ドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』「与えられた運命を愛して」風間研一監督インタビュー

ドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』「与えられた運命を愛して」風間研一監督インタビュー

2023年3月6日

人のこころを紡ぐ民宿「つなかん」の物語を描いたドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』風間研一監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

©2023 bunkakobo

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—–本作『ただいま、つなかん』が映画化になる迄には、10年という長い月日を要したと思いますが、この作品が生まれる経緯は、「河北新報」に掲載されていた記事に出会ったのが最初ですね。なぜ、その記事から取材の意欲が湧いたのか、また一代さんのどこに惹かれて、取材しようと立ち上がったのでしょうか?

風間監督:最初のきっかけは、河北新報を読んで、当時の記事がまさに一代さんのお話で、津波で被災した自宅を改修して、学生ボランティアのために家を無償で開放し、彼らを応援、支援している内容でした。

いわゆる、一般的な良くあるボランティアの構図は、ボランティアの方々が被災地に赴き、被災者を応援する、もしくは支援する事でした。

ただ、被災した当事者である一代さんご夫婦が、学生ボランティアを支え、応援するという逆の構図になっていました。

まず、この関係性が最初に興味を引かれた経緯です。

そして、一代さんご本人に直接、連絡してみました。

当時、僕自身はテレビの人間でした。一代さんにお聞きしたら、その時はまだテレビ取材は入ってない事を耳にしました。

新聞の取材はあっても、テレビの映像取材はまだなかったと言います。

それはそれとして、テレビの取材側としては、初出しになるので、これは取材したいと、お話しました。

その時は既に、大震災から一年が経っており、様々な被災地が新聞、テレビを通して、紹介されていました。

その中で、まだ取材が入ってない所が、一代さん達の「つなかん」だったんです。

初出しになるので、これは取材したいと、強く思いました。

取材として入ったのが、本作が生まれる最初の出来事でした。

—–風間監督が取材を入った後に、他のテレビ局の取材が入って来たのでしょうか?

風間監督:最初の頃の映像は、僕だけの取材でした。

その後は、様々な媒体さんが追っていましたが、最初は本当に、僕一人だけだったんです。

学生ボランティア達が、「つなかん」の中で実際に寝泊まりして、暮らしている映像は、僕しか持っていません。

たまに、何度か、NHKや他の局から映像を貸して欲しいと言ってもらえるぐらい、ある種、震災一年後の映像は、「つなかん」の中では非常に貴重な映像となりました。

記録映像ですが、当時の記録が鮮明に残っています。

今回、映画にしようとしたきっかけの一つは、記録をちゃんと世間様に出すことでした。

テレビの中で眠らせておくと、ずっと眠ったままになりますので、ちゃんと映画化して、作品として残し、世に出す事で、今後これらの映像が記録として残っていきます。

貴重な記録映像を残して行きたいと思ったのは、映像化にしようとしたひとつです。

—–ありがとうございます。先程お話にも記事を読んだ時の一代さんに対する印象は、どう感じられましたか?

風間監督:一番記憶に残っている一代さんとの思い出は、記事を読んだ時ではなく、初めて会った日の事でした。

2012年の2月25日にテレビの取材として初めて「つなかん」に入り、そこで彼女と初めて会いましたが、その日は偶然にも雪が降っていて、凄く寒かったんです。

「つなかん」のある集落に住む人たちは、そんなに多くなく、また津波が起きた後でもあり、更地になった場所には爪痕もあり、非常に静かな環境でした。

震災の爪痕が残る地域、僕自身にも緊張感を持ちながら、現場に行きましたが、初めてお会いした一代さんの開口一番が「こんにちは!」って、明るく元気にあの勢いで来たんです。

少し高めの声が、静かな集落に大きく響きました。

正直、あの元気で明るい彼女に、緊張していた僕は面食らってしまいました。

それが、一番記憶に残る初めての出来事でした。

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—–作品を観させて頂き、震災一年後にも関わらず、あれだけ元気に明るく振る舞える一代さんは、非常に高い彼女の精神力は、人並以上と感じました。本当はつらかったのだろうと思いますが、その感情を出さずに、あれだけ明るく振る舞える姿には脱帽です。監督の目から見て、彼女の姿はどう映りましたか?

