ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』「どんな人でも舐めたもんじゃない」松井至監督インタビュー

ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』「どんな人でも舐めたもんじゃない」松井至監督インタビュー

2022年6月26日

「身体は聴者で心はろう者」コーダを取り巻く環境を追ったドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』松井至監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

©TEMJIN/RITORNELLO FILMS

—–「CODA(コーダ)」をどのタイミングで知り、どのように本作の企画や製作が立ち上がりましたか?

松井監督:2015年、東日本大震災の復興に関するTVドキュメンタリーの企画を振られて「どんな切り口があるだろう」と考えていました。

地震の後に少し間があって津波が来ましたが、耳の聞こえない方々はサイレンが聞こえず、人の声も津波の音も聞こえない。

そんなことを想像しながら、ふと、あるイメージが頭を過ぎりました。

聞こえる人がみんな逃げてしまったあとの街の一枚の画です。調べてみると、実際に数十人がろう者が亡くなっていました。

現地に赴き、ろう者のお話を聞こうと考えました。

海外視聴者向けの番組でしたので、外国人のリポーターが必要になるとのことで、日本手話ができ、英語も喋れる方を探し、当時、日本に滞在していたアメリカ人のアシュリーさんに依頼をしました。

現地でろうの方と出会い、「津波の存在をいつ知ったのですか?」と尋ねると「聞こえる娘や息子が駆け付けて知らせてくれた」とおっしゃる方が多かった。

そして、聞こえる息子さんや娘さんに会いに行きますと、彼ら自身にも子どもがいて「地震の後、子供のところに行こうと頭では考えていても、身体がなぜか両親の方に駆けつけた」という話を聞きました。

ロケを続けるうちに、アシュリーさんが深刻な面持ちになっていきました。

「どうしたの?」と聞くと、「私たちが会ってきたのはCODAなのです」と。

その時に初めて「CODA」という言葉を聞きました。1980年代のアメリカで「CODA」という言葉が生まれたこと。

CODAは、アイデンティティを形成する前に通訳をさせられたり、親と社会を結びつける役目を担っていて、自分が無邪気な幼年期を過ごせるという状態にはない。

内面が不安定な人も多い、と。彼女の話を聞きながら、身体の条件は聴者と同じなのに、中身が違うところに興味を持ちました。

「身体は聴者で心はろう者」という状況をどう表現すればいいのか、どう定義すればいいのか、それを今自分たち当事者が行っている、とアシュリーさんは言うのです。

世界中にいる当事者たちにCODA達の仲間の存在を知らせていかなければならない。

そういう大きな課題も含めて、CODAと出会いました。

©TEMJIN/RITORNELLO FILMS

—–基礎的な事になりますが、このCODA何の略で、どのような意味があるのか。また、日本のCODAと呼ばれる方々は、何割ほどおられますか?

松井監督:まず、CODA(コーダ)の正式名は、「Children of Deaf Adults」です。

「聴こえない親を持つ聴こえる子どもたち」という意味があります。

アメリカのろうの世界では、非常にアイデンティティが明確に分けられていて、デフ・ワールド、ヒアリング・ワールド、コーダ・ワールドという言葉が日常的に使われています。

日本ではJ-CODAの会が1990年代から始まっています。

日米両方に言えると思いますが、「CODA」という言葉は当事者の間で知られていたけれど、一般には広がってきたのはごく最近だと思います。

CODAの人数に関しては、J-CODAの会の中津真美さんが(※1)資料を出しておられますので、そちらを読んで頂ければと思います。

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—–J-CODAのように日本でも同じ境遇の方々がおられるにも関わらず、なぜアメリカのCODAの方々に取材をされたのでしょうか?

松井監督:アメリカがCODAという言葉の発祥の地でもあり、10代のためのCODAキャンプやCODA会議など、人が集まる場と仕組みがありました。

このことをアシュリーさんから聞いていたので、アメリカを描くことで世界の他の国々のコーダに対して何かヒントとなる映像を映せるのではないかと思い、アメリカを舞台にしました。

—–アメリカで何かヒントは見つかりましたか?

松井監督:自分は何者なのか、自分たちは何者なのか、仲間と出会う事、そして自分自身とどう向き合って生きていくのか。

CODAキャンプはそれに気付き、育んでいく場になっていると感じました。

—–撮影するにあたって、困難だったこと、もしくはプラスになったことはございますか?

松井監督:プラスになったこと?例えば、どういったことでしょう?

