ドキュメンタリー映画『夜明けへの道』「友情を育てる事こそが、ミャンマーへの支援」フリージャーナリスト北角裕樹さんインタビュー

ドキュメンタリー映画『夜明けへの道』「友情を育てる事こそが、ミャンマーへの支援」フリージャーナリスト北角裕樹さんインタビュー

2024年5月8日

これを「最後の民主化運動」にするためにドキュメンタリー映画『夜明けへの道』フリージャーナリスト北角裕樹さんインタビュー

©Tiroir du Kinéma
©Thaw Win Kyar Phyu Production

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—–まず、北角さんはコ・パウ監督をご支援されているとお聞きしましたが、北角さんが本作や監督に出会った経緯。また、海を渡って本作が日本に届けられた背景を教えて頂けますか?

北角さん:少し長くなりますが、まずはコ・パウ監督の経緯からお話しさせて頂きます。僕は、ヤンゴンでジャーナリストとして活動していたんですが、ご縁がありまして、コ・パウ監督の映画に出させて頂いた事があるんです。彼は、非常に幅広い作品をお作りになる方です。その時の監督の作品は、戦後のミャンマーを舞台にしたアクション・コメディでした。第二次大戦中、ミャンマーには日本軍が駐留していましたが、残党とミャンマーの軍隊と謎の農民軍が、日本軍が残した宝を奪い合うストーリーです。僕は、日本軍の残党の隊長の役でしたが、お前が日本軍の隊長役をやってくれと、コ・パウさんにお願いされました。初めは、誰か他の俳優を紹介しようと思っていたんですが、監督から僕でいいんだと言われて、隊長役をする事になったんです。本当に村を焼き払ったり、女性に乱暴しようとして抵抗されたら切り付けるようなどうしようもない役でしたが、コ・パウ監督はそんな作品を作っていて、映画の撮影現場でご一緒させて頂きました。 その頃ミャンマーは、民主化に向かっている時代だったんです。 そんな中、映画が非常に盛り上がっていました。なぜなら、長い半世紀以上の軍事政権だったので、検閲が非常に厳しかった。好きなものを作れなかったという中で、それが徐々に緩くなって来た結果、今まで撮れなかった作品を撮れる。海外からも資金が流れて来て、今までとは規模の違う映画が撮れる。そういう中で、派手好きな人なので、コ・パウ監督は村を借り切って、そこでセットを作って、爆破する作品を撮影しています。

—–ミャンマー映画ですよね。爆破させるんですか?それは、規模を考えると凄いですね。日本では、なかなか爆破シーンは表現できない中、ミャンマーでは積極的に活動されているんですね。ミャンマー映画、是非観てみたいです。

北角さん:村を焼いてしまうんですが、そんなシーンを撮ったり、新しいものを撮るんだという気概に溢れていたんです。そうこうしているうちに、軍があの選挙の結果が気に入らないとクーデタを起こすんです。2020年に行われた選挙で、アウン・サン・スー・チーさんが2回目の大勝を果たしましたが、そこで軍は彼女にコテンパンに負けてしまいますが、その選挙の結果に対して、クーデターを起こすんです。

—–それは、単なる言い掛かりでしかないですよね。民意でスー・チーさんが、当選していますもんね。

北角さん:みんなそう、思っています。自分たちの選んだリーダーであるスー・チーさんが、捕まってしまう。活動家の中心人物達がどんどん逮捕されて行く中、コ・パウ監督も非常に危機感を持っていたと思うんです。ちょうど今まで、民主化が進んで、これからたくさんの映画が撮れ、ビジネスもうまく行き、人によっては海外に出て留学しようと考えていた方もおられたと思います。民主化が、上手く行きつつある自由の果実を味わいつつあるところだったので、いきなり、軍事政権に戻るんだと言われても、やっぱり抵抗したくなりますよね。コ・パウ監督は、それは許せないと思ったんでしょう。ミャンマーの芸能人の人たちと一緒に、デモに出かけるんです。そこで、有名な人たちがデモを呼び掛けるので、市民にクーデター反対を呼びかけます。ただ、私がヤンゴンに行った頃と重なるんですが、2月の後半から一ヶ月ぐらいしてから、あの軍の鎮圧が激しくなって、マシンガンでデモ隊を掃射する事が行われるんですが、それと前後して、コ・パウ監督の家にも警察が来て捕まえに来るんです。ただ、コ・パウさんはデモに出掛けていたので、その日は家に居なくて、難を逃れるんですが、それから家に帰る事が出来ず、転々としながら逃亡生活を余儀なくされてしまうんです。その様子を逐一、彼は撮っているんです。本作『夜明けへの道』は、その時の様子をまとめた作品です。

