ドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』太田光海監督インタビュー
インタビュー・文・構成 スズキ トモヤ
ドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』を製作された太田監督にインタビューを行った。
監督は、エクアドルのアマゾン川の奥地に住むシュアール族の生活風景を一年間に渡り撮影。
人類学者のティム・インゴルドの言葉を借りるなら(1)「私たちは人々についての研究を生み出すというよりも、むしろ人々とともに研究する」
の通り、監督自身が実際に現場に行き、現地の方々と時間を共有した貴重なお話をお聞きした。
—–タイトル『カナルタ 螺旋状の夢』の意味が、すごく気になります。『カナルタ』とは、彼らにとってどういう意味がありますか?
太田監督:言語学的に言えば、彼らは夜寝る前の「おやすみなさい」という意味で「カナルタ」を使います。命令形です。
—–何語になるのでしょうか?
太田監督:シュアール語です。彼らの言葉で「おやすみなさい」は、同時に別の意味もありまして、「おやすみなさい」とは「夢を見なさい」という意味も入っており、尚且つ「ヴィジョンを見なさい」という意味にもなっています。
ひとつの言葉で少なくとも3つの意味があります。彼らは毎晩言っていますが、毎晩言っているということは、夢を見続けろと言っているようなものです。
それぐらい彼らにとって寝て夢を見る、そしてそれを「ヴィジョン」としてとらえ、自己と向き合うという経験が、地続きにあります。
—–その言葉を取ってタイトルを『カナルタ』にされたのですね。『カナルタ』を題名に持ってきた監督の「想い」は、何でしょうか?
太田監督:まず、初めに彼らの言語でタイトルを付けたいという想いがありました。シュアール語は、複雑で語呂がいいのがあまりないんです。
凄く読みにくい言葉がたくさんあります。
—–確かに、聞きにくい言葉がたくさんありましたね。
太田監督:薬草の名前で「イキャマンチ」というのもあります。
例えばの話、タイトルを「イキャマンチ」にはできないと思ったので、色々考えるところから始まりました。
語呂がいいことが大事だったので、彼らの言語で、尚且つタイトルにしやすい言葉を絞っていきました。
この作品の中で「ヴィジョン」が大きなテーマとなっており、ある意味すべてが地続きにあるという感覚が、作品から届けたいものでもあります。
それが「カナルタ」という言葉に凝縮されているなという印象です。
ひとつ何かを言うことが、別の意味も孕んでいて、ある種の日常的なものからスピリチュアルなものまでが、一元化されているということです。
—–アマゾンの奥地に関わらず、似たような場所がある中で、なぜアマゾンを撮影場所に選ばれたのでしょうか?
太田監督:人類学者は、人がなかなか行かないマイナーなところに行くというイメージが強いと思います。
それがいいこともあると思います。また、人類学を研究している人の特権的なことでもあると思います。それを世の中に伝えることが、責任なのかと思っております。
同時に、人々に対して、取っつきやすい話題から人類学の成果を伝えることも大事だと思っています。ポップなモノとマイナーなモノがある中で、僕自身マイナーな研究だけをし続けるのではなく、分かりやすい切り口からも人にしっかり伝えたいと思っています。
そんな時にアマゾンというワードに、僕自身すごく惹かれたという気持ちがあります。
いわゆる、「ジャングル」じゃないですか。大体の方が知っているのが、ジャングル、アマゾンかと思います。
例えば、まったく知られていない場所の話をしても、なかなか通じないと思うのです。
同時に、アマゾンは世界で一番大きな森で、しかも減少するスピードが早い地域のひとつでもあります。
世界にとって、森としての重要度のウェイトが大きいと思います。
僕は当時、街をテーマにした都市人類学を研究していました。
部族社会や先住民というような種類とは、遠いところにいた上、知識もあまりなかったと言えます。
当時の無知な状態の自分がパッと思い浮かぶものと言えば、アマゾンでした。
自分がそもそも無知な状態ですら面白いと思える直感を大事にしようと思い、他の地域を探求しすぎずに選びました。
—–準備に三年、撮影に一年、編集に三年かかったと仰っていますが、その準備期間の三年間は、何を中心に準備されていましたか?
