ドキュメンタリー映画『La Vie Cinématique 映画的人生(仮)』「僕らは生命記憶として身体に何を宿しているのか?」太田光海監督インタビュー

ドキュメンタリー映画『La Vie Cinématique 映画的人生(仮)』「僕らは生命記憶として身体に何を宿しているのか?」太田光海監督インタビュー

2023年5月9日

ドキュメンタリー映画『La Vie Cinématique 映画的人生(仮)』太田光海監督インタビュー

クラウドファンディングのプロジェクト コムアイと胎児の旅を通して、この世界の希望と問いに向き合うアートドキュメンタリー 太田光海監督最新作のアップデート記事一覧
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—–最初に、映画『La Vie Cinématique 映画的人生(仮)』の着想を教えて頂きますか?

太田監督:前作『カナルタ 螺旋状の夢』という映画がありましたが、その作品では現代の世界において、人間という存在がどう在り得るのかという可能性をもう一度、知的にも感覚的にも根源的に考え直したい欲求がありました。

その欲求が発展して行き、アマゾンの森に向かいました。

今回の作品でも、同じようなモチベーションで企画を進めていると感じます。

本作『La Vie Cinématique 映画的人生(仮)』は、映画『カナルタ 螺旋状の夢』の延長線上にあると、僕自身は考えています。

ただ、僕の今までの人生すべてにおいて、自身の中で延長線上にあると思っていても、外目にはその移り変わりがかなり激しく見えるのが特徴です。

今回の作品でも、アマゾンの森がメインではありませんし、基本的には日本のコムアイさんというアーティストを追いかけて行くストーリーです。

本作は地理的にも、社会的にも、非常に真逆に発想された作品だと思います。

前回では、アマゾンの森という日本から見た地球の裏側に向かった訳ですが、今回は地球の裏側では無く、自分の一番身近な人を撮るという作品です。

この作品では、発想の転換のようなモノはあると思います。

まずベースにある発想は、僕のパートナーであるコムアイさんという方が、妊娠したという事実を知った時、現代の世界において命を育むとか何か?と、問うことから始まりました。

僕のパートナーが出産しますが、この時代、この世界の中で命が誕生するということはどういうことか、もしくは、彼女が行く道筋を僕も一緒に辿ることによって、この世界において何が見えるのかという事に興味がありました。

彼女の妊娠、出産を通して、根源的な生命の不思議や誕生を見届ける必要性を感じました。

—–私が感じたのは、南米と日本は反対側という観点で言えば、地球の中のアマゾンという開かれた場所の森と、母親の子宮の中という限定された森を通しての命の神秘かと思わされました。ある種、近い反面、二項対立しているにも思える要素があると受け取りました。

太田監督:僕の根本的興味の一つに、物事が生まれ出て、僕ら人間がそれらと触れ合うプロセスがあります。

物質的であれ、精神的であれ、生成を続けて行く世界の中で僕らがどう生きていくのかという事に興味があります。

そういう意味において、胎児が成長し、それに伴い母親であるコムアイさんも変わり、僕自身も変わっていく。

周りの人間も関わっていき、一方で動き続けている僕らの生活の周りや、この社会全体がある。

今は、こういう動きの連鎖に凄く興味があります。

クラウドファンディングのプロジェクトにも少し書きましたが、たとえば僕らが時空間を自由に移動できるとして、タイムスリップできてしまうとします。

胎児が産まれる瞬間の2000年前に戻り、その世界で仮にその胎児が産まれるとしたら、その赤ん坊にとっては2000年前の時代が自身のリアリティなんです。

それぐらい胎児にとって、「世界」というのは規定されていないんです。

彼ら彼女らは、言語以前の存在です。

耳も聴こえているか分からず、目も見えているか分かりません。

身体の五感が、すべてハッキリしていません。

でも、この世界では確かに物質として、生命として存在しているんです。

もし彼らが、この世界に彼らなりの方法で向き合っているとしたら、ここまで成長してしまい言語も話す僕らは絶対に胎児視点には立てないですが、もし立とうと想像してみたら、どうなるのかというのが本作のテーマです。

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—–本作において、胎児の視点から世界、生命の神秘、宇宙論と非常に広大なテーマを扱っていますが、まさに実験的アート映画の様相ではないのかなと思います。命とは、目の前にあるとされる小さな存在。これを作品に描くことによって、作品が受ける効果はなんでしょうか?

