映画『静寂』『想愛~soui~』「10年後の自分がその時、苦しんでいる方々に寄り添うために」うみのはるか監督インタビュー

映画『静寂』『想愛~soui~』「10年後の自分がその時、苦しんでいる方々に寄り添うために」うみのはるか監督インタビュー

映画『静寂』『想愛~soui~』うみのはるか監督にインタビューを敢行。「虐待」という日本社会の「今」を映すテーマを真っ向から描く。

©れああーす

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—–映画『静寂』『想愛~soui~』は、どのような経緯で、企画が始まりましたか?

うみの監督:まず、映画『想愛~soui~』の企画は、エンディングの曲を送られてきたのがきっかけでした。

その音楽を聞いて、私がMVを作りたいなと思って、ご本人に連絡したところ、この楽曲を映画のエンディングとして使用して欲しいという話になりました。

そう仰ってもらいました。この音楽を作ったのは、旦那さんが亡くなり、彼の一周忌に向けて作られた曲でした。

「彼に届けようとして作った歌です。」と、お話を頂きました。

ご本人さんの実体験を物語にして、映画のエンディングに流すのがいいですねと、お話させて頂いた流れで、本作が誕生しました。

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—–映画『静寂』は、どうでしょうか?

うみの監督:映画『静寂』の場合は、ちょうどその当時、父親に性的暴行を働かれていた女の子が、裁判を起こすという話がありました。

実際、最初の裁判では敗訴してしまいました。

そのニュースに触れて、私自身とても悔しく感じました。

私たちにも、何かできることがあるんじゃないかと、自分の実体験を元に映画にして訴えることができるのではないかと、思いました。

子どもが訴えているのに、私が何もしないのは何だろうかと、感じるようになりました。

その時の経験がきっかけで、本作『静寂』の製作を決意しました。

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—–映画『静寂』には、紙芝居で始まり、紙芝居で終わるという手法が取られておられますが、この物語の着想はどのように産まれましたか?

うみの監督:すごく近いものですが、遠いものという感覚であるのを表現したくて、この構成を選びました。遠いものでもあるけど、近いもの。

今、現在も実際に起こっている事実がたくさんありますが、主人公やよいに関しても、ずっと昔にあったような事を伝えるという意味で「紙芝居で始まり、紙芝居で終わる」という事をこの作品で試してみました。

近くて遠い、遠くて近い。

—–現実でもありますが、ファンタジーでもあることを表現しようとされたんですね。

うみの監督:ファンタジーっぽい部分も、含まれる可能性もありますね。

—–作品をリアルにしてしまうと、気持ち的に重くなりがちですが、幻想的にすることで、また作品に対する見え方が違ってきますね。あの「紙芝居」というクッションがないと、「現実」として受け止めてしまいがちですが、「一呼吸」を挿入することで、作品の関係者方の「温もり」が映像を通して感じることができますね。

うみの監督:ありがとうございます。

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—–撮影中、何か大変だったことはございますか?

うみの監督:映画『静寂』に関しては、初めてのチームで組んでやってみて、お互い初めてのままの顔合わせでした。

私も撮るのが、不慣れな部分もたくさんありました。どこまで突っ込んで言ってもいいのか、迷いもあり、スタッフさんと手探りの状態でした。

その中でも大変だったことは、主人公のやよいの心境を、自分の心情と照らし合わせながら、演出したり、演じてもらうのは大変でした。

映画『静寂』では、その部分がとても苦労したところでもありました。

あと、海道さんが演じるミツオが、喋らずに気持ちを伝えていけるのか。自分の子どもの辛い経験や複雑な思いを抱えながら生きている人物なんです。

いつまでも、自分が置かれていた環境であったり、表向き年上として振舞っていますが、過去との出来事に対して自身の中で解消できていないのは、ミツオ自身なんです。

だから、施設にも入らずに一人で過ごしているのも、そういう感情から来ています。そのような人物の心情を、海道さんに出してもらうのが、少し大変でした。

どうしても、海道さんは喋りたい人なので、そこを押さえてもらうのが、とても苦労しました。

映画『想愛~soui~』の時は、エリコさん役の泉さんと松好映実(えま)ちゃんとは、初めて組んだ役者です。スタッフはいつものGAGAGAFILMとBANZAI FILMのメンバーでした。

