映画『信虎』「お声がかかれば、どこにでも。生涯現役を貫く。」 寺田農さんに単独インタビュー

映画『信虎』「お声がかかれば、どこにでも。生涯現役を貫く。」 寺田農さんに単独インタビュー

2021年11月12日

映画『信虎』 俳優寺田農インタビュー

©Tiroir du Kinéma

インタビュー・文・構成 スズキ トモヤ

11 月 12 日(金)より、全国のTOHOシネマ系列にて、上映開始の時代劇映画『信虎』にご出演されている大ベテラン俳優、寺田農さんにインタビューを行いました。

戦国時代に生きた武田信玄の父、武田信虎の晩年を描いた本作。

今まで武田信玄を題材にした映画やドラマがあっても、父親「信虎」にスポットを当てた作品は、あっただろうか?

今回、その「信虎」をなんと36年振りに主演を務めた寺田農さんに主役について、撮影の裏話について、そして自身の役者人生について、お話をお伺いしてきました。

©ミヤオビピクチャーズ

——本作『信虎』の見どころをお聞かせ頂けますでしょうか?


寺田さん:よく皆さん「見どころは?」とお聞きになりますが、例えば10人がご覧になって、10人とも感想が違うわけですよね。

あなたにとって、印象的な場面があると、そのシーンが見どころである上、私達がオススメする見どころであると言うことです。

すべてにおいて、人によって感じ方は違いますよね。ここを観て欲しいなんて、少なくとも僕にはありません。

つまり、皆さんにとっての「ここがいい、あそこが嫌い」そういう好き嫌いがあるのも、いいんですよ。

一番くだらないのは、初日の舞台挨拶なんて、一番、くだらないと思うね。

これから観るお客さんに向かって、何を言えと。観終わった後に「あの場面はどうですか?」なんて聞かれれば、色々話すことはできますよ。

上映後の挨拶はいいんですけど、上映前に「ここはぜひ、お見逃しなく」なんて言えないもんですよね。

だから「どうぞ、お好きにご覧ください」としか言えないですよね。舞台挨拶は、紹介だけで終わらせたらいいと思うんです。

人によっては観る前に、あの場面はこうだったなんて、観る前に全部話しちゃう人もいるんですよね。そういうのもあんまり好きではないんです。

「見どころ」と言うのは、人が観て感動する場面こそが、こちら側が伝えたいことですね。

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——今回、主演として武田信虎を演じられたと思いますが、主役に対する想いや意気込みがあれば、お聞かせ頂けますか?


寺田さん:それもよく聞かれる質問ではあるね。役者として色々演じているけど、お声がかかればいつでも駆け付けます。

けれども、お声がかからなければ、いくらあれしたい、これしたいと言っても、何も始まらないものです。

喜寿を迎えた77歳で、今回のようなお話を頂けるのは、大変ありがたい、「長生きはしてみるものだな」と、そんな感じですね。

僕自身、本を読むのが大変好きです。分野としてはありとあらゆる本を読んでいます。戦国ものでは、色んな作家の色々なモノを読んでいるので、輪郭としてはそれなりに掴んでおります。

ただ、この信虎と言うのは、息子の武田信玄に追放された悪逆非道のおとっつぁんというぐらいのイメージしかなかった。

脚本も含めて、時代考証された平山先生のご本なんかも拝読すると、極悪非道の一面だけでなく、違う顔もあったのではないかと考えられるわけです。

日本人は、ひとつの側面で人を判断する傾向があると思います。悪役とか、いい役とかね。何を持って、悪役なのか?いい役なのか?その部分をあまり口にしないじゃない。

その反面、信虎という人物は多面性のある人です。激動の戦国時代に甲斐の国を統一した人だからね。武将としても、戦略家としても優れている人物だよね。

政治家としては、当時すごい人だったんだよ。版図を広げることが、戦国大名としての狙いでもあるから、領民はいきなり兵に駆り出されて、帰国したら畑はグチャグチャに荒れちゃって、どうにもならない。

そんな一面もあったかも知れないけど、それが激動の時代を生き抜いていく戦国大名としてのある過程としては、仕方がないことだったかも知れないけどね。

人間は一面だけじゃなくて、色々な面から見れば、その方の違った顔も当然、見えてくると思うのよね。

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——そうですね。悪役にも良い一面もありますし、良い役にも悪い一面があると思います。人間、皆さん色々な面を持っていますね。

