映画『エリザベート 1878』見えない「コルセット」が外れるまで…

映画『エリザベート 1878』見えない「コルセット」が外れるまで…

コルセットを脱ぎ捨てて映画『エリザベート 1878』

©2022 FILM AG – SAMSA FILM – KOMPLIZEN FILM – KAZAK PRODUCTIONS – ORF FILM/FERNSEH-ABKOMMEN – ZDF/ARTE – ARTE FRANCE CINEMA

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コルセットは、1878年当時、貴族の女性達の足枷に過ぎなかった。スタイルを良くしようとし、ファッションの目的とし、また良い男性、良い結婚相手、男性からの強い愛情を求めようとし、細く、より細く、締め付ければ締め付けるほど、貴族階級の女性達の地位は向上した。この時代の女性は、ウェストの極細さ、見た目の脆弱性の有無、そしてコルセットの圧搾性の極端さが、女性の地位叫換や結婚材料の判断として重宝されていた。でも、当時の女性のウェストをきつく圧迫させるコルセットの存在は、拷問そのものでもある。縛り付けられ、苦痛を長時間加え、窒息させるほど、拷問に拷問を重ねるこの器具は、女性の下着でも何でもなく、上流貴族・中流貴族の男性たちの優越思想を具現化した歪曲そのものだ。周知の事実ではあるが、1800年代の時代は、まだまだ男尊女卑が残る厳しい世の中。上層階級の女性たちは、その環境に対して猜疑心を持たず、コルセットを腰に巻き続けている。それは、男性社会からの圧力による外因的要因が、女性達の口を噤ませ、言いなりにさせていた。如何にも、コルセット着用こそが、適切であると洗脳させられ、その結果、甚大な健康被害が報告されている。詳しい内容は、次の項目で書き記すが、コルセットの着用は自由だけを奪うものではなく、身体の健康にも多大な障害を与えていた。女性達の自由を奪い続けた当時の下着は、彼女らの随意だけではなく、自尊心、虚栄心、道義心、向上心、謀反心、弥猛心、向学心、反発心、抵抗心、忠義心、敵愾心と言った(挙げれば、キリがないど)、様々な感情をも一緒に、きつく締め上げるコルセットの中に吸収させてしまっていた。こんな所業とも言える拷問に耐え抜き続けた当時の女性達は、全くと言っていいほど、声を上げることができなかった。誰かに、何かに、ノーと言える環境がなかったと言える。今の時代でも、男女平等なんて言葉が叫ばれているが、この時代の女性の権利や立場は今とは比べ物にならないほど、軽視され続けた現状がある。その最中にあったコルセットの存在は、ただ腰に巻いた下着ではなく、女性達自身が自身の立場を強く世間に訴えさせないための道具とする側面もあったに違いない。そこには、当時の男性社会から女性の世界への無言の圧力として開発され、コルセットを装着させる事により、女性達の反乱を無理に押さえ込んだ背景かあるのであろう。

