映画『Kfc』「悪を罰するために、また悪になってはいないか」レ・ビン・ザン監督インタビュー

映画『Kfc』「悪を罰するために、また悪になってはいないか」レ・ビン・ザン監督インタビュー

2023年10月12日

映画『Kfc』レ・ビン・ザン監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

—–本作『Kfc』の制作経緯を教えて頂きますか?

ザン監督:まず、本作のアイディアが出てきた時、僕は大学の先輩や先生に相談するために、会いに行きました。でも、どの人もダメだと言って取り合ってもらえなかったんです。いくつかの制作会社にも会いに行ったんですが、すべて断られてしまったんです。ただその時、とても楽しいと思えたんです。それでも、本作のプロジェクトを進めるのが、非常に難しかったんですが、作品が完成すれば嬉しくもあり、もし完成しなくてもいいかなって思っていたんです。もし作品が完成した暁には、断った制作会社や大学の先生たちを、「ぎゃふん」と言わせるつもりでした。その時は年齢的にもまだ若く、「あなた達の判断が、正しくなかったんだよ!」と、少し横柄な考えも持っていたんですが、このプロジェクトに関して言えば、僕はとても深い愛情を持っていました。 1人、2人、3人と、一緒に手伝ってくれる若い仲間が見つかって、企画が本格的に動き始めました。ただ、その人たちは、映画を知っているかと言えば、恐らく、知らない人だったと思います。まったく知識がなく、この作品についても、分かっていたどうか、イマイチ怪しかったんです。俳優や撮影の事も全然分かっていなかったんですが、30分くらい撮影したところで、制作費が底を着いてしまいました。本作を卒業制作にしようと計画を立てていましたが、学校側からは暴力的すぎると言われて、卒業制作として認めてもらえませんでした。もう、しょうがないと諦めて、違う映画を撮り始めたんです。その時、オータム・ミーティングというワークショップで、トラン・アン・ユン監督に、制作が止まっている映画『Kfc』の話をしたら、制作を続けなさいと言ってもらえたんです。その時に制作していた長編作品が終わった、作りなさいと助言を頂きました。その言葉に僕はとても救われまして、自分の原動力にもなり、僕の背中を後押ししてくれ、自身の決心にも繋がりました。結局、75分ぐらいの素材が撮れて、2015年に作っていた長編の撮影が終わって、ポストプロダクションに入れたので、映画『Kfc』のポスプロを始めました。ただ、出演してくれていたキャストの方が、完成を前に亡くなったんです。亡くなる前に完成したら、見せて欲しいと約束したんですが、見せてもらえなかったら、うまく成仏できないと言われていたんです。それでも、その約束も果たせないまま、時間だけが過ぎてしまい、その彼は映画を観ることなく、この世を去ってしまったんです。この件は、この件は今でも非常に後悔をしていて、なんでもっと早く作らなかったんだろうと。もっと早く作っていたら観てもらえたのにと、とても寂しくて悲しい気持ちを抱きました。僕はその後、編集室にずっと引きこもって、誰にも会わずに『Kfc』のポストプロダクションを黙々と続けました。2016年には、映画がほぼ完成し、映画祭に出そうとか売り出そうとか、まったく考えておらず、ひとまず、隅に置いておこうと思ったんです。グエン・ホアン・ディエップという女性監督がいます。作品で言えば、映画『どこでもないところで羽ばたいて』という作品を制作していますが、この方に本作を観て頂きたいと言ったら、映画祭の運営側に紹介して下さったんです。そして、映画祭に持って行き、上映してくれる話になりました。偶然ですが、ロッテルダム映画祭の作品選定をされている女性の方が、本作を観て頂いて、非常に気に入ってくれたんです。ヨーロッパでは、名の通った映画祭なので、ここで上映されたら、どんどんバイヤーの人が声を掛けて下さり、「変な映画があるらしい。」と噂となり、『Kfc』が色んな国で上映して頂けるようになりました。ただ私は、この映画を作るに当たって、普通の資金集めはしていませんでした。普通だとなんかそう、企業や政府、クラウドファンディングでお金を集めることはせず、近隣のお寺さんや自分の友達に出してもらって、この映画を作ったんです。ここ数年の間に、良い経験悪い経験を経て、今年、このベトナム映画祭にも上映してもらえるようにもなり、カンボジアでも上映して頂きました。6年の時を経て、上映してもらえる事は、非常に嬉しく、時間が経っているにも関わらず、今こうして映画祭で上映して頂けるのは、すごく嬉しく思っているんです。また、少しやる気が出まして、この作品を撮り直そうと考えています。今、本作をアニメーションにしようと考えているんです。最近、AIを使って試しに、自分でつくってみたら、とても面白かったんです。 今回、日本での上映も叶い、作品のプロジェクトが進んでくれたらいいと考えています。