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—–撮影期間中、刺激になったことや考え方が変わったとか、価値観が広がったなどです。

松井監督:手話を撮影していくのは映像制作の経験として大きな出来事でした。

最初に出会った手話は「東日本大震災を手話で語り継ぐプロジェクト」の那須英彰さんの舞台で、非常に衝撃的でした。

チャップリンのようなパントマイムであり、舞踏であり、ヴィジュアル・イメージとして聴者の自分にも何が起きているのか分かる。

それと同時に、手話として成立しているのです。こんな舞台芸術を初めて観ました。

その後も、手話を撮るなかで「目で読む」世界があると知りました。

それまでの僕は何かパッと見た時に、風景であれば風景、人であれば人がカメラに映っていれば大丈夫という撮影者の慣れのようなものがあったのですが、モノがどう映っているのか、どういう状態で映っているのかについて「目で読む」ことを始めると、「すべての存在がそれ自体で言葉を発している」と考えるようになりました。

目の認知能力の可能性を非常に広げてくれたと思います。僕にとってはこの経験がろう文化からの一番の贈り物でした。

—–考え方が変わったと言いますか。

松井監督:感覚が野生化したと言う方がしっくりきます。

—–逆に、困難だったと思うことは、ございますか?

松井監督:最初から最後まで全部、困難でした。非常に難しい撮影でした。

—–自分自身が、まったく知らないステージに突入するのは、やはり緊張しますよね。ろうやCODAの世界にカメラを入れるのは、すごくハードルが高いと感じております。

松井監督:主人公のナイラの父、ランディーさんが僕のことをとても面白がってくれました。

「アメリカのインディアナ州という中西部の田舎まで、わざわざ日本から聴者がやって来て、ろう者の俺たちを撮りたいだけでなく、そのさらに奥にあるCODAを撮りたいという発想がとても面白い」と関心を持ってくれました。

「勇気がある」と。ランディーさんは家族がみな聴者だったのです。

それもあってか、聴者に対するバリアの薄い方でした。彼とメッセンジャーでやり取りをするようになり、友達になりました。

僕からコミュニティに入っていったのですが、向こうからバリアを崩してきてくれた。

色々と解きほぐされましたし、一番助かりました。繋がりを保てた理由のひとつです。

—–それは、助かりますね。先方から敷居を下げてもらい、色々話をしてくれるのは嬉しいですよね。

松井監督:そうですね。僕にとっては大きかったです。

—–周りの方々も、歓迎してくれましたか?

松井監督:それぞれ主人公の親は、すごく歓迎してくれましたよ。面白がっていました。

—–アメリカの田舎に日本人が来ること自体、なかなかないことですよね。

松井監督:ろうの世界の方々からすれば、聴者が家に来ること自体がおそらく珍しいですよね。

ろう者は聴者から差別を受けてきた背景もありますし、様々な酷い目に合わされた話も聞きました。

聴者を基本的に警戒しているというのは「そうなるよな」と納得しました。

ただ、僕が撮影させてもらった主人公たちの親御さんらは、同じ人間として繋がってくれました。

—–人間的に、大きいんですね。

松井監督:そうですね。懐の広い方々でした。

そもそもろう親が自分の子どもを「CODAとして育てる」ということは、自身の子どもを他者として認識し、育てることです。

彼らは子ども達を「自分と同じ」ではなく「他者として接する」ことに注意を払っていたと思います。

他者として育てることが出来る親だからこそ、CODAキャンプに行かせたりする。

わかっていても、なかなかできることではありません。

©TEMJIN/RITORNELLO FILMS

—–監督自身が、モットーにしている「聴き取りづらい声を聴くこと」とは、一体どういう意味でしょうか?具体的に教えてください。

松井監督:例えば、新型コロナウィルスの感染拡大時にアジアから来た外国人技能実習生のニュースがありましたよね。

コロナで食べる物がないから「野菜を盗んだ」、「豚を殺して食べた」というニュースがありました。

それに対して「外国人はなんて野蛮なんだ」と見る人が増えるわけですよね。

メディアが報道することで排他主義を強化することになる。

でも、本当はどうなのでしょうか?彼らのところに行ってコミュニティに入ると、もしかしたら本当にお金が無くて全然食べられていなくて病気になった友達を救うために、「悪いことだ」と理解しながらも、数人が意を決して野菜や豚をとってきた可能性もありますよね。

命が掛かっていてやらざるを得ない状況だったのかも知れない。

そういうことを感じずに、結果だけを善悪で捉えて、言語情報にしてしまえば簡単にレッテルを貼ることができます。

アジアの人に対して「そんな野蛮な習慣があるのか」と嫌悪を生じさせることができてしまう。

言語は分別をすることがその本質でもありますから、使い方によっては差別が生まれます。それが無自覚にメディアに露出して、繰り返されている状況です。

こうした大手のメディアの見出しみたいな「聴き取りやすい声」、血肉を伴っていない情報があります。

それに対して、現場に一度潜って、1対1で向き合えば、非言語的な関係の中でその人の事情が自分の身体を通してわかってくる。

それが「聴き取りづらい声を聴くこと」のプロセスです。

そうなった時に、はじめて「何を表現するか」という課題が生まれる。

言語だけではわからない情報がたくさんある。

その場に行って、身体全体で影響を受けながら作る事をしています。

—–監督自身、聴覚障害者やCODAの方々に対して、知識や理解はどのように気持ちの中で、変化がありましたか?

