映画『枯れ葉』自身の中に秘めた熱き情熱

映画『枯れ葉』自身の中に秘めた熱き情熱

愛を、信じる映画『枯れ葉』

©Sputnik  Photo: Malla Hukkanen

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今年もまた、枯れ葉が寂しく舞い散る季節が訪れた。杪夏暮秋が過ぎ、霜降月のこの時期、新緑の葉は茶色に裁ち替わり、そして一人寂しく葉を散らす。人生の儚さと憂い、そして終焉を身に纏い、恋人達の恋路を優しく寿く。枯れて散った木の葉は、一体どこに飛び翔るのか?行方知らずの枯れ葉の行方は、不知案内。放浪の旅の末、行き着く安住の地は、安息を与える場所なのか。寄り添う木々の隙間から差し込む陽光のような仄めく優しさが、恋人達を包み込む。寒さを凌いだその先には、暖春の如き逢瀬。慕情とは、人の年代によって、想像の域を遥かに超えた齟齬や懸け隔てなど、千差ある。10代、20代の恋愛には、屈託のない躍動美がある一方、壮年期に差し掛かった大人の男女の色恋は、落ち着き払った哀愁たっぷりの恋衣。男女の恋の行方は、誰にも予想できない。大人の恋愛は、若者達の若さ溢れる恋模様ではなくても、歳を重ねた人生の憂い伴う耽美さがある。年が積もれば積もるほど、幾度の男女の出逢いの頃ほひは漸減してしまう。本作『枯れ葉』は、フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に、壮年期の男と女が繰り成す間怠しの恋路を静けしの覚えで表現。秋風と冬の暮のうら悲しい季節の狭間で揺蕩ふ円熟期の恋人達の姿には、同年代の世代から中年期、高年期を経験した人々は必ず、どこか心に染み入るだろう。一方で、若年層には扉の前で門前払いかと問われれば、それは大きな誤算だ。青年層の若い世代の男女のカップルにも、大人達が苦悩する恋の悩みに共感し、応援したくなるだろう。擦れ違いの多い男女の関係を経験した私達にはきっと、壮年期を只中に生きる主人公達の心情に思ひを交はずだ。本作の物語には、誰かを強く愛し、強く信じる誠の真っ心を描こうとしている。壮年期の恋心は冬の谷間に朽ち果てた枯れ葉の如し行方知らずの恋物語だが、貴方達はきっとその結末を見果つ事ができるはずだ。今や、人気の高いMCU映画やDC映画と言っ商業中心のアメコミヒーローものの動の映画だけでなく、本作『枯れ葉』のように静かなタッチで人生の麗しさを謳った静の映画の卓越性や優越性にも、いつか気付ける日が訪れる事を願うばかりだ。いつか、本作の主人公2人が時が流れる事が、非常に秀逸と気付けたように、貴方達にも彼らとまったく同じ感情を抱く日が訪ふ事だろう。大人も子どもも、同じ夢を見て、同じように恋ふらく日があるだろう。本作には、壮年期層も若輩者層にも伝わる山程の魅力が詰まっている。

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本作『枯れ葉』には、多くの魅力的なテーマや要素が作品に詰まっているが、今回はその中でも2つの要素について筆を進めて行きたい。まず、一つ目は本作には全人類にとって抗えない「老い」に対する監督なりの答えが存在しているようにも感じる。この物語に登場する人物は皆、40代以上の壮年期から中年期の脂の乗った盛りのある世代の人々だ。彼らの外堀を埋めるように20代、30代の人物が登場するが、主となる人物は年齢層の高い人々。40代以上の男女しか登場しない世界観は、ある意味、不自然であるかも知れないが、これはある種の監督の意図した世界であると気付かされる。皆、歳を重ねて、若さ溢れる時期を過ぎた少し疲労の残る倦怠期の男女。この年齢設定にこそ、「老い」への憂いや享受、もしくは奮戦を垣間見える。寄る年波には勝てなくても、どんな世代の人間にも青春や恋愛を謳歌する権利はある。老いてしまえば、人生に対する考え方や価値観がガラッと変わってしまうものだが、老いるからこそ、私達は芳年過ぎ去りし感情や情熱を持ち続けなければならない。それでも、人間一人一人に必ず、「老い」は訪れる。この「老いる」事へのメカニズム(※1)は、医学的科学的見地からでも、まだ解明されていない事が多々あり、なぜ人が老いるのかについては、生きとし生ける者への永遠のテーマだ。論文「人は、なぜ老いるのか─老化は細胞の糖化と酸化から─」で論じられている老化の原因は、細胞の酸化と糖化であると。確かに、それは医学的科学的な観点であるが、哲学的な意味合いを持つ老化の根本的な原因は、紀元前7世紀から6世紀にかけて生きていた最古の哲学者タレスの時代から、「なぜ人は老いるのか?」また「老いとは何か?」について、何一つ究明されていない。「老い」の定義には、「身体的に老化することはもちろんのこと,職場や家庭などでの社会的変化・退行を伴うとされる現象。」とあるが、それは肉体的生物学的思考の話であって、精神的哲学的な「老い」に対して、答えはまだ見つかっていないだろう。「老い」と「老化」を別の考え方として捉えた時、「老い」とは「人間的な概念」、「老化」とは「生物的な概念」として考えられるが、今回は、どちらかと言えば、前者の「「老い」とは「人間的な概念」」の考えに傾向したいと思う。生物学上の老いの話ではなく、哲学的に「なぜ、人が老いるのか?」この疑問に対して、未来を変えるような大きな力となる答えが見つかれば、自ずと、本作における「老い」に対する新しい発見もあるはずだ。本作『枯れ葉』のタイトルは、老いる事への憂いさを連想させるが、その一方で壮年期の男女の愛の関係性を美しく淡麗に描いている。

