映画『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』「何歳になっても夢を持ち続けていい」中川陽介監督インタビュー

映画『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』「何歳になっても夢を持ち続けていい」中川陽介監督インタビュー

2024年5月19日

私たちの夢、私たちの人生。映画『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』中川陽介監督インタビュー

©️2023年 SOUTHEND PICTURES ©️コザ十字路通り会| Powerd By NICE

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—–まず映画『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』の制作の成り立ちを教えて頂きますか?

中川監督:実は、コザという街の名前は今はもう無くて、沖縄市という名前に変わっています。ただ住民は懐かしさを込めて、自分たちの住む町を今もコザと呼んでいます。そのコザの町にある銀天街という小さな商店街の理事長さんから、町おこしで何かできないかと相談を受けました。フードトラックを呼んで夜市のイベントは行っていましたが、もう少し文化の力を借りて、盛り上げられないかという話から始まって、映画を作ろうとなりました。本作の制作のきっかけは、町おこしが最初の話でした。

—–本作の物語の冒頭とほぼ一緒の流れだったんですね。

中川監督:元々は、もう少し違う探偵モノに近い企画を考えていたんです。実際に、銀天街に行って、取材をしているうちに、 商店街の若い世代が町を何とかしなくちゃと頑張っている姿を目の当たりにしたんです。実際に、子ども食堂を併設しているお店を経営している方の話をお聞きしたり。取材を重ねて行くうちに、探偵モノより商店街を舞台にした物語の方が、実際に面白いなと感じて、それで脚本をすべて変えて、今回の物語になりました。

—–探偵モノと音楽映画は、真逆ですよね。こんな裏話があったんですね。若い方達が商店街や地方を盛り上げようとするパワーは、これからもっと必要になって来ると私は思いますが、その点どうでしょうか?

中川監督:面白いのは元々、お店を営んでいた世代は、若い店主たちから見ればおじいちゃんおばあちゃんの世代です。彼らの子ども達は親父達を見ていたと思うです。子ども達の世代の方は、「もういいよ。俺、商店なんてやりたくない。」とお店を持ってない方もおられます。でも、孫の世代はクルッと一周回って、 この寂れた感じの商店街がレトロで、かっこいいとお店を始めているんです。

—–今はレトロブームが広がり、懐古主義や懐古趣味が良いとされている風潮はありますね。

中川監督:「なんか昭和っぽくていい」と、平成生まれの若者達が、店を経営しています。また、恐ろしい事に、お店や商店が昭和の外観、内装のまま、残っているんです。だからそのまま使って、お孫さんがスイーツの店を経営したり、飲み屋を開いたりしています。おじいちゃんも孫には優しいから、「自由にやんなさい」と言って、格安で貸してくれたりしている環境です。

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—–地域のパワーやネットワークが、ちゃんと揃っているんですね。昔馴染みの、昔ながらの関係性が、今でもしっかり残っているんですね。
—–沖縄を舞台にした映画がここ1年、2年の間に、再度出てきたように、私は感じています。たとえば、映画『ミラクルシティコザ』や映画『遠いところ』という作品が公開されています。その2作は、どちらかと言えば、コザや市内を舞台にしていますが、沖縄という町の下町をそのまま写実的に描いている印象を受けています。この作品もまた、沖縄の下町が舞台ではありますが、ただ作品の冒頭に農場が出現しています。私の持っているイメージではない風景が、たくさん出て来た印象を持っています。映像に関して、力を入れた、もしくは気を付けた事はございますか?

中川監督:コザは戦後、アジア最大の嘉手納空軍基地の門前町として発展して来た町です。コザの前には、そこには村がありました。そのあたりは、農村だったんです。 コザの町も一歩出ると、農村が広がっているんです。実は、農家さんもすごく多く、その環境を知っていると、 コザの町中だけじゃなく、農村地域まで巻き込んで、映画に出したいと思ったんです。だから、作品の冒頭や中盤で、畑のシーンを出しました。その情景をみたコザの方々も、「昔、おじぃは毎週、畑行ってたさ」みたいな話をなさってましたね。

—–農場や農家のシーンは、すごく好印象でした。インサートの映像が、非常に美しかったです。撮影が、すごくしっかりしているなと印象を受けました。

中川監督:映画はムービング・ピクチャー、つまり動く絵と言います。でも最近はYoutubeの影響か分かりませんが、映画のワンシーンの中でのカット数が増えて、ものすごいアングルがいっぱいある映画も多くありますよね。実は、シーンの中で一番に良いカメラ・ポジションは一つしかないんです。そこを見つけてしまえば、多分、30秒間映像を回していても、画はもうずっとキープできるんです。ワンカット、ワンカットが長くても飽きないのです。つまらない絵ではワンカットが長くなればなるほど、観客の興味は持たなくなります。なので、いくつもカットを割って、手元などの様々なカットが増えて行くんです。ですから、現場をさらっと見た時、ここがベスト・ポジションだと、すぐにわかればいいですね。その点は、長く映画の現場で修行して来た甲斐はありました。

