映画『アディクトを待ちながら』「「待つ事」が非常に大事」ナカムラサヤカ監督インタビュー

映画『アディクトを待ちながら』「「待つ事」が非常に大事」ナカムラサヤカ監督インタビュー

2024年7月8日

映画『アディクトを待ちながら』ナカムラサヤカ監督インタビュー

—–まず、映画『アディクトを待ちながら』の制作経緯を教えて頂きますか?

ナカムラ監督:最初、私にワークショップの話が来たんです。俳優さんの為に、ワークショップを行う依頼が来ました。私自身、大学では教育学部の出身なので、演技の勉強をしていた訳ではなかったので、俳優さんに演技を教える事に 非常に抵抗があるんです。なので、私のチームのスタッフたちが、どうやって映画を作るのかを 体験するワークショップなら、どうでしょうか?と提案させて頂きました。最初、ワークショップ用には、ちょうど20分か30分くらい の短編を作るつもりで依存症をテーマにシナリオを書いたんです。その脚本を書いて、4日間のワークショップを経て、作品の出来が いいので、「ぜひ出資をするので、長編にしてください」という お話があり、今、「ギャンブル依存症 問題を考える会 」の方から100%の出資の元、映画館で上映できる尺になるように、ワークショップで作った部分はそのままにしてシーンを追加して、3日ほどで 加筆して、その後4日間ほどで撮影を行い、出来上がったのが今 の82分の本作となります。

—–ギャンブル依存症(※1)は、まさにタイムリーですね。

ナカムラ監督:本当に、その通りです。この作品を撮ったのは、一年半以上前ですが、私はその前から 「ギャンブル依存症問題を考える会」の方と一緒に依存症の啓発のためのドラマを作っていたんです。私はずっと、取り組んで来たテーマでしたが、それでも、今は本当にびっくりしています。私が初めた頃は全く、知られてなかったのに、今では日本中のニュースで言う言葉になるとは、考えてなかったです。

—–まさか、ここまで大きな問題になるとは想像していませんでした。また、ギャンブル依存症が、単なる依存症なのか、病気なのかという議論も、話が膨らんで行き、依存症という存在が一筋縄では行かない現状になっていると思います。たとえば、依存症とは、どちらかと言えば、病気より も、本人の気持ちや意志の問題と言われている中、 依存症の方の今までの不摂生が原因で、借金に手を付けたり、薬に手を付けてしまう。たとえば、薬物依存についても、きっかけの中には、自身の意思でなく、騙されて行った場所で、薬漬けにされてしまう話もあります。それは、本人の意思で薬物依存になった訳ではないにも関わらず、社会では依存症自体が悪だと決め付けている世の中が、果たして、それが正解かどうか。当事者の側面や体験を知らずに、表面だけで依存症がダメと決めつけるのではなく、もっと知る事はたくさんあるのではと思っています。
—–ではタイトルの「アディクトを待ちながら」ですが、私はこのタイトル を目にした時、不条理劇で有名な演劇「ゴドーを待ちながら」を思い出しました。たとえば、この「アディクトを待ちながら」にどんな思いを込めて、このタイトルにされましたか?

ナカムラ監督:まず「アディクト」という言葉が、まだ一般的ではありません。英語で直訳をすれば、「依存症者」 という意味になりますが、私が4年間、アディクトである彼等と交流をして いく中、本人達は自身の事をアディクトと呼ぶんです。依存症者と日本語で呼称するより、英語で言っている方 達が多くいます。依存する事を英語で「アディクション 」と呼んでいます。その感覚や感じ方がもっと、浸透したらいいなと思っています。実は、「アディクト」は、アメリカでは非常に研究が進んでいて、その回復への道筋が明確に示されているので、回復に繋がる人はとても多いんです。でも日本は、依存症と関連付けると、とても精神が病んでいる人がなるものみたいな印象を持たれがちです。最初から何かに欠損がある人が依存症に陥りやすいイメージがあって、そして、それに依存してしまうと、立ち直れず、人生辞めますか?そんなイメージが あると思うんですが、欧米の考え方は日本と全く違うんです。逆に、回復のステップを踏んで、回復して来た人達で、みんなから賞賛される存在になるんです。アメリカと同様に日本でも、きちんとアディクトが回復に繋がる道があるにも関わらず、なかなか繋がらないんです。それは、やはり少し良くないイメージを持ち、自身の子どもが依存症者という事実を隠したい家族もおられます。様々な社会情勢と社会状況が あると思うんです。この「アディクトを待ちながら」というタイトルの「アディクト」 の単語をどう しても入れたいと思ったんです。たとえば、テレビやラジオの電波を通して、この「アディクトを待ちながら」 が聞こえるだけで、興味を持ってもらえるタイトルを耳にするだけで、少しは社会が変わるような気がして、このタイトル を付けました。実際、まさに「アディクト」を待っている映画という内容そのものです。それ以上の 広い意味をきっと持ってくれるだろうと思って付けました。

