コロナ禍を舞台に、「家族の在り方」を問う映画『ここ以外のどこかへ』椎名零監督インタビュー
—–まず初めに、本作の企画が立ち上がった経緯を教えて頂けますか?
椎名監督:去年の6月に、監督として初めて劇場デビューさせて頂きました。
その作品の上映が、6月中旬にあり、終映後1週間ほど休んですぐ、次の作品に気持ちを向けなきゃという気持ちになりました。
7月上旬には、突貫工事みたいな感じですが、脚本が上がりました。
そこからスタッフとキャストを集めて、衝動的に企画が立ち上がり、弩にでも弾かれたように撮影しました。
構想何年というような、重々しい感じはまったくありません。
ただ、コロナ禍を舞台にしており、「コロナ」というテーマを必ず一度は取り上げたいと前々から思っておりました。
そういう意味では、ある程度自分の中に脚本の種みたいなものがありました。
コロナが始まってから1年ちょっと、心の中で寝かし続けていたものをやっと、形にできたのが去年の夏のことでした。
—–映画の話とは少し違うかも知れませんが、なぜロシア文学に興味を持たれたのでしょうか?
椎名監督:高校生の頃から、ロシアやロシア文学に興味がありました。
高校2年生の時に、漫画『ベルサイユのばら』の原作者、池田理代子さんによるコミック作品『女帝エカテリーナ』を読んだ時に、ロシアって凄く面白いと、関心を寄せました。
そこから始まったのと、高校生の頃、太宰治も好きで、『斜陽』が特に好きでした。
『斜陽』がロシアを代表する戯曲家アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフの『桜の園』を下敷きにしていることを知って、読んでみようと、興味が湧きました。
この時の影響はとても大きく、ロシアやロシア文学に気持ちが傾いていきました。
ロシアの事を勉強したくなり、どうしたら勉強できるのか調べた結果、当時の担任の先生から早稲田大学ロシア文学科への進学を薦められました。
その時は、それほど気にも止めてなかったのですが、気がつけばその時の話が進路となりました。
—–大学でロシア文学を専攻されたということですが、その時の知識や経験が、自身の作品に影響を与えていると思いますか?
椎名監督:そもそも大学で知識を得た訳ではないと思うんです。
ロシア文学科の他の方々もそうですが、たまたまロシアだっただけで、自分の考えたい事や自分の中の問題意識みたいなものがある中、ロシア文学をその取っ掛りにして、考えていくという姿勢を持っていました。
たまたま、自身の考えの中にロシアやロシア文学があっただけなんです。
私は特に翻訳に興味がありまして、人間と人間がコミュニケーションを取る中で、絶対に言語というものを介する必要があると思います。
でも、完全に自分が思っていることを、生のまま相手に伝えることは不可能なんですよね。
その上さらにロシア語から日本語に翻訳を経て、変換されてしまうと、元々原文にあった意味やニュアンスが、ほとんど損なわれてしまうんじゃないかと思うんです。
でも、損なわれてしまうかもしれないけど、翻訳はしないといけないですし、必要性があって翻訳をしている訳ですよね。
この問題をどう乗り越えていくのかということを、問題意識として持っております。
たまたま、ロシア語と日本語の話なだけで、人間と人間のコミュニケーションの話と言いますか、人間と人間が社会の中で生きていくためには、どうすればより良く生きていけるか考える上で、すべての人間にとって必要な事だと思います。
ロシア語に興味がない、日本語を話せたら十分だと思っている人も、絶対「言語」を通して他人と関わっている以上、日本語の中であっても、翻訳的な行為を介して、人とコミュニケーションを取っているに他ならないと思います。
広い意味での翻訳論に興味がありました。それって実は、映画も同じなんですよね。
作品の中の登場人物たちも、言語を介して会話をしますし、自分の考えていることを脚本に落とし込んで、観客に伝える行為も、ある種の翻訳的行為だと思います。
伝達行為が、翻訳的行為であることはもちろん、映画を作る時も翻訳的なことをしないといけないんです。
大学で考えていたようなことは、今も引き続き考え続けていますね。
—–翻訳論か…難しいですね。今話して頂いたことを考えながら、脚本に翻訳的な事柄を落とし込んでいると、捉えてもよろしいのでしょうか?