風間監督:基本的には、精神的に強い方です。

この10年で様々な事が起きましたが、非常に気丈な方だと思っています。

明るく元気で、また直感的な一面をお持ちの方でもありますが、どこか悲しみやつらさ、寂しさをお持ちです。

お客さんと向き合う時は、そんな感情を一切出さずに、明るく振舞いますが、僕自身も密着していく中、ある時、お客さんがいない家の裏に行くと、本音をついポロッと見せる姿もあり、両面の性質を持っていると感じました。

—–映像を通しても、彼女は感情を抑えているのが、非常に分かりました。作中、成人した元学生ボランティアの方が帰って来る場面の一代さんの姿には、ホロッとしました。

風間監督:10年間密着した中で、一代さんのあの姿は、後にも先にも、あの時しかありません。

彼女は基本、涙を見せません。

泣いたとしても、気恥ずかしさから、すぐ誤魔化してしまいますので、あれほど、堂々と大粒の涙を流すのは、最初で最後だったと思います。

そんな姿を見た成人した元学生の子らは皆、びっくりしていました。

—–非常に素敵な場面でした。

風間監督:実は、あの映像はテレビに出してなく、今回初出しの映像なんです。

凄く感情が爆発している場面ですが、テレビ放映だと、どうしてもシーンを短く切る必要があります。

ただ、あの場面はほぼ長回しで、切れないシーンですので、テレビの場合は丸々収録することができず、いつも泣く泣くカットしておりました。

特集番組の時に、あの映像を使おうと毎回、悩んで作っていましたが、あれを10秒、30秒の尺で表現しても、意味のない場面になってしまうんです。

使う意味もないので、今まで一切、使っていまんでした。

今回、映画化の場合、ある種、時間は無尽なので、それも加味して、僕の中ではようやく、世に出してあげられる事ができましたね。

—–本当に貴重な映像かと、思います。

風間監督:およそ10年間、取材して来た中で、僕自身のハイライトは、あのシーンだと、今は自信を持って言えますね。あれは、本当に大事な場面です。

—–一度観ただけでも、心にグッと来るものがありました。

風間監督:僕も編集していると、何度も観る必要があるんですが、その度に目頭が熱くなりましたね。

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—–タイトル『ただいま、つなかん』ですが、映画では一代さん視点で描かれていると考えると、「ただいま」ではなく、「おかえり」のはずですが、「ただいま、つなかん」とは学生ボランティアや観客、監督自身の視点だと感じますが、一代さんの目線ではなく、第三者の視点の題名になっている意図は、なんでしょうか?

風間監督:なるほど。それは、初めて聞かれた質問です。

あまり意識していませんでした。確かに、その通りですね。

タイトルは、僕の主観になっていますね。

僕自身もそうですが、「つなかん」の常連客やよく知る方に観て欲しいという気持ちが、僕の中にはあります。

あの場所に行くと、皆さん「ただいま」と言って、一代さんは「おかえり」って、出迎えるんです。

出発する時は、「行ってらっしゃい。」「いってきます。」と交わしますが、これは「つなかん」における、いつものやり取りでもあります。

あそこに行ったことがある方は、皆さん納得する題名になっています。

やはり、これは一代さんの物語ですが、それをある種、「つなかん」を知っている皆さんや観客の方々と共有したいという気持ちは、確かにありました。

言われてみて、どの視点なのか、考えてしまいますね。

ただ、ナレーションを担当して頂きました渡辺謙さんの語りは、僕自身の視点です。

その点を考えると、タイトルとナレーションの語りが繋がると考えられますね。

それでも、僕の気持ちは皆さんと共有したいところにあります。

ただ、題名に関しては、いくつか候補もありました。

「おかえり、つなかん」もその中にはありましたが、最終決定と直感で、「ただいま」に決めました。

いくつかタイトルの候補はありましたが、でもなぜ、「ただいま」になったのでしょうか?

皆さんと、一代さんの素晴らしさや「つなかん」の包容力を、一緒に体験したかったのが、今の僕の思うところです。

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—–ドキュメンタリー映画において、OST(オリジナル・サウンド・トラック)の制作・販売は比較的、珍しい試みかなと感じますが、劇中曲や劇伴を収録したサウンド・トラックのCDには、何か特別な想い入れはございますか?

