映画『すべて、至るところにある』「すべて、至るところに存在する」

映画『すべて、至るところにある』「すべて、至るところに存在する」

国境と言葉を超えて紡がれる映画『すべて、至るところにある』

©cinemadrifters

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「わたし」という存在は一体、なんと言うのか?私自身が一番、「わたし」という存在を理解できていない。あなたは、あなた自身をどこまで理解できているのか?1から100までのすべてを理解できている人は、この世にどのくらいいるのだろうか?なぜ、私がこの世に存在しているのか、その「存在」についてハッキリとした答えを出せる人は果たして、どのくらいいるのだろうか?私が私であるように、あなたはあなたでしかない。それでも、今ここで生きている存在理由について、今答えを見つける事はできないだろう。自身がこの世に存在する価値について、何度考えを巡らせても、その答えを見い出す事は生きている間にできるはずがない。とは言え、私達は「すべて、至るところにある」存在として、今ここに存在している事を忘れてはならない。あなたは、人がこの世に存在する理由(※1)を考えた事があるだろうか?なぜ、息をしなければならないのか。なぜ、仕事をしなければならないのか。なぜ、お金を稼がなくてはならないのか。産まれた時から死ぬまで、生活のサイクルがある限り、人は同じ事を繰り返し行い、日々の中で存在するために生きなければならない。私達が、この地球上に存在する理由について、本当に全世界の学者達が研究し、答えを探し当てても、私達がここに存在する真の理由に辿り着ける事が果たして、できるだろうか?今すぐにでも死んでしまいたいと願う自身に対して、何かしらの戒めが必要だろう。過去には、自身の存在理由を否定し続けた結果、40歳で早世を願い続けて来た。早世を願いながら生きている若者が多くいる世の中(※2)で、本作『すべて、至るところにある』は、自身の存在否定に対して、どこか肯定する物語だ。本作の物語は、旅行でバルカン半島を訪れたマカオ出身のエヴァという女性。そこで彼女は、映画監督のジェイと出会う。その後、パンデミックと戦争が世界を襲い、ジェイはエヴァにメッセージを残し雲隠れする。彼を捜すためバルカン半島を再び訪れたエヴァ。かつて、自分が出演したジェイの映画が「いつか、どこかに」というタイトルで完成していた事を初めて知る。映画監督ジェイの足跡を辿って、セルビア、マケドニア、ボスニアを回帰する中で、エヴァは彼の過去と秘密を知る。本作『すべて、至るところにある』が、この世に必要ないと自身を否定し続けて来たあなた自身の存在理由に対して、何かしらの答えを見つけてくれるであろう。

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本作『すべて、至るところにある』の舞台設定は、バルカン半島という地名(※3)は、東南ヨーロッパに位置する地理的領域を指す。この半島にある諸外国は主に、ギリシャ、アルバニア、北マケドニア、ブルガリア、ルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、スロベニア、クロアチアなど、これらの国が隣接する地域にあるのが、バルカン半島(※4)だ。この地域は、ここ日本では秘境の地として紹介されており、アメリカやイギリスと言った先進国のような知名度はまだ擁してない世界中でも謎のベールに包まれた刺激的な地域だろう。ボスニア・ヘルツェゴビナには、モスタルやサラエヴォと言ったボスニア紛争の爪痕が未だに残る地域もある。モンテネグロには、コトルやブドヴァと言ったアドリア海に面した風光明媚な街並みが美しい。アルバニアには、ティラナ、ベラート。マケドニアには、スコピエ、オフリド。セルビアには、ベオグラード、カレメグダン要塞。コソボには、デチャニ・ペーチ、プリズレンと言った歴史的地区が多く存在する。本作の舞台は主に、セルビア、マケドニア、ボスニアを対象にしているが、日本国内にはない東南ヨーロッパにおける山紫水明の情景を目の当たりにした私達は、感服の境地に立たされるだろう。もしバルカン半島を日本の地名に例えるならと考えたが、そこまで日本との縁もゆかりも無い地域であるため似たような場所はないようだが、一つ挙げるとするなら、1990年代のコソボ紛争で有名なコソボという国(※5)は、日本人の視点で見ると、日本の江戸時代の風景に似ていると言われている。バルカン半島は歴史的に観点で言えば、過去には「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれており、多宗教が点在するこの地域では太古の昔からあらゆる紛争が耐えない地域だったと言う。長きに渡って古い歴史を持つバルカン半島は、主人公達の人生背景を壮大にも、荘厳にも、色彩豊かに縁取る効果を齎している。この場所でしか表現し得ない魅力があるからこそ、本作におけるバルカン半島の存在価値を示している。ここにしかない魅力を探る事が、本作を鑑賞するに当たっての宿題でもある。