寺田さん:研究家・歴史家は、史実を基に歴史を検証していくのかが、彼らの仕事ですよね。

だけど映画は、史実だけをやるんだったら、ドキュメンタリーだよね。やっぱりドラマにしないといけない。

そう言う仕掛けの脚本(本)を書いていかないと、映画にはならないからね。

最初は、3倍ぐらいの脚本だったんだよ。どうなってしまうのかと、最初は感じました。

研究論文の再現ドラマとしては、完璧になるかも知れないけど、映画として劇場で公開するとなると、これは無理があるんじゃないかと。

監督の金子さんは、一番そこを気にされていましたね。僕も気になりましたよ。

宮下さんと3人で色々と話し合って、今回の完成作品に至りました。

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——信虎を演じる上で、何か気を付けていたことはございますか?


寺田さん:何にもない。演じる上で気をつけることなんて、何もないんだよ。

そのために一生懸命勉強するとかはないけどね。

ただ、いつも気にかけていることは撮影中に風邪を引かないこと。

ケガをしない。非常に具体的なことには、気をつけていますね。お酒飲みすぎて、二日酔いにならないとか。

私の解釈で演じても、しょうがないこと。監督が撮るんだからさ。そう言う表現はいらないと言われれば、その場で終わっちゃう話だからね。

とてもリラックスした状態で、まな板の鯉じゃないけど 「さぁどうぞ。新鮮でござんすよ。まだピチピチ。この77、78になっても、ピチピチの活魚で生きてまっせ」と言う気持ちが大事なんだよ。

そんな心構えで挑むと、監督自身料理しやすい。冷凍食品みたいな魚が、カチカチに固まった状態で、どうにもこうにもならない感じだと。

ならば、最初に解凍してからやろうよと言う手間が必要になってくる訳だから。役者に限らず、すべての仕事において、常に新鮮でピクピク動いていた方が、いいんだよ。

少なくとも元気でいる限り、まだまだピチピチで続け、刺身のままでも食べられる状態の自分を置いておきたい気持ちは、あります。

若い人とか関係なく、それが人としての魅力なんだよ。だから、心構えで一番大切なことは、構えちゃダメなんだよ。

全部、フリーのままで、「どうにでもして」と振る舞うのがいい。許し広げちゃう方が、自分にとっていいことなんだと思うんだよね。

ガードのキツい人は、自分でついバリアを張っちゃうんだよね。視野を広げることで、その方の新しい魅力が出てくるじゃない。

——撮影時、大変だったことはございますか?良かったことなど、ございますか?


寺田さん:大変なことなんて、何もないよ。なぜかと言うと、現代劇に限らず、時代劇も同じだけど、舞台の背景、ロケーションの場所。

本作の場合は、セットを使わず、由緒あるお寺をいろいろお借りしたわけだ。その何百年と続くお寺の柱や仏像や調度品なんて、すべて本物なんだよ。

ましてや肖像画も含めて、そういう貴重な美術品が、全部セッティングされているとなると、役者は頭を剃って、墨染め塗って、「さぁどうぞ」という感じで、苦労なんて一つもないし、楽しく元気にやらせて頂いたという感じだね。

——現場は、すごく楽しかったのですね。

寺田さん:すごく楽しかったですよ。ただ、苦労でもなんでもないんだけど、本物のお寺を借りているから、朝8時から夜7時までしか使えないの。

立派なお寺さんだから、その場所もすべて火気厳禁で、一切火は使えないんだよ。

寒いんだよね。衣装も薄いもんだから、衣装さん方にも良くしてもらいましたよ。

「ヒマラヤでも越冬できるぞ(笑)」と思えるほど、温かくしてもらえたから、まだいいですけど。そんな寒さもありましたね。だけど、そんなものは苦労のうちにも入りません。

だって僕以上に、合戦のシーンや道中に登場する一人一人の鬘や衣装の拵えを朝の3時半から準備するスタッフはみんな、大変だっただろう。

そういう意味では、僕よりも現場は大変だったろうと思いますね。でも、撮影現場はそんなものだから、誰も大変とは思ってないと思いますよ。


——撮影時期は冬場だったのでしょうか?

寺田さん:冬場だね。11月20日あたりに京都でクランクインして、12月の20日にクランクアップ。ちょうどひと月でしたね。京都だから、結構寒かったね。

——お寺は山の方だったのでしょうか?