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映画『エリザベート 1878』は、1878年に実際に40歳を迎えたオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼ハンガリー国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后(別称号:バイエルン女公爵)のエリーザベト・フォン・エスターライヒ(※1)という実在の人物に焦点を当てたセミ・ドキュメンタリーの形式を取った歴史映画だ。物語は、エリザベートの40歳を迎えた1年を追うスタイルは、非常に思い切った設定でもある。彼女は、1838年にバイエルン王国・ミュンヘンでバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアンとバイエルン王女ルドヴィカの次女として生を受けたエリーザベト・フォン・エスターライヒ。彼女は生涯、貴族出身者の皇后として生き、1898年9月、60歳という若さで死没したと言われている。直接的な死因は、旅先のジュネーブ・レマン湖の湖畔で事件に巻き込まれたと言い伝えられている。イタリア人無政府主義者ルイジ・ルケーニが手にしていた鋭く研ぎ澄まされた短剣が、彼女の胸を突き刺した結果、エリザベートは自身の人生の幕を閉じたと言っ悲しい結末を迎えている。ただ映画では、そんな描写は一切なく、1年の旅を終えようとしたエリザベートは、最後に決心をし、自ら自身の人生に手を加えようとする。その背景には、皇室で苦しみ悩み続けた彼女の「解放」が描かれているが、これは本来のエリザベートの人生とは大幅に違いがある。自らの人生に自身の手で加えるのと、誰か部外者から加えられた要因とでは、作品的な解釈が大きくズレて来る。この作品は、史実映画、歴史映画と名を売っているが、私個人としては、これはノンフィクションではない。どこまで行っても、虚構と現実を織り交ぜた物語でしかない。ただ、映画的に全く新しい見解を持ってして、あのラストにへと昇華させたのだろう。また作品ポスターでは、「コルセットを脱ぎ捨て、自由を求めて飛び立つ時」とあるが、作中ではコルセットを脱ぎ捨てていない。大胆な描写はないものの、エリーザベト・フォン・エスターライヒ自身は、実際に皇室の中の問題に直面し、苦悩していた。まるで、イギリスのダイアナ元妃、日本の皇太子徳仁親王様の奥様小和田雅子さんのようでもある。先に、引用元で拝借したサイト「時代を駆け抜けた皇妃エリザベート」の中では、より明確に皇妃エリザベートの苦悩について記述している項目があるので、目を通す必要がある。ここから彼女が生きた時代背景を考え、なぜエリーザベト・フォン・エスターライヒがあのような行動を取ろうとしたのか、ほんの少しは理解できるのかもしれない。1800年代が、どのような時代背景だったのか、本作を鑑賞する上で、少しの知識でもいので、習得する必要あるのだろう。女性の政治への参政権が、世界で初めて提唱されたのが、ちょうど1869年だ。この映画の舞台となる時代の、ちょうど9年前だ。イギリスの功利主義哲学者のJ.S.ミルが執筆した『女性の隷属』の刊行年だ。ミル自身、女性の選挙権獲得(※2)をスローガンに掲げ、議員に当選した背景もある。この時代に、まだ30代であっただろうエリーザベト・フォン・エスターライヒもまた、この書物や思想から直截的に(もしくは、間接的に)多大な影響を受けたと推察できる。まさに、彼女が生きた1800年年代である19世紀は社会的に、女性たちの存在を押し出そうと時代でもある。だから、エリーザベトが当時の男性社会や皇室問題にノーを叩きつけ、貴族女性の象徴とも言えるコルセットを脱ぎ捨てることを決意したと言えるだろう。それは、洗脳からの脱却、男性社会への挑戦状であったに違いないのだ。こうして、世界各国で女性による女性のための、女性運動(※3)が起き始めたのだろう。

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また、ここからは本作の裏テーマとも取れる「コルセット」の歴史(※4)について、少しずつ解析して行きたい。コルセットは、中世後期(西洋史学における中世盛期の後に続く14世紀、15世紀頃の時代を指す)の頃には、前中央を紐締めにして体に密着させる下着が、最初に作られた。また、16世紀に、細いウエストを強調する鯨の骨が入ったコルセット「バスキーヌ」が、スペインからヨーロッパ諸国に広がり、17世紀から18世紀にかけて、改良が重ねられ着用されるようになった。18世紀の下着(※5)は、コルセットとパニエが当時の流行の最先端だった。 上半身を形成するためのコルセットは、頻繁にシュミーズの上から着衣されていた。続く、19世紀には、本格的にコルセットが女性にとっての下着として主流となるが、この頃の使用目的が単なる下着ではなくなっているのも事実だ。先にも記述したように、女性の権利を剥奪し、戦意喪失させ、女性が持つ人としての尊厳を無きものにしたのが、このコルセットという名の拷問器具だ。実際、19世紀後半以降、医学界から拷問用と罵られ、危険視された経緯もある。各界からは、このコルセットが危険視されるあまり、各々の表現方法を頼りに、「解放」(※6)を願った。それもそのはず、元々は鯨の髭や籐などを使用していたと言われているが、それが時を経るごとに、さらにより頑丈な物質で締め上げるようになって行ったといわれる。最終的に、鉄素材の普及によって、鯨の髭を使用していた頃の何十倍もの締める上げが可能になった。その結果、身体的肉体的に女性を苦しめるようになった。当時の医学界からは、呼吸器疾患や肋骨の変形、内蔵の損傷、出生異常、流産の原因になると指摘する声も上がるようにもなる。その上、女性解放運動やミルが上梓した『女性の奴隷』の人気も相俟って、コルセットを着用する女性や人気そのものが低迷し、1920年頃にはコルセットに取って代わる締め付けない女性用下着が台頭し、父権社会を代表し、女性の尊厳を奪い、拷問のようにきつく締め上げていたコルセットはほとんど姿を消した。今では、ファッションデザイナーから絶大な支持を得、一つのファッションという見方でコルセットが存在しているのも事実だ。また、狂気にしか見えないが、世界一細いコルセットを装着する女性が、過去にギネス記録で賑わった事もある。そんなコルセットやエリーザベト・フォン・エスターライヒ后を題材にした本作『エリザベート 1878』を制作したマリー・クロイツァー監督は、「歴史的信頼性と現在とのつながりとの間のバランスをどのように見つけたのか?」と、具体的に聞かれた監督は、インタビューでこう答えている。