太田監督:命にまつわる人々の細やかですが、確実にそこに存在する立ち位置みたいなものが、見えて来ると思います。

必ずしも、話題は決して胎児の話だけではないんです。

コムアイさんのお腹に胎児を宿したまま、アーティスト活動を行う現場や風景に同席し、撮影を行います。

現在は、そのパートをメインに製作しています。

ただ、その時の撮影では、確実にコムアイさんのお腹の中には、胎児がいるという認識や事実が、その状況自体を変えていくんです。

たとえば、お腹が少し出てきている状況を活かして、ファッションショーのモデルとして、ランウェイを歩くことがありました。

お腹が出ている状態は、いわゆる支配的なモデルの美的規範からすれば、ご法度とされている体型ですよね。

でも、胎児がお腹の中にいて、お腹が膨らんでいるその状況が寧ろ美しいと言える逆の発想もありますよね。

妊娠や環境における変化が、様々な形として起きてくる訳です。

そういう事によって、逆に僕らが普段、縛られている社会的制約のようなモノが、非言語的でもあり言語的レベルでも浮き上がって来るんです。

その点での効果や影響は、考えられます。

また、命という事柄に対して、その謎を解いた人はいないという要素が常に作品の中にあるのではないかと思います。

やはり、誰も解けないモノが作品の中にあると、ある種のカオスや渦みたいなモノが常に作品の中に存在する状態になると思います。

命の誕生とは、産まれるという決定的瞬間があるかもしれないですが、基本的に謎を解いた人は誰もいないのが現状です。

生物学的な観点として考える事もできますが、どこから命が来て何故存在するのかは、誰にも分からないですよね。

そういう事柄や疑問を作品として追うことによって、製作における作品の自由度が増すと思うんです。

もっと表現面で振り切れると、僕は感じています。

—–ただ、コムアイさんを密着して、彼女の出産、妊娠を追う映像が、彼女と監督の関係性でしか見えて来ないと思うんです。でも、そうではなく、もっと広い範囲の話だと思います。二人の関係性だけでなく、宇宙論や命の神秘といった深い部分で命を見、宇宙を見る事が、作品における重要性かと感じましたが、監督はどうお考えでしょうか?

太田監督:その点は、作品における難しい部分でもあり、僕が綱渡りしながらチャレンジしています。

僕とコムアイさんの関係だけで作品を撮るとなると、確かに非常につまらない映画になると思うんです。

ただ一方で、生命の神秘をテーマ設定してしまうと、それもまたつまらない作品になり得ます。

いかに、僕にしか絶対に撮れないものを撮れるかを考えなければなりません。

たとえば、「生命の神秘」といったテーマは、たくさんの教育動画として作られています。

言ってしまえば、似たような動画は、誰でも作れてしまうんです。

僕がコムアイさんを通して、作る必然性はありません。

ただ、彼女と僕の関係性でしか描けない、尚且つ宇宙的な何かはあると、僕は思っています。

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—–ただ、一つの懸念として、製作中の作品がお二人のプライベート・フィルムになってしまう可能性についても、否定できないですよね。その点は、観客の観たい所ではないと思います。今、一番聞きたいのは、作品に対するアプローチの方法です。その点は、何か監督の中でお考えはお持ちでしょうか?

太田監督:まず僕は、プライベート・フィルムに対しては否定的ではありません。

そういう作品もまた、あってもいいと思っています。

結果的に、プライベート・フィルム寄りだと思われる事になっても、僕はそんなに気にしません。

でも、単に私生活をホームビデオ的な構図で撮影しようとは、微塵も思いません。

目指している方向性は、まったく違います。

プライベート・フィルムだけではない、何かに到達できるかは考えています。

その点で鍵になるのは、編集ですね。

この作品は、編集で勝負するしかありません。

アマゾンの森に行けば、衝撃的事実がいくつかあって、それで映像的に押し通せる面があります。

今まで見た事ない彼らの生活を映像として残す事実自体をベースにした衝撃みたいなモノがありえますが、コムアイさんの場合、もちろん事実の衝撃はいくつかあっても、それ以外の観点から撮られる映像の比重がより高く、色々な事ができると思います。

前回の映画『カナルタ 螺旋状の夢』でも挑戦的な編集を行いましたが、更に、今回においては編集の重要性が高いと考えています。

—–クラウドファンディングの文章の中で、一つの命が誕生するという人間の営みの本質に立ち返り、そしてこの世界の希望と問いに向き合う作品とありますが、この地球上での新しい命が誕生する先にあるのは、産まれてくるであろう子どもらの未来や社会、命だと思いますが、太田監督が思う世界の希望とはなんでしょうか?