長いこと一緒に同じ現場で製作や撮影をしてきたので、同時に呼吸ができる布陣でした。伝えたいことや言いたいことをすべて、伝えやすい環境でもありました。

自分のイメージを映像にもできましたし、そのサポートを金本さんがしっかりしてくれたのもありました。

スタッフさんとの連携は取れていた反面、初めてのキャストさんとは、どのようにコミュニケーションを取ろうか、手探りでした。

役者の泉さんは、舞台出身の女優さんなので、演技の幅を広げてもらうための指示や指導を、どこまで出していいのか迷いもありました。

4月23日(名古屋の伏見ミリオン座で上映された日)に上映した時に、改めて伝えたいことは伝えきれたと、感じることができました。

『想愛~soui~』は、ノンフィクションに近い実話を基にした作品を製作しており、ほぼ実際に起きている話でもあります。

現場には、イメージを作るためにご本人さんも参加して頂けました。

加藤さんが、どれだけ彼のことを想っているのか、その想いがどれだけ画面の外まで伝わるかだと思います。画面の内側で収まっているのは、あまりよくありません。

演技の発信の仕方を伝えることが、一番苦労した所でもあります。

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—–映画『静寂』で主演されている山下さんはうみの監督にとって、どういう印象を受けましたか?また、彼女が演じる人物から何を感じ取ることができましたか?

うみの監督:山下さんは、この作品の前に映画『Blind』に出演してもらっております。

この映画の撮影のお昼時、彼女をずっと見ていて、山下さんの容姿が私自身にすごく似ていると感じました。

30代前半の自分と重ね合わして見ておりました。

その時、山下さんに「こんな話があるねん。」と言って、『静寂』のシナリオを見せました。この時に主役をオファーしたというのが、作品に出演するきっかけでした。

彼女は『Blind』の時、盲目の女の子を演じたんですが、その演技も視覚障害者に対する想いへの取り組み方が、とても素晴らしく、凄いなと感じました。

私が『静寂』で主演をするよりも、山下さんに主役をしてもらう方が、必ずいい作品ができると、彼女の役への向き合い方に触れて、確信が生まれましたし、印象に残っている部分でもあります。

場面によれば、脱ぐシーンもありますので、女優さんによっては断る方もおられます。

全体を撮らずに、脱ぐ場面は私がしてもいいのかなと、最初は考えておりました。あとの演技は、山下さんにしてもらうことで、カバーできるかなと考えておりました。

最終的には、山下さんがすべてを受け入れてくれて、「必要なら、脱ぐこともできます」と、覚悟を決めてくれました。

彼女のやよいを見ていると、子供の頃の自分や成人した頃の自分とも、オーバーラップしてしまいます。

彼女のはにかんだ笑顔の中には、今までのこと含め、前向きに生きようとする部分をしっかり出してくれていると、実感します。とても、良かったです。

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—–映画『想愛~soui~』は、大切な「誰か」を失う、亡くしてしまう方のお話ですが、誰もが経験する物語に、どのような「想い」を込めましたか?

うみの監督:映画『想愛~soui~』は、私も再婚の経験がありますので、次は幸せに最期まで一緒にいたい、添い遂げたいという思いが、きっとエリコさんも、ヒロシさんもお互い愛する者同士で一緒になられたと思います。

ある日突然、病魔に襲われる事実。幸福(しあわせ)はずっと続くものだと、どこかで思っていた自分がいました。

でも、本作に関して、ヒロシさんが命と向き合い家族と向き合っていく姿勢を見せてもらいました。それを意識して生きていくことが大切なんだなって思いました。

今、この時間を大切にしていかないといけないんだと感じれるようになりました。

普段から思っていたことでもありますが、こんな身近でお話をお聞きして、映画として製作させて頂くことで、一層のこと、一日一日その人との時間を共有でき、「いつも、ありがとう」という言葉で終われる時間が必要だと感じています。

