ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』まだ迫害は、続いている

ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』まだ迫害は、続いている

2024年4月6日

自由と尊厳を問う傑作ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』

1999年、アメリカでドキュメンタリーとして制作された本作『ナチ刑法175条』は、2000年に2000年1月20日にサンダンス映画祭にて。2001年には、日本の山形国際ドキュメンタリー映画祭にて上映され、2009年1月17日、18日に開催された第2回アムネスティ映画祭、2010年7月3日に第5回青森インターナショナルLGBTフィルムフェスティバルにて上映されて以降、日本国内ではまったく上映されて来なかった作品。この度、劇場公開の運びとなったのは、非常に貴重な事ではあるが、その反面、この20数年間、ドイツにおける同性愛者迫害問題が世界から、社会から、世間から公然の如く黙殺されて来た事実に、ただただやるせなさを感じて止まない。なぜ、こうも同性愛者達が言われも無き差別を受けて、迫害され続けなければならないのか?なぜ、彼らが臭いものには蓋を精神で、厄介者扱いされ続けなければならないのか?ただ生を受けて、今を必死に生きているだけなのに、存在を否定され、権利を剥奪され、人格までをも揶揄され、なぜ言われもない聴衆からの心無い言葉に胸を痛めないといけないのか?無理解が偏見を呼び、憎悪が暴力を呼ぶ。相手は冗談のつもりで話して笑っていたとしても、その言葉をぶつけられた当事者の心情は煮え滾る程の怒りに満ちている。誰が、好き好んで今の身体や心になったのか、その現状に対して残念ながら誰も理解できないでしょう。それでも、他者は小馬鹿にしながら、同性愛者を笑い物にし、差別する。たとえ、そこに差別意識が無かったとしても、相手を傷付ける言葉を冗談で発言している時点で、それは差別の他ならない。ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』は、ドイツで1994年までの120年間続いたソドミー法による同性愛者迫害や第二次世界大戦におけるユダヤ人迫害よりも更に酷い扱いを受けて来たドイツ人の同性愛者達の生の声を納めたドキュメンタリー作品だが、当時は数千人いたとされる同性愛者達から生き残った数人の生存者にインタビューを敢行している極めて貴重な映像となっている。その数人の同性愛者以外は、アウシュヴィッツで無惨にも殺害されたか、人体実験のモデルにされて、ほとんどが絶命している。その壮絶な時代を生き抜いた数名の同性愛者が、今の世に語る真実に耳を傾けたい。あの日あの時、強制収容所で何が起きていたのか?映画『大いなる自由』でも描かれたアウシュヴィッツ内における同性愛者達への迫害と処遇は、今の世の人間に衝撃を与えた事だろう。でも、今より27年も前に映画『ベント 堕ちた饗宴』でも、同じ題材で同性愛者達への熾烈な迫害を描いた作品が制作された。本作『ナチ刑法175条』を併せて、これら2作品も並行して観れば、より理解が深まるだろう。

