映画『鬼の臍を蓼酢で喰う』「インディーズでも、映画は映画!気軽にポップコーン食べながら、観れる映画を目指しました」鬼村監督に独占単独インタビュー(Long ver.)!!

映画『鬼の臍を蓼酢で喰う』「インディーズでも、映画は映画!気軽にポップコーン食べながら、観れる映画を目指しました」鬼村監督に独占単独インタビュー(Long ver.)!!

2021年12月7日

映画『鬼の臍を蓼酢で喰う』鬼村監督インタビュー

@BANZAI FILMS @鬼の臍を蓼酢で喰う

インタビュー・文・構成 スズキ トモヤ

@BANZAI FILMS @鬼の臍を蓼酢で喰う

—–鬼村監督自身、映像製作を始めて何年ほどでしょうか?また、映画好きになったきっかけを教えて頂けますでしょうか?

鬼村監督:始めたのは、19歳からです。その時は、もちろん機材も何もありませんでした。

当時の友達らは皆、専門学校に進学したんですよね。僕の両親は二人とも、専門学校の卒業生なんです。

母親は大阪芸術大学で、父親は音楽学校に通ってたんです。

僕もその時は既に、映画が好きでしたので、関係のある学校に進学しようと考えておりました。

卒業した両親からすれば、基礎などを学ぶのもいいけど、通っている間に自分で作れたりすることは、ほとんどないと聞きました。

最終的には、卒業制作で作品を作れますが、数年間の学業と高額な授業料。

進学するのもいいけど、まずは自分で映像製作をしてみてはどうかと、アドバイスを受けました。僕自身も納得する部分もありましたので、ビジュアル・アーツ専門学校やバンタン・デザイン研究所(大阪校)、大阪芸術大学など、すべて進学することをやめました。

その時は機材も何もない状態から、iPhoneひとつでショート・ムービーを撮ったのが初めてでした。

—–お父様、お母様の自由主義的な発想の転換が、とてもいいですね。

鬼村監督:二人とも専門学校に行っていたからこそ、分かる部分もあったのでしょう。

その辺のナイーブなとこらは、スパンと言ってくれるお二人だったんです。

こちらとしてもとても気持ち良く感じましたね。

あまりいい雰囲気じゃなければ、こっちとしても進路に迷ったと思うんです。

それをスパーっんと「行かん方がいいんちゃう」と、ハッキリ言ってくれた事が、良かったですね。

社会勉強しつつ、バイトしては貯金をしていました。

地元の友達らとはとても仲が良かったので、彼らと短編作品を作ったのが、19歳の頃でしたね。

—–iPhoneひとつで撮り上げたのですね。

鬼村監督:確か、iPhoneは一番初期のものでした。

—–機能も正直なところ、整っていない機種ですよね。

鬼村監督:あんまり良くないですね。使ってたソフトも「アイ・ムービー」と呼ばれる無料のものでした。

—–その時の素材は、残っていますか?

鬼村監督:あるっすよ!ありますよ!ただ、ものすごい16分ですけどね!

—–その「ものすごい16分」でも、そこが原石で原点だからこそ、今後世に出せる日が来ることを願っております。

鬼村監督:YouTubeに残っていますね。それを一緒に撮った友達と時々会って、食事するんですけどね。たまに観たりする時があるんです。

二人で落ち込んでますもんね。

—–正直、ひどいなーって感じるんですね。それでも、今度観させて欲しいですね。最初は、誰もが下手だと思います。

鬼村監督:二人で色々と試行錯誤して撮った映画が、19歳の頃の作品です。

映像製作を始めたのが、この時ですね。きっかけは、家族が全員、映画が好きだったんです。父親が、ガイ・リッチーのアクション映画の『スナッチ』を観せてくれたんです。

あの映画でどハマリしてしまったんですよね。その時まではまったく興味なくて、「いつアクションシーン出てくんの?」みたいなこと、言ってました。

そんな感じで、あんまり映画に興味がない子供でした。

やはり映画『スナッチ』で興味が、急にそそられたんです。その時から狂ったように、映画をたくさん観るようになりましたね。ガイ・リッチーとか、タランティーノとか。

それが、確か18歳か、17歳でした。その当時はまだ、高校に通っていましたので、作りたいなと漠然と思いつつ、行動には移せてなかったんですね。

友達らは、音楽の専門学校に進学したんですよね。

そして僕は、映像関係の専門学校に通おうかなと悩んだ時に、親からのアドバイスもあり、独学で映像製作しようと行動することができました。

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—–バンザイ・フィルムズさんは、どのタイミングで命名され、結成されてましたか?