太田監督:まず、構想が始まった起源を「どこからにするか」からですね。
映画は、急に明確なコンセプトがパッと生まれるわけではありません。こういうモノを撮りたいなというボンヤリとしたものが、まず生まれ始めたところが、構想の始まりだと考えております。
その時は、先程お話した通り、とにかく自然と共に生きている方たちに対して興味が湧き始めたのですよね。
大自然の中に身を置き、どうにもならない自然の強要に対して、どのような姿勢で向き合っているのかを知りたかったのですね。
それをボンヤリ考え始めたのが、最初です。そこから少しずつ、そのテーマに関連する人類学者の書籍を読み始めました。
また、日本の原発事故の後だったので、人間の体内に取り込まれる農薬や化学物質が、実際どれくらい実害があるのかについて、調べたりもしました。
世界にどのような農薬が広まっているのか、どのようなお金の流れがあり、権力関係が存在するのかを調べました。
そういう事象がすべて含まれていないと、ただ自然とハッピーに生きている方々の生活を撮るだけということになりかねない。
世界が今、どのような文脈にあるのかを少しずつ仕込んでいく過程を最初の二年ぐらいで行いました。
—–現地にたどり着くまでに時間がかかったそうですが、どれぐらいでシュアール族の村に行けましたか?
太田監督:すごい具体的に言いますと、ある年の8月末にエクアドルに到着し、あの村に行き着いたのは、9月末でした。
何族を取材するのかも決めずに行きました。
アマゾンのことを一切分かっていない上、当時南米に行くのが初めてでした。
アマゾンに行くのは分かっていましたが、何族と言えるほど、色んな民族を知りませんでした。
とにかく、何族に逢いに行くのかを決めるために、まず関係者に会うことが最初でした。
首都のキトに着いた日から、片っ端から知人に電話やメールをして、最短のスケジュールでアポを取り、一人ずつ会って行きました。
知人が紹介してくれたエクアドル人全員に会いに行きました。徐々に連絡を取るうちに、数珠繋ぎで多くの方を紹介してもらえるようにもなりました。
同時に、エクアドルという国が一体どのような国なのかも、現地でしか得られない情報をもとに調べ始めました。
だいたい二週間ほど経って、アマゾン出身の方に出会いました。
その方がたまたまシュアール族でしたが、都会の生活をしている方でした。
その時初めて、先住民の血筋や文化を引き継いでいる方にお会いできました。
ただ、初めはすごく警戒されて、薬草の知識を盗もうとしているのではないかと、とても疑念を抱かれました。
初めは心を開いてくれなかったのですが、その時に日本の地震や原発事故の話をして、日本では大変なことが起きており、これらの事象を深く考えるためにあなた方の生き方がヒントになる気がすると話しました。
実際、人類学は関係なく本心で話したら、その方に気持ちが通じて、シュアール族の村を紹介してもらえることになりました。
—–撮影時、現場での記憶に残っていることはございますか?
太田監督:撮影時、難しかったのは、彼らの時間感覚があまりに僕らと違うところでした。
撮影は、カメラのセッティングや準備が必要な時があると思います。
僕はミニマルな機材で現地に入り、一瞬にしてオートで撮れる身軽さで行きました。
それでも、その予想を超えて急に行動したり、準備を進めていると急にいなくなったり、とよくありました。
時間みたいなものも、日本のように明確ではなかったです。瞬時にやるべき事も変わっていきます。森の予測不可能な場所で生活しているので、天気が変わるとやることが変わります。
誰かが急に家に訪ねて来ても、やることが変わってしまいます。
どんどんと彼らのやることが、その場の状況に応じて変化していきました。
彼らの行動と撮影を両立させるのが、比較的大変でしたね。
暇な時間もたくさんあり、僕の活動の八割は「待つこと」だったと言っても過言ではありませんでした。
例えば、撮る予定にしていたことがキャンセルになると、その日は特にやることがないから、数時間ニワトリを見張っていることもありました。
明日撮ろうと話していたことも、三ヶ月すぎて撮ることもありました。そういうことが当たり前に起きたり、その間に全然予測してなかった事件も起きたりと、毎日予測不可能でした。
計画をいかにフレキシブルに保てるかということが、大切でした。
一度だけ、隣村の方からスパイ容疑をかけられ、殺害予告まで受けてしまいました。
石油採掘企業のスパイと勘違いされて、噂が立ってしまったのです。
その時に、しばらく滞在するために一時だけペルーに逃げた時期がありました。
シュアール族の村を離れる時に、事情を説明したにも関わらず、彼らはその一時的な別れが、永遠の別れだと勘違いしてしまい、一緒に泣いたエピソードもありました。
—–自分たちは文明と直結した生活に身を置いた生活をしていますが、アマゾンで暮らすいい面はありますか?