—–お話をお聞きしてグッと来るものがありました。アディクトという単語の意味は、別の方のインタビューをお聞きして、意味そのものは知っていました。では、「依存症者を待ちながら」 とは、どう いう意図なのかなと深く考えたんです。依存症者を待つとは、どう いう意味なのかずっと考えていたんですが、今明かされました。回復するであろう人をずっと待っている(期待している)。

ナカムラ監督:その回復を、アディクトを待つ事が、非常に大事なん です。

—–長く時間がかかりますね。

ナカムラ監督:でも私たちや周り の人達ができる一番の良い方法は、「待つ」という事です。

—–それが、社会全体でできれば、本当にいい事ですね。本作は、依存症に焦点を当てていますが、〇〇依存には中毒性に関わらず、たくさんあると思うんです。たとえば、私自身の話をすると、映画依存と言いますか。中毒ではないですが、映画依存をギャンブル依存症や他の依存症と並列させて話題に上げるのは、少し誤りがあるかもしれませんが、日常の中に様々な依存症があると思いますが、監督はこの社会にある様々な依存症をどう捉えておられますか?

ナカムラ監督:まず、遺存症の病気になる人、一定の医療的な基準があるんです。大きな事は、それだけになってしまって、他の社会生活に支障を来す恐れがあるかどうです。支障を来たしたら、それはまず病気であり、一個の判断基準にある。嘘を付いてまで、それをしようとするんです。色んな理由を付けて、嘘をついてまでもギャンブルしようとする。いくつかの項目があるんですが、その項目に当てはまると、やはり依存症だと判断されて、医療機関や支援機関に一人では到底立ち向かえない病気です。

—–他の依存症と肩を並べてしまい、大変失礼致しました。それでも、大かれ少なかれ、病気でなくても何かに依存しないと、人は生きて行けないと思うんですよね。

ナカムラ監督:アディクトの方も、私達も何かがあるから生きて行ける事もあると思うんです。私もまた同じで、映画があるから今まで生きて来られたんです。私のおじいさんが映写技師だった事も含めて、 私自身は映画館が大好きだし、映画館でアルバイトしていました。たとえば、私の少女時代はものすごいいじめを受けていましたが、映画があったからこそ、自分で今を生きようと思って、今を一生懸命生きると決めて、乗り越える事もできました。この業界を目指すきっかけになったのも、私の大好きだった映画を大きなスクリーンでリバイバルで観た時に、私には映画もあるから死ぬ前に映画にチャレンジして死のうと思ったんです。だから、今の私はここにいると言うように、多分いろんな人にとって、何かがあったから生きて行ける事が、いっぱいあると思うんです。実は、アディクトもまた、たとえば薬物依存だった場合、自身の置かれている苦しい状況に対して、立ち向かうために依存したから、日々が生きられたと言う人達なんです。それがあるから、生きて来られた人達が非常に多くて、その社会上の家族関係や会社関係、人間関係によって苦しんで、それがあるおかげで、頑張れる人達がいっぱいいます。今、違法じゃなくても、処方薬依存がありますが、現在、非常に問題視されていますね。オーバードースをする高校生や若い子の問題もありますが、でも彼ら/彼女らには、それがあるからこそ、明日も生きて行けるんです。依存症を解決するには、今、その苦しい状況を解決しないと無理なんです。

—–蓋をしちゃいけないですよね。

ナカムラ監督:一体、自分がどんなところに穴が開いていて、そこを埋めるために、一人じゃなくて、みんなで立ち向かって行きましょうと、回復のステップです。

—–依存症を患うかは、紙一重ですよね。

ナカムラ監督:本当に、その通りです。何かが起きたら、みんな転落してしまう可能性や確率は、みんな持っていて、たとえば、パートナーや子ども、親だって依存症になる可能性はあります。どの人にもあるのが依存症の恐怖だと捉えています。

—–私はたまたま、そこに映画があっただけなんです。映画でなくても、そこに薬があったから、薬に行ってしまう。目の前にギャンブルがあるから、ついそっちに流れてしまう。目の前にお酒があったから、飲んでしまう。意思が弱いと、それを止める事ができないからこそ、支え合い、理解し合う事が大切なんですね。

ナカムラ監督:「せめて、今日一日、もうやらない。せめて、一緒に今日一日だけ、我慢してみようよ」と言ってあげられる仲間が大事です。

—–互いを支え合う事ですね。それは、アディクトの方だけではないと思うんですよね。人間、皆、弱い生き物だと思うんです。その弱さを認め合う事が、その次の一歩に繋がるのかなと思いました。少し古いデータですが、2017年のデータでは、薬物使用者が全人口の216万人いると言う数値として発表されましたが、このデータも本作の問題も、全体における氷山の一角だと私は思うんです。それより、もっともっと目に見えない事案もあり、気づかれていない方もたくさんいると思うんですが、この問題における内側の当事者の苦しみは、ほとんど知られていないと言うのが、現状だと私は思えます。本人達が抱えるこの問題に対して、私たちはどう向き合って、接して行けばいいと思いますか?