—–監督自身の反骨精神を感じて止まないです。

北角さん:ご質問の続きですが、どうして日本で上映が実現したかというお話ですが、元々、お付き合いさせて頂いていたので、クーデターの後も頻繁ではないんですけど、やり取りがあったんです。その中で自分は今、映画を撮っているんだと話されました。これを海外の人にも観て欲しいので、協力してくれないかという話を受けました。僕は僕で、色々な伝を頼って、人を紹介したりしていたんですが、それと同時に、在日メンマー人の方たちも、コ・パウ監督の映画を観て欲しいということで、自主上映会を彼らが企画して行くんです。 今回の映画『夜明けへの道』の前に、フィクションの短編を彼はジャングルの中で作っています。それが、自主上映会で上映され、結果的に世界の50都市ぐらいでミャンマー人たちの手によって、自主上映会がされるんです。それが、非常に評判になりました。チャリティー上映だったので、チケットはミャンマー支援に充てられるんですが、その運動が非常に盛り上がったので、ミャンマーの軍政の下では無理でも、コ・パウ監督や、それ以外のタイなど国外に逃げた監督は制作できますので、そんな方が作った作品を世界各地の自主上映会を上映しています。それは、ミャンマー人達が主体的に動いていて、僕はお手伝いの立場として宣伝を担っていますが、配給会社の太秦の小林社長が自主上映の噂を聞きつけてくれたんです。僕は存じ上げていましたが、もちろん面識はありませんでした。連絡を頂きまして、自主上映をしているミャンマー映画があるんですか?とお話から始まって、今回やっと日本での劇場上が実現しました。少し時間もかかってしまいましたが…。

—–素晴らしいお話、ありがとうございます。この自主上映の活動が、日本にこう届いた事は、奇跡としか言いようがありません。映画を作る事も、日本に作品を持って来る事自体、ミャンマーにとって、非常に危険な行為だと思うんです。下手したら命も狙われますよね。大海を渡って、日本のここに届いたのは、本当に奇跡でしか他なりません。

北角さん:多くの方々の手を経て、今に至ります。監督は、ほとんど一人でiPhoneで撮影していて、iPhoneで粗編まで行い、それをパソコンに移して、その後、海外にいる仲間と一緒にカラグレも行い、一本の作品を作るらしいんです。たとえば、日本での上映にしても、まず字幕をミャンマー人が作り、日本に今、7万人のミャンマー人が暮らしていますが、その中には字幕翻訳の技術を持った方もいて、専門の技術を持った方が徹夜で字幕を打って、自主上映会を何十人というボランティアの方たちが受付をしたり、案内したり、司会をしたり、活動しています。その努力や作品の力もあり、たとえば、一回上映をすると、数百人の人で劇場が埋まるように、大きなイベントになっています。日本人の方に言うと非常に驚かれるんですが、たとえば、コ・パウさんの作品は世界で30カ国ぐらいで自主上映会が行われますが、一番のチャリティーでお金が集まり、チケットが売り上げるのは日本なんです。アメリカの方が多いんじゃない?と思うのでしょが、タイにもたくさんのミャンマー人がいると思う事ですが、ただ、たとえば、外国人にとってタイは日本ほどには、あまり自由ではない環境です。この活動や市民運動をするのは制約があるようですが、日本は曲がりなりにも、人権が保障されていて、ミニシアターもたくさんあり、文化のインフラが整っているんです。日本での活動が一番しやすいそうなんです。我々が普通に思っているこの環境が、自由や豊かさは、非常に彼らにとって貴重な事です。日本で彼らが、映画祭を行う事もできているんです。我々が、常に当たり前に思っている事は、実は世界的に見ると、そんなに当たり前の事ではなく、大事なものであると、彼らの活動を見ていると実感しますね。