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また、もう一つ取り上げるとするなら、物語の筋とは何ら脈絡もないようなロシアウクライナ戦争におけるラジオ放送が、男女の間に鎮座する。中年期に差し掛かる男女に何の関係があるのかと訝しげるかも知れないが、紛争の裏側では日常を過ごす何億という人類が、世界中にいるという事実。また、何億人の日常の裏側には、常に、何処かしこで悲惨な問題が起きている現実を描こうとしたのか。ロシアウクライナ戦争だけでなく、昨年2023年10月7日に起きたイスラエルへの奇襲攻撃(※2)は、イスラエルガザ戦争(※3)として今年2024年以降も続くと予想されている。また日本国内では、新年最初に「令和6年能登半島地震」(※4)が起き、翌1月2日には「日本航空516便衝突炎上事故」(※5)が続発した。私達の日常は、有事の事件事故と隣合わせであり、日々の生活の後背には戦争や災害と言った緊急事態が臥す。日々何事もなく普通に幸せに日々を送る私達に対して、監督はその裏には何千、何万の不幸と犠牲が存在していると、ラジオというツールを通して、訴えかけているのであろう。フィンランドという国が舞台にも関わらず、なぜロシアウクライナ戦争を取り上げているのか。それは、長きに渡るソ連時代からのロシアとフィンランドとの深く複雑な社会情勢や国際情勢が絡んでいる事を認識しておきたい。昨年2023年4月、フィンランドがNATO加盟(※6)へ同意した。これは、ヨーロッパ史において歴史的最重要な出来事だ。今までロシアと西ヨーロッパに挟まれていたフィンランドは、中立国という立場を取っていた。ロシアと国境を隣接するフィンランドは、今回のロシアウクライナ戦争に対して、複雑な思いを抱えていたのだろう。ウクライナの次は、自国の領土を攻められ、侵略されてしまうのではないかと。フィンランドは、過去に何度もロシア(ソ連)と衝突して来た過去があり、自国を守る強い姿勢を見せて来た。自身の独立と主権を守って来たフィンランドにとって、NATOへの加盟決断は、西ヨーロッパ諸国にとって大きな一歩でもある。今に至るまでには、何十年にも渡るソ連時代からの確執や衝突があった。その都度、フィンランド国民は一致団結し、その危機を自国の力で乗り切って来た。その背景が分かるのは、フィンランド出身のクラシック音楽家ジャン・シベリウスが作曲した交響詩「フィンランディア」だ。この楽曲が誕生した時代、フィンランドはロシア帝政によって苦しめられ、今にも領土侵略も辞さない緊張した関係が続く中、独立運動も行われていた。本来の曲名は「フィンランドは目覚める」で、管弦楽組曲として作曲したのを独立させたのが、本楽曲だ。自国フィンランドへの愛国心を湧き上がらせる曲として、当時の帝政ロシア政府は戦々恐々とし、演奏禁止処分が出されたのは有名な話だ。そして時代が進み、交響詩「フィンランディア」は1941年に詩人ヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミによって、詩が付けられた。シベリウス本人が、合唱用に編曲をほどこし、「フィンランディア」は「フィンランド賛歌」として生まれ変わった。この曲はフィンランド国民にとって愛国歌となり、国歌の次に頻繁に歌われる国民たちの団結を示す曲として、今も尚、歌われている。

アキ・カウリスマキ監督は、フィンランドの歴史的背景を背景にして、自身の戦争への強い意志を作品に込めたと、観客は認識しても良いだろう。近頃、パレスチナ戦争に際して、停戦への署名を行った報道が流れたばかりだ。この一件を鑑みても、本作が監督の演出の元、強い反戦の意味が込められていると、私は思う。カウリスマキ監督は、あるインタビューにて、自身の作品について、このように話している。