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—–改めて、お話をお聞きして、作品の冒頭シーンが、すごく引き込まれます。長い時間の間に一つの画を映す事が、大事にもなって来るんですね。冒頭とは、作品を説明する最初のシーンだと思います。最初に引き込まれるか、引き込まれないかによって、次のストーリーが観る側にとって、気持ちが惹かれるのか、惹かれないかという心の変化も起きると思うんですが、作品の冒頭で物語に惹き込まれる事が改めて、本作を観て非常に大事だと気付かされました。
—–沖縄と言えば、今年、沖縄国際映画祭が16年の歴史で幕を閉じてしまい、沖縄の映画文化の一翼を担っていた部分もあると思いますが、本作が内包する「地域創生」、「地域再生」の要素を考慮した時、沖縄からの映画文化の発信をどうお考えでしょうか?

中川監督:多分、映画に限らず、沖縄文化という話になって来ると思いますが、沖縄は明治維新以前は琉球王国という別の国だったんです。当然、独自の歴史を歩み、文化を育んで来ました。たとえば、映画『飛んで埼玉』のように埼玉映画もありますが、日本の中で唯一、独立したエリアとして、独自の文化で語れるのは沖縄ぐらいと僕は思っています。もちろん他の青森や秋田、四国や岡山、色々な地域に、それぞれの文化はあります。その中でも沖縄は、特殊な歴史と文化を持っていますので、 その面で沖縄映画は世界市場でもひとつのブランドとして唯一成立しうるものだと思います。中国の中でも、イギリスの植民地であった香港という地域で映画産業が盛んで香港映画というブランドもありますが、それに対して、北京映画、上海映画、福建映画とは言わず、中国映画、中華映画と呼ばれていますよね。辺境だからこそ、国土の際々の所にあったからこそ、独自の文化が成立している気はします。

—–沖縄県は確実に日本から独立しており、アメリカの植民地だった過去もまた今に大きく影響していると思います。いわゆる、本土とは違う、 全く違う文化が沖縄にあるのかなと、私は感じます。

中川監督:ご年配の方からお話をお聞きすると、先の戦争は、大和とアメリカのいくさに巻き込まれてしまったという意識を非常に強く持っていらっしゃいます。当事者ではない沖縄の自分たち。なのになぜ戦争に巻き込まれて、非常に多くの沖縄県民が死ぬようなことになってしまったのか、という事に対しての憤りを強く持っています。ただ、私としては、このようなお話を高所から皆様に啓蒙しようとする気持ちはなく、今現在沖縄に住んでいる方々の目線でストーリーを語れればと思っています。

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—–本作は、町おこしや地域おこしが作品の主軸であると私は思います。今、日本は国を挙げて「地方創生」、「地方再生」に対して取り組んでいますが、この物語に登場する4人の女性は皆さん30代、実は私も30代、非常に親近感が湧いている一方、パーソナルな話ですが、ちょうど今、自身の住んでいる行政と手を組んで、映画上映を通して、町おこしのお話が浮上しています。若者が中心になって、地方創生に取り組む意義はなんでしょうか?

中川監督:地域創生、町おこしみたいな話になると、業界の人が突然登場し、たとえば東京から来たプロデューサーやコーディネーターが助成金をガッツリ持っていってしまい、地方の人間が歩いてもペンペン草も生えないというような話もよく聞いていました。今後、本当に町おこしや地域創生をするのであれば、本当に、そこに住む人、30代、40代の若者達が主軸となって、役場任せではなく、自ら企画も考えて、皆で立ち上げる。役所的な発想ではなく、もっと自分たちの考えを全面に出しちゃったほうがいい。自分たちの欲望を素直に表現して、それによって大変だけど新しい町を自分たちの手で作ろうぜ、と。それが全国的な若者へのアピールに繋がると思うんです。いかにも、お役所が考えた事ではなく、もっともっと、 若手達が持つ本当の欲、つまり自分たちが本当に好きなことをアピールして行けば、面白いと思います。今回は本当に、 銀天街の人々が音楽映画でかっこいい映画を作ろうと言う勢いがありましたので、若者達のパワーで上手く行きました。

—–それが、全国に広がる事は、非常にいい事だと思います。 私自身も今、自身の市と取り組む話の中、改めて、行政や大人から降りて来るものに対して、受け身になって取り組むよりも、自分から発信する方が、若者から発信する方が、もっと新しい何かが生まれると信じています。そこに大人の方のノウハウや知識を一緒に掛け合わせた時、もっと爆発的な事が生まれるのでは?まずは、若者発信と言いますか、 その点は大切にして行きたいと、私は思っています。改めて、上からの指示ではなく、私達若者発信で何かできる事を一緒に探したいと考えています。