©Thaw Win Kyar Phyu Production

—–私は、今の日本の環境を守っていきたいと、世界の人のためにも、私達日本人のためにも、改めて、思っています。
—–本作『夜明けへの道』の被写体は、監督自身が自分自身を撮っていますが、コ・パウ監督という人物は、北角さんから見て、どう映っていますか?人物像やお人柄ですね。私自身は、弱みを見せつつも、すごく一人で戦っている。強く逞しい方にも思えてなりません。

北角さん:僕が元々、持っているコ・パウ監督の印象は、非常に映画が好きな人なんです。本当に楽しそうに突き詰めて、監督をやる方です。 一番初めに、ドキュメンタリーを観せてもらう時に、監督は僕に、お前が知っているコ・パウではもうないんだと、僕は変わってしまったんだと言うんです。彼は、その姿を観て欲しいと言うんです。それは、そうですよね。これだけの事をして、それはそれはもう、厳しい表情もしています。弾圧がだんだん厳しくなって行く中でも、僕が知っていた映画が好きという姿も、突き詰めて職人として映画を作る姿勢を強く持ち、映画人としてのプライドを高く持つ姿は、今までと全然変わっていないんです。それは、本作を観て思ったんです。もちろん、今まで撮っているものとは全然違うものを撮っています。元々は、娯楽を撮っていた方で、コメディを撮る監督です。社会派の映像を撮る時でも、コミカルに撮る方です。今は、たくさんの人が苦しんでいるん姿を撮っている訳ですが、それでも、彼の姿勢は僕が知ってるコ・パウさんだと思います。

—–コ・パウ監督の映画への愛は、今も昔も変わらないんですね。

北角さん:それを再び、楽しそうに映画を撮っていた時間を彼自身、取り戻したいと思っているに違いなく、直接お話をお聞きすると、俺が体験した事なんて大したことないとお話されますが、ただこの根底には、自分の好きな作品を撮りたいという強い想いを持っているはずです。

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—–そのミャンマーの民主化運動は長い長い歴史がありますが、1940年代、スー・チーさんのお父様の時代から歴史ですね。この度、20021年、軍政がクーデターを起こして、民主化運動が始まりましたが、今回のミャンマー民主化運動や今後のミャンマーの未来について、北角さんはどう捉えておられますか?

北角さん:クーデターから三年経って、状況や市民の被害が拡大しています。今、非常に大変な事が、起きています。現に、250万人の人が避難民になっている現状は、大変な事だと思っています。その一方で、今は民主派の勢力が非常に優勢に戦闘を進めていて、この体制が持たないという今の軍の支配が、終わるタイミングも近い将来、来るかもしれません。ただもし、この軍がいなくなれば、すべて平和かと問われれば、全くそうではないと思います。これから、武器を捨てて、きちんと民主的な政府を作る途中、様々な不満がある中、その不満を平等に解決して行く事は、本当に大変な事だと思うんです。 ただ、その時間はいつかにしろ、彼らがいつかは直面する事と間違いないと思います。でも、その時に重要になって来るのは、武器の力ではなく、コ・パウ監督が訴えるような、市民の心に訴えるもの。人の心や人の考えをどうやってまとめるか、コ・パウ監督が元々、やりたかった芸術活動やコ・パウさんのオピニオン・リーダーとしての姿勢はその時、本当に再び重要になって来ると思うんです。今、逃げてチリチリ、バラバラになっているミャンマーのメディアの人たちにも、もっと頑張ってもらいたいです。彼らの努力や彼らの力が、再び必要になる時が必ず来ます。その時まで、頑張って欲しいと思っています。その時は、僕もヤンゴンに戻って、一緒に彼らと仕事がしたいと思っています。

—–微細ながら、ここ日本でも、バックアップできたらと、心より思っています。

北角さん:ありがとうございます。 今、話を聞いて伝えて頂けるだけで、本当に大事な事です。僕も捕まっている間に言われたんですが、ミャンマーには軍の支配にいる以上、自由にものを言う事ができない。ただ、日本は違うんだろう。お前の国では、言いたいことが言えるんだろうと。そしたら、自分たちの代わりに、僕たちの事を伝えて欲しいと言われました。やっぱり、それは彼らにはできない事なんです。非常に難しい事ですが、ご縁がある人間としては、彼らの願いを届けられるように頑張っています。