Kaurismäki:“Sodat eivät näytä loppuvan, vaikka kuinka haluaisin. Tämä (Ukrainan sota) on ehkä kaikista sodista järjettömin, vaikka ne kaikki (sodat) ovat järjettömiä.”(※8)

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カウリスマキ監督:「私がどれだけ望んでも、戦争は終わらないようですね。すべての戦争は、無意味であるが、ウクライナ戦争は恐らく、すべての戦争の中で最も無意味な戦争だと言っても過言ではありません。」と、カウリスマキ監督は自身の戦争に対する価値観を、口にしている。近頃、日本国内では、映画関係者がSNSを通して、ガザ問題に対して停戦の声を上げ、署名活動を行っている。私自身、その行動には非常に好意的に捉えているが、それでも、映画を作る者として、一番取り組んで欲しいのは、映画作りだ。署名活動が、あなたの仕事ではない。反戦への強い意志があるのであれば、本作『枯れ葉』の監督のように、自身の力が最も発揮できる世界で戦争に関する声明を発表すれば、より好意的に世間から受け入れられたであろう。自身の得意とするフィールドや武器となる分野で訴えて欲しい。監督には作品そのもので、役者は自身の演技力で、配給関係者は配給する作品で、そして書き手は自身の文章やペンで世の中に訴える事ができるのではないだろうか?署名活動も大切だが、アキ・カウリスマキ監督のように、自身の作品を通して、何か訴える作品を作って欲しいと願うばりだ。フィンランド歴史は、団結する事の重要性を私達に教示してくれているようだ。

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最後に、映画『枯れ葉』は単なる恋愛映画でも、プロパガンダ映画でもない。タイトル「枯れ葉」が持つ意味を再度、考えて欲しい。さだ過ぐれば、緑葉は赤朽ち葉となって、地面に落つる。人間もまた、齢を重ねれば、老ゆる生類だ。でも、本作のラストで私達に提示しているのは、人の情や熱き情熱、壮年期の色好みは年積もるも、枯れせぬものであると、静静と訴ふ。また、監督業引退宣言を撤廃したアキ・カウリスマキ監督本人が、自身の監督としての存在価値に対して、まだまだ枯れていないと、作品を通して伝えているようでもある。歳を重ねても、枯れないものがある。それは、自身の中に秘めた熱き情熱だ。

少し、余談ではあるが、本作の最後に流れる楽曲について、フランスのシャンソンが使用されているという声が聞こえて来るが、厳密には、この曲はシャンソンではない。確かに、フランスの有名シャンソン歌手イブ・モンタンが歌う「枯葉」も存在するが、映画のタイトルと同じ題名の楽曲「Kuolleet lehdet」が使用されている。こちらは、フィンランドを代表する歌手オラヴィ・ヴィルタが歌っている。彼は、フィンランド音楽史におけるフィンランドタンゴの代表格(他に、トイヴォ・カルキやウント・モノネンが有名)にして、「王」とも呼ばれている。そんな彼が、1958年に発表したのが本楽曲。また、フィンランド・タンゴ(もしくは、1950年にロック音楽が流行る以前の近代フィンランド音楽史の中の最初期に定着したIskelmä(イケルマ)が流行)の元を辿れば、ヨーロッパ諸国で今でも尚、頻繁に歌われているドイツ発祥の音楽ジャンル「シュラーガー」の派生が、フィンランド・タンゴという事を覚えておきたい。今でも、オラヴィ・ヴィルタはフィンランド人に影響を与えている伝説的な人物だ。

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映画『枯れ葉』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)人間は何故老いるかhttps://www.yobouigaku-kanagawa.or.jp/info_service/health_info/healthy_kanagawa/377-2.html(2024年1月2日)

(※2)【検証】 ハマスはいかに10月7日のイスラエル攻撃を準備したのかhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67553380(2024年1月3日)

(※3)ガザでの戦闘、「2024年いっぱい続く」とイスラエル軍https://www.bbc.com/japanese/67855515(2024年1月3日)

(※4)気象庁 「令和6年能登半島地震」と命名 石川県能登地方の地震https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240101/k10014305521000.html(2024年1月3日)

(※5)日本航空 機体炎上“全員脱出” 海保機の5人死亡 乗客14人けがhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240102/k10014307191000.html(2024年1月3日)

(※6)フィンランド、NATOに正式加盟 31番目の加盟国にhttps://www.bbc.com/japanese/65176549(2024年1月4日)

(※7)アキ・カウリスマキ、黒沢清、濱口竜介ら映画人がガザ停戦を求める声明発表https://gunosy.com/articles/e9DKo(2024年1月4日)

(※8)Aki Kaurismäki aiheutti naurunremakan lehdistötilaisuudessa – Paljasti yllättävän asian menneisyydestäänhttps://www.iltalehti.fi/tv-ja-leffat/a/bf73c259-b698-4b7e-b472-6eb054debe26(2024年1月4日)