ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』
文・構成 スズキ トモヤ
およそ60年前に日本で開催されたスポーツの祭典、東京オリンピックで偉業を成し遂げたあるチームがいる。
彼女たちは、世界の「大きな壁」に立ち向かいながら、世界一(世界No.1)の称号を手に入れた。
あれから、半世紀以上の時が流れた。
当時、「東洋の魔女」と呼ばれ、恐れられた彼女たちは今、全員歳を重ね、ひっそりと暮らしている。
本作ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』は、当時の女子バレーボール選手の苦悩と偉業を称えた作品だ。
監督は、フランス在住のジュリアン・ファロー。
国立スポーツ研究所で働く傍ら、2003年頃からスポーツに関連したドキュメンタリーを監督する。
2018年に製作したテニス選手ジョン・マッケンローを追った『完璧さの帝国』は、同年のロンドン映画祭とシネマ・デュ・リールにて上映された。
本作が、監督にとって、日本で初配給、初公開となる作品だ。
ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』のあらすじは、約60年前の東京オリンピックの元日本代表のバレーボール選手たちが久しぶりの食事会の場面から始まる。
久しぶりに会食した彼女たちは、過去のことを回想し始めるという形式を取っている。
物語は、実業団が結成された1958年頃から東京オリンピックで優勝した1964年までのおよそ6年間の出来事を追っていく。
「苦しくたって 悲しくたって コートのなかでは へいきなの」
これは、有名な国民的アニメ『アタックNo.1』のオープニング主題歌の一節だ。
この作品は、今でこそ日本アニメを代表するシリーズ作品となったが、 『アタックNo.1』 が題材にしている話が、実は過去に存在していた。
アニメの土台となったのは、今回紹介するドキュメンタリー『東洋の魔女』の女子バレーボール選手たちの半生だ。
今でこそ、70代を迎えた彼女たちは、女子バレーボール日本代表選手時代は皆さん、20代の若い女性ばかりだった。
彼女達バレーボールの実業団が立ち上がったのは、昭和28年(西暦で数えれば、1958年のこと)だ。
大阪府のクラボウという会社で旗揚げしたチームだった。
日本代表として選ばれる前は、その会社にある工場で働く女工たちでもあった。
朝から夕方までは、工員として工場で働き、夕方から深夜まで、酷い時は明け方までバレーの練習に取り組んでいたという。
映画の冒頭は、数十分は少し間延びした印象を受けた。
その要因のひとつに、知らない年配女性たちの食事場面から始まり、彼女達の各々の人生を本人にナレーションさせるという変わった手法に興味も薄れる演出。
でも、現代の話から過去の話へとタイムスリップする場面展開から、作品に引き込まれていく。
彼女達の練習風景は、過酷を極めた「スパルタ」という言葉が似合うほど、過激すぎる。
レシーブの練習時は、それはそれは冷酷で、観ているこちら側が苦心を強いられる。
当時の選手を指導したのが、大松監督という人物だ。
その時代特有の寡黙な男性だが、指導は熱心、いや恐ろしいほどスパルタそのものだ。
この厳しい指導が、後の世界制覇に繋がり、世のバレーボールブームを作り出すトリガーとなる。
また、冒頭で紹介した国民的アニメ『アタックNo.1』には、興味深いセリフがある。
「試合は自分のためにするものよ。結局、誰も助けてはくれやしない。」アニメ『アタックNo.1』第61話 決勝・インターハイより
「スポーツを誤解しています。ひとつの目標に向かって、みんなが励まし競い、力を合わせて行くことは、一人でする勉強とはまた違ってよさがあるのです。」アニメ『アタックNo.1』第68話 トリオ誕生より
バレーボールに対する選手たちのひたむきな感情を代弁しているようだ。
ただ、この時代の指導は、あまりにも「パワハラ」「モラハラ」が過ぎる。
「スポーツ根性」という言葉が産まれる背景には、こうした大松監督の極端すぎるほどの指導が横行していた。
時代錯誤に感じるかも知れないが、この時代には極めて普通なことで、選手たちは監督を尊敬していたという趣旨の発言もしている。
時代の変化と共に、このようなスパルタ的思考は変わりつつあり、近頃人気に火がついたバレー漫画『ハイキュー』では、そのようなスパルタな指導の描写は影を潜め、選手同士が切磋琢磨する描き方へと変動している。
本作を監督したのは、ジュリアン・ファローという人物だ。
先にも触れたように、フランスの国立スポーツ研究所で働きながら、ドキュメンタリー映画を製作している。
過去の作品には『Paris jeux t’aime(2003)』『Regard neuf sur Olympia 52(2013)』『L’Empire de la perfection(2018)』の三本を製作している。