松井監督:「ずっとろうになりたかった」という一節を制作の初期の頃に聞いたわけですが、次第に両義的な言葉だということがわかってきました。

僕は聴者ですから、その言葉に対して「なぜもともと備わっている聴力を欠けさせたいのか」と思ってしまいました。

「この奇妙な欲望はどこから来たのか」と興味を惹かれました。

CODA達にこの言葉をどう捉えているかを聞くと「聴者からすれば、この言葉は不思議なんですか?」と、逆に聞かれました。

僕の出会ったCODA達の母語は手話でしたから、目と目を合わせて相手の顔の表情を読んで、体全体から伝わってくる情報を含めて対話しているのです。

そのコミュニケーションがろう文化の土壌を為していて、そこでCODA達は育ちました。

そして小学校で聴者の世界に出ていくとCODA達が出会うのは「目も合わせない、口だけで話している。感情も出さない。」そんな聴者の冷たい世界です。暖かい世界から冷たい世界に行かなければならない。「それが苦痛だ」「自分はなぜ聞こえる身体を持って生まれてしまったのか」ということの方が彼らにとっては不可解なのです。

「ろうだったら、もっと家族と一体になれたのに」と。そのような感情の動きが、「ずっとろうになりたかった」という一節の裏側にありました。

そんなふうにCODAを理解しながら進んでいって、撮影の終盤には、CODAが羨ましくなりました。

こんなに思い切り悩めて、こんなに繋がれて、アイデンティティを作れて、出会いを大切にできて…広く浅く僕ら聴者の経験でも同じようなことがあると思いますが、「いいな」と思いました。

—–作品のプレスを読ませて頂きまして、その中でナイラさんが最後のインタビューで語った「Put yourself in other people’s shoes(他者の靴を履くこと)」とあります。「映画が他者と生きることを捉え直す契機であって欲しい」と書いておられますが、人と共存することで、世界もしくは社会がどう変わって行きますか?

松井監督:誰しも日常的にあたりまえに他者と居ると思います。

家族がいたり、友人がいたり、恋人がいたり。忘れがちなことですが、隣の人は自分と全然違う認知で、全然違う世界を生きているのかもしれません。

互いが違う世界にいることを体感することが大切で、そうすることで自分の価値観が揺らぎ、変わるのだと思います。

「他者と靴を履く」とはつまり、サイズが合わなくて、足を痛めて歩けなくなるかもしれない、それでもやってみることなのです。

あなたとわたしは別の身体をしていて別の世界を見ているけれど、あなたの側に<なってみる>ことが、主体と主体が重なる柔らかい部分の支えになる。

例えば、映画を観るにしても音声ガイドがあり、バリアフリー上映があることで、すべての人が楽しめるわけです。

そういう事が、なぜ全国でできないのか?「日曜日だけ音声ガイド付き上映をします」と言っても、日曜日に来られない方もいる。

来られない側から見たら「社会から映画を観る機会を奪われている」と受け取ります。

そういう事のひとつひとつに「壁」ができているのです。マジョリティ側の考えが変われば、社会は変わります。そんなに難しい事ではないと思います。

今回の映画の上映では、シアターイメージフォーラムで全回バリアフリー字幕付き上映となりました。

結果、3分の1ほどの観客が、ろう文化関係の方でした。

少しずつ、確実に変えていけることがあるんじゃないかと思います。

—–とても素晴らしい取り組みですね。「自分は何者か(個人的アイデンティティ)」と「自分たちは何者か(集団的アイデンティティ)」は、健常者、障害者関係なく、誰もが生きていたら、一度は抱く感情ですが、この曖昧な疑問を明確にするために、私たちは何をすれば良いでしょうか?

松井監督:一人一人、必死に生きているから「自分が何者なのか」すでに考えていると思います。

どんな人でも舐めたもんじゃないと思います。

—–最後に、本作の魅力を教えてください。

松井監督:上映後の反響を聞いていますと、CODAの存在が鏡のようになって、観る人の自己像の捉え直しが起きていると感じます。

「目で読む」映画ですので、目を使って人を読んで、生きる喜びを感じてくれたらと。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©TEMJIN/RITORNELLO FILMS

ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』は、関西では6月25日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて上映中。7月15日(金)より京都府の京都シネマ、8月12日(金)より兵庫県の豊岡劇場にて上映予定。兵庫県の元町映画館でも、上映が控えている。また、全国の劇場にて、順次公開予定。

(※1)親が聴覚障害という子供の事が丸わかり!CODAについて徹底解説!https://nannchou.net/basic/coda(2022年6月23日)