映画『なん・なんだ』「世代によって、作品に対する捉え方が違います」山嵜晋平監督、女優三島ゆり子さんインタビュー

映画『なん・なんだ』「世代によって、作品に対する捉え方が違います」山嵜晋平監督、女優三島ゆり子さんインタビュー

2022年2月9日

映画『なん・なんだ』山嵜晋平監督、女優三島ゆり子さんインタビュー

なん・なんだ製作運動体

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—–結婚40年という設定には、何か意図や意味など、ございますか?

山嵜監督:その年代の方の結婚生活を描こうと思って、この設定で作品を作りました。70前後の方を描こうというそもそもの入口を持っておりました。

—–映画『なん・なんだ』のシナリオを読んだ時に、設定や物語に感じることはございましたか?

三島さん:感じると言いますか、私の役柄は大して大きな役ではなかったんですが、ストーリーが凄く面白かったんです。マネージャーには「とても面白い脚本ね」と、お伝えしました。本を読んで、面白いと感じました。とっても面白い作品です。

—–奈良をロケ地に選んでおますが、「奈良」に対する何か特別な想いはございますか?

山嵜監督:深い想いはあります。美智子というキャラクターは、脚本家の中野さんがお作りになったんです。

台本の初期段階では、死んでいたバージョンがあったんですが、やっぱり生きていた方がいいと言うことになりました。

生まれも育ちも奈良でしたが、実は僕は「奈良」から出たいと思っていました。

昔からずっと、出たいと思っていたんです。そういう気持ちをずっと、持っていました。高校卒業した18歳の春に、アメリカに渡米したんです。

アメリカという国が、本当に凄かったんです。広い海を飛んで、広大な陸地を渡って、とても感動したんです。

同じ街にずっといることが、何となく小さく感じたんです。本当は、昔からずっと、奈良から出たかったんです。

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—-外に出たいという気持ちもおありでしたが、改めて「奈良」で撮ろうとされたんですね。

山嵜監督:その時の自分と、美智子の思いを乗せようとしたんです。映画って、全部が具体と現実じゃないですか。

最後には、神事的なところもあるじゃないですか。神憑りと言いますか、映画を信じてそのように観えたということも、たくさんあると思うんです。

だから、そういう点で言いますと、自分で奈良で撮るということは、何か分からないものが絶対出ると信じておりました。

そういう意味で、その感触で美智子を作ったからには、奈良で撮りたいなという気持ちはありました。酒造りの映画を撮った時に、「なるほど」と思ったことがあるんです。

甘さや糖度をコントロールしようと思ったら、コントロールできるらいしんです。

それをせずに、その時のお米や酵母で、作って出来た味が「今年の味」になるんです。最終的に、神様が作った味がいいとなるらしいのです。

人生が豊かになると、酒造りをされている方が言ってたのです、映画もまた、そういうところがあると思います。全部が脳内でコントロールしても、絶対面白い作品にはならないと思います。

分からないけど、ふんわりできる奈良で撮ることが、作品と乗っかると感じました。前作『テイクオーバー・ゾーン』もまた、奈良で撮影したんです。

自分では感じれないところが、ちょうど乗っかった気がしていて、だからこそ「奈良」で撮ろうと決めました。

—–三島さんから見て、「絹代」という人物は、どのように映りましたか?

三島さん:そうですね。あのようにしか生きてなかったので、しょうがないのかなと思います。あの家でしか暮らしてないですし、あんまり幸せそうには見えなかったですね。だって、結婚もしてないですし、あそこで犠牲になって暮らしたみたいなことを言ってますよね。それこそ、彼女は奈良が好きな方だったのではないでしょうか。

—–憎い人物ではありますが、憎めないのかなと思います。彼女のバックグラウンドを想像したら、ああいう感じにならざるを得かったのかなと思います。

三島さん:憎い訳ではなくて、かわいそうな方なんですよね。妹の美智子が、悪いでしょ。この妹のような性格だったら、私だって手こずったと思います。親のこと言っても知らん顔するし。

—–そうですね。わがままな人物に映りますね。

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三島さん:この方には本当に手が焼いてますからね。今更、旦那が訪ねてきても、相手にはできないですよね。実の妹がもう危ないと言われても、過去の話でしかないですから、全然自分の中では気にかけることのできない人物だと思います。

—–監督は、20代、30代のスタッフと作品を製作されたという事ですが、物語に対しての若い方の意見や考え方は、どのように生まれたのでしょうか?プレスを読ませてもらったら、たくさんの意見が出て進まなかったというお話を読ませて頂きまして。

山嵜監督:結局、話全体や登場人物たちの行動が、若いスタッフには分からないということなんです。

—–年齢や世代が違うと、なかなか理解し合えない部分もあると思います。

山嵜監督:なんで、この人物があんな酷い言い方をするのかとか、こっちの人もめちゃくちゃな行動するやんとか。この二人、もう少し会話したらいいのにとか。

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—–この夫婦の心が、すれ違っているんですよね。恐らく、結婚してからか、結婚後どこかのタイミングですれ違いが生じているのかと思います。