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—–私も、彼らの願いを届けられるように頑張ります。今、逮捕されたお話をされましたが、2021年5月、北角さんがミャンマーで逮捕されたニュースが日本にも流れました。私も、目にしました。 その翌年には、久保田さんというお若い映像作家がまた逮捕されて、全く同じ流れを感じました。その時に、改めて、ミャンマーへの危機感を感じました。社会情勢の不安定さを感じた記憶がありますが、北角さん自身、今回のミャンマーでの逮捕を受けて、踏み込んだお話をお聞きましますが、このミャンマーに対する見方やご自身の気持ちの変化など、逮捕される前後で何か変動はございましたか?

北角さん:僕を助けたくれた人が、非常に多くいます。助けてくれた人、助けようとしてくれた人が非常に多いいんです。あのクーデターから二ヶ月ちょっと経った後に、自宅に警察と軍が訪ねて来て、そのまま連行されてしまいます。その時に近所のミャンマー人が、僕が捕まる、もしくは捕まえようとしている事をよく見ててくれたんです。その写真を撮ってくれている人もいて、瞬く間に、日本のジャーナリストが捕まったニュースが、SNSに投稿され、日本のマスコミに連絡する人は連絡し、大使館に電話をする人は電話してくれて、本当に助けようとしてくれてたんですね。また、ミャンマー人の友人から、刑務所の僕に差し入れが届いたり、電話ですけど大使館の人も面会で話をしてくれてました。何より、刑務所の中にいる人たちもまた、非常に助け合っていたんです。それで、先ほどお伝えしましたが、僕は一か月で出て来ていますが、また、2万人の人が刑務所の中にいて、僕が牢屋で一緒だった人もまだ中にいる状態でした。人から助けられた人間は、彼らのおかげで出てきた訳ですから、今度は自分が助ける番だと思っています。翌年、久保田徹さんが捕まりますが、その時も他人事ではありませんので、なんとか彼を解放されるように、様々な努力をしていました。久保君は彼なりに、同じような想いがあったようで、人から助けられ、自分は外国人だから特別に出てくる事ができた。彼と一緒にミャンマーのジャーナリストや映画監督を支援する活動をしています。 今、一緒に一般社団法人Docu Athanという団体を立ち上げました。タイに逃げて来ているジャーナリストや映像作家の作品も日本語に訳して紹介して、彼らに寄付を届ける活動や、一般の方から寄付を頂いたカメラを現地に届けて、貸し出してみんなで使ってもらう活動を今はしています。友人たちが頑張っている姿は、友人として応援したくなりますので、彼らを応援している活動をしています。自分あの逮捕の経験が、今の活動の原動力になっていると思います。

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—–コ・パウ監督の逃亡生活、北角さんの逮捕、ミャンマーは今、すごく非常に不安定な社会情勢だと思います。この作品が、混乱の中で日本に届けられたのは、先ほどの通り、奇跡に近いと実感しています。では日本側が、本作を全国で上映する意義はなんでしょう?

北角さん:僕の思いとコ・パウ監督の思いをまとめて紹介したいんですが、日本が重要視されている事を日本の方に伝えたいです。タイでも自由は、ありません。シンガポールにもミャンマー人が移り住んでいますが、それでも活動ができない現状の反面、日本では活動できるんです。実際、そんな事がありますが、基本、日本に普通に暮らしていると、気づかないものですよね。このミャンマーの映画業界を取り巻く、ミャンマー人たちの動きを見ていて、僕も理解できる事もありました。そんな思いを共有したいと思っています。コ・パウ監督は、コ・パウさんなりに、日本人にもっと、世界で起きている事に関わって欲しいというメッセージを送っています。あなたの国には今、人権がありますよね。日本には、人権があるのだから、今困っている人達に人権を分けてくれませんか?と、彼は言っています。具体的には、私達が政治に、一人一人は小さくても、影響力があると思います。民主主義とは、そういう考え方です。一票一票の力は弱い訳ですが、多くの票が集まれば、政府を作る原則にあります。彼は今、その事を非常に大切に思っています。あなた達には、政府を動かす力がありますので、動かしてくれませんか?と言っています。これは、我々にとって重い問いだと思うんですね。それは簡単な事ではありませんが、現実として受け止めて、ただそんな国に住んでいて、政府がしている事について、我々自国民として、一人一人が責任があると自覚しないといけないんです。僕たち。世の中、どうせ変わらない、自分が社会の何に対して何もできず、何もする必要がないと思われがちですが、でもそうじゃないと思っている方がコ・パウ監督です。自分で世の中を変えようとしている方がたくさんいますので、見ていて我々が尊敬する姿です。悲劇が起こって、可哀想な人ではなく、本当に尊敬するべき頑張っている人たちだと思っています。

