「自活研究者として」京都みなみ会館にて映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』の舞台挨拶レポート

「自活研究者として」京都みなみ会館にて映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』の舞台挨拶レポート

©Tiroir du Kinema

6月5日(日)、京都府にある京都みなみ会館にて、映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』の舞台挨拶が、行われました。

この日は、言語学者でもあり本作の現地ナビゲーターでもある伊藤雄馬が、ご登壇された。

映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』のあらすじ

インドシナ半島のゾミアと呼ばれる山岳地帯に暮らすムラブリ族。

彼らは森を移動しながら狩猟採集生活を長年の間、続けてきた。

バナナの葉と竹で寝床を作り野営し、現地のタイ人から姿を見られずにひっそりと暮らして来た。

タイの人々は彼らを「黄色い葉の精霊」と親しく呼んでいる。

この日、登壇された現地ナビゲーターの伊藤雄馬は、まず最初に「ムラブリ語」でご挨拶されました。

こちらをクリックして頂くと、直接ムラブリ語をお聞きすることができます。環境音が混ざっておりますが、より鮮明にお聞きできます。敢えて、翻訳は掲載致しません。言語学者の伊藤さんが、何を話しているのか、皆さんでお考え下さい。

「メェ ドゥン ナン レェ ドゥン ナン ピアックレー レェ ピアックレー カルッ コボ ピアックレー カルッ レェ ポン ムラッ ニエェ ポン ムラッ ドゥン ナン オォ アルム ルースック ディー ヨ ピアックレー」

©Tiroir du Kinema

「今日は不在ですが、金子遊監督が本作『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』を監督、撮影されました。金子監督自身が、ムラブリ族にご関心がございました。ベルナツィーク著の有名な人類学の書籍「黄色い葉の精霊」を読まれて、現在のムラブリ族がどう過ごしているのか気になって、彼らの村を訪れました。作中にフアイヤク村という村がありますが、そこに来るまでに監督は現地ガイドを雇い、少し苦労されながら現地入りしました。苦労して来られた中、僕が先にムラブリ族と暮らしておらました。僕自身も、最初は驚きました。普段、日本人の方は全然来られないので、とてもビックリしました。もうひとつビックリした事は、金子監督が映像を製作されている方だったことに驚きました。なぜ、僕が驚いたかと言うと、そういう方を来て欲しいと思っていたんです。この映画の中では3つのグループが紹介されており、最初に映っていたのはBグループ。次にフアイヤク村がAグループ。大きいグループで500人程います。最後に登場するラオス側は、Cグループで分けております。人数は正確には分かりませんが、30名ほどおられます。僕は主に、Aグループの方々の方言を研究しております。A、B、Cのグループの方言は、すべて違っております。こうやってアルファベットで分けているのは仕方がないことで、彼らは遊道しています。ですので、場所の名前が使えないため、このような名称で分けています。今日はここにいて、明日はここにいる。という感じです。その3つの方言の違いを研究している時、調査地に金子監督が訪ねてきました。僕は彼等の言語を調査しながら、違う場所に住んでいます。大概は、A、Bグループの方々を研究していますが、彼らの村はバラバラに点在しております。でも行けない距離ではないのですが、彼らにまったく交流がないんです。なぜ交流がないかと言うと、作中で語られるているように「人喰いだ。攻撃的だ。」と、お互いを恐れているんです。別のグループが怖い、恐ろしいという感情があるので、交流がなかったんです。でも、僕は実際に行って、「人喰い族」ではないことを証明しました。ムラブリ族が、少しお互いのことを関心を持ち始めた時期でした。そんな時に、金子監督が村に来られました。2017年18年頃の話です。そういう環境も整ってきており、ムラブリ族同士もそろそろ再会してみませんか?という時期だったんです。言語学的に言えば、100年ぐらいは交流がなかったのではないか、と思います。100年振りに会うという事実を、僕一人で目撃するのは申し訳ない気持ちにもなりました。学者として見て、報告や論文を通してお伝えすることもできましたが、もったいないと考えたんです。ですので、共に共有できる媒体として映画の存在は、とても大きいのです。」

と、作品の製作背景の話をされたり、ムラブリ族についてのお話をされました。また、

©Tiroir du Kinema

「ムラブリ族に対する意見で気になるところがありまして、彼らは何もしていないという声をチラホラお聞きします。確かに、何もしていないのですが、ラオス側のムラブリ族はダラダラしている印象があります。一日で食べるために必要なもの、必要な仕事は2時間程で、あとは寝たり、タバコを吸ったり、散歩をしています。そういう日常を過ごす人達ですが、タイ側のムラブリ族もほぼほぼ似ております。あくせく働くような方々ではありません。そういう彼等の姿を見ての発言かと思いますが、ムラブリ族は一日何もせずに過ごしているかと言うと、そうではありません。彼等ムラブリ族は生きるために直結することをしています。例えば、カバンやご飯、寝床を作ったりしています。ですので、僕ら外側に人間が、ムラブリ族に対して、「ダラダラしているな」「何もしていないな」と、感じてしまうのは、逆に言うと僕らが如何に、生きるための行動をダイレクトに普段していないということを、教えてくれているような気がします。僕は今、こうして言語化しておりますが、何となく感じるところもございます。自分で家も作れない。食べ物も作れない。エネルギーも作れない。水を綺麗にすることもできない。という思いもありますが、こういうことを僕自身ができるようになったらいいのかなと、思っております。僕は大学の職員を辞めて、独立研究者として名乗っておりますが、「独立」と名乗っている割には、大して「独立」できていないことに気が付きました。ムラブリ族の方が、余程独立しているなと、感じました。自分で自分の生きる糧を作る人になりたいと思っています。ですので、独立研究者から自活研究者へと肩書きを変えました。家を建てるのは大変ですが、道具を発明して作ったり、水稲栽培をして葉物野菜を育てて、食べる活動も並行して、するようにもなりました。ムラブリ族の「してなさ」を参考にして、僕もダラダラ過ごしたいですよ(笑)。ダラダラ暮らして、やりたいことをやる暮らしをしたいので、日本でどのように実現できるのか、試したり、研究したりしております。」

他にも、伊藤さん自身がなぜ、言語学に、またムラブリ語に興味を持ったのか話されたり、ムラブリ語の言語における文法についてのお話もされました。

©Tiroir du Kinema

映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は5月28日(土)より大阪府のシアターセブン、6月3日(金)より京都府の京都みなみ会館、6月4日(土)より兵庫県の元町映画館にて絶賛公開中。また、大阪府のシアターセブンでは、延長上映が決定している。