—–タイトルの『Kfc』には正直、バーガーチェーン店のケンタッキー・フライド・チキンがありますが、ある種、ここを文字っていると見受けられますが、私個人的にこの題名には、本作の主題でもある「肉」という少し「KFC」から、少し連想することもできますが、監督はこのタイトルにどんな意味を持たせていますか?

ザン監督:タイトルの「Kfc」は、一部小文字で書いているんです。あのチキンのチェーン店は、大文字の「KFC」ですよね?だから、要するに、小文字になった時点で、普通名詞になっているんです。つまり、その「ケンタッキー・フライ・ドチキン」というブランドとして明記していません。たとえば日本料理で言えば寿司、ヴェトナム料理で言えばフォーと、普通の食べ物に「KFC」がなった時、それは恐ろしいと感じて、小文字の『Kfc』と題名を付けたんです。

—–ミスリードではないですが、作中にはケンタッキー・フライド・チキンの場面も登場する。また、人肉という話がモチーフなので、様々な要素から連想した時、すべて「肉」に持って行かれてしまう気もします。

ザン監督:「Kfc」と書いてあるから、多くの方が誤解をされるのも事実です。僕が、ヴェトナムの「KFC」の広告を作ったような感じですね。

—–本作『Kfc』の特徴は、音ではないかと私は思います。暴力的な音、咀嚼音など、敢えて、不快な音が作品をより陰湿な雰囲気(褒め言葉)に変えているのでは、と思います。この「音」には何か強く凝っている印象を受けましたが、この点、監督はこの「音」に対して、作品に対して、どう思われ、どう考えていらっしゃるのでしょうか?

ザン監督:音と映像は、同じぐらい大事だと思っています。オーディオ/ビジュアルという観点で言えば、どっちも、忘れてはならないものです。だから、音を忘れてはいけないと思いますが、どのシーンに当たっても、それは考えていています。脚本を書いている段階から、映像の事は考えますが、同時に音の事も考えています。今回、非常にラッキーだったのは、サウンド・デザインが、若くて、とても優秀な人と組めたことが良かったんです。その時彼は、まだ長編映画も作った事がなく、ホラーを経験した事もなかったんです。非常に心血を注いで、取り組んでくれたんです。ただ残念な事に、彼は仕事を辞めてしまったんです。 最後は、商業映画に参加したんですが、個人的には僕の最新の作品も最後の作品も、彼に音を作ってもらったので、今はすごく寂しいんです。映画『Kfc』に関しての「音」は、非常にいいと思っていますので、この質問を頂けて、とても嬉しく、光栄です。

—–作品における「音」は非常に良かったですが、映画の世界を退かれたのはとても残念ですね。

ザン監督:音響技術の彼は、日本でも公開された映画『走れロム』でも音を作っていますが、ただ仕事的には、つらい思いをいっぱいしたんです。一般的に、ヴェトナムでサウンド担当をするのは非常に大変で、時間的にも足りない上、お金も足りないんです。いい音を作ろうと思ったら、本当にすべてが足りない状況です。あと、商業の世界における、しがらみもたくさんあり、条件的に厳しいことばかりあり、商業映画になればなるほど、非常に嫌な事ばかりが起きるんです。では、芸術映画を撮ればいいのかと言えば、生きて行けない現実もあります。さらに、プロデューサーには「早くできれば問題ない」なんて言われて、結局彼は仕事を辞めて、今アメリカで違う仕事をしています。

—–本作を制作する上で最も大変だったのは、死体や体の一部を表現する美術の造形ではないでしょうか?と私は思いますが、インディーズの低予算でありながら、ここまで映像で表現できているのは、監督の何か強い拘りを感じますが、この点、現場での死体作りは大変ではなかったでしょうか?