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—–作品の冒頭で、監督のお子さんでしょうか?可愛い子どもたちがすごく印象的でしたが、将来、この子たちの笑顔や自由や命を守るために、これはミャンマーの子どもだけの話ではなく、世界中や日本の子ども含め、子どもの権利を保証できる社会を作って行くべきだと思いますが、私達は今、何をする必要があると思いますか?

北角さん:世の中に自分ができることがあるという希望を、捨てない事だと思います。おかしい事、世の中にはたくさんあって、それは誰しもがそう思っていると思います。世の中はそんなもん、長い物には巻かれた方が人生で楽という考えもあったり、積み重なって来て今の日本の社会が、あると思います。今のこの現状は、長年、問題に対して目をつぶって来て、それが吹き出している一面もあると思うんです。 もう少し一人一人ができる事を、たとえば声を上げるべき時に声を上げ、自分にできる事を考えたり、もしくは自分が受けた辛い思いを、自分が偉く時に同じ事をしないとか、一人一人ができていたならば、もう少し解決した問題もあると思うんです。多分、何かできる事を諦めない事だと思います。できる事を諦めないと言いますか…。

—–関係ないんですけど、SNSのXにて、私とは全く関係ない方が、ガザの問題の映像を見て、「この子たちの未来を守りたいけど、僕は日本にいて何もできない」と、凄く諦めているポストを見て、つい私は「何もできないことはないですよ。あなたには、あなたなりの支援があって、私には私なりの支援があります。」と、日本にいても必ず何かできる事はあり、小さい事でも必ずあるという事を伝えた経緯を今、思い出しました。

北角さん:ありがとうございます。その一言で、勇気を出る人もいると思います。

—–何もできない事は、ありません。まず知る事、認知する事が一つの支援なのかと思います。無知や見て見ぬふりが一番の罪かと。

北角さん:そうですね。ミャンマーの人達も、自分達は世界から見捨てられているのではないかと、言葉の端々には出てきます。やっぱり、彼らを孤立させてはいけないです。また、この問題だけじゃなくて、世の中に頑張っている人はたくさんいると思うんです。頑張っている人を、一人にさせてはいけないと思います。「頑張っている事がダサい」「いきがってんじゃねーよ」「意識高いよね」と思われがちですが、否定する人達だけでなく、実際、頑張っている人たちは、世の中にたくさんいます。頑張ろうとしている人もたくさんいるわけで、みんなが協力して、一緒になって、団結できる世の中になったらいいと願っています。

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—–本作のタイトルは、「夜明けへの道」ですが、作品ではこの道のりが描かれているのかなと思いますが、ミャンマーの方々が真の「夜明け」を見つける為には、どんな道のりを歩めばいいと思いますか?もちろん、私達、日本人含め。

北角さん:ミャンマーの人が今、すごい暗闇の中にいるような感覚があると思うんですが、たとえば、僕が捕まって刑務所にいた時に、非常に助けられて、助け合いがあった為に非常に精神的に前向きでいられたんです。今、いろんなミャンマー人を見ていると、非常に人助けを一生懸命していたり、今でも駅前で募金活動をしていたり。本当に、助け合いが至る所で目にするようになっています。それは、非常につらい状態ですが、それが光を見る思いで僕は見えるんです。ミャンマー人は多分、気づいてないんです。 それが、あの希望への光なんじゃないかなと思っています。一人一人の光が、集まって来ているように思います。大きな道があるというよりは、至る所で細い道をそれぞれ歩いているような気がします。