鬼村監督:これもまた、おかしな話になります。正直バンザイ・フィルムズは、僕一人から始まりました。

「バンザイ・フィルムズ」という看板を掲げて、色々してたんですよね。

仲間が集まる時に、僕らで「バンザイだ」なんて言ってましたね。今みたいにガッツリとメンバーがおって、「バンザイです」と言ってた訳じゃなくて、初めの頃は本当に一人で始まりました。

「バンザイ」という名前が出来たのは、僕が24歳ぐらいの時に、ニューヨーク・フィルム・アカデミーという名の京都で開催されたワークショップに参加したんです。

ニューヨークの専門学校が京都に来て「外国人と一緒に映画を作りましょう」という催しが2ヶ月ほどありました。

映画館で働いていた頃に貯金していたお金でワークショップに2ヶ月間、参加しました。周りは皆、外国人で、日本人は僕一人でした。

通訳の方がついててくれて、何とかコミュニケーションはできました。

外国人の方は、皆日本が好きだから、京都に住み込みで来ていました。

その時にチームを組んだんです。2ヶ月の間で勉強したことを活用して、卒業制作の作品を作りました。

その時に、フィリピン人やオーストラリア人の4人で組んだ時に、チーム名は「バンザイ・フィルムズよ」と、フィリピン人の女の子が言ってくれたんです。

日本は、「万歳」っていうイメージがあったようです。

チーム名を「バンザイ・フィルムズ」と決めました。ワークショップは終わったんですが、その時に深くは考えなかったんですが、いつか「バンザイ・フィルムズ」が成長した時に、ワークショップで出来た外国の友達が「バンザイ・フィルムズ」を覚えててくれてるかも知れないじゃないですか。

また再会できる日を願って、この名前を名乗り続けることにしました。ずっと手を振り続ければ、いずれまた出会えるかもしれないですよね。

—–いずれ、自分も日本の映画やインディーズ作品を海外にアピールしたいという気持ちもあります。この話してることが、行動として繋がるのではないかと思います。

鬼村監督:それやったら、嬉しいですね。やっぱり、日本でも頑張って行きたいと思いますし、いずれ海外にも触れておきたい気持ちも少なからずあります。

そう言った意味でも、外国人にとってわかりやすいのが「バンザイ・フィルムズ」ではないかと思います。そのために、今こうして続けてるんです。

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—–ありがとうございます。「バンザイ・フィルムズ」に対する鬼村さんの「想い」は、ございますか?

鬼村監督:今の集まってくださっているメンバーは全員、専門学校を卒業した方ではないんです。そもそも皆さん、役者さんなんですね。

映画の作る知識は、最初の頃はゼロからのスタートでした。

そこで、集まりながら、基礎も大事ですが、実戦を何度も繰り返し、工夫しながら乗り越えた事もたくさんあったと思います。

去年の「赤穂」の撮影も、僕らじゃなかったは無理だったのではないかと思っております。自負してるところもあります。

基礎に囚われず、工夫や応用で乗り越えてるからこそ、過密スケジュールの中でも何事もなく終えることができました。

その事に対しては、自分自身強い「自負」があります。

—–ゼロから積み上げてきた鬼村監督自身の「自信」に繋がっておられるのですね。

鬼村監督:今集まってくださっているメンバーが皆、テキパキしてくれるからこそ、安心感があります。皆、社会経験しているからこそ、全体像を見て動ける能力は、非常にありがたいことですよね。

「現場を回す」という考えがあるからこそ、役者や他の方からの信頼もあると思います。

各自各々が、その都度その都度、現場を円滑に回す努力を続けた結果だと思います。自負は、強く持っています。

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—–タイトル『鬼の臍を蓼酢で喰う』とは、どんな意味がございますか?

鬼村監督:タイトルは、そもそもことわざなんです。今回は、ことわざで調べたら、作品のイメージとピッタリあった言葉を見つけたんです。

それが、この題名なんですよね。

—–このことわざの意味は、なんでしょうか?

鬼村監督:「あたかも自分が、すごいことをしたかのように、誇らしげに振る舞う様」が、意味らしいんです。

エヘンと言って、見せびらかす滑稽な姿を指しているらしいんです。

それを「食」だけ難しい漢字の「喰」にしました。

漢字のインパクトが、かっこいいなと思ったんです。

そのまま、この題名に採用させて頂きました。

—–作中のタイトルのロゴが、かっこよかったです。

鬼村監督:ありがとうございます。視覚的にかっこいい感じが、いいなと思いました。

@BANZAI FILMS @鬼の臍を蓼酢で喰う

—–本作『鬼の臍を蓼酢で喰う』が、劇場上映の始まりは、なんでしょうか?