そして、一貫して言えることは、どの作品もすべて「スポーツ」に関連したドキュメンタリーということだ。本作『東洋の魔女』が、日本で初めて紹介された作品ということだ。
フランス本国でも、既に話題にもなっているようで、監督自身へのインタビュー記事もいくつか、掲載されているようだ。
フランスでは、本作『東洋の魔女』は、原題『Les Sorcières de l’Orient』として昨年、2021年7月28日に公開されている。
本作を製作するきっかけとなったのは、「東洋の魔女」たちのアーカイブ映像の発見から始まったと、監督は話す。
ジュリアン・ファロー監督のコメントをいくつか紹介する。
「当時の女性のスポーツの水準からはほど遠いトレーニングの激しさ。それと、1987年にフランスで放送されたアニメシリーズ『(2)ジャンヌ&セルジュ』との直接のつながりに驚きました。また、日本では1969年から放送されたアニメ『アタックNo.1』が、104のエピソードで構成されています。このバレーボール選手たちを主体にしたアニメから触発されました。私はすぐに、作品製作に取り組みたいと思いました。」
「私たちは彼らの痕跡を見つけなければなりませんでした。そして、ゼロから始めていたので、ほぼ1年かかりました。私はバレーボール連盟とプロデューサーのウィリアム・イェハンニンを日本のフランス研究所に通しました。結局、現在の東京オリンピックに取り組んでいる、より最近の世代の元選手と連絡を取り合うことができました。それにより、選手の1人に連絡を取り、次に1つのことで別の方に連絡することができました。私はこれがもたらす困難に気づいていました。まず第一に、私は日本語を全く話せないのです。それから、「東洋の魔女」の最年少の選手は、私のお母さんになるのに十分な年齢です。ですから、間違いを犯さないように、年配の日本人女性の習慣や文化を理解する必要がありました。」
また、監督はいち映像マンで話を聞きに行くのではなく、一人の人間として「東洋の魔女」達にお話を聞きたいと考え、初めはカメラを持たず、サウンドエンジニアと同行し、プロジェクトを進めたという。
作中、アニメ『アタックNo.1』が構成されているが、この作品をドキュメンタリーに組み込むのに、著作権絡みでとても苦労したという。
過去に、作品の放送を巡り、裁判沙汰にもなったと言われている。
逆も然りだが、フランス人が、日本を題材にした作品を作るのは、相当骨が折れることが、監督への取材記事でとても理解できる。
最後に、未来の日本バレーボール協会は今後、どのように発展するのだろうか?
今回の東京オリンピックでの成績は、男子はベスト8、女子はベスト10という結果に終始した。
(4)次期のオリンピックに向けて、昨年末に男子女子共に新監督が、発表されたばかりだ。
男子監督のフィリップ・ブラン氏は「バレーボールに魅了されて、この道を進んでいる」と。
女子新監督の真鍋政義氏は「今回の悔しさを維持し、それをプラスにしていきたい」と、それぞれ次のオリンピックに向けての意気込みを「月間バレーボール」の月刊誌内で熱心に語られておられる。
また関西には、現役で後進の育成に力を注いでいる(5)薄井信子さんという元バレーボール選手の方もご健在だ。
バレーボール業界に関わらず、どの分野でも未来に文化や伝統を残すためには「後進の育成や指導」が、必要ということを心に留めておきたい。
また、半世紀以上前に「日本」を背負って、海外の選手と肩を並べ戦い抜いた「東洋の魔女」たちの活躍もまた、日本人の功績として未来永劫語り継ぐ必要もあるだろう。
ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』は現在、京都府の京都シネマにて、2022年1月2日より公開中。また、大阪府のテアトル梅田では、1月7日(金)より。シネ・ヌーヴォでは、1月15日(土)より。ユナイテッド・シネマ岸和田では、1月21日(金)より。兵庫県の豊岡劇場では、1月21日(金)~27日(木)までの期間限定公開。元町映画館は、近日公開予定。全国の劇場にて、順次公開予定。
(1)(3)Julien Faraut raconte 《Les Sorcieres de l’Orienta》https://www.cnc.fr/cinema/actualites/julien-faraut-raconte–les-sorcieres-de-lorient_1481305(2022年1月4日)
(2)1984年に放送された日本アニメ『アタッカーYOU!』のフランス語のタイトル
(4)前田健(2021年11月15日)月間バレーボール12月号、第75巻第14号、2頁~5頁(2022年1月4日)
(5)【特集】東洋の魔女~栄光と葛藤の56年~https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2020/12/25/32796/(2022年1月4日