Kreutzer“Ich glaube, es ist immer wichtig, egal was man für einen Film macht, ob das jetzt zeitgenössisch realistisch ist oder überhöhtes Melodram oder Science-Fiction oder historisch, dass die Kunst immer ist, eine Filmwelt zu entwickeln, die in sich konsistent ist, gleichgültig, was dieses Universum konkret ist. Bei historischen Stoffen glauben wir schnell, uns auszukennen, weil wir ein paar Fotos oder Gemälde aus der Zeit vor Augen haben. Aber wir waren eben nicht dabei und vor allem nicht hinter den Kulissen. Was wir sehen, ist immer eine Repräsentation. Es ist, wie wenn wir unsere Kinder zum Schulfotografen schicken, nicht wenn sie in der Badewanne planschen oder den Momenten, in denen man aus welchen Gründen auch immer, keine Fotos macht. Alles hinter der Fassade lässt ganz viel Raum für Interpretation. Ich war oft in den Kaiserapartments im Sisi-Museum und habe da erst erfahren, dass die Möblierung dort auch eine Fiktion ist, dass es nur eine Vorstellung davon ist, wie es ausgesehen haben könnte. Historie ist immer eine Version, eine nachträgliche Erzählung. Wir haben dann gemeinsam mit Ausstattung und Kostüm versucht, eine für uns stimmige Variante zu finden. Mir war früh klar, dass ich es sehr reduziert haben möchte. Bei den Kostümen etwa ging es ja klar um die Silhouette dieser Frau, um das Eingeschnürtsein, und nicht um den Pomp. Und bei der Ausstattung war mir wichtig, dass es Leerstellen gibt, als würde etwas fehlen, dass es nicht vollgestopft ist wie bei vielen anderen Historiendramen. Das Szenenbild erzählt damit auch etwas über das Ende einer Epoche. Elisabeth hat das selbst sehr präzise erkannt und darüber geschrieben, wie es mit der Monarchie nicht ewig so weitergehen kann und wird. Auch das fand ich für unsere Gegenwart interessant, weil wir ebenso in einer Zeit leben, in der uns klar wird, dass wir so nicht weitermachen können und nicht wissen, was danach kommt.”

