映画『ミュジコフィリア』「ピアノと共に成長してきた僕が、いました。」井之脇海さんにインタビュー

映画『ミュジコフィリア』「ピアノと共に成長してきた僕が、いました。」井之脇海さんにインタビュー

2021年12月4日

映画『ミュジコフィリア』 井之脇海さん インタビュー

©️Tiroir du Kinéma

インタビュー・文・構成 スズキ トモヤ

(c)musicophilia patners(c)さそうあきら/双葉社

—–主演として出演が決まった時、どのようなお気持ちでしたでしょうか?

井之脇さん:とっても嬉しかったですね。16年間役者をしてきて、脚本を頂いた時は2年ぐらい前なので、正確に言うと14年ぐらい役者をしてきて、ついに頂いた主演のお話でした。

いつか、初主演を飾る時が来るだろうと思っていましたが、いざお話を頂くと嬉しかったですし、同時に少しプレッシャーもありました。

ただ、12歳の頃に出演させて頂いた映画『トウキョウソナタ』の中でもピアノを弾く役柄だったので、今回の作品でもピアノと共に初主演を迎えることへの喜びもありました。

—–先ほど、少しプレッシャーを感じたと仰っていたと思いますが、他に感じたことはございますか?

井之脇さん:怖さと言いますか。当たり前のことですが、主演を経験したことがない時は、できると想像してしまうものです。

でも、いざ作品の主要人物として出演させて頂くと決まった時に、僕が想像していたことがちゃんとできるのか、通用するのかどうかという怖さは、とても大きかったですね。

—–京都での撮影は、どうでしたか?

井之脇さん:京都には何度か、撮影やお仕事で行く機会がありましたが、時代劇の撮影が多かったんですよね。

それで、その撮影は屋内のスタジオで行う上、時間的な制約があったりと、なかなか深く京都の街と関わることがありませんでした。

今回のロケでは、京都の色々な場所に訪れることができ、本当に素敵な街だなと実感しました。電柱一つ、マンホール一つ取っても、そこに歴史を感じる匂いがたくさんありました。

—–風情のある街並みですよね。ほかの街にはない魅力がたくさんあります。

井之脇さん: 僕の演じた朔は、京都で生まれ育った設定ですが、撮影で訪れるすべての場所が、京都としてのパワーをとても強く持っていたので、僕がそこに行って、身をポンと置くと、それだけで京都に住んでいる実感が持てました。

そこは朔を演じる上で、とても助けられたところでもあります。

京都じゃなければ、本作のような作品にはならなかったと思います。

—–京都ロケじゃないと、主人公朔の気持ちにはなれなかったということですね。

井之脇さん:本当に京都の街に役作りを助けて頂きました。

(c)musicophilia patners(c)さそうあきら/双葉社

—–朔を演じてみて、何か大変だったことや気をつけていたことは、ございますか?

井之脇さん:主人公なので、お客さんの感情移入しやすいようにと言いますか、あまり背伸びをしない方がいいなと考えました。

等身大の美大生の青年ということで、飾らずに、時にはある種の子どもっぽさや純粋さを恥ずかしがらずに演じることを心掛けました。

—–井之脇さんから見て、主人公の朔とは、どのような人物に写りましたか?

井之脇さん:音楽という好きなものへの愛が溢れている青年だと思います。

どこか子どもっぽいところや純粋さも合わせ持っており、自分の好きな音楽を通じて会話することに喜びを感じている人ですね。

一言でまとめると純粋な子だと思います。

—–すごく真っ直ぐで純粋がゆえに、兄弟や親子の確執に折り合いが付けれない子に写りますね。すべてを受け入れようとしているような青年に見えます。

井之脇さん:そうですね。ちゃんと自分の気持ちを出すことができる青年だなと思っており、そのツールが言葉であったり、音楽であったり。

ちゃんと人と向き合う人物だなと思いますね。

—–演じられてみて、記憶に残る場面は、ございますか?