鬼村監督:「今回は、劇場公開したいよね」という話を進めておりました。上映方法を色々探している時に、最近お世話になっている島田監督がいらっしゃって、この監督がシネ・ヌーヴォさんと組んでおられました。

監督の作品が、初めて上映されたのもシネ・ヌーヴォでした。その話をお聞きして、僕もこの劇場からスタートしてみたいなという想いが、込み上げてきました。

島田監督に繋いでもらったわけではありませんが、自分から行動して、今回上映にこぎ着けました。そういうのも、始まりと言えば、始まりですよね。

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—–今回の撮影時、大変だったこと、良かったことなど、記憶に残っていることはございますか?

鬼村監督:こだわった所で言えば、ロケ地はめっちゃこだわりましたね。

—–Twitterでも、ロケで使ったレンタルスペースの宣伝もされてましたね!

鬼村監督:ロケ地は本当に、自分ではこだわった部分でもあります。後半の場面を観て頂けたら分かってくれると思います。

例えば、南港にあるATCというでっかいショッピングモールがあるんですが、その場所を貸し切って撮影しました。

—–場所もちゃんと、先方と交渉されたのでしょうか?

鬼村監督:ちゃんとさせて頂きました。連絡したり、払うものは払って。それもATCさん側からしたら、初めての試みだったようなんです。

インディーズに場所の提供したのは、初めてだったようです。

大手への貸し出しはあったようですが、自主の撮影では使用されたことがないようなんです。同じラストの場面でも登場する大きな廃材工場も、映画の撮影では絶対に使われていないような一般の場所なんです。

リサイクル業者を営んでいる先輩に相談して、特別に場所をご好意で用意してもらいました。今回の撮影で特別に使用許可を頂いたことは、嬉しく思います。

この作品には、関西圏のインディペンデント界隈の映画では見られない風景が、数多くあります。その点は、僕なりにも自負するところがありますね。

自分が嫌いなのは、撮影ロケが観てもらう人にとって見慣れた場所であって、ここ知ってるって思われたくないんですよね。

ATCさんは大阪では有名な場所なので大丈夫ですが、一例で言えば中津もまた、頻繁に使われるロケ地ですよね。

撮影ができそうな、未開拓のロケ地を見つけるのが好きなんです。

誰もが「おぉ!見たことない!」と思ってもらえる場所を見つけたいですね。

編集していても、時々びっくりするような場面もありましたので、インディペンデントだと「この場所は、皆使うよね」という流れが苦手です。

でも、あのでっかいショッピングモールで走っている人物が、被写体になった時の撮影した本人でさえも「え?」と思いましたね。「これは絶対、撮影難しいってなりますよね?」って。

許可も取らないといけないとか色々考える反面、許可を撮ることで撮影自体がスムーズに行きますし、ワンランクあげることもできると思います。

ロケ地の大切さは、ここ数年、感じるところがありまして、本作ではとても贅沢に撮影できたんではないだろうかと思います。

制作費での制約はありますが、そこを乗り越えていい映像をとることで、観る側にも驚きと感動を感じてもらえるのでは、とも思います。

—–後続の若い子らにも、お金がなくても映画は作れることを知って欲しいですよね。監督の背中を見せたいです。

鬼村監督:そうですね。インディーズであのATCさんの建物を使ったのは、関西では僕が初めてだと思います。

撮影して、良かったなと思います。演者さんのやる気も、いつも全然違うのがまた、新鮮で良かったと思うところでもあります。

インディーズでも、映画は映画なので、ハードル下げずに観てもらえたらいいなと思いますね。

そのためにも、映画の要となる「画力」には力を入れました。

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—–ロケ地や画角、画力以外でも、シナリオへのこだわりも、あるのではないでしょうか?

鬼村監督:こだわりと言うよりも、一番気をつけていることは「登場人物の名前」を頻繁に出すことですね。

よくシナリオで、登場人物に名前があっても、キャラクター同士で互いの名前を呼び合うことは、少ないですよね?

でも、僕は人物の「名前」をちゃんと口にして欲しくて、セリフに盛り込んでいます。

お客様には、彼らの名前を覚えて欲しいですし。書く上で、その点は意図的に言わせるように持っていってます。

折角、登場人物に名前を付けているのに、言わないのはもったいないような気がします。

無理に言い合う必要はないんですが、極力出すようにはしております。

その点は、ひとつ気をつけていることでもあり、こだわっていることでもあります。あとは、リズムを気をつけてもいます。

ずっと喋ってるだけでなく、アクション入れたり、その次のシーンでは大人しい設定にしています。

—–会話劇にしないことを気をつけているのですね!

鬼村監督:そうですね!ストーリーは動きでも面白く見せたいですし、会話で面白く見せれたらと思っています。そこのオンオフは、気をつけて書いております。

お客さんの立場に立って「そろそろこの辺で山場があってもいいな」と考えながら、書く時もあります。

—–(脚本を)書きながら、映画を観ているようですね。

鬼村監督:そのような感じで、いつも書かせて頂いております。

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—–(1)作品の公開が控えておりますが、現在のご心境は、どうでしょうか?