クロイツァー監督:「私が思うのは、どんな種類の映画であろうと、現代的写実的メロドラマであろうと、誇張されたメロドラマであろうと、SF であろうと、歴史的なものであろうと、芸術とは常に内部的に一貫した映画世界を展開することが、常に重要だと思います。私たちは、当時の写真や絵画をいくつか、頭の中に持っています。歴史的な事柄についての知識があると、すぐに信じてしまいます。しかし、私たちはその場にも、舞台裏にいませんでした。私たちが見ているものは、常に表現です。それは、子供たちを学校の写真家に送るような、何らかの理由で写真を撮らない瞬間ではありません。解釈の余地が、たくさん残されています。私は、シシィ博物館の帝国アパートによく行っていましたが、家具もフィクションであり、それがどのように見えたのかという単なる想像に過ぎないことを知りました。歴史は、常に後付けです。装備や衣装なども合わせて試してみて、自分たちに合ったパターンを見つけました。それを大幅に削減したいということは、早い段階から明らかでした。たとえば衣装に関しては、華やかさではなく、女性のくびれが重要でした。そして、セットに関して言えば、何かが欠けているかのように空いたスペースがあること、他の多くの歴史ドラマのように詰め込まれていないことが私にとって重要でした。この風景は、時代の終わりについて物語っています。エリザベートはこれを自身で正確に認識しており、君主制が今後も続かないことについて書きました。また、これは私たちの現在にとっても興味深いことだと思いました。なぜなら、私たちはこのままではいけないと認識し、次に何が起こるかわからない時代に生きているからです。 」と、次の時代にも万が一、同じ事柄が起きる可能性があると示唆しています。確かに、今の時代はどうだろうか?19世紀の女性達が感じた息苦しさや閉塞感は、100年以上経った21世紀の今でも続いている。それは、目には見えない社会的暗部でまことしやかに存在している事実として受け止めて欲しい。