ナカムラ監督:このタイトルにあるように、「待つ事」が非常に大事だと思います。

—–それを取り組むには、日本ではまだ、難しい部分が残っていると思います。

ナカムラ監督:もしまだ、どこにも回復機関に繋がれてない方がいたとしたら、まず私達が知って、回復できる機関に繋げてあげる事です。本当に、依存症というのは、なかなか大変な病気なので、きちんと、医療機関や回復機関に、そして専門家に繋げてあげる事。よく親の愛で治そうとする方がいます。また、奥さんが自身の愛で治そうとする現象は起きがちですが、愛でガンは治せますか?依存症は、ガンと同じで、脳の形が変形してしまっているんです。ちゃんと治療しないと、ガンは愛では治りません。この感覚が、まだ理解されていないんです。私が、これだけ尽くせば、治るんじゃないかと思われている方も大勢いて、でも「あなたのせいじゃない」。あなたにも治療は、難しいんです。パートナーや家族の治療は、できません。だから、きちんと地域に根ざした自助グループや社会福祉センターを紹介してあげる事です。そういう場所に相談に行く事。たとえば、パートナーがアディクトっぽいと感じたら、まずご自身が相談に行ってあげる事です。周りの人が変わると、アディクトは必ず変わって来るんです。

—–でも、本人も依存症に気づかない人もいますし、周りも依存症なのかどうなのか、分かんないじゃないですか。それをどうやって、気づいてあげられるのかが、今問われているのかなと思いますが、その点はどうお考えでしょう?

ナカムラ監督:その為には、エンターテインメントの力が必要不可欠だと思います。

—–知ってもらう事ですね。

ナカムラ監督:何でもそうですが、知らないものは怖いんです。でも、それをただ知らないだけなんです。知らないから変な感情論に振り回されちゃいますが、そうではなくて、科学的にどうすれば良いか知ったら、それをただ教えてあげればいいだけです。映画には、そんな側面が非常に強いと思っているんです。私は、映画に感動して、今まで生きて来たんです。映画には、学びがあるんです。私の監督としてのコンセプトは、「90分で人生を変えます」と言うコンセプトがあり、映画を観る前と見た後で、その人の社会を見る目が変わる事になってくれたらいいと思って、私が映画で救われたように、映画を作っているんです。本当にエンターテインメントが、その目的で 一番浸透させられるものだと思っています。

—–映画には、二つの側面があり、エンタメの側面と社会的な側面とが。私はどちらも好きですが、どちらかと言えば、社会的な映画が非常に好きで、どちらを通しても、メッセージを盛り込み、伝える事ができますね。エンタメを通して、社会的な事も伝えられます。また、社会的な中にもエンタメもあります。
—–アディクトの帰還、帰って来る事を待つ事が、大切だと改めて、そのお話をお聞きして感じました。病気が悪ではなく、回復する事。何年かかってもいいから、回復する事が、その人の人生に大切な事ではないでしょうか?と思います。でも、どれくらいの期間を要するのか?それはもう、その人次第ですね。何度もスリップして、その世界に舞い戻って行く方も、たくさんおられますよね。

ナカムラ監督:それは、それだけ、その人の人生が辛かったんですよ。そうしないと生きて来られなかったんです。辛ければ、辛いほど、依存が強い訳だから、だいたい生まれ持った環境は選べないですよね。全員、最初は子どもだったんです。そこに生まれ落ちたその環境にいるのは、どうしようもないですよね。そこから、自分が自分でやれる事とやれない事が、あるんです。その中で依存する事によって、今まで生きて来たんだよ、よく頑張ったなって…。

—-褒めてあげる事。

ナカムラ監督:頑張ったねと、認めてあげる事。もしスリップをしたなら、正直に言える環境を作る事。それが、本当に大事な事と思っています。

—–でも正直、依存症は今の社会的な側面で言えば、世間の見方では同じ過ちを繰り返し、再犯を犯す姿が実社会でも、特に芸能の世界でも、マスコミによって大衆の目にさらされています。世の中にはスリップする事への不信感が起きていると思いますが、世間では本人の再起に懐疑的な一面もあるのかなと、私は正直、思わざるを得ません。ただ当事者が立ち直るのを、私達は信じるしかないと思うんです。スリップから再起する。この点、監督はその人達の再起について、何かお考えはございますか?