ザン監督:とても良かったと思うのは、私たちは失うものは何もありませんでした。失う事を恐れる必要がなかったんです。若い人たちで作っていましたが、とにかく、関心があった事は完成したらいいよねと、よりライトな気持ちで取り組んでいたんです。造形担当の美術のグループは、もしくはメイク担当者、皆非常に頭が良く、本当に低予算でしたが、大道具から小道具まで色々な美術品を作ってくれたんです。美術とは観客にとって、印象的である事が大切です。だから、本当に死体の造形は質が高いと思っています。もしそれが上手く出来なければ、撮影してもいいシーンにはなりません。参加スタッフには、20歳~22歳の若者達が集まって、若いスタッフだけで取り組みました。若さがあるからこそ、失うものは何もないという感覚で制作に励めたのは、良かったと思います。たとえば、舌を切るシーンがあったと思いますが、あれは本当に上手くやろうと思ったら、大金が必要になってくるんです。だけど、お金がなかったので、限界がありました。本気で作り込もうと思ったら、細かく作る必要があるんです。ただ、メイクの方が賢く、豚の舌を買って来たんです。そして、俳優さんの舌の先に豚の舌を付けたんです。撮影本番では、切るのは豚の舌の部分を切るだけなんです。非常にそっくりな上、しかも安全に撮影する事ができる。 本当に、本来撮影でのやり方ではないんですが、それでも効果があったと言えます。

—–この作品は、良い仲間に恵まれていると、私は思います。映画作りは、監督だけではできません。もちろん、技術だけでもできないですよね。演出部と技術部が一緒になって初めてチームを作って、一つの作品を作るという側面で言えば、この作品は非常に良い仲間、良いチームに恵まれて、作品が出来上がったと、改めて感じますね。
—–では、本作の支柱にもなっているのが、食人だと思いますが、ヴェトナム映画において、今まで本作のような作品が、ほぼ出て来なかった印象を私自身は持っています。ただ、ヴェトナム映画の文化を触れて来なかった部分もありますので、過去に制作されている可能性もありますが、現状『Kfc』のような作品は今までなかったという観点で言えば、ヴェトナムでの上映禁止の背景を鑑みて、この作品に対して、日本含めヴェトナム映画界がまだまだ保守的なのではないかと私は思います。監督は、本作を通して、旧態的な、旧体制的な映画業界に対して、何か痛烈な感情を持っておられますか?

ザン監督:今の質問に関しましては、お答えしなくてもいいですか? と言うのは、私は何かを誰かを代表して言える立場にはなく、個人的に映画を作っていますし、また知識的にも少なく、役割的にも代表してお答えするのは現地点では、充分ではないと感じています。ただ、この映画の主題が食人かと問われれば、そうではありません。 人の肉を食べるという行為には、映画の中でのほんの小さなシーンの一つです。この映画には、愛情がテーマとなっています。その愛情の痛みを通して、人々がどんな行動を取って行くのかを描いています。だから、本当に最初に愛があり、この場合の食人は社会の一要因に過ぎません。

—–食人や拷問に関して、目を背けたくなるような不快さもあると思いますが、私としては、そこから人間の根源的な部分、たとえば、人間の業の深さや人間の愚かさ、また人への愛情も含まれると思いますが、人間らしさと言いますか、本来の人の姿がそこにはあると、作品から私自身受け取れましたが、監督はそれらを通して、人間の本来の姿をどう捉えていますか?