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さらに、映画『エリザベート 1878』は、1800年代にオーストリアに実在に存在した皇后エリーザベト・フォン・エスターライヒが、1年間に及ぶ旅をする姿を追ったセミ・ドキュメンタリー風歴史(史実)映画だ。エリザベート王妃は、若い子頃からずっと貴族の中の窒息しそうな程の息苦しい一族のルールに押しつぶされそうになっていた。そんな状況を打破しようと行動を移した彼女は、当時の女性としての象徴とも言えるコルセットを脱ぎ捨て、女性の自由や解放に大きく異議を唱えた勇敢な女性だ。同時代のここ日本でも、同じ女性問題が蔓延っていた。今、NHKで朝の連続ドラマ小説『らんまん』の被写体となっている植物学者の牧野富太郎氏は、「日本植物学の父」と呼ばれる一方で、周囲の女性達を好き勝手に振り回して来た過去がある。明治時代は、本作『エリザベート 1878』の時代背景と合致する年代でもあり、19世紀は世界的に見ても女性が賎しまれて来た事は、間違いない現実だ。ただ、これはこの時代特有の問題であるとは言いにくく、21世紀の今の時代にも通ずる事案である事もここに明記しておきたい。ここで吟選する現代における日本の社会的問題は氷山の一角に過ぎないが、少しでも何かの認識になるのであるなら、筆を進めたい。皆さんは、17(イチナナ)ライバー、ビゴライバー、ポコチャライバーというライブ配信を行いながら、リスナーから投げ銭というスタイルでお金を稼ぐ職業を知っているだろうか?果たして、これが世間的な職種として認知されているのか甚だ疑問は残る上、曖昧模糊ではあるが、ここ数年、このライバーという職種が手軽に稼げるという謳い文句の元、一般人の間で一定数の人気を得ている。私自身も数年前、市場調査のためにポコチャというアプリをインストールした事あるが、今回およそ3年振りに再度市場調査のために、この世界に数日間、参加してみたが、コロナ禍を経て、この3年間で様相が大きく変化していた。私が最も驚いたのが、この市場にシンママと呼ばれるシングルマザーの30代から40代の女性が、グッと増えた事だ。3年前は、独身である若者世代20代中心が活動していたが、数年の間に年齢の幅が大きく広がったと認知している。その背景には、コロナ禍での生活基盤の不安定さを補うために、ライバー稼業を始めた方が大半だろう。まさに、コロナ禍で立ち行かなくなった生活状況や楽して稼げるという名目であるなら、ウーバイーツなどの配達業と同じような流れを組んでいる。そのライバー業界で一つ気になったのが、シングルマザー層の参入だ。各々に理由は様々ではあるが、パートをしながら、年頃の女の子2人を育てる40歳前後の女性の話を聞いたが、彼女は現実世界での稼ぎでは生活が立ち行かない上、元の夫は新しい女どころか、隠し子まで拵えて、裏切られたと涙ながらに身の上を教えてくれた。この状況に、どこか現代社会の縮図が見えて来そうだ。なぜ、彼女は正社員を探さないのか?なぜ、地方自治体は片親世帯に支援を手厚くしないのか?生活で苦しんでいるにも関わらず、社会は一人の女性を置いてきぼりにしているようだ。また、この方だけが苦しんでいる訳ではなく、たとえば、2年前の2001年に起きた「大津小1女児暴行死事件」(※9)では、2人の子どもが大きな犠牲を払っている。近頃、3日連続で報じられた同事件の後日談の報道記事【上】【中】【下】は、非常に価値があり、優れた記事だ。ここに、3日に渡って情報開示された3記事を紹介しておく。「ジャングルジムから落ちた」6歳の少女の命を奪った兄はうそをついた ネグレクトされた異父兄妹の10日間【大津女児虐待死事件(上)】(※10)「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】(※11)「兄の同居は認められない」警鐘を鳴らした児相のジレンマ 子どもの声をどうすくい上げるのか【大津女児虐待死事件(下)】(※12)と、あらゆる場処に足を運んで、事件の真相を記者の足でつぶさに追ったこの報道は、社会的に見えても非常に骨太だ。この記事から浮き彫りになったのは、2人の子どもが言われのない犠牲を払っただけでなく、育成歴における母親自身が背負った過ちが、今の社会で生きづらさを露呈させている。また、この事件に限らず、昨年末に起き、現在8月28日から裁判員裁判が開かれている「埼玉本庄5歳児虐待死事件」(※)でも、全く同じように子どもが犠牲に遭っている。こちらの事件も連日、同様の報道が発表されている。こちらも、ここで紹介したい。「麻原彰晃みたいと笑われて…」ヘッドキャップをかぶせた“5歳の我が子”を繰り返し畳に叩きつけた‟子殺し母”の「悪魔のカウントダウン」《埼玉本庄5歳児虐待死事件》(※14)《埼玉本庄5歳児虐待死事件》暴行死した歩夢くんの遺体を裸にし、‟生ゴミ発酵促進剤”をふりかけ土中に…“悪魔じみた提案”を受け入れた実母「涙の告白」(※15)と、連日新たな報道、新たな証言、新事実が報道されている今注目の事件だが、これらすべてにおいて共通しているのは、犠牲になっているのはシングルマザーという片親世帯、そして、その物言わぬか弱き子ども達だ。もはや、女性や子どもだけの問題だけではない。近日、東京のローカルニュースでは、交番前に刃物を持った男が暴れている(※16)という一報が入ったが、この事件を起こした男性は何か人生で追い詰められたかのように、「死にたかった」「逮捕されたかった」と供述している。彼の今まで生きてきた人生の背景は知らないが、今に至るまでの何かしらの八方塞がり的な苦しみがあったのだろうか?

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最後に、ここまで長く書いてしまったが、本作『エリザベート 1878』が持つ表題「コルセット」は、今の時代にも常に通用していると、私は実感している。それも、目には見えない「コルセット」が、私の精神を蝕んでいる。19世紀はまだ、肉体的視覚的な苦しみとしての「コルセット」が存在していたが、現代において、それは全く視覚化されておらず、皆、何らかの原因によって精神的に追い詰められ、締め付けられている。この見えない「コルセット」こそが、事態をより複雑化させている事に気づく必要がある。私たちの自由とは、見えない「コルセット」を脱ぎ捨てた時に、真の自由を出にすることができるのである。その自由とは、勝手気ままに形振り構わないものではなく、そこにはリスポンシビリティーや努力、苦労、ハングリー精神などが伴うものこそに、私達が夢にまで見た「自由」が存在する。今はまだ、途中経過の段階であり、近い将来、この「コルセット」を本当の意味で、外す時が来れば、それは解放であって、自由の象徴である。そのために今、私達は何をする必要があるのか、考えないといけない。見えない「コルセット」が外れるまで…。