同性愛者に対する迫害を意味する法律は、世界中を見渡しても珍しいものでは無い。多くの国が、同性愛もしくは、「自然に反する」性行為(口内性交や肛門性交、獣姦を指す)を禁じている。その法律を広くは、ソドミー法(※1)と呼び親しまれている。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の遺作となった問題の映画『ソドムの市』の「ソドム」もまた、このソドミーと同じ意味を持つ言葉だが、なぜここまで「自然に反する」性行為が、世間から忌々しく思われているのだろうか?誰かに迷惑をかけた訳でもなく、誰かを傷付けた訳でもない。ただ、愛する相手が男性か、女性かの違いだけで、激しい抵抗に合っているのは、いつの時代も同じだ。この同性愛を法律で雁字搦めにするソドミー法は、世界各国で見られる不要な法律だ。最古のソドミー法は、紀元前1075年の中アッシリアの法典において「男性が戦友と性交渉を持った場合は宦官に処す」と記されていたように、同性間での性交渉を罪として見なしている事が分かる。では、いつどのようにして、ソドミー法が世界中に広がったのか?西洋社会におけるソドミー法への規制が最も増して行ったのは、聖書が産まれてからのキリスト教の世界観が成立してからだと言われているが、より本格的な規制が始まったのは、1534年のイングランドにおけるヘンリー8世の王位時代に決議されたBuggery Act 1533(正式名称:An Acte for the punishment of the vice of Buggerie バジェリーの悪徳を処罰する法律)が、聖書や宗教とは関係ない部分で言えば、物理的な側面で考慮すると、このイングランドにおけるソドミー法(バジェリー法)が世界で最も古いとされている同性愛を弾圧する法律だ。世界各国に対する同性愛弾圧の法律は、こうして数多くの国と地域に分散されて行った。たとえば、アメリカでは、17世紀頃からソドミー法での締め付けが盛んに行われ、当時のバージニア州ではソドミー法での最高の刑罰が死刑であったとされる。1962年以前のアメリカは、ソドミー法の中で3つの等級の部類に刑罰が定められており、第一級ソドミーでは懲役20年の刑が処される内容であった。第二級ソドミーには、懲役が最高で10 年が課せられ、21歳以上の者と18 歳未満の者との口または肛門による行為が含まれていた(児童性交)。そして、第三級ソドミーには、最高6ヶ月の懲役が科せられる軽罪が処され、第一級または第二級ソドミーには該当しない、肛門または肛門に関するあらゆる性行為が刑罰の対象となっていた。それが1962年以降、各州ごとに徐々にソドミー法に対する非犯罪化が行われて行った。それは、昨年の2003年まで続き、凡そ40年をかけて段階的にソドミー法の撤廃が行われた。ここに興味深い図を紹介するが、これは色と年代別に分別されたソドミー法撤廃の流れを図で表現している。黒が、最初期に非犯罪化を図った州で、青、緑、赤、黄と続いている。この1962年から2003年の40年間の間で、大きくソドミー法がアメリカの憲法で合憲か違憲かと揺れた裁判は、1986年のバウワーズ対ハードウィック事件(※2)と2003年のローレンス対テキサス事件(※3)が、この期間の中での契機となったとされる。バウワーズ対ハードウィック事件では、ソドミー法が合憲と判断された一方で、ローレンス対テキサス事件では判決を覆し、ソドミー法を無効とする動きが見られた。アメリカにおけるソドミー法の歴史が、大きく動いた両事件は、人々に同性愛に対する価値観を根底から覆した判決になったのは事実だ。また日本では、明治時代の1872年(明治5年)に発令された「鶏姦律条例」(※4)および1873年(明治6年)に発令された「改定律例」(※5)にて、男性同士の肛門性交が違法とされた憲法が制定された時代がある。その後、1880年(明治13年)に発令された刑法では、「鶏姦律条例」や「改定律例」の規定が、撤廃された。以降、日本国内では同性愛を犯罪化する法律は制定されていない。オーストラリア、ブラジル、カナダ、中華人民共和国、香港、マカオ、台湾、デンマーク、フランス、ジブラルタル、ハンガリー、アイスランド、インド、イスラエル、イタリア、北朝鮮、韓国、マレーシア、ニュージーランド、ポーランド、ロシア、シンガポール、スウェーデン、タイ、イギリス、ジンバブエ、イラン、サウジアラビアのアメリカ合衆国と日本を合わせた30の国と地域では、過去にソドミー法が制定されていたが、そのほとんどが撤廃された中、今でも一部の国と地域では同性愛が触法に当たる見解を示している。

