ホラーでもアクションでもない終末期の人間ドラマを描いた映画『Dead or Zombie ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』倉島颯良さんインタビュー
歩くゾンビに原点回帰したような短編ゾンビ映画『Dead or Zombie ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』の主演に抜擢された倉島颯良さんにインタビューを行った。本作の見どころや魅力、制作経緯や制作秘話、「家族」や「自己肯定感」について、お話をお聞きしました。
—–本作『Dead or Zombie ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』へのご出演は、どのように決まりましたか?
倉島さん:佐藤監督から直接オファーを頂き、本作への出演が決まりました。
監督が、YouTubeにある私が出演している(※)短編映画を観て頂き、私を指名して下さったと、後々お聞きしまして、純粋に嬉しかったです。
—–作品をしっかり観て頂くのが、役者としては役者冥利に尽きますよね。
倉島さん:非常に嬉しかったと、記憶しています。
—–倉島さん自身、ゾンビ映画に対して何か感じるところ、例えば「抵抗感」であったり、逆にゾンビに興味があるなど、ございますか?
倉島さん:ゾンビに対する抵抗は、最初からまったくありませんでした。
元々、人気のあるゾンビ映画を観ていたこともあり、出演へのお話を頂いた時は、映画に出たいと思いました。
ただ、ゾンビ映画とお聞きした時は、非常にびっくりしたんです。
今までゾンビやホラーと言ったジャンル映画には、出演した事がありませんでした。
どちらかと言えば、日常をテーマにした作品やヒューマン・ドラマが多かったです。
—–お話をお聞きすると、ジャンルの振り幅が大きく違いますよね。振り幅が違う中、主人公である早希には、どのような印象を受けましたか?
倉島さん:最初にお話を頂いた時、身構えたのは事実です。
ただ、早希に対して私と似ている部分や共通点が多くあると、 感じました。
少し内気と言いますか、積極的に人と関わるタイプの人間ではないんです。
少し他人と比べがちな所もあったりと、私と似ていると、感じました。
脚本を読んだ時、「この役だから、私を選んでくれたのかな。」と思える程、早希に感情移入してしまったんです。
その上で、彼女の気持ちを汲み取るのは、難しい事ではありませんでした。
—–また、主演を演じるにあたり、シナリオの本読みの段階から、今お話しされていたような近い感情は持たれていたのでしょうか?また、早希を演じる中、どこに気を付けていたかなど、ございますか?
倉島さん:早希と共通点が多いとは言え、ゾンビと関わった経験がありませんでした。
その点は、監督と話し合う機会を設けたんです。
佐藤監督は、すごく丁寧に、ワンシーンワンシーン、事細かに演技指導や場面説明をして下さりました。
また、ゾンビとの関わり方や距離感など、説明して下さったので、悩んだ記憶はありません。
ただ、ゾンビになってしまった家族の設定は、私が役者として持つ引き出しの中には、そんな想像力もなく、なかなか演じ切れなかったです。
その点は、監督やゾンビの役者さんに、非常に助けられたと、今は感謝しています。
—–本読みと現場の段階とでは、また違うとお見受けしますが、いざ現場に入って、演じるとなった時に、気遣っていた事、気配りした点はございますか?
倉島さん:ゾンビ役の方と演じる時は、ゾンビメイクが本当にリアルだったんです。
一緒に演じていて、引き込まれる感覚がありました。
そこに入って行きづらいという感情はなかったんですが、楽屋では皆さん、すごくお優しい方ばかり。
撮影に切り替わった瞬間に、ゾンビとして演じられると、すごくドキドキしっ放し。
楽屋と現場での雰囲気が違いましたので、最初の頃は常にドキドキでした。
—–現場に立つ度、どう接していいのか、悩んでしまいますね。作中の早希は、家族の中で疎外感を感じて、外の世界ではゾンビになるか、ならないかと、ある種迫られた環境に身を投じていますが、早希を演じる上で、キャラクター像をどう構築されましたか?
倉島さん:先程お話しましたが、共通点が多かった部分において、自分と共通している点を突き詰めた感覚で役作りをしてみました。
私以上に早希は、家族の中で比べてしまっています。
誰かといるより、一人でいる時間や環境を選ぶ中、早希がそうなるまで、誰に何を言われて、感情が動き、今の置かれた立場になったのか、と自身の中でイメージして演じました。
—–人間からのゾンビの感染と、現在社会のコロナ禍の状況が、多少似通っているかと思います。ゾンビの世界で生きる早希に対して、現実社会含め、何か共感できる部分は、ございますか?
倉島さん:早希を演じる中、ゾンビの世界も居心地は悪くないと感じていました。
そんな感覚をずっと持って、演じていました。
ただ、今の世界は感染が続く中、人との関わりが以前と比べ、持てなくなった現在。
感染が拡大している事実に関して、早く収まって欲しい気持ちも、もちろんあります。
今までの日常生活が戻る事が、非常に重要だと理解もできます。
ですが、私自身、人と話す事が得意なタイプではありません。
このご時世、家にいる事がより肯定された時期もあったと思います。
だから、そのような期間、誰かと喋りたい、外に出たいと願った人もいたと思います。
その反面、私は家にいることが肯定されたのが楽でした。
そういう点において、早希とは共感、共通していたかなと、振り返って思います。
—–本作は、ゾンビ映画の体裁を取りつつ、蓋を開けてみれば、家族の物語。倉島さんが考える「家族」とは何でしょうか?
倉島さん:私の家族は、とても仲がいいんです。
私が考える「家族」とは、戻れる場所なんです。
具体的に、「家」という物理的な形がなくても、「今日こんな事があったよ。」と話し合える貴重な場所かなと。
—–良くも悪くも、愚痴も言い合える関係性ですね。外であった出来事を友達に話すより、家庭に持ち帰って家族と話せる環境がいいですね。
倉島さん:友達だと、ついコミュニケーションを意識してしまいます。
ただ、家族になら、フランクな気持ちで話せてしまいます。
—–素の自分が出せる分、つい相手に甘えてしまいますよね。ケンカにもなりがちで。家庭と言う空間は、いい意味で甘えられる場所ですね。また、佐藤監督は前作『湖底の空』同様に、「自己肯定感」を本作にも盛り込んだと。倉島さんが考える「自己肯定感」とは、なんでしょうか?
倉島さん:私は正直、自己肯定感が低いと感じています。
ネガティブだと思う事も、自分で好きになれたら、「自己肯定感」が上がるのかな、と思います。多かれ少なかれ、自分の人生は、自分だけのもの。
人から見てマイナスな部分も、自分で好きになってあげる事で、周りからの見え方も変わってくると思います。
それが、「自己肯定感」に繋がるのかなと。
—–非常に有意義なお話を。自分のネガティブな部分を好きになり、褒めてあげるって、なかなかできることではないと思います。最後に、映画『Dead or Zombie ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』の魅力を教えて頂けますか?
倉島さん:ゾンビ映画と宣伝していて、タイトルにも「ゾンビ」が入っていますが、先程仰っていたように、早希と家族の関係性を描いています。
単に、ゾンビが出てきて、襲われる映画ではありません。
家族がゾンビになってしまいますが、ゾンビになる前の家族と早希と、ゾンビになってしまった家族と早希では、まったく異なった関わり方や心情の変化もしっかり描かれています。
家族の物語と言う側面も気にしながら、観て頂きたいと願っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『Dead or Zombie ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』は現在、大阪府のシアターセブンにて絶賛公開中。