椎名監督:翻訳という作業を経ないと、まず人間は生きることができないと思います。
すごい難しい言い方をしてしまいましたが、例えば私が「眠い。」「疲れた。」ということを伝えたい時、「眠い。疲れた。」と言えば、伝わると思うんです。
でも実際は「眠い」にも多分、色々種類があると思います。「疲れた」にも、様々なニュアンスがあると思います。
それを今、正しく思っている通りに、他人に伝えることは本質的には不可能に近いと思います。
人の脳みそをそのまま見れる訳ではないんですよね。その時に、ただ「眠いんだよね。」か、「今すごく眠たくて、今すぐにでも家に帰りたい」と言うかでは、違いは大きいと思うんです。
どっちの言い方を選ぶか、人は常に選択に迫られていて、脚本を書く時も同じことをしているんです。
どういう登場人物を登場させれば、言葉が伝わるのか。その二人にどういう会話をさせれば、伝わるのかなと。
書きながら、常にそのような事を考えております。このような行動が、翻訳的行為かなと思います。
—–この話の延長線で、シナリオの台詞にはすごく力を入れられておられますか?
椎名監督:逆に、台詞にはあまり、意味あることを書かないように気をつけているんです。
意味のある台詞をなるべく、書いちゃいけないと思っていて、すごく意味があるっぽいことを言っていたり、会話が成立してしまったりした場合は、よく書き直しています。
文章だけで意味が成り立っていたら、別に映画じゃなくていいと思うので。
—–そうですね。小説でも、脚本集でもいいですよね。
椎名監督:そうなんです。そもそも、台詞が多すぎちゃいけないですし、台詞が説明的になっていたり、何か意味を持たせすぎてはいけないと、思っております。
例えば、『ここ以外のどこかへ』だったら、駐車場でタバコを吸っているシーンでは、全然中身のないやり取りが続いていますが、タバコの火の付け方が分からない人物に、「吸うんだよ。」と説明したり、「オプションの丸のところをカチッとしてみて」と、全然本筋に関係ない話が続くのも、あれも多分、最初は本質っぽいことを書いていたと思うんですが、辞めようと思って、全部消したんです。
そして、意味のない会話に変更した経緯はあります。そこに、余白を持たせた方が、映画っぽいと言いますか。
—–撮影中、大変だったことや、これして良かったことはございますか?個人的に、子役の女の子の存在感が、凄く良かったです。
椎名監督:撮影全体がとても大変で、記憶が曖昧なぐらい、大変でした。
一日終わった瞬間に、気絶するように眠るのが、日課でした。
みおなちゃん役の辻本りこさんも同じで、ヘロヘロになりながら撮影していました。
コロナで一年間何もできず、撮影すること自体が丸々2年ぶりで、自分自身、勘が戻らない部分もありましたので、「どうやるんだっけ?」と考える場面が多々ありました。
身体のリズムが戻って来なくて、それが結構大変でした。
あとは、初めて一緒に撮影をするキャストの方やスタッフさんにどう接するのか、どうコミュニケーション取るのかという悩みも絶えなかったです。
普段の接し方と、監督としてのコミュニケーションには、大きな違いがあると思います。
でも、自分よりも年上の方やベテランの方に演出しないといけないとなると、初めての体験だったので、「めっちゃムズいなー」と感じていました。
—–逆に、これして良かったなと思うところは、ありますか?
椎名監督:お弁当を毎回オーダーして、食べる時間を確保したことですね。
スケジュールはすべて自分で組みますが、他の方の休憩時間は予定に組み込むのに、自分の休憩が1秒もないことが、今まで発生しがちだったんです。
お弁当を頼んでしまうと、食べないとゴミになってしまうので、絶対食べるようになりますので、強制的に自分の休憩が生まれることに気づきました。
撮影でバタバタしていても、お弁当だけは食べて、少しの間だけでも、休む時間を確保できたのが良かったところです。
—–子役の女の子は、どうやって見つけましたか?
椎名監督:子役の女の子は事務所に問い合わせしてご紹介して頂き、現場で初対面でした。
1歳くらいから仕事をしており、プロ意識が段違いでした。
—–タイトルには「ここ以外のどこかへ」と付けられておりますが、もし監督が「ここ以外のどこかへ」行けるなら、どこに行きたいですか?
椎名監督:「ステイホーム」という言葉が象徴するように、「家にいなさい」とか、「県を跨ぐ旅行はしてはいけません」とか、言われる時期が長かったので、皆さんどこかに行きたいという気持ちが溜まっていると思います。
私ももちろんその一人で、やはり普通に海外旅行に行きたいですね。
国際情勢など関係なく、私は普通にロシアに行きたいです。
コロナや戦争になっていなければ、普通にロシアに旅行していたと思います。
留学していた国でもありますので、普通にロシアに行きたいんですが、しばらく行けなさそうで、悲しいですね。
—–コロナに限らずですね。
椎名監督:そうですよね。戦争も含め、あのような状態になってしまいますと、行けないですよね。
なぜか、叶わぬ夢になってしまいましたが、またいつか絶対に行きたいな、と願っております。
—–このタイトルに触れると、おそらく皆さん、今の現状に満足していないと思うんですよね。絶対、どこかに行きたいと思ってるんですよね。この作品を観て、どこかに行きたいなという気持ちに馳せてもらえたらと思います。
椎名監督:「どこかに行きたいな。」という気持ち、あるいは今すぐにでも、どこかに行かなければ、どうにかなってしまうという強い衝動を表したのが、この映画なんです。
そういう気持ちを、人生のどこかしらで、誰もが一度は感じたことがあるんじゃないかなと思います。
そういう意味では、幅広い方に共感してもらえる映画だと思います。
—–プレスでは、コロナ禍で浮き彫りになった「家族の在り方」を問うとありますが、椎名監督自身、コロナ以前と現在で、その「家族の在り方」はどう変化したと思いますか?