ケンカするだけの関係じゃなくて、お互いを気遣える関係が、時間を大切にできるのではないかと思います。

それを意識して、作っていくことが大事だと、この映画を通して、改めて実感しております。

—–少し踏み込んだ話もお聞きしますが、うみの監督は虐待サバイバーの当事者でもありますが、今社会で起きている虐待に関する事件について、どう思われますか

うみの監督:私は、自分の作品やから映画を観て欲しいとかは、ありません。虐待に関する作品は、海外作品含めて世の中にはたくさんあると思います。

みんなは、残酷やから観たくないとか、自分には関係ないから観たくないとか、子どもを虐めてる、女性を虐めてる題材にした映画は、弱者を利用していると言い張るかもしれません。

ただ、私は、「知ること」で加害者や被害者にも、ならないきっかけになってもらえたらと思います。

もしかしたら、本当は「ありがとう」という感謝を知らない人があまりにも多くて、虐待が無くならない、止まない背景があるのでは、と考えてしまいます。

—–「加害者」や「被害者」の側面では、ボーダーラインですね。

うみの監督:基本、感情的に弱い者に怒る。強い者に対して言えない。冷静さを失われてしまうのが、ケンカですよね。

性的な事に関しても、暴力に他ならないのです。支配しようとしたり、支配力に任せているだけ。これが支配してる、あれが暴言で、これが暴力、という境界線が知らない人が多すぎると思います。

昔は、お父さんが手を出すのが、当たり前という風潮がありましたね。

お母さんが、「あんな大人になったら、ダメやで」とか、「女殴るなんて、最低や」とか、普通に、どこにでもあった風景だと思います。

—–昭和な感じですね。

うみの監督:昭和的な感じがあったんやと思います。今は、本当にそんなことも無くなりつつありますね。自分がどこまで手を出していいのか、何をしているのかを見境がなくなってしまうんだろうと。

虐待にしても、何にしても、「知ること」が抑止力に繋がると思います。

知らなければ、暴力振るっている人と「同罪」だと、私は思っています。

目の前で暴力事件があって、その場面を周囲の人が見ていることもあると思いますが、「誰も止めませんでした」は、この現状を裁判した時に、周りの人間はどうなるのか。

見てる人も「同罪」と言う判決が下されるという実際の事件がありました。

子供の頃、その事件を道徳で学んだのですが、その時の私の中の答えは、何らかのアクションを起こす必要があるということを学びました。

ただ、見ているだけも同じ罪を被るなら、何かアクションを起こす必要もあります。

私は、子どもの頃に学ぶ機会がありました。だからこそ、この映画で児童虐待問題を活かそうと思いました。

映画でも、本でもいいので、一人でも多くの方が、この物語に登場する子ども達を「知ること」が、撲滅に繋がっていくと思います。

ただ、「虐待」に対しては、正直いい経験できたと思います。

—–いい経験に、なったんですね。

うみの監督:毎回上映しながら、自分の中にまだこんな感情があるんだと、経験していると実感できます。

だから、経験がなければ、こんな気持ちは湧き起こらないし、今まで蓋してきた感情もたくさんあります。

だから観る度に、こんな想いが自分の中にあるんだなと、感じる時もあります。

正直、『静寂』の上映を通して、不安定な気持ちになってしまうんです。

—–フラッシュバックを起こしてしまうんですね。

うみの監督:良くないとは分かっていても、不安定になってしまいます。

ある意味、それを乗り越えていかないと、10年後の自分がその時苦しんでる方々に寄り添えないだろうと思う自分がいます。

今でも、まだまだ自分のことで精一杯で、寄り添えきれてない部分もたくさんあります。

だからこそ、しっかりした自分を作っていくためにも、全部蓋してきた感情を一つずつ、解放させていくことが、今の私の目標です。

「こんな人生で良かった」と、思えることを自分で感じて生きたいと思っています。

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—–映画『静寂』の作中に登場する「パン」には、一体どんな「想い」を託されましたか?

うみの監督:あの「パン」は、受け取る男の子の様子を見て、きっと虐待されているんだろうと、子どもが子どもに察している場面です。

まだまだ、人一人助けたぐらいでは、世の中から「虐待」は消えないというメッセージを込めています。

後ろに海道さんが、そっと映り込んでいるのが、見えたでしょうか?