太田監督:途轍も無く面倒臭い事を必死になって、やり続けている人達がまだいる事実です。

たとえば、一つ挙げるなら、お祭りです。お祭りは、準備が大変だと思うんです。

別に給料が出る訳でも無く、その日は街全体が騒がしくなり、他のことに手が付かなくなると思うんです。

絶対、しなければいけない物理的必然性は薄いと思います。

人間が、ご飯を食べる。寝ないといけない。水を飲まないといけない。

という必然性は、お祭りには無いと思います。

でも、文化として存在し根付いており、近代化以前はむしろ生存のためにこそしなければならない文化だったと思うんです。

あらゆる価値が、生々しいモノとして残っていた。

今の世の中は、どんどんしなくていい事はしなくていいという、削ぎ落とされる時代になっていると思います。

たとえば、AIもそうですし、精算時のセルフレジ、現金精算からキャッシュレス化、紙に書かないペーパーレス化、人に会わなくてもいいリモート化、これらすべて、削ぎ落とされた結果です。

面倒くさいことが、しなくてもいいという風に回収されて行ってしまう時代です。

でも、この時代ですら、まだ祭りを必死に企画する人、準備する人は存在します。

人に一生懸命掛け合い、催し物をやろうとする人々。

色んな方々が、面倒臭いと思う事をやろうとしています。

それをまだ続けたいと思っている事が非常に尊く、一種の希望に繋がると信じています。

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—–この企画のコンセプトは、コムアイさんの胎児の視点からこの世界はどう映るのかですが、その考えに対しては、個人的にも非常に興味があります。ただ、このコンセプトで作品を製作するなら、真の映画の完成はおそらく、約10年後のお腹の中の赤ん坊が自我を持って、この作品を観た瞬間に、思う事自体が作品の完成に繋がると思います。今の段階で言えば、この作品は監督たちの親のエゴですよね。お腹の赤ん坊が、映画を観れる年齢になった時、芽生える感情が本作の完成だと思いますが、太田さんは何か考える事はありますか?

太田監督:その点は、今も考えながら、製作しています。

最近、ロックバンドのニルヴァーナの訴訟問題(※1)が、ありましたよね。

本プロジェクトにも、同じような問題は潜んでいると思います。

将来的に、何かが起きる可能性は否定できません。

これは、どう考えるかですが、僕らの生き方として、ある種、大事にして行こうと思っているのが、親のエゴは捨てないという事です。

というか、むしろ人間である以上捨てることはできない。

できないのにしようとすることで問題が増幅するのだと思っています。

もちろん、お腹の中の子どもは大切に思いますし、大切に育てようと考えています。

ただ、僕は部分的に自分勝手な一面も持っている。

親のエゴなどは、捨てないでおこうと考えていますし、コムアイさんにも捨てないでほしいです。

たとえば、僕らは婚姻関係を結ばないことを選んだと公言しています。

今は、夫婦別姓問題に関する議論も増えて来ていますが、いまだに多くの方が子どものために良くないと、否定的な発言を繰り返しています。

僕の親も事実婚ですが、僕自身はそのことで不幸を感じず、常に幸福を感じていました。

仮に、僕のためを思ってしなかった事を聞かされたとしても、あまり嬉しくなかったんです。

嬉しい事と嬉しくない事、両面ありましたが、やはり僕は親には自分の人生を生きて欲しいと思っています。

実際、彼らはできる範囲で、調整しながら自分の道を生きていて、それは、素晴らしい事だと思っています。

僕とコムアイさんも決して、今子どもを持っても、自分らしく生きて行くという話をよくしています。

結果的に、子どもが成長して、この子からどう思われるかは、日々の積み重ねを通して得たものが大きく影響すると思います。

その後、子どもとどういう関係を築くのか、どういう感情や思考、体験をその子にもたらしていくのか、あらゆる事柄の積み重ねだと思うんです。

仮に、将来的に、子どもに訴訟を起こされても、一度訴訟問題になっても、和解する可能性もありますし、その逆も有り得ますよね。

最後まで分からないですが、僕らにできるのはその時に誠意を持って、映像制作をしたのかどうかと、自分に問いかける事だと考えています。

—–コムアイさんのご出産の件で、世間では様々な反応が見られますね。なぜ、安全な日本ではなく、危険度が高まるアマゾンでの出産を決意しましたか?赤ちゃんの命、また母体への危険性は、どうお考えでしょうか?これは、映画監督としてではなく、これから父親になられる太田さんに向けてのご質問です。太田さんのお考え、見解をお聞きかせ下さい。

太田監督:まず、日本よりもアマゾンの方が安全である、という指標がどこから来ているのか、様々な面から問い直す必要があると思います。

それは決して自明の理ではありません。

様々な統計データを引き合いに出して理屈を付ける人もいますが、データの出どころがどこか、どこまでそれが信頼に足るのか、どのような境界線を決めて数値化しているのかなど、統計の解釈自体が一つの知識であり思考の産物です。

僕は学者として研究のトレーニングも叩き込まれているので、安易にどちらがより危険かを決めつける見方に、非常に危機感を抱いています。

その上で、最終的にどこで出産するか決めるのはコムアイさんで、僕は彼女の希望を最大限サポートする立場にあります。

僕らが第一に考えているのは、いかに元気な赤ちゃんを産むことができるか。

映画を作るのはその次の話です。

何が赤ちゃんや僕らにとって良いことなのか、それは長期的目線で捉えているので、今全員から理解される必要はないと思っています。

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—–クラウドファンディングの本来の目的は資金集めですが、今回クラウドファンディングを実施してみて、何か実感した事やする前と現在での気持ちの変化はございますか?