寺田さん:山にも登ったよ。お分かりだと思いますが、お寺の中って寒いんだよね。外に出た方がよっぽど温かかったですね。

そのための寒さ対策は、スタッフの皆さんがいろいろ考えてくれていたので、まったく苦ではありませんでした。

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——もし信虎が生きていた時代に戻れるとしたら、彼とどんな会話をしたいでしょうか?

寺田さん:それはね、信虎のいくつの時代かにもよりますね。

この方は15歳ぐらいから動き始めて、そこから勇猛若武者で行って、後に、甲斐を統一するんだよね。

映画としては、息子の信玄に追放されて、33年振りに80歳で帰ってくる話だ。80歳の信虎に会ったら、「少し良く考えな」と一言言いたいですね。

貴方ほどの知識を持っている戦略家で政治の目がおありな方がですよ。

「貴方ボケてまっせ」と言いたいね。「もうちょっと、京都で大人しくしたらいいじゃないか」と。

「もう一度返り咲きを」なんて、ある種の老化現象、老いの始まりだね。

——80歳で返り咲きしようとされたんですね。

寺田さん:そう。言いたいことは、「おじいさんいい加減しなさい」ということだけだね。

それを「やるぞ」という姿勢が、いかにも信虎らしいよね。

僕は絶対やらないね。信虎と同じ歳になって、彼と同じ状況なら、行かないね。

ちょっと、もういいわと。勝頼に任せたよと言って、僕は京都で遊んでいる方がまだいいという感じだな。執着も妄執もないからね。

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——少し話を変えまして。寺田さんの長い俳優人生を振り返って、現在感じることなどございますか?

寺田さん:感じることはないこともないけど。物事を深く真剣に考えることが、若い時からとっても苦手なんです。

もういいやって思って、僕の人生の最大のテーマは、人間なるようにしかならない。

これはもう絶対、頑としてそう思う。ほんとう、人間はなるようにしかならないんだから。

足掻いたってしょうがない。だから、文句も言わずに、なんとか今日までやってこれたんだけど。ただ、日本の映画の状況って、ますます不自由になっていっているのかなと。

昔はもっと自由だったのよ。常にみんな、お金がなくて、潤沢な資金で製作できた映画なんてないんだからね。

だけど、ますます、状況は変わってきている。それと一番の問題は、娯楽と考えれば、昔僕たちの子どもの頃は、どんな小さな町にも映画館は、あった。

東京の板橋ってところにも、3つぐらいあったんだよ。人気の映画が公開されると、ドアが閉まらないぐらい観客が集まってね。劇場は常に満杯だったのよ。

タバコも吸えるわけだし。当時のことを子供心に想うけどね、映写室からパァーっとスクリーンに向かって光が当たるじゃない。

そこにタバコの紫煙が、何ともいい感じだったんだよ。今では考えられないけどね。小学生の頃は、夏休みに校庭で映画上映会も、あったんだよ。

でっかい白い幕を張ってね、そこで上映するんだよ。鑑賞中に風なんて吹くもんだからさ、その時の環境含めて、映画観るのが素晴らしかったんだよ。

だから、大学で教授しいてた頃、学生たちにも野外上映を体験してもらったよ。今の時代、外で映画を観る機会は減ってきていると思うから、子どもらに体験して欲しいね。

——現在、現役で役者業されていると思いますが、今後も俳優活動は続けて行かれますか?

寺田さん:最初に申し上げたように、お声がかかれば、「まだまだ新鮮な刺身はお届けしますよ」という気持ちだけはありますが、ですから早いところ声掛けて頂きたい。

僕も萎びてきますよ。そのうち、冷凍モノになっちゃう。

だから、オファーが来るのを待つだけだよ。僕はあれこれウルサイこと云わない。面白そうだと思ったら、何でも演らせて頂きます。

©ミヤオビピクチャーズ

映画『信虎』は、本日11月12日(金)より、全国のTOHOシネマ系列にて絶賛、公開中。大阪府ではTOHOシネマズ梅田TOHOシネマズなんばTOHOシネマズ鳳TOHOシネマズくずはモール。京都府では、TOHOシネマズ二条。兵庫県では、TOHOシネマズ西宮OS。滋賀県では、ユナイテッド・シネマ大津。奈良県では、TOHOシネマズ橿原。和歌山県では、ジストシネマ和歌山にて、上映開始。