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映画『エリザベート 1878』は現在、関西では8月25日(金)より大阪府の大阪ステーションシティシネマTOHOシネマズなんばMOVIX堺イオンシネマ茨木。京都府の京都シネマ。兵庫県のシネ・リーブル神戸MOVIXあまがさきTOHOシネマズ西宮OS。奈良県のユナイテッド・シネマ橿原にて上映中。また、9月15日(金)より和歌山県のジストシネマ和歌山。9月22日(金)より兵庫県のシネ・ピピアにて上映開始。そして、全国の劇場にて順次公開予定。

(※1)時代を駆け抜けた皇妃エリザベートhttps://www.austria.info/jp/service-and-facts/famous-austrian-people/sissi-kaiserin-elisabeth(2023年8月30日)

(※2)女性解放運動https://sekainorekisi.com/world_history/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E9%81%8B%E5%8B%95/(2023年8月30日)

(※3イギリスの女性運動一一慈善運動。女性参政権運動。女子労働1女子教育一https://drive.google.com/file/d/18b3P1WzDkvY5o45NP8EV6TCwGayx3B84/view?usp=drivesdk(2023年8月30日)

(※4)コルセットの歴史。女性の身体の解放とフェティシズム。【FASHION ENCYCLOPEDIA Vol.3】https://www.vogue.co.jp/fashion/trends/2019-05-13/fashion-encyclopedia-corset/cnihub(2023年8月30日)

(※5)女性下着の歴史https://artsandculture.google.com/story/4gWBmuqs9AFdKQ?hl=ja(2023年8月31日)

(※6)<絵に潜む男の視線 永澤桂>女性をコルセットの「拷問」から解放したマネhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/189567(2023年8月31日)

(※7)世界一細いウエストを目指す女性 立って食事をしていた!現在のウエストサイズは(コルセット装着時で)41センチhttps://entabe.jp/news/article/2116(2023年8月31日)

(※8)Interview: Marie Kreutzer über ihren Film »Corsage«https://www.epd-film.de/themen/interview-marie-kreutzer-ueber-ihren-film-corsage(2023年8月31日)

(※9)《大津小1女児暴行死事件》「私は5度の結婚歴があります」複雑な家庭環境と子供への思いを母親が40分激白 また一緒に暮らしたいかと問われ…https://bunshun.jp/articles/-/47910(2023年9月1日)

(※10)「ジャングルジムから落ちた」6歳の少女の命を奪った兄はうそをついた ネグレクトされた異父兄妹の10日間【大津女児虐待死事件(上)】https://www.47news.jp/9785003.html(2023年9月1日)

(※11)「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】https://nordot.app/1064372543443157720?c=39546741839462401(2023年9月1日)

(※12)「兄の同居は認められない」警鐘を鳴らした児相のジレンマ 子どもの声をどうすくい上げるのか【大津女児虐待死事件(下)】https://nordot.app/1067648091165098431?c=39546741839462401(2023年9月1日)

(※13)《埼玉本庄5歳児虐待死事件》暴行死した歩夢くんの遺体を裸にし、‟生ゴミ発酵促進剤”をふりかけ土中に…“悪魔じみた提案”を受け入れた実母「涙の告白」https://bunshun.jp/articles/-/65447(2023年9月1日)

(※14)「麻原彰晃みたいと笑われて…」ヘッドキャップをかぶせた“5歳の我が子”を繰り返し畳に叩きつけた‟子殺し母”の「悪魔のカウントダウン」《埼玉本庄5歳児虐待死事件》https://bunshun.jp/articles/-/65446(2023年9月1日)

(※15)《埼玉本庄5歳児虐待死事件》暴行死した歩夢くんの遺体を裸にし、‟生ゴミ発酵促進剤”をふりかけ土中に…“悪魔じみた提案”を受け入れた実母「涙の告白」https://bunshun.jp/articles/-/65447(2023年9月1日)

(※16)「撃ってください」 カンフー刃物男 警察官が拳銃構え警告…. 逮捕 池袋駅前が一時騒然https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000313000.html?display=full(2023年9月1日)