本作『ナチ刑法175条』が取り上げているのは、ドイツにおけるソドミー法の脅威について、第二次世界大戦のドイツ人同性愛者の生存者達の証言を集めた作品だが、この第二次世界大戦時のソドミー法がどう作用されていたのか、その当時を知る者はほとんど残っていないのが現状だ。当時のドイツによる同性愛者への迫害(※6)は熾烈を極め、ワイマール政権下では男性同士の同性愛が厳しく取り締まられ、元から憲法にあった刑法175条に拍車をかけるかのように、1933年に政権を握ったナチスがドイツ人男性同性愛者の迫害を強く支持した背景がある。違法とされていた同性愛に対して、ドイツ人同性愛者権利活動家達は、同性愛を非難した社会的姿勢を改善するための運動において世界的なリーダーにもなっている。また、同性愛を理由に作家兼俳優が、1937年から27か月(およそ2年)にわたり拘置もされていたという過去もある。同性愛者の男性に対する弾圧強化を強いた大きな要因は、1934年7月のSA参謀長エルンスト・レームの殺害(※7)からだったと言われている。ドイツ人同性愛者への迫害は、戦争が泥沼化して行けば行くほど、過激にもなって行った。「第三帝国における同性愛者の迫害」にある一文を抜粋すると、その酷さを少しは知ることができるだろう。「同性愛者は収容所を生き抜くために多くの手段を講じました。一部の同性愛者の囚人は、管理職や事務職を確保しました。他の囚人にとっては、性行為が生き抜くための手段となりました。一部の囚人班長は、若い囚人から性的な行為をしてもらう代償として、彼らを保護し、余分な食料を与え、他の囚人の虐待から彼らを守りました。支援ネットワークがなかったため、同性愛者自身が囚人班長となることは非常にまれなことでした。もちろん、囚人班長によって保護されても、看守の残虐行為から逃れることはできませんでした。いずれにしても、囚人班長は1人の同性愛者に飽きることもよくあり、彼を殺した後、次に移送されてきた囚人の中から別の相手を探すこともありました。同性愛者の囚人は個人的に何らかの方法で保護を受けることができましたが、集団としては、同性愛者の囚人には他の集団に見られた支援ネットワークがありませんでした。残虐行為を軽減するための援助が得られなかった同性愛者の囚人たちは、長期間の生存が非常に困難でした。一部の同性愛者にとっての1つの生存手段は去勢でした。これは、一部の刑事司法高官が性的逸脱を「治す」手段として提唱していたものです。刑事事件または強制収容所の同性愛者の被告人は、刑を軽くしてもらう代わりに去勢を受けることに同意できました。その後、裁判官や親衛隊幹部は、同性愛者の囚人の同意を得ることなく去勢を命じることができるようになりました。同性愛の「治療法」を見つけることに関心があったナチスは、このプログラムを拡大し、強制収容所の同性愛者の囚人たちに対して人体実験を行うようになりました。これらの実験は、病気、人体切断、ときには死を招いたにもかかわらず、科学的知識を得ることはできませんでした。そして最後に(ここが重要)、収容所で死亡した同性愛者の数に関する統計は残っていません。」この事実の上で、1月27日は何の日(※8)か、ご存じだろうか?この日は、国家社会主義の犠牲者を追悼する日だ。性的指向や性同一性を理由に迫害された犠牲者グループへの哀悼を表した日として2023年に制定された記念日だが、約10,000人から15,000人の同性愛者の男性が強制収容所に強制移送を余儀なくされている。犠牲者への追悼の念は、忘れてはいけない。ドイツでは、このソドミー法となる「刑法175条」は1994年に撤廃され、同性愛者への迫害が法律で禁止された。この「175」を逆に呼んだ5月17日は、「同性愛嫌悪、バイフォビア、インターフォビア、トランスフォビアに反対する国際デー」と制定された。1990年5月17日にWHOの疾病診断のリストから同性愛が削除されたことを記念して作られた記念日だが、今年ももうすぐ5月17日が訪れようとしているが、この日を迎えるにあたり、日本の国民、世界中の人類は同性愛者に対して何を思うのだろうか?ドイツの刑法175条は1994年に撤廃されているが、同性愛の歴史が大きく変わった社会運動(※9)と言えば、アメリカでは1969年のストーンウォール事件、1978年のハーヴェイ・ミルク暗殺事件、2016年のフロリダ銃乱射事件を思い浮かべるだろう。また、日本では1990年の府中青年の家事件、2000年の新木場殺人事件、2015年の一橋アウティング事件が両国、それぞれ挙げられるだろう。時代ごとに、こうした社会運動が盛んに行われた事によって、世界中で同性愛者達の人としての地位向上や権利回復が成されたが、それでも世界ではまだまだ同性愛者への迫害は続いている。近年では、ロシアの残党国チェチェンを舞台にしたドキュメンタリー映画が公開されたが、この映画『チェチェンへようこそ ゲイの粛清』は国家レベルで同性愛者を迫害しようと動き出し、家族親族皆総出でたった一人の同性愛者の家族を迫害する姿が映し出されている。この問題は、半世紀前の20世紀に起きている事ではなく、21世紀の今に起きている事件だ。いつになれば、人が人として当たり前に日々を暮らし、権利を剥奪されず、安全平和を保証される社会が訪れるのであろうか?本作『ナチ刑法175条』を制作したジェフリー・フリードマンとロブ・エプスタインの両監督は、あるインタビューにて本作に出演するドイツ人同性愛者の方々の「声」について、こう話している。

“Many of these men after the war lived with a real sense of shame and didn’t talk about their experiences and remained closeted. Klaus Müller, the historian in Paragraph 175, who brought the subject to Rob and me, had been doing research on these men for years before we first met him in Amsterdam. He told us that he’d been researching this older generation of German gay people, and being German himself, he was researching his own past. He told us that he’d found some queer survivors of Nazi persecution who he thought would be willing to speak openly on film for the first time. The men had hardly spoken about their experiences to anybody except Klaus. One of them, Heinz F, had never talked to anybody at all about it until we filmed him. The interviews are really powerful as a result of that. These are things they had wanted to talk about for 50 years but had been repressing them.”(※10)

