ドキュメンタリー映画『華のスミカ』「中国系日本人。この言葉が日本で定着する社会に。」 林隆太監督に独占インタビュー

ドキュメンタリー映画『華のスミカ』「中国系日本人。この言葉が日本で定着する社会に。」 林隆太監督に独占インタビュー

2021年11月13日

ドキュメンタリー映画『華のスミカ』 林隆太監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

インタビュー・文・構成 スズキ トモヤ

本日11 月 13 日(土)より、大阪府のシネ・ヌーヴォにて、公開が始まるドキュメンタリー映画『華のスミカ』を監督した林隆太監督にインタビューを行いました。

中国と台湾が「二つの中国」として分裂した学校事件を背景に、監督自身の出自を辿る物語。

その「学校事件」や華僑について、撮影秘話など、ディープなお話をお聞きしてきました。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–作品全体を通して、監督自身が一番伝えたいことは、何でしょうか?

林監督:華僑は、日本の中でも地位は確立していると思います。日本社会で仕事を得ることや生活していくことが、昔と比べて不自由ではなくなって来ている。

自然と日本社会に入ってこられるようになってきている中、映画に登場する方々も日本人とまったく変わらない身近な存在として映したいという思いがありました。

ただ日本では、チャイニーズ・ジャパニーズという考えが定着していません。

肩書きとして「在日」という言葉が付けられたりもしますが、その在日という呼称や「華僑」という呼称自体に違和感を感じています。

両親ともにルーツが日本である日本人だけが日本人であり、それ以外は日本人とはちょっと違う人々、外国人として認識されているような気がするからです。

日本人には色んな日本人がいて、華僑もその一つだと思っています。そのような方々が実際、横浜という土地でどういう人物で、どのような歴史があるのか。

あまりフォーカスされて来ませんでしたし、そんな事実をなかなか知る機会がないと思います。日本には既に当たり前のように外国人がどんどん増えてきています。

海外のルーツを持った多くの人が日本に住んでいる今、本作を通じて日本社会にとっても身近な存在である華僑をきっかけにそのような方たちへの理解や認識を深めてもらえたらいいと考えております。

知ることが、その第一歩だと感じております。何も知らないことでレッテルを貼ったりもしてしまいますし、差別や偏見に繋がる恐れがあるのではないでしょうか?

だからこそ、最初に知ってもらいたいという思いは持っています。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–本作では、華僑の学校がふたつに別れた事件を題材にしておりますが、それを作品に入れようとしたきっかけは、何でしょうか?

林監督:実際、学校事件に対して頭からフォーカスを当てたいとは、思っていませんでした。

僕自身のルーツを知り、アイデンティティを確立したいと思い、この企画を進めて参りました。

その途中、ある新聞記事の中で中華学校時代の私の父が紅衛兵の格好をしてパレードをしている姿を発見しました。

その記事の中で「大陸系」や「台湾系」といった聞き慣れない文字を目にし、横浜には二つの中華学校があり、昔は一つの中華学校しかなかったということを意識するようになりました。

華僑の分離状態になった時代に僕の祖母や父は、横浜で暮らしていました。

何も華僑のことを知らずに育った僕にとって父たちがどのように暮らしてきたのか、家族の歴史だけでなく、華僑の近現代における生活史も知る必要があると思いました。

分離状態にあった横浜の華僑ですが、今は歩み寄り、共存の時代を迎えています。

両岸関係は度々注目を浴びますが、華僑は華僑で独自の道を歩んでいくことが重要と仰っていた方もいました。

先代の華僑が残してきた文化をどのように未来の子ども達に残していくかが大切だと私も思います。

華僑一世からすると日本は異国の地ですが、この地に根付き今は四、五世代目になります。

立場は違えどコミュニティを共有し、どう維持させていくかが華僑共通の課題です。華僑は中国人ではなく、華僑は華僑です。多文化共生を模索する国際社会おいて、横浜の華僑も共存の道を歩み出しています。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–撮影時に大変だったこと、良かったことなどございますか?

林監督:中華街で取材をしようと思い始めた頃、僕は華僑社会の外側つまり日本人社会で育った人間でした。

たとえ僕が華僑四世だったとしても、結局は華僑社会に生活の基盤を置いていない人間で中華学校にも通っていないし中国語を全く話せない、つまり華僑から見たら自分は「よそ者」と捉えられても仕方がないと思っていました。

だからこそ取材し始めてからも横浜中華街の華僑に受け入れてもらえるかな?という不安や心配がありました。でも、実際会ってみたら「君も華僑なんだね。どこ出身?」「自分も福建省だよ」なんて受け入れてくれる人もいました。

また「君のお父さんは、同級生だよ」と言ってくれる方との出逢いもありました。皆さん、同じ仲間として受け入れて下さったのが、僕はとても嬉しかったです。

今まで僕は、中国人意識をまったく持っていませんでした。受け入れられることで、自分も華僑なんだと自信を持つことができるようになりました。

でも、反対に大変だなと思ったのは、学校事件のことも含め大陸系と台湾系の分離・対立に関することは、日本の華僑社会においてアンタッチャブルな問題でした。

取材する中で、カメラの前では話せないという方も勿論いましたし、彼ら自身がそういった過去の歴史について表立って語ることを控えていました。

それゆえに、自分がその歴史を掘り下げるという行為は華僑にとっては迷惑なことであり、デメリットしかないのではと考えるようになり、自分のエゴだけで取材や撮影を進めているのではないかと疑心暗鬼になり悩んだりしました。