—–画面の奥の方にいてますね。

うみの監督:あの場所にミツオが一人いるのは、「一人、人を助けても、まだまだこの世の中で起きている「虐待」は続いているし、終わらないし、無くならない。」というメッセージを込めております。

—–受け取り方は人それぞれ違うと思いますが、自分はあの場面を観て感じたことは、「助け合い」と受け取れました。大きい小さい関係なく、小さい「パン」一つにしても、一人の命を助けることができる。小さな積み重ねが、一人一人を助けることができると、受け取れました。作品全体が、あの場面に集約されていると、感じました。

うみの監督:ありがとうございます。それぞれの受け取り方があって、いいと思います。

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—–映画『想愛~soui~』についてですが、「加藤さん」という方が作品のモデルになっておられますが、もしうみの監督が、その方の言葉を代弁されるなら、その方の言葉で何を伝えることはできますか?

うみの監督:「想愛」という言葉は、普段聞かない言葉だと思います。「想い愛う」という言葉。

ある場面のナレーションの言葉を覚えていますか?あのナレーションは、加藤さんなんです。

—–ご本人さんの声なんですね。

うみの監督:代弁するならではなくて、あの言葉そのままが、彼女の言葉なんです。

離れていても、近くで破綻している愛よりも、肉体がなく、魂で愛し合っている「想愛」という関係が、どれだけ大事なのか。

「私はその時の方がいいなと思った」という言葉が作中に登場します。あの場面の言葉がきっと彼女が一番伝えたいところだと思います。

元々は、女優さんにナレーションしてもらってましたが、加藤さんにもしてもらおうかと迷っていました。

編集段階で、やはり合わないと感じて、加藤さん本人に声をもらうことを決めました。

—–改めて、あの言葉が作ったものではないと、実感できます。生の声だと、感じることができます。

うみの監督:本当にその通りです。演技ではない部分をナレーションというやり方で演出するのが、いいんだと思いました。

—–ご本人が、前向きに生きようとする姿が、音声や声から伝わってきました。

うみの監督:あの声に、彼女の人柄がすべて表れていますね。「想愛」というエンディングの曲がありますが、加藤さんと彼女の娘さんが歌っているんです。

ご本人たちが歌っている曲ですが、あの歌詞を聞いていても、「なんで、自分が悲劇のヒロインに選ばれたのか。どうして、私がこんな思いをしないといけないのか」と、歌詞の中で表現しているんですよ。

前向きになれるまでは、ずっとこういう感情が彼女の中にもあったと思うんです。

でも、自分の中で「これではダメだ」と、ポジティブに捉えたら、どうなんだろうと、捉えたのが旦那さんとの「想愛」だったのだと気づかれたんですね。

次産まれてくる時も、私を探して、必ず一緒になろうと、家族として、家族を作ろうと、男性からも言えて、女性からも必ず迎えに来てねと言える関係は、想像もできないぐらい素敵な関係ですよね。

加藤さんの代弁で言う限りなら、あのナレーションのままなので、あの場面にじっくり耳を傾けて頂ければ、と思います。

—–最後に、映画『静寂』『想愛~souai~』それぞれの作品の魅力を教えて頂けますか?

うみの監督:映画『静寂』に関しては、先程から何度も言っていますが、どこかで何かが自分とリンクするような箇所があるのかなと。

よく聞く言葉は、「観て良かったです。」という感想です。

心や気持ちを抉られるような思いをすると思いますが、最後には温かいモノを感じて、「自分がこういう生き方でも良かったのか」という思いにさせてくれる作品です。と、よく感想を頂けます。

意外と、前を向いてくれるような作品に仕上がっているかなと、感じます。

一度、観て頂くことによって、また自分の中で掴んでもらえる、一歩を踏み出せる何かになればいいかなと、思っています。

また、映画『想愛~soui~』は、「家族のあり方」や「在宅介護」という所が、作品のテーマになっています。

病院で看取るよりも、家族皆で自宅で見送ることを決めることで、「親子」というものが、血縁関係など関係なく、無償の愛というものがそこにあります。

だからこそ、在宅介護が成立し、皆で見送れて、次の時間も皆で一緒にいようと約束し合える温かい関係性を通して、愛を感じれる作品になっていると思います。

様々な人と人との関係を踏まえて、向き合い方を作品からメッセージとして受け取ってもらえたらと願っております。

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うみのはるか監督特集は、シアターセブンにて、4月30日一日限定上映。また、ジワジワと全国で順次、公開が決まっている。