ナカムラ監督:まず、その再起して来たアディクトは実は、一般社会にはたくさんいるんです。だけど、「元アディクトだった」 と言ったら、変な目で見られるから、皆さん言わないだけなんです。それを言わないから、回復できるって、みんな知らないんです。そこで、立ち上がってくれたのが、本作主演の高知さんと橋爪くん。本当は、それが自分の与えられた使命だなんて思って活動していらっしゃるんです。それを見せてくれるようになったのは、今までいなかったと思うんです。知らない間に、復活されている方もいますが、高知さんは本当に、すべて自分の心の内をSNSを介して、毎日つぶやかれていますが、その姿を見せて行く事が、まず本当に希望を与えて、実際、一般のアディクト達にも、高知さんが今日一日、頑張ったと、ならば俺たちも頑張ろうと思ってくれるでしょう。家族には、共依存という依存症になるんです。家族の自助グループもありますので、アディクトを回復に繋げたいとしたら、家族も一緒にその自助グループに通って下さいと言われているんです。家族同士、それは何をするかと言えば、タフな愛を学ぶ場です。それが何かと言えば、待って見守る事です。それが、愛なんです。たとえば、ギャンブル依存症で、借金がいっぱいありました。お金貸してくれと泣き付かれて、「これでもう最後にするから、お金貸してくれ」と言われても、お金を貸しちゃいけない事をちゃんと学ばないといけません。お金を貸さない、それが愛。お金を貸して尻拭いしてあげたら、その人はまた絶対に、同じ事を繰り返すんです。自分の意思ではもう止められない病気になったから、それで回復に繋がるチャンスを逃してしまったら、さらに、依存症が深くなっちゃうんです。だけど、家族の人達は待てなくて、お金を出してあげちゃうんです。頑張って耐えている人達に対して、「大丈夫なの?ちゃんと やっているの?」と言っちゃうと、待てない人が多くいます。でも、心配ですよね。親だから。息子は、どうなっているのか心配ですよね。もしかして、お金がないから、どっかのお店に強盗に入って、お金を取っちゃうかもしれない。すごく不安なんです。自分の 息子が、犯罪に走るかもしれない。だけど、待たなきゃいけない んです。それが、愛なんです。と、教わるんです。家族達は皆、如何に、今のつらい状況であるか をちゃんと分かち合って、同じ立場の人達が、皆でまず訓練をするんです。それが、非常に大事になって来て、 やはり家族が待てた人 達のアディクトは、復活して来るんです。もう少し気軽に相談できるようになったら、いいですよね。

—–最後に、本作『アディクトを待ちながら』が、世間にどう広まって欲しいと、何かございますか?

ナカムラ監督:本当に、社会の事象や事件ですが、たとえば、事の裏には「アディクション 」が隠れていると思っています。何かの裏には必ず、依存症を持つ人達が絡んでいると思うんです。かつ、依存症は生きづらいから、依存症になるんです。今の現代社会の生きづらさを抱えている人は、ゴマンといると思うんです。特に、これから未来を作って行く子ども達の自殺率がこんなに多い国は、非常に重く感じる私の悲しみです。こんな社会になってしまった、と感じる悲しみがあるんです。けど、その子達も依存症だけじゃない、失敗しても、誰だって失敗する事、間違う事があるんだよと。本当に、本当に、道を外れてしまう事もあるけど、その時気づいて、戻って来ていいんだよ。戻って来られるんだよ。それこそ、リカバリーカルチャー(※2)がもっと広まって欲しいと思います。若い世代には、特に感じて欲しいと思っています。小さい子達にも観られるように作っていますので、小学校高学年から理解できると、私は思っています。親子と一緒に来てもらっても、嬉しいです。学校の体育館で上映してもらっても嬉しいです。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『アディクトを待ちながら』は現在、関西では7月6日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて一週間限定上映中。7月5日(金)よりアップリンク京都でも公開中。また、7月12日(金)より大阪府の扇町キネマにて1週間限定上映。7月27日(土)より兵庫県の元町映画館にて上映予定。

(※1)「地位も名誉も失っても」ギャンブル依存症の怖さ「意志の問題」ではなく「病気」という認識を持つhttps://toyokeizai.net/articles/-/746574(2024年7月6日)

(※2)日本にも「リカバリーカルチャー」を作りたい 依存症からの回復者を賞賛する社会へhttps://addiction.report/NaokoIwanaga/teidan202401-4(2024年7月6日)