回されるのは、間違っている。
当事者同士で上手く収められたらいい」など。
個人個人の根っこになる設定を決め、その理論武装を手伝い、思っていることが素直に口に出るようにもってゆきました。
ディベート映画として、誰が最初に喋り出し、誰が何を喋るとか、まったくまっさらの状態で撮影したのです。
僕自身も含め誰がどの順番で喋るか分からない状態で、ドキュメンタリーのように撮ったんです。
—–すごく臨場感のある作品でした。モノクロ映像で、作品を製作されましたか?扱っているセクハラ問題と、関係ございますか?
舩橋監督:あると言えばあり、ないと言えばないんですが、色の情報は必要ないと感じました。
何か精神の深い所に降りていくような映画にしたいと思って、人と人との意見が合わずに、ディベートが長く続いた時、表面的なモノというよりも、人の精神の深い、深いところにある何かが見えてくるような映画にしたいと思いました。
だから色の情報は剥ぎ取りました。
僕はカール・テオドア・ドライヤーが好きなんですが、彼の『ゲアトルーズ』や『裁かるるジャンヌ』などの傑作を観ている時、モノクロームの映像が人間存在の深淵部に触れるような感覚があるのです。
いつも、そういう作品に憧れておりましたので、この映画もドライヤー的な人間存在に触れるような瞬間が来て欲しいと期待しながら、撮影してました。
ドライヤーは、カラーが誕生した後もずっと、白黒で撮影して来た監督ですが、僕もニューヨークで撮影した第一作『echoes(エコーズ)』もモノクロームでしたが、やはりフィルムは色がない状態がとても好きですね。
現実を違った角度で見ることができます。
—–現在、国内でも「MeToo運動」が起きており、とてもタイムリーな作品ですが、今の日本社会に与える本作の影響力は、いかがでしょうか?
舩橋監督:これを観た観客の方々が声を揃えて話されるのは、自分が考えていたセクシャリティに関する感覚をアップデートする機会にもなった、考えが深まりました、と言う感想です。
また、本作には様々な複数の視点がありますので、自分が思いもしなかった視点もあり、作品を観ながら、登場人物の誰に共感できるのか、できないのか、対立する人に其々共感したり、しなかったり。
ときには反感を持ったりしながら、セクハラに纏わる様々な論点を整理し、深められる映画になっていると思います。
これから社会へと出ていく大学生や高校生と言った年代の子に、作品を観てもらって、考えて欲しいと思っております。この作品は、おそらく古くならないと思っております。
10年経っても、20年経っても、観れるモノになっていると思っています。
なぜなら、今ある価値観で作品を撮っていないんです。
今からセクハラが、完全タブー化して、飲酒運転のように、昔は少量なら大丈夫だったのが、今は絶対にNGだと20年後になったとして、その時本作を観たとしても、生々しい人間の姿が映っていますので、観るに耐えうる作品だろうと思っています。
近い未来、常識は変わっているでしょうが、人間の欲望や人間の腹の底で考えているドロドロとした部分が出ているので、鑑賞に耐えうると思います。
セクシャリティについて考え直したいと思う人は、ぜひ観て欲しいと思っています。
—–このセクハラ問題には、例えば、職場で起きていた場合、どのように発見し、もしくは解決するには、どうすれば良いのか、監督なりに、お考えはございますか?
舩橋監督:一番は、(※3)クォータ制度ですよね。ドイツでもクォータ制度が、出来ないと言われていたりしています。
現在、世界中で、このクォータ制度を取り組んでいます。アメリカでも、クォータ制度を取り入れようという動きがあります。
ドイツでは、まず全体の30%を目標にしており、地方政治では既に到達している数字なんです。
その次は、4割と目標を立て、4割から5割に変えていこうとしている動きが、海外にはあります。
その反面、日本では30%なんて、物凄く遠い道のりなんです。
10%にも満たないのが、現状です。
—–日本自体、出遅れておりませんか?
舩橋監督: そうなんです。だから、ジェンダーギャップ指数が、世界で116位なんです。
日本でクォータ制度に反対する人には、クオリティに関係なくただ3割だけ女性を選出する、頭数だけ揃えればいいという考え方はおかしいといいます。
そうする事で、クオリティが下がってしまうと。ドイツでも同様な議論があります。
いい人材がいなければ、それは仕方ないんだから、10%でもいいのではないかという考えです。
そしたら、社会は変わって行かないですよね?
本当にクオリティがないと、なぜ言えるのか?3割入れると言えば、元々1割しか入れないから、諦めていたのに、3割入れるとなれば、有能な女性が手を挙げてくれるだろう、と。
鶏か卵かの論争で、ドイツでよく言われているのは、制度は作れば人は集まって来るということ。
だから、人が集まらないから、制度を作らないという考えは、僕は間違っていると思います。
やはり、最初に割合を決めて、10年間で3割を目標に、15年間で4割、20年間で5割にするというロードマップを作ってしまえばいいと思います。
—–ではなぜ、日本はこんなにもクォータ制度に対して、出遅れておられるのでしょうか?