鬼村監督:今回は色々とやりたいことができましたので、あとは僕のことやBANZAI FILMSのことを知らない方に観てもらって、楽しんでもらいたいなっていう想いもあります。

今回を機に、色々と自分でやりたい企画も浮かびましたので、新しく色々やりたいなとも思います。

公開を控えておりますが、観に来られる方は作品に対するハードルを下げて来られるかも知れませんが、その部分で「えぇ!!」と思っていただけたらと思います。

その意味では、とてもワクワクしております。

—–正直なところ、鬼村監督の少し前の作品『労働・オブ・ザ・輪廻』は、本当に惜しい作品だと思います。

鬼村監督:そうですね。よく分かります。でも、あの作品を通して、自分の作り方が変わったタイミングなんです。

その時に、制作会社で働いている先輩のカメラマンと幼なじみのカメラマンに来てもらって、三台のカメラ体制で撮影したんです。

僕の撮り方が、インディーズ映画の人の撮り方だったんです。

何回もカメラを動かして、何度もテイクも重ねてしまいますし。

テイクを重ねる理由も、不明瞭のまま、撮影しておりました。本当、インディーズ映画の人の作り方だったんですね。

—–馴れ合いのまま、撮影されてたのですね。

鬼村監督:自分でも気づいていませんでした。それが、ダメだと気づかせてくれた作品でした。カメラマンの先輩にも、現場で怒られましたね。

その時に初めて、時間が有限ということに気付かされましたし、「時間の大切さ」や「段取りの大切さ」を叩き込まれた作品でした。

本当に、あの映像作品を通して、だいぶ叩き直されましたね。

あの当時の撮影スタイルがダメダメだったと気づかせてもらいました。その時以降、僕らBANZAI FILMSの現場は、基本は押しません。

むしろ、巻くぐらいの勢いで撮影しています。それぐらい、時間の使い方は大事にしないといけないと教えてもらった作品でした。馴れ合いのまま始まった映画でした。

それでも、大人数での撮影でしたので、現場に出た時の大掛かりな撮影での回しや段取りが、できてなかったんです。その「できてないこと」を教えてくれた映画でした。

—–その時の経験があるからこそ、映画『赤穂』が撮れたのですね!

鬼村監督:その話は、メンバー間でもよく話しておりますね。

あの経験があるからこそ、『赤穂』の撮影ができたと思います。どうしても、僕らの大掛かりな撮影は、キャストスタッフ合わせて、50人は超えるんです。

大人数の現場を経験しておく方が、いいと思うんですよね。

いずれ、将来的に成長した時に、そういう経験が必要になってくると思います。

現場を指揮して行く立場に立った時に、あの大人数の現場はまったく違うんです。

—–大人数で現場を回す経験は、今後映像制作を目指す方なら、必要となりますよね。

鬼村監督:そうですね。やっぱり、経験は必要だと思います。

ただただ必死。あの『輪廻』の時は、初日からずっと、こだわりもなく、とにかく時間との戦いでした。そのことばかり気にして、撮っていました。

場所もいい所だったのですが、怒られたくないですよね。

初めてのキャパの現場でしたので、大混乱の中、気づいたら終わっておりました。

あの作品を観た関係者の方々からも、多くのご意見を頂きました。

その意見も込みで、少人数と大人数との現場の経験は、どちらも必要になります。

—–『輪廻』と比べて、格段と本作のクオリティが、上がっていることが分かります。ちゃんとした観れる作品になっており、もっと「世に出したいな」と思わせてくれました。今後、どのような活動をしていきたいと考えておりますか?

鬼村監督:もっと劇場公開をメインでやって行けるような作品作りをしていきたいです。誰にも媚びない、めっちゃオモロい作品を作っていきたいと思っています。

—–最後に、本作の魅力を教えて頂けますでしょうか?

鬼村監督:何よりも、まず役者さんもカメラも動いているんですよね。

いわゆる、映画の『マッド・マックス』っぽく、話が進行していくんですよね。

ひとつの街だけじゃなくて、登場人物が色々動いて、物語が進んでいくので、映画として在るべき形はあると思いますので「ポップコーン食べながら、観れる映画」だと、僕として推しているところでもあります。

演者さんやカメラが動いて、映画として成立すると思っております。

普段、観れない演者さんの活発に動かれているお姿が、作中圧倒的に多いと思いますので、魅力的な部分かとは思います。

@BANZAI FILMS @鬼の臍を蓼酢で喰う

(1)監督へのインタビューは、公開前に行いました。

映画『鬼の臍を蓼酢で喰う』は、現在、大阪府のシネ・ヌーヴォのみで絶賛公開中。全国で上映しているのは、本劇場のみ。