太田監督:最初に、僕がアマゾンに足を踏み入れた時、紹介してくれたシュアール族の女性が力説してくれたのが「都会と違ってアマゾンに来るとすごく自由」という話でした。
その時、僕は彼女の言っていることが飲み込めなかったのです。都会の方がたくさんのことができますし、移動も便利です。
森だったら森の中に閉じ込められてしまうので、自由ではないじゃないかと、その時は思いました。
アマゾンに暮らしていくと、彼女の言葉を実感していきました。
例えば、森の中だと住む場所はどこでも決められます。
地形であったり、川が流れていたり、様々な要素の状態を確認しながら、彼らは居住地を決めていきます。
でも都会に住むとなると、まず土地を買って、書類の手続きをして、役所に届出を出して、家を建てないといけないというのが、システムですよね。
食べ物も芋類や果物など、溢れんばかりにたくさんありました。
村に到着した初日に、セバスティアン(映画の登場人物)がひと房のめちゃくちゃデカい熟したバナナをドンッと置いて、「いくらでも食べていいから」と言ってくれたんですよね。
恐らく200本ぐらいのバナナがあったと思います。
いくらでも食べていいという感覚が、その時はまったく分かりませんでした。
都会で暮らすと、今持っている予算はこれぐらいだから、スーパーで買えるのはこれぐらい。
今日は余裕があるからオシャレなレストランに行こうとかなりますよね。
都会では、そんな損得勘定で過ごしてしまっていましたが、初日の大量のバナナで考え方が、覆されました。これが、自由なのかと。
—–日本では色々な物に囲まれて、縛られている生活だと感じます。シュアール族の彼らは「心の自由」もあるんじゃないかと感じました。
太田監督:「心の自由」は、相当あると思いますね。
—–色々とネックもあると思いますが、アマゾンに行ってみたいという気持ちが湧いてきますね。
太田監督:現地でのネックも確かにあります。
卑近な例で言えば、僕自身、外の世界を知っている分、「そろそろ、一回パスタを食べたい」なんて思うこともありました(笑)。
ただ、それを超えた「自由」があります。
「自由」があるからこそ、村での関係性を保っていくための最低限のマナーやルール、コミュケーションが必要になってきます。
より本質的な部分での人間同士の意思疎通が必要にもなります。
一旦、「生きる」ことに必要でないものはすべて洗い流し、本質的な部分を人として突き詰めることができたかなと思います。
彼らも本質的な事しか言わないです。
必要なことは、複雑なことではないと感じました。
—–東日本大震災や福島の原発事故を通して、自身の存在条件が覆されたと仰ってますが、撮影後のお気持ちの変化は、ございますか?
太田監督:撮影前は、原発の問題を政治的に解決したいという想いが強かったです。
例えば、自然エネルギーを推進する政党を選びたいという解決方法を考えておりました。
今もそのような想いがないことはないですし、表舞台での政治は今でも軽視していません。
ただそれ以上に、自分が口にしたり手にしたりするものや着ているものが、実際どこから来ているのか。
また、自分が着ている服に納得しているのかなど、自身への問いかけに変わって来た気がします。
それが長い目で政治を動かす原動力にもなるので。
—–最後に、本作を通して、日本人が何を学び得ることができるでしょうか?
太田監督:とても難しい話ですが、もしこの映画を通して伝えたいことをシンプルに言語化できるなら、そもそもまず本を書きます。
つまり、この映画の外で伝えられることはそんなにないのです。
それを前提とした上で、自然との距離感や自分たちが何でできているかという感覚。
そして、何かを学ぶときに、本を読んだり、人から学んだりするだけじゃなく、自身の内側から能動的に学ぶことが可能であるという感覚を知っていただきたいです。
その上で、自分自身の世界の見え方や行動が、変わってくると思います。
能動的に生きるという感覚を、すごく大事にして欲しいと思います。
それは難しいことではありますが、一度感覚を乗り越えれば、誰でもできうることだと思います。
その感覚は、持ち帰って頂ければと思います。
ドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』 は、11月19日(金)より京都府の出町座、11月20日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォ、元町映画館にて上映開始。また11月20日(土)にシネ・ヌーヴォ、元町映画館にて太田監督舞台挨拶、11月27日(土)に元町映画館にて太田監督と小笠原博毅さん(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)のトークショーを予定。また、全国の劇場にて順次公開予定。
(1)ティム・インゴルド(2020). 人類学とは何か 亜紀書房 p16 14行目から15行目(参照:2021/11/22)