舩橋監督:ある年齢層の政治家が、議席を譲らないからですよね。
国会での議論の中心は、「そんな人材は、日本にはいない。」と、結論づけます。
「政治を任せられる3割の女性議員は、本当にいるのか?せいぜい1割が、精一杯だ。」と。
—–既に、そこで差別が起きておられますね。
舩橋監督:そうなんです。
—–「女性にはできない。」という考え方こそが、国全体を遅れさせておられるのですね。
舩橋監督:「できない。」と言うよりも、もっと現実的で、「いない。」と言うんです。
「そんな議員は、いない。」と。
女性議員が、活躍できるようなシステムにしてないんですよね。
—–国会そのものが、何もしてないんですね。
舩橋監督:子育てしながら、政治家になれるとか。
有給が取れる職場であったり、9時~17時で働けるような現場ではないなど。
政治家だって、女性が参加できる体制になっていないんです。
社会体制を丸ごと変えて行かないといけない問題が、あるんです。
根深い問題なんです。
—–根深すぎますね。環境整備を本気で取り組んでいかないといけないですね。セクハラ問題だけに留まった話では、ないですね。
舩橋監督:だから、この映画のテーマは、「セクハラ」と言うよりも、「ジェンダー不平等」と言う言い方にしております。
この作品は、「ジェンダー不平等」の映画なんです。
この問題が、あらゆる所から出てきております。
例えば、この作品では野田という男性もいましたが、男が中心の世界でずっと下駄を履かせてもらって来たから、なぜセクハラをそんなにギャーギャー騒ぐんだ、おかしいだろ、という意見を持っている人です。
男性中心社会の考えにおかされてしまっている人々が、話をしているのを皆さんにそのまま受け止めてもらって、なぜこうなってしまったのか、と皆さんに考えてもらうきっかけに映画がなってほしい。
それは、現実の写し鏡であって、あなたの生きている世界なんですよ、と。
ではどうすれば良いのか、という事を考えて欲しいんです。
—–ラストにおいての、その「正しさ」についてですが、監督自身が考える「正しさ」とは、何でしょうか?
舩橋監督: 唯一言えることは、被害者を守るシステムを作ることです。
日本人が苦手なのは、ディベートの時間感覚です。
全体を俯瞰して、何にどれだけ時間を割いて、ポイントをついて要領よく話すことです。
国会中継でも、永遠と取るに足らない討論をしていますよね。
本当に、あの国会中継の議論は、何とかならないのかなと感じながら、ずっと観ております。
日本人は本当にディベートが苦手なんですよね。
—–下手くそですよね。
舩橋監督:ディベートをする訓練を、子供の頃から培われてないんです。
—–学校にも、そのような授業は、ないですよね。
舩橋監督:授業がないから、ディベートの訓練も子供の頃から形成されてないんですよね。
よくあるのが、ディベートで反論すると、「彼は私のことが、嫌いなんだ。」と、感情で受け取ってしまう人いますよね。
感情と論理がぐちゃぐちゃになってしまい、「彼は反対するから、ムカつく。」とか。ムカつく感情と論理とは、まったく別物で、論理のみでディベートする文化が日本には根付いてない。
それを政治家でも、一般の大人でも、できない人が多い。
そういう訓練をしていかないから。議論を正しくできる大人を増やす事です。
—–監督自身、作品のコメントにおいて、「人間の弱さと愚かさが、露呈した大混乱の後、本当に大切なものは何か」と仰っておられますが、監督自身が思うその「大切なもの」とは、なんでしょうか?
舩橋監督:それは、言えません。
それは、映画を観た人が、考えて欲しいと思っております。
それを言ってしまうと、映画を観る答えを言ってしまいますので、作品を観て頂きましたら、自ずとその「大切なもの」は、見えて来ると思います。
—–最後に、本作『ある職場』の魅力を教えて頂きますか?
舩橋監督: 一人一人のキャラクターに少しずつ感情移入ができますが、決定的に感情移入できる人が、誰一人いない所。それが、映画の魅力になっております。
—–貴重なお話を、ありがとうございました。
映画『ある職場』は、9月10日(土)より第七藝術劇場にて公開中。また、9月24日(土)よりシアターセブンにて1週間の上映予定。
(※1)ガラスの天井https://jinjibu.jp/keyword/detl/548/(2022年9月8日)
(※2)マスターマインドhttp://n-hill.com/knowhow/%EF%BD%8B-02/(2022年9月8日)
(※3)クォータ制とは?【メリットデメリットを簡単に解説】https://www.kaonavi.jp/dictionary/quota-system/(2022年9月8日)