©Thaw Win Kyar Phyu Production

—–一本一本の細い枝の道があり、でもそれは、皆さんのサポートや協力が、夜明けへの道に繋がっているんですね。 それが、だんだんと一本の道になり、民主化への大きな畝りと扉になると思いますし、願っています。
—–プレスリリースの監督の言葉には、「2024年は加速する年です。」恐らく、民主化が開ける年と信じてらっしゃるの?「私たちは皆、スタミナやテクニック、パワーでは劣るかもしれないですが、気迫で戦っています。」と、ご本人が仰っていますが、私達日本人が、彼らと一緒に戦えるとしたら、それは支援金やミャンマーの現状の認知する事も一つかもしれないですが、北角さんには何かお考えはございますか?

北角さん:本当に、いろんな方法があると思うんです。 たとえば、直接、全体の問題は解決しないかもしれませんが、一つ身の回りの問題を解決できたりする事があると思うんです。今でも、大阪では街頭募金をしている在日ミャンマー人や日本人達がいます。募金として寄付をするか、インターネット上には、たとえば、避難民の人がいるので、支援しています、という団体もいます。様々な形のサポートが、できると思います。 また、今回の映画でも、様々なグッズを販売する流れを聞いていますが、たとえば、映画のチケットやグッズの売り上げの一部が、避難民の支援に充てる事になっています。チケットを買ったから、世の中全体が変わるのかと問われれば、そうではありません。できることは、たくさんありますので、関心をお持ちでしたら、トライして頂ければと思います。一つおすすめなのは、今日本には在日ミャンマー人が7万人もいて、たとえば、コンビニや飲食店でミャンマー風の名札を付けている方もちらほら見るようになりました。彼等とは、常日頃から縁があるんじゃないかと思っています。たとえば、令和6年能登半島地震の時は、色んなグループのミャンマー人が現地でボランティアをしているんです。違う団体ですけが、僕の知る限り3回、 炊き出しや瓦礫の撤去をしています。彼らとの友達になる機会を持ってもらえたら、凄くいいと思っています。学校が一緒とか、職場で一緒とか、色んな縁があると思います。そこで仲良くなれば、彼らには色んな思いがあると知る事が、できると思います。たとえば、先程の「世界から見捨てられているような気がする」という思いも含め、それに近い言葉を聞く機会もあると思います。個別に、何か悩みを抱えている事があるかもしれませんが、お金を送ろうと思ったけど、送金が規制されていてなかなか難しい。弟が徴兵の年齢だけど、逃げなきゃいけなくて大変とか。個別の悩みを持っていると思います。 全体を解決するというのは難しいんですが、友人一人の悩みを解決するのが、できそうな気がしますよね。そんな縁があると、友達になってもらって、友情が生まれてくれればいいと思っています。

—–最後に、本作『夜明けへの道』がどのように、日本に広がって欲しいなど、何かございますか?

北角さん:頑張っている人を見て欲しい思いが、あります。そんな人だからこそ、応援して欲しいとあります。本作は、そんな作品です。家族の絆が描かれているので、困難にある時に家族が、どうやってそれを乗り越えようとして行くのか、決して可哀想な人達だけの物語ではありません。そんな一面を知ってもらえたらと思います。

—–貴重なお話、ありがとうございます。最後に、これだけは監督にお伝えください。作品の中盤で、監督が逃亡生活の中、「僕は、死んでもいいんだ」と、投げやりな言葉を発せられていました。本心ではないと思うんですが、その姿を見て私は、死んで欲しくないと思いました。 寧ろ、一緒に生きて、ミャンマーの民主化の「夜明け」を一緒に私は見たいと、監督に伝えて頂きたい。日本人と共に、ミャンマーの民主化の夜明けを共に目の当たりにしましょう。

©Thaw Win Kyar Phyu Production

ドキュメンタリー映画『夜明けへの道』は現在、関西では5月4日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて、公開中。5月17日(金)より京都府の京都シネマにて、公開予定。また、兵庫県の元町映画館は、近日公開予定。