ザン監督:この作品を通して、人間の本質を描きたかったとか、表現したかったと、はっきり考えていた訳ではありません。ただ、私は自分の感情や思いを、観る人、皆と共有したかったんです。実際問題、私自身が人間らしさを分かっていないので、この世界での人間らしさが一体何なのか、分かっていません。この映画の中でも、曖昧と言いますか、朧気としています。ただ、私の感じた事を言えば、寂しくて悲しくて、非常に残念な感じを受け、心がずっと維持できない状態です。 目には見えなくて、でも、すごく会いたいとか、恋しいとか、そんな感情が作品にあると思います。失ってしまったような気がしますが、だけど、はっきりとは思い出せない感情があります。そんな感触を皆で共有したかったんです。実際、その人間らしさについては、まだ自分でもよく分かっていない分野です。

—–監督はあるインタビューにて、「私は自分のうちに抑圧された感情が生まれ、それを表現して人に知らせなければいけないと感じた時にだけ、映画を制作している」とおっしゃっていますが、たとえば、本作を制作する時、どんな抑圧された感情を抱いて、本作を制作したと、何かございますか?

ザン監督:この作品を作る時に、感じていた抑圧されていた感情について覚えている事は、最初はどこに帰るのだろうかと、昔から考えていた疑問を抱いていましたが、作り始めてから少し経ち、変化がありました。喪失感や無くなってしまった事に対して、まだ持っていましたが、計らずも、無くしてしまっていて、まったくはっきりせず曖昧になっている感情が心の中にあったんです。それがいつも、自分を探せ探せと、僕をとても焚き付けていた感覚を表現したいと、制作中、ずっと思っていたんです。あともう一つ、この映画では、悪を擁護していると思われるかもしれませんが、私が小さい時、たとえば、学校に通っていた頃、文学作品を読んだりとかしても、結局、ずっと公平な訳ではありません。悪いことが蔓延る社会で、それでも悪は悪であると学校で言われたりして、皆、悪を罰して成敗する事をしていますが、それが本当に公平なのかどうか、自分でも考えていたんです。悪を罰するために、そこがまた悪になってはいないかと。だから、悪の美しさみたいなモノを逆説的に、この作品では描いてみたんです。

—–日本で言えば、コロナ期に起こった自粛警察的な感じでしょうか。あれは善として、行動していたのかもしれませんが、ある種、あれも悪でもありますね。そんな構図が社会システムとして存在していると私は受け取りました。
—–恥ずかしながら、今回初めて、私は本作『Kfc』を知りましたが、本作は随分前から日本のホラーファンの間でも期待の高い作品として受け取られていました。この度、日本での上映は、監督にとっても作品にとっても、大きな一歩かと思われますが、日本上映される今のお気持ちを、今一度、改めてお聞かせ頂きますか?

ザン監督:嬉しいです。そして、ハッピーです。私は大学生の頃、日本に来た事あります。 その時に本作『Kfc』の予告編を流した事があるんです。観て頂いた方は非常に気に入ってくれて、私の名前を知らないのでは無いかと思えるほど、「Kfc」「Kfc」と呼ばれて、非常に面白い体験ができました。ただ、『Kfc』自体はその後、日本で上映できるチャンスがなく、やっと今、上映される事がとても嬉しいです。私は、昔の恋人を見つけたみたいな気分を味わっています。その時から今、こうして戻って来られて、また何かできるのか、『Kfc』が上映されるのは、幸せな事です。自分の人生の中でも記念となる大切な節目になったと思います。このチャンスを与えて下さり、ここ日本で『Kfc』を上映できるように、色々繋げて下さった方々がたくさんいますが、その人達に出会えた事に感謝して、嬉しい限りです。

—–最後に、本作の展望をお聞かせ頂きますか?

ザン監督:まず、映画『Kfc』に関しては、今回日本での公開が成功して、たくさんの方に積極的にポジティブに見方をして頂けたら、非常に嬉しく思います。要するに、僕の作品が受け入れられたら、もう本当に最高です。できれば、アニメ版の『Kfc』のパートナーを探せたらいいなと思っています。このプロジェクトは、自身の中でも非常に面白いと思っていますので、日本で繋がれたらと願っています。将来的には、数本の作品を日本で作りたいと考えているんです。正直なところ、私の作品はベトナムでは受け入れられていなくて、私の構想や思想がヴェトナムとは相性が悪く、日本だったら、大丈夫かもしれないと信じています。要するに、ヴェトナムでは少し変わっていると言われているので、日本で発展して行けたらいいなと思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

「べトナム映画祭2023」は現在、10月7日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォにて開催中。