井之脇さん:思い出に残っているシーンは、物語の終盤で育三郎さん演じる兄大成と感情がぶつかり合うような場面で、その撮影は今でも印象に残っています。

段取りの段階で芝居の方向性はある程度きまっていたのですが、本番でお互い本気でぶつかった時にどうなるのか、楽しみでした。

実際、本番では、育三郎さん演じる大成から悲しみや怒りと言った物凄いパワーが溢れきて、そのエネルギーを感じたんです。

そして僕はそのパワーに負けないようにと、反応の連鎖が、どんどん生み出されました。

監督は演技合戦と仰ってくださいましたが、自分でもいいシーンになったのではないかと思います。

(c)musicophilia patners(c)さそうあきら/双葉社

—–映画『トウキョウソナタ』以来、劇中でピアノを弾くという大役を今回、何十年ぶりにされておりますが、「ピアノを弾くこと」で何か得られるものは、ございますか?

井之脇さん:撮影期間中に、僕のひとつのテーマと言いますか、やらなければいけない作業があって。

それは朔の音を探すことだったと思います。

朔の生まれ育った京都の街や川から聞こえてくる音であったり、景色であったり、それらを聞いたり見たりする中で感じてピアノを弾くことでそれが音色になっていくと思ったんです。

ただ音を鳴らすのではなく、朔がどう感じて音を鳴らすのかを意識しました。

映画『トウキョウソナタ』の時は正直、まだなにも分かってなく、ガムシャラにただ演じていたわけですが、今回「音を探す」取り組みができたのは、14年間の成長だったと思います。

「音を常に探していた」ので、ちょっとでも違うとなると、身体が気持ち悪かったり、お芝居も変わってくるんです。

なので、「音を探す」ことによって、僕自身が朔のリズムや彼の状態に近づけた気がします。

いい関係で「ピアノ」と「お芝居」の両立が相互作用して演じることができたのでは、ないでしょうか。

—–「朔くんの音」は、見つけることができましたでしょうか?

井之脇さん:たくさん見つけることができました。

今はもう一年以上、離れているので、分からないですが、それがきっと、スクリーンに収められていると思います。

—–本作では音楽を通して、主人公が成長する姿が描かれておりますが、井之脇さん自身、音楽やお芝居、ピアノの弾くことを通して、成長したご経験は、ございますか?

井之脇さん:常に成長の日々ですが、本作で言えば、主演させていただいたことで、長い時間役に関わることができました。

どの役でも、その人の一生分を想像して、そこを追求するんですが、その作業は変わらないですが、主演だと、関わる時間が長い分、自然と密度が濃くなっていきます。

今回、ひとりの人生に長い時間関わって、濃くする時間ができました。

たとえ今後、主演じゃなくても、一日だけ参加する現場でも、その濃さを一度体験できたので、密度を濃くすることができるようになったんではないだろうか、と思います。

より深く演じるキャラクターの人生を想像することが、できるようになりました。

僕にとって、この事を学べたのは、とても大きな経験、財産です。

—–最後に、映画『ミュジコフィリア』の魅力を教えて頂けないでしょうか?

井之脇さん: 脚本を読んだ時もそうですが、この作品を観て、人と人が自分の好きなモノ、今回で言えば音楽を通し、ぶつかり成長し、繋がっていく姿が、とても素敵なことだなと思いました。

昨今、コロナ禍で人と本音でぶつかることが少なくなっている世の中ではないかと気がしていて。

この映画を観て頂けたら、人と好きなことを通してぶつかるって良いよなと、感じてもらえる作品になっていると思いますので、そんな所を楽しんで観て頂けたらと思います。

(c)musicophilia patners(c)さそうあきら/双葉社

映画『ミュジコフィリア』は、関西では先行上映された京都府のTOHOシネマズ二条をはじめ、大阪府では大阪ステーションシティシネマTOHOシネマズセブンパーク天美、兵庫県ではTOHOシネマズ西宮OS、和歌山県ではイオンシネマ和歌山にて、全国の劇場で絶賛上映中。