中川監督:地方の町おこしを通して、 小さな映画祭がたくさん開催されていますが、映画祭を運営している方の熱意や愛情が、人を呼ぶんです。たとえば、有名な監督を呼んだら怒るかな、電話したら怒るかなと思わないで、「監督の映画が大好きなんです」と電話しちゃって、 往復の飛行機と宿代ぐらいを用意して、担当者が熱く語れば、絶対来てくれると思うんです。自身の作品が映画祭で上映されるのことは、どんな監督でも嬉しいものです。若手の熱意が伝播して行く事が 、地域おこしや町おこしで一番重要な事です。役所の方が中心になっても多分、何も生まれないと思います。

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—–本作の物語は、より生々しい展開を迎えたと私は感じました。まさか地域おこしからその話に持って行くのかと驚きもありました。あの女性の選択は、彼女の思いとして理解はできますが、主人公の夫の言葉、あれは非常に私の中で響きました。「自身の生業を持ちながら…」。それはアルバイトでもいいと思いますが、生業を持ちながら、本当にしたい事の技術を高める事が本当に良い事ではないのかと…。ライブでお客さんがゼロだろうが、一人だろうが、それは関係なく。 ビジネスが大切か、本当に好きな事を技術として磨くかの二者選択、どちらかだと思います。私は、どちらかと言えば、後者の言葉に心が響きました。おそらく、地方で活動している事が自身を磨く事だと思います。本当に好きな事を追求する事が、ビジネスではなく、熱意を持って続ける事が、 将来に繋がって行くと考えていますが、この二つの考え方を比べた時、この点に関して、監督自身は何かお考えはございますか?

中川監督:夢とは、20代の頃に東京に行って人気者になって、作品が大ヒットして。たとえば、映画監督になって、作品が大ヒットして、年に2本も、3本も映画も撮れて。若い頃には、僕にもそんな夢があったんですが、今60代を迎えて、夢が少しだけ変わって来ているのが、自分でも分かるんです。プロデューサーや色んな人がいて、作品がヒットするために色んな事を言われて、ゲンナリしながら現場に行く。それよりも本当に、小さな小さな予算ですが、自分たちが信じたストーリーで、自分が好きな役者さんと映画を作る事。今やもう、夢の形が大きく変化を生んでいると思うんです。多分、若い人にその話をしても分からないと思うんです。結局、商売としての映画がうまくいかなかったので、負け犬が遠吠えしていると言われてしまうと思うんですが、それはそれで一つの見方だと思います。僕は、あくまで農家であり、農業をやりながら、数年に一回、温めていた企画を、好きな役者の方々と作品として作れれば、それが最高の形かなと思います。多分、夢の形が大きく変わって来るんです。それこそ、夢の形は人それぞれですが、一つだけこの映画で共通して言いたかった事は、「何歳になっても夢を持ち続けていいということ」この点だけは、真実だと思うんです。

—–いいお話でした。だから、旦那さんの言った言葉そのものが、監督自身の想いとして、私は受け取りました。 私は、非常に響く言葉でした。

中川監督:特に、沖縄も初め、地方も同じですが、夢は確実に叶うと、 一生懸命取り組んでいる若者や、音楽活動している方、小さな小さな演劇を公演している方の方が、たくさんいます。そんな方達に対して、何者にもなれないと笑ったとしても、彼らの夢への非常に強い力は無くなったりしません。夢を追う人を笑っている方は、何を思っているのでしょうか? 一生懸命、活動している方を果たして笑えるのでしょうか?

—–最高に、本作『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』が今後、どのような広がりを持って欲しい、と何か願いはございますか?

中川監督:ゆくゆくは、この映画はすべて銀天街に戻って来るんです。東宝でも、東映でも、松竹でもなく、今後、銀天街という商店街が著作権を持ちます。その通りのイベントで何回も何回も上映できます。実は、大手と一緒に取り組むと、上映時の許可取りが複雑になって来るんです。プロデューサーに電話して、何月何日に上映しますが、大丈夫ですか?とお伺いを立てる必要が出てくるんです。でも、「コザママ」は銀天街の著作物なので、今後、様々なイベントにもどんどん作品を出せます。どんどん沖縄や全国で上映し、どこでも上映してもらえればと思っています。

—–改めて、この映画が誰の映画なのか、私も考えさせられました。本作に限らず、映画そのものが誰のための映画なのかを、再度考える必要があります。この映画は、市民の方の為の映画だと思いますが、どの映画も国民や市民、人のための映画という事を忘れてはいけないですね。本日は、貴重なお話、ありがとうございました。

©️2023年 SOUTHEND PICTURES ©️コザ十字路通り会| Powerd By NICE

映画『コザママ♪ うたって!コザのママさん!!』は現在、関西では5月18日(土)より大阪府のシアターセブン、5月17日(金)よりアップリンク京都にて上映中。