山嵜監督:結婚したからこそ、喋らないこともありますよね。

それは、何年も重ねてきた結婚生活や時代の何かで、気持ちの変化があったと思います。僕達は、彼らが30代で何があったとかって、なかなか想像できなかったのです。

スタッフは皆、独身が多いというのもありました。登場人物たちの感情を理解できない分、撮り方にも変化がありました。

結局、この場面は悲しいのか、嬉しいのか、腹立っているのか、一体何なのかが、分かりにくいんですよね。

そういう場面での気分が、若いスタッフだと乗りにくかったんです。バシッと、分からない部分もありました。

三島さん:若いスタッフたちも、そのように疑問に思ったりする事もあるのね。考えるだけ、かわいいですね。

山嵜監督:撮影部と照明部と演出部は皆、同級生なんです。だから、とても話しやすいんですよね。

三島さん:だけど、私のいた東映だと、そんなこと言ったら、監督に怒鳴られてましたよ。「皆、黙ってやれ」て言われて、動いているんですよね。チーフが指示を出せば、その通りにしないといけないんですから。

—–この場面の意図が分かりません、と言えないのですね。

三島さん:そんなこと言ったら、ダメですよ。

山嵜監督:そんな複雑には、考えないですよね。

三島さん:だから、今の若い方たちは凄いですよね。なぜ、ここがこうなるとか、あぁなるとか、と考えることが、昔は許されなかったんです。

山嵜監督:今回は本当に、試みとしてプログラム・ピクチャーも撮っているんですよね。アイドル映画なんですが、この作品の場合は反対で、右向いて話してと指示を出すんですよね。そういう現場もあると思うんです。

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三島さん:昔はそんなこと、よくありましたよ。

山嵜監督:今回においては、それが嫌だっだです。しかも、実際の年代の方に演じてもらってるから、多少の指示はありましたが、僕が口を出すよりも、もっと自然にやって欲しかったのですね。

だから、烏丸さんもそういう風に仰ってくれてました。彼女も指示の多い現場に当たることが多かったようです。

三島さん:昔は、そうでしたよ。それが、当たり前の時代でもあったんです。

山嵜監督:僕も実際、そんな現場は経験しています。そういうところで育てられました。でも、そんな雰囲気でいいのかなと思っているんです。僕らの世代は。なるべく、僕は指揮者をしたいんですよね。楽器は吹きたくなくて、みんながベストなコンディションを作る上で、何をできるかを考えることがしたいんです。今回は、キャストやスタッフのおかげで、とてもいい現場となりました。

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—–主人公の姉という立場から考えて、あの夫婦の関係には、一体何が足りなくて、すれ違ってしまったと思いますか?

三島さん:ひとえに、この美智子には腹立ちますよね。妹には、本当に腹が立って仕方ありませんでした。「なん、なんだ」と。

どんな夫婦生活かなんて、知らなかったわけですが。また違った空気感があって、まったく乗ってこなかったのですね。勝手なことをして。

ある時期から、妹とは思ってないみたいな。家族のために、彼女はずっとあの家に暮らしてる訳ですので。だから美智子は、どんな男性と結婚しても良かったんですよね。

ただ、旦那も同じようなことをしていることに対して、彼女もイラッとしていたと思うんです。「たまには、お墓参りにも行けよ」なんて、声をかける男性でもなかったと思います。

それが、あまり好きじゃないという感情だと思うんです。

山嵜監督:なるほど。とても、興味深いですね。だから、お姉さんの視点なんですよね。考えたら、お姉さんである絹代の視点なんて考えたこともなかったです。

製作中も議題には登らなかったですね。僕より年上の方の感想って、聞く機会がなかったんです。年下や同年代の意見が多かったので、どちらかと言えば同情的な考え方が多かったのです。確かにね。

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—–プレスを読ませて頂きまして、20代の頃にロケハンしている中で、自殺しそうなおじいさんのお話を読ませて頂きまして、誰にでも「死」や「老い」って来ると思いますが、監督自身が思う「死」や「老い」とは、どのように感じておられますか。

山嵜監督:僕自身だけのことでもいいのなら、大丈夫ですか?

—–大丈夫です。

山嵜監督:僕は20代の頃、「葉隠入門」を愛読しておりました。三島由紀夫の評論・随筆です。

毎日、虎に体を食わして、自分を毎日殺してから、一日一日生きていくと、何も恐れずに生きていけるという武士道があるんです。毎日、自分を殺して生きていくといいよ、という話があるんです。

毎日、虎に体を食わせる想像をしてから、生きていくと。生きるとか、死ぬとかはあまり考えなくて、死ぬ時は死にますし。

怖くなくなるためにと言いますか、死ぬことが怖いと思って生きていると、そっちに意識を取られがちですよね。いつか人は死にますので、その恐怖を克服した日々を送った方が有意義なのではないかという武士たちの思想があったんですね。

三島さん:武士道精神なのね。

山嵜監督:そうですね。だから、死ぬ時は死にますので。

—–そういう「死」や「老い」に対する、恐怖心は持たれてないのですね。

山嵜監督:自分自身に対しては、そういう考えを持っていますが、映画で関して言えば、それを言ってしまうと身も蓋もないのですが、映画では生きているということが、どう死んでいかないといけないのか、どう死ぬのが人として幸せなのか、というところが入口にありました。今回の映画に関してだと、僕自身の気持ちの迷いを作品にしています。

—–本作『なん・なんだ』の魅力を教えて頂けますか?

山嵜監督:作品を通して、色んな世代の方とお話できるんですよ。20代のカップルは俯いて、「カップルで鑑賞するのは、気まずかったです」ってコソッと男の子が、感想を言って、帰ったり。色んな世代や立場の方たちにとって、見え方は違う作品なんですよね。人の観る角度によって、色んなことを考えたり、感じれる多色で、魅力的な作品かと思います。

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映画『なん・なんだ』は、1月28日(金)より京都シネマにて公開中。また、2月12日(土)より第七藝術劇場にて公開開始。順次、元町映画館にて公開。