椎名監督:この映画で描いていることは、割とそのまんまなのかな、と思っています。
「家にいなさい。」「家は安全な場所だから、みんな家にいよう。」みたいな事が、世の中で罷り通っていいのだろうか、と思っているんです。
家が安全じゃない人も、ものすごい数いると思います。
DVを受けているとか、虐待を受けているとか、あるいはそこまで深刻な問題じゃなかったとしても、家に居たくない人はかなりいらっしゃると思います。
それが、丸々無視されて、「家にいるだけで世の中安全になるから、皆さん家にいましょう。」という考えが溢れた世間になったことが、すごく嫌だったんです。
「家族の在り方」ということで言うと、家に押し込められたことで、関係が悪くなった方の方が、多いのではないかと、私は思ってしまいました。
家にいる時間が増えて、家族が顔を合わせる時間が多くなったことで、今まで気にしないでいられたことを、気にせずにはいられない時代になったのではないかと思います。
離婚が増えたというニュースも報道されておりますが、外に出られていたおかげで、目をつぶれていたことが、可視化されるようになったのではないかと考えられます。
—–もうひとつプレスからですが、「家に居られない事情を持つ人々に、寄り添う映画を作りたい」という想いで作品を製作したと書いてありますが、ここをもう少し監督自身の考えを掘り下げることはできますでしょうか?
椎名監督:先程、お話した事と重複してしまうかも知れませんが、やはり「ステイホーム」という言葉が標榜するように、「家にいなさい。」「家にいましょうよ。」という考えが、刷り込みのように毎日毎日、政府や東京都からアナウンスされている中、「家にいたくない。」という気持ちを抱えた方や家には居られない事情を持った方々を、どうして置いてきぼりにできるのだろうかと、思っていました。
誰にとっても、家が安全な場所であるなんていうことは、都合のいい幻想かだと思うんです。
「ステイホーム」を掲げている中、見過ごされている人達が存在する現状に、とてもやるせない気持ちになってしまいます。
コロナが最初に蔓延した頃は、コロナ禍を前向きに捉えようとする風潮があったと思うんです。
「家にいる時間が増えたことで、いい事もたくさん増えた。」みたいなポジティブ・メッセージが、非常に多かったように思います。
それができる人もいれば、できない人もいることを忘れてしまってるんですよね。
ポジティブになれる人ばかりではないことを、覚えておきたいんです。
家に全然いたくない人にも、寄り添いたいと私は思いました。
だから、コロナをポジティブに捉えようという社会の風潮には、反対したい気持ちもあります。
—–氷山の一角ですよね。それが、作品として炙り出ただけであって、社会の片隅のどこかに、今話してくれた方が必ずたくさんいますよね。
椎名監督:そうですね。虐待やDVというセンセーショナルな問題は取り上げられたり、ネットで話題になったりと。
みんなが「そういうことあるよね。良くないよね。コロナで家にいる時間が増えて、DV受けている人が、もっとDV受けるようになるのは、良くないよね。」みたいには容易く想像できますが、そこまでの深刻な問題でなくても、この映画の2人のように、家に居られない子も居ると思います。
作品では虐待を設定にもできたと思いますが、世間がイメージする虐待ではないグレーゾーンのところにいる、でも実際には居そうなリアリティのある家族を描こうと思いました。
—–最後に、本作の魅力を教えて頂けますか?
椎名監督:こういう風に思っている人は、たくさんいるんじゃないかなと思いを馳せて、その考えを反映させて、製作に取り組みました。
コロナの状況も変わりつつある中、今観て頂いて共感してもらえるかは未知数のところもありますが、時代性を反映させたという意味では、今撮らなくちゃいけない題材であり、今観て欲しい映画です。
製作の経緯でお伝えしたように、物凄く衝動的に、勢いで製作した映画です。
キャストの主演のお2人は、映画初主演で、辻本りこさんに関しては、演技も未経験の方でした。
瑞々しく、カメラ慣れしていない方々をカメラの前に立たせて演じさせた生々しさもまた、魅力になっていると思います。主演のお2人の今しかできない演技にも注目して欲しいです。
—–貴重なお話を、ありがとうございました。