太田監督:クラウドファンディングは、前作『カナルタ 螺旋状の夢』の配給費を集める経験をしました。

それが、人生初めてのクラウドファンディングでした。今回は、前作の積み上げや人との出会いがあり、僕のやっていることを見てくれている方や応援してくれている方がたくさんいる事をヒシヒシと感じています。

それに加えて、コムアイさんのファンの方や彼女の知り合いで応援したい方も参加してくださっています。

そんな方々に対してしっかり報いることができる作品を作ろうと、想いを新たにしています。

あと、映画を作るということは、例えば画家の人が一人で描いて、個展を開く芸術の在り方とは、少し違います。

映像製作は、周りを巻き込みながら、現象として発生させて行く芸術であるという側面が強くあります。

資金集めの手段であるクラウドファンディングですが、様々な関係者を初期段階から巻き込んでいく媒体としては、映画と非常に相性がいいと感じています。

一種の表現として存在していると思っています。

—–ひとつ言えるのは、映画ファン自身が製作者にも、プロデューサーにもなれるのが、クラウドファンディングの良い所ですね。クラウドファンディング自体が、映像製作者と映画ファンを繋ぐ架け橋になっていると思います。三木成夫氏の著書『胎児の世界: 人類の生命記憶』に少し触れる中、命のサイクル、生々流転という要素もまた、本の中で見つける事ができましたが、著書のまえがきの抜粋ですが、「胎児の世界の~巡礼遍路の旅をしてみよう。」と最後に2行にありますが、監督は三木氏が言う「旅」について、どう受け取れましたか?

太田監督:僕らが何を、どう解釈するかですかね。

解釈の仕方が、この世界の僕らの把握の仕方自体を決定していくという考え方に立った時、この三木さんの本は、僕らがなぜ存在しているのかという人類の存在理由を宇宙的視点と接続しようとしています。

そのコンテクストと作品をどう繋げたら良いのか、この書籍からヒントを貰えたような気がします。

ひとつ記憶に残っているのは、女性の中の羊水は海の生物だった人類が、海から陸に持ってきた海の一部だと言っています。

それを聞いた時、反論できなかったんです。だって、生命に水が必要であるとは、誰が決めたのか?

僕らは、自明の理として受け取っていますが、生命に水が必要だって。

でも、その根本原理は誰が決めたのか?という話ですよね。

なぜ、人は水がないと死んでしまうのか?

それは、海から陸に上がったからではないのかという投げ掛けです。

水生生物だった記憶を今も引き摺っているから、水が必要なのではないかな思っています。

この件に関しては、今まで僕は考えた事がありませんでした。

三木氏の書籍にはたくさんのヒントが眠っています。

何を引き摺って、僕らは生命記憶として身体に宿しているのか?

実際に、本を読んで思ったのは、その「旅」でした。

—–ふと、感じたことですが、この書籍における「旅」とは、宇宙の起源論の旅、あるいは人類の進化論における生命の「旅」が、本書で伝えたかった事ではないかと感じました。最後に、製作段階ではありますが、本企画が完成した暁には、私たち全人類(日本人でもいいですが…)に何を与え、刺激し、そして感化させられるような存在になりうると思いますか?

太田監督:まず、前提として日本人のために作っているわけではありません。

全人類という広い視野を持って、この作品を届けたいと考えています。

前作『カナルタ 螺旋状の夢』も視野に捉えていたのは、全人類でした。

たまたま、劇場公開が日本でしたが、制作段階では日本をターゲットにはしていませんでした。

それは、眼中に無いとか、ナメてるという話ではなく、そもそも僕の見てる世界が全人類だからです。

今回もまた、まったく同じスタンスです。日本のマーケットに向けた感じはなく、それを大前提として、何を生み出すかというと、色々なレベルがありますが、日々の細かな自分の生活のディテール、街や人のディテールを今一度、じっくり見てみて、感じてみて欲しいんです。

まず、これらの出来事、存在、事物のプロセスを感じて頂けたら嬉しいです。

それは普段の生活のなかで、なかなかやれる事では無く、一種の擬似瞑想的体験でもある。

現代の映画の役割は、そういう所が重要だと、僕は思っています。

忙しない日常において、映画館という暗闇の中で、一定時間すべてから自由になって、スクリーンに身を委ねる体験が、僕にとっては一種の瞑想体験に近いものがあります。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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(※1)ニルヴァーナ『Nevermind』の赤ちゃん訴訟 判事によって棄却されるhttps://amass.jp/154194/(2023年5月6日)