「戦後、これらの男性の多くは本当に恥の意識を持って生き、自分の経験を語らず、隠されたままでした。ロブと私にこの話題をもたらした『ナチ刑法175条』の歴史家クラウス・ミュラーは、私たちがアムステルダムで彼に初めて会う前から何年もの間、これらの人々について研究していました。彼は、この古い世代のドイツ人同性愛者について研究しており、彼自身もドイツ人であるため、自分自身の過去を研究していると語った。彼は、ナチスの迫害を生き延びた同性愛者たちを何人か見つけた。彼らは映画で初めて率直に話してくれるだろうと考えたと語った。男性たちはクラウス以外の誰にも自分たちの経験についてほとんど話していませんでした。そのうちの 1 人、ハインツ F さんは、私たちが撮影するまで、このことについて誰にも話したことはありませんでした。その結果、インタビューは本当に強力です。これらは彼らが50年間話したかったのに、抑圧されてきたことなのです。」と、本作に登場するドイツ人同性愛者の方々の証言が、第二次世界大戦当時から語られずにいた真実だと話す。それが20数年の時を経て、こうして日本の劇場を通して、当時のドイツ人同性愛者の心の苦しみが、今に届けられた事に意義はあるだろう。

最後に、ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』は、第二次世界大戦下にナチ党から迫害を受けた当時のドイツ人同性愛者の方々の生の声や証言を集めた作品だが、作品が制作され、映画祭で上映されてから20数年、やっと国内でも一般公開された事は、歴史的一歩なのかもしれない。現在、ヨーロッパの国々では、同性愛者に対する人権擁護の波(※11)は、どの国でも前向きで先進的ではあるが、過去には迫害があったという事実があった事に対して、現在では想像する事はできないだろう。ここ日本では、「性的マイノリティに関する偏見や差別をなくしましょう」(※12)と国を代表する法務省が、率先して音頭を取っているが、私から見れば、これは単なるポーズにしか見えない。本当に、この願いや運動が、市民レベルに落ちているかと言えば、甚だ疑問だ。今でも日本では、性的マイノリティの方への差別は横行していると、はっきり言える。それは、海外でも同じ事ではあるが、日本は差別撤廃に向けた価値観には、到底追い付いていない社会が、目の前にある。この映画で語られている迫害は、今の時代でも続いている。私は、性的マイノリティの方に限らず、健常者も、障がい者も、外国人も、年配者も、片親世帯の方も皆、人が人として、人としての当然の権利を与えられる社会が訪れる事、そして私達自身がそんな社会を作っていかなければならない事を切に願うばかりである。

ドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』は現在、3月23日(土)よち東京都の新宿K’s cinemaにて上映中。また、全国の劇場は順次、公開予定。

(※1)VOL.4 同性愛の歴史 今も残る前時代的考え方https://diversity-studies.com/2015/12/07/vol-4%E3%80%80%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/(2024年4月5日)

(※2)Bowers v. Hardwick (1986)https://www.law.cornell.edu/wex/bowers_v_hardwick_(2024年4月5日)

(※3)LAWRENCE et al. v. TEXAShttps://www.law.cornell.edu/supct/html/02-102.ZS.html(2024年4月5日)

(※4)第12話 同性愛の犯罪化、日本
はどうだった?https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150917-OYTEW55199/(2024年4月5日)

(※5)法史の玉手箱https://drive.google.com/file/d/1bIvR8x8mlhTp5TyRBWzXV6ZMNa_pnWe3/view?usp=drivesdk(2024年4月5日)

(※6)第三帝国における同性愛者の迫害https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/gay-men-under-the-nazi-regime(2024年4月5日)

(※7)Homosexuellenverfolgunghttps://www.dhm.de/lemo/kapitel/ns-regime/ausgrenzung-und-verfolgung/homosexuellenverfolgung.html(2024年4月5日)

(※8)Die Verfolgung von Homosexuellen im Nationalsozialismushttps://www.mdr.de/geschichte/ns-zeit/holocaust/homosexuell-konzentrationslager-verfolgung-opfer-queer-schwulenparagraf-100.html(2024年4月6日)

(※9)【日本・アメリカ】LGBTの歴史を変えた事件 まとめ6選【社会運動の背景】https://jobrainbow.jp/magazine/changehistory(2024年4月6日)

(※10)Exclusive Interview: Jeffrey Friedman on his Oscar-winning decades-long filmmaking partnership with Rob Epsteinhttps://thequeerreview.com/2021/06/23/exclusive-interview-jeffrey-friedman-on-his-oscar-winning-filmmaking-with-rob-epstein-criterion-channel-pride-and-protest/(2024年4月6日)

(※11)LGBTI人権擁護政策でも先進的なEUhttps://eumag.jp/issues/c0415/(2024年4月6日)

(※12)性的マイノリティに関する偏見や差別をなくしましょうhttps://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00126.html(2024年4月6日)