実際に、一度撮影を辞めようと本気で思ったこともありました。気持ちとしても取材対象者の方にアプローチもしづらく、一年ほど撮影もストップしていた時期もありました。

お世話になっていた取材対象者の方に久しぶりにお会いした時に、「撮影を辞ようと思っている」と打ち明けたこともあります。

その方からは「辞める必要はない。林くんは何も気にせず頑張れば良いんですよ」と励ましてくださったからこそ、「もう一度頑張ってみよう」と思ましたし、結果映画製作を続け、完成まで辿り着くことができました。

華僑社会の外で育ってきた「よそ者」でもある僕が、父たちが小学生の頃からお世話になってきた横浜中華街・華僑コミュニティーを土足で踏み荒らし親の顔に泥を塗るようなことはしてはいけないと思っていました。

僕の歴史を掘り下げるという行為は彼らの街の平静を壊しかねないという懸念は常にあり、怖さを感じていました。

そういった感情や思いと常に対峙することはとても大事なことではありますが、その時期は本当思い悩んでいたなあと思います。必要な苦労であったのは間違いないです。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–お話をお聞きして、監督自身の本作への情熱を感じることができました。また、本作を製作する前後で気持ちの変化は、ございましたか?

林監督:それこそ、この作品を作る前は、自分自身が「日本人と中国人のハーフ」という漠然とした認識しかありませんでした。

「あなたは華僑四世だよ」と言われても全くピンと来なかったですし。

この作品を通じて感じたことは、僕が生まれた時には何不自由なく生活ができる環境を与えられていました。

日本に来た一世の曾祖父母や父親に対し、そのような基盤を作ってくれたことに、ようやく心から感謝できるようになりました。

家族を守るために、また日本で生き抜くために切磋琢磨してきた華僑ですから、そのような先祖を持っていることは今では僕の誇りです。

だからこそ、いま僕は自分のことを「華僑と日本人のハーフであり、華僑四世」だと自信を持って言えます。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–それでは作品を通して、監督本人が民族的意識、アイデンティティは、明確になりましたか?

林監督:日本に生まれ育ち、日本で暮らす日本国籍を持っている日本人というのは間違いない事です。

僕は今自己紹介する時に、自分は華僑と日本人のハーフであり華僑四世でもあると言いますが、その華僑という表現がもっと別の言い方がないかと感じることもあります。

日本国籍に帰化した華僑のことを華人と言いますが、「華僑」や「華人」という言葉にも距離感を感じてしまいます。

両親ともに日本にルーツがある人こそが日本人で、それ以外は日本人とは異なる人々と言われているような印象を受けます。僕も含めて日本人はブラジルやハワイなど海外で暮らす日本人を「日系●●人」と呼びますが、国内において「●●系日本人」という呼び方をすることはないのではないかと思います。

僕にとっては「中華系日本人」という呼び方があれば、それが一番しっくり来ます。

アイデンティティのことについて言えば、アイデンティティは他者によって決められるものではないと思っています。

テニスの大阪なおみ選手のように日本語が得意ではなくても、自身が日本人でもあると自負していて日本代表になる権利があるのならば、日本代表として競技に出場しても良いと思います。

アイデンティティは自分自身が決めることで自分の気持ち次第ですから。他者が介入する問題ではないです。民族意識のことは、正直僕はよくわかりません。

だけど、自分が死ぬ場所はちゃんと考えています。別に日本でなくてもいいと思っています。両親・家族が、どの国で死に、どこで眠っているかが一番重要なことです。アフリカでも中国でもアメリカでも構わなくて、僕はただ家族や愛する人が最期にいる場所に還りたいと感じています。

僕も最期は、そこで眠りたいと思っています。

©記録映画「華僑」製作委員会

—–今回、華僑のルーツを辿る作品だったと思いますが、過去に起きた事実を未来にどのような活かし、残し、託していけるでしょうか?

林監督:正直、自分自身で提示したいという気持ちはなくて、この映画を観てくれる人が華僑の方たちの過去の経験や言葉を聞いた上で、各々がジャッジして頂ければいいと思います。

僕は大陸系と台湾系どちらが正しく、どちらが間違っているなど、実際に経験している当事者でもないので、言える立場ではありません。

双方がどのようなことを過去に経験したのか、その言葉に耳を傾け知ることが大事だと思っています。

華僑は日本で共に暮らす同居人であり、彼らの歴史は日本の歴史でもあるからです。

華僑の過去の経験を未来にどのように活かし、残し、託していけるのか…。正直、僕はこの問いには答えられません。

活かすも、託すも、残すも、この映画を観る人がどのように感じるか次第ですし、僕が言うことが全ての人に適した提示になるとは思えないからです。

僕が華僑の経験をジャッジするような視点で描き、観方を決めるようなことをすると、それこそプロパガンダ映画みたく偏った表現・提示になってしまいますので、あくまでもこの映画は華僑のことを何も知らない華僑四世、または、日本人の視点で中立的な立場で描かれているとだけ言わせてください。

観る方には映画から新たな気づきや学びなど何かしら感じてもらえれば幸いです。

©記録映画「華僑」製作委員会

ドキュメンタリー映画『華のスミカ』 は、本日11月13日(土)より、大阪府のシネ・ヌーヴォ、兵庫県の元町映画館にて上映開始。また、11月19日(金)より、京都府の京都みなみ会館にて上映予定。現在、神奈川県のあつぎのえいがかんkikiにて、公開中。