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また本作『すべて、至るところにある』には、人間の存在に対する疑問が暗喩的に(監督自身も気付かない部分で)あると、私は思う。なぜ、人は存在しているのか?なぜ、人は生きているのか?その答えを探す旅こそが、本作の物語に隠された本筋のようにも感じて止まない。主人公のエヴァが、失踪した映画監督ジェイの消息を追う恰好こそが、人間の存在理由に対する問いを追い求めている姿では無いだろうか?彼が存在した理由を求めて、過去や秘密に触れて行く物語だが、なぜその人物がバルカン半島に存在したのか?それは、偶然だったのか、必然だったのか?すべての謎や疑問を探る行為は、人間の存在理由の迷宮に迷い込んだ迷える子羊のようでもある。「なぜ、私達人間が存在するのか?」という問いは、太古の昔から議論されている普遍的哲学だ。紀元前470年頃に生きた西洋哲学者ソクラテス(※6)もまた、人間の存在理由について考えている(恐らく、ソクラテスに影響を与えたとされるプロディコス、アナクサゴラス、アルケラオス、ディオティマ達もまた考えている)。大幅に時代を近代に移すが、近代西洋哲学者のハイデガーが考えた「存在論-存在と時間-」(※7)が、今の人間哲学論の礎が、ここにあると考えても遜色はないのではないだろうか?人間とは、何か?私とは、何か?なぜ、今という時代を生きているのか?この疑問は、古くから議論されて来た問題ではあるが、未だにその答えは見つかっていないだろう。ただ、バルカン半島のスロヴェニア出身の哲学者スラヴォイ・ジジェクは、存在論について「人間は存在論的差異がそこで展開する場所となることで独特の苦痛と享楽を背負うことになる。」(※8)と話す。人間は、苦痛と享楽の表裏一体で生きている。苦痛の中に享楽があり、享楽の中に苦痛がある。人間が存在している真の理由はこれから先も見出すことはできないだろうが、私達人間は生と死、苦痛と享楽の狭間で生きる事を堪能している。こんな感情があるからこそ、人は生きて居られるのだ。本作『すべて、至るところにある』を制作したリム・カーワイ監督は、あるインタビューにて作品のタイトルに込められた想いを語っている。

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リム監督:「個人的に感じてとってほしいのは、“無常”ということですよね。それは必ずしもネガティブな意味合いじゃなくて、繰り返される戦争と虐殺、パンデミックがあっても人類は生き続けているわけで、そういうのを受け入れながら前を向いて生きていくということ。タイトルの『すべて、至るところにある』は、つまり“生きる”ということなんだと。それをぜひ感じてくれたらいいなと思いますね。」と、「生きる」という意味を再考させられる言葉を話す。私達は、パンデミックが襲っても、地震が起きても、有事の後には必ず、どんな時でも生き続けなければならないと言うこと。災害で大切な人を失っても、この世に残された人は前を向いて生きて行くしか他ない。死を選択する事もできるであろうが、果たして、それが正しい選択なのか、必ず立ち止まって考え直す必要があるかもしれない。

最後に、本作『すべて、至るところにある』は、失踪した人物の足跡を辿って、異国情緒溢れるバルカン半島の街を訪れる一人の女性の姿を追ったリアル・ファンタジー映画だ。ひとたび、側面を変えれば、バルカン半島を旅できるトリップ映画という見方もできるが、この作品の根底にあるのは人間の存在理由だ。なぜ、私達は生きているのか?なぜ、私達は存在しているのか?その答えはきっと、見つからない。哲学者ジジェクは「人間は、苦痛と享楽を背負う生き物」と述べているが、早世を願う私自身は今、早世と長寿の狭間で揺れ動く。それは、苦痛と享楽の狭間で生きる人間のように、何かしら絶対の存在が人間の中に存在する。生と死、光と影、苦痛と享楽、早世と長寿、二項対立するあるゆる事柄の中で私達は生きている。「生きる」目的はまだ分からない。「死ぬ」目的もまだ分からない。それでも、私達は今ここに存在している。本作『すべて、至るところにある』は、今ここで存在する事の尊さを教えてくれている。ただ私達は、「すべて、至るところに存在する」生き物なのだ。

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映画『すべて、至るところにある』は現在、全国の劇場にて上映中。

(※1)なぜこの地球に我々は存在するのか……現在考えられている生命発生のシナリオhttps://www.webchikuma.jp/articles/-/2725(2024年2月6日)

(※2)なぜ若者の自殺は増えているのか?https://imidas.jp/josiki/?article_id=l-58-135-12-03-g320(2024年2月6日)

(※3)「バルカン半島ってどんな地域?」2分で学ぶ国際社会https://diamond.jp/articles/-/302025(2024年2月6日)

(※4)観光地情報バルカン半https://www.club-t.com/sp/special/abroad/balkan/spot/(2024年2月6日)

(※5)【なにここ日本やん】バルカン半島の”あの国”に行ったら街並みが日本そっくり!! – 「江戸時代の宿場町」「太秦映画村かと」と驚きの声続々!https://www.mapion.co.jp/smp/news/column/cobs2548703-1-all/(2024年2月6日)

(※6)古代ギリシアにみる人間観https://drive.google.com/file/d/18MN_rM459hqbzwelaEgbiF7D1GbEl4gz/view?usp=drivesdk(2024年2月7日)

(※7)【ハイデガーの存在論とは】特徴を『存在と時間』からわかりやすく解説https://liberal-arts-guide.com/heidegger-ontology/#google_vignette(2024年2月7日)

(※8)概念を孕むこと。ジジェクとハイデガ―—「存在論的差異」とその実存的な一帰結https://conception-of-concepts.com/philosophy/heidegger/text6-zizek-and-heidegger/#i-5(2024年2月7日)

(※9)「タイトルに込めたのは“生きる”ということ」映画『すべて、至るところにある』リム・カーワイ監督&主演・尚玄インタビューhttps://eigachannel.jp/movie/50021/(2024年2月7日)