風間監督:そもそも、岡本優子さんが、気仙沼出身の方で、その関係でこの度、作曲者として依頼を出させて頂きました。

音楽は、「一代さんのテーマ」と仮の題名で「つなかんのテーマ」という2曲を、まず彼女にお願いしました。

岡本さんと一緒に「つなかん」に行って、一代さんとお会いして、実際にその場の包容力や一代さん自身の温もりを体感して頂き、作ってもらったんです。

ただ、僕から細かい指示は出さなくて、岡本さんが感じたメロディやリズムから曲を作って頂きました。

また、劇中で流れる音楽はすべて、生演奏です。

特に、音編集もせず、シーンに合わせて、岡本さんがその場で演奏しています。

ほぼほぼ生演奏です。

—–そのような手法で製作されたのですね。

風間監督:数秒、場面とズレていたりすると、何度も録り直しました。

僕と岡本さんと話し合った上で、今お話した手法で製作を行っています。

それがまた、いい揺らぎと言いますか、一切編集もせず、そのままの音を映像に乗せていますので、映画においては良い効果になっていると、思っています。

また、音響効果の担当者の方も交えて、三人で話し合って、決めて行きました。

変な話、いくらでも編集は可能なんですが、極力、それはしないと決めて、実際はほぼ手をつけていない状態の音楽が、劇中に流れます。

擬似生演奏みたいなようなものです。

—–生音、生ライブのような感覚で、鑑賞中、音楽を聞けるのですね。

風間監督:盛り上がって行くまでの、音の入りが長い長い前奏は、すべて録音中に弾いています。

何度も繰り返して、今のベストな状態へと持って行きました。

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—–ドキュメンタリーにおいて、取材は長い時間と映像素材が必要ですが、作品にすると、どうしても取捨選択が生まれてしまうものでは?

風間監督:使わなかった映像は、沢山あります。

テレビ放送時は、あの号泣シーン、太鼓の祭りのシーンなど、多くの場面を出していませんでした。

今回、映画化なので、今までカットしていた映像を、よりもっと丁寧に挿入して行きたいという想いも持っていたんです。

あとは、どうしても、テレビとなると、時間の尺が短かったのも事実です。

だいたい、5分~10分前後が、テレビでの放映時の時間でした。

—–それでは、伝えたい想いも、伝わらないのが現状ですね。

風間監督:良くて、30分ですが、最初の頃はずっと10分前後が妥当でした。

自分の使いたかった映像が、使い切れなくて、もう一回、編集しようと、ずっと試していたんです。

10分ほどの尺ですが、それでもと、もう一度試して、30分の尺が出来上がりましたが、その再生時間でも、まだ入り切れない膨大な映像資料は、太鼓の場面や大号泣の場面含め、すべて入れ切れなかったのが事実です。

また、何かしないといけないと感じていた時に、今回の映画化の話が持ち上がりました。

それもあって、使わなかった映像を使う事に決めたんです。

実際、過去に撮った映像を見返しましたが、やはりどうしてもテレビだと短くしてしまうカットを、その中で一番いい状態で作品が仕上がるように、意識して編集しました。

それで、今回の上映時間115分となりました。

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—–少し掘り下げて、映画で表現されている一つ一つの映像素材には、監督自身、何かメッセージがあるとか、先程トピックに上がった上映時間115分(1時間55分)に込めた想いは、ございますか?

風間監督:そうですね。上映時間の1時間55分は結果的に、この時間になってしまったと説明した方が、妥当なんです。

観ている方の事もありますし、一番心地よく観られる長さで作って行こうと思ったので、それがたまたま115分という長さでした。

場面に対する僕の想いは、まず前提として、すべて大事なカットなんです。

様々な映像がある中、実際にはもっと多くの映像素材があります。

数えてないんですが、何百時間という膨大な記録が眠っていました。

その中で自分が一番、印象的だったり、記憶に残っていたり、名場面であったりするシーンを一つ一つ大事に拾って、その時僕が感じた事を、極力再現できるようなやり方で、音も含め素材を選んで編集したんです。

事故の場面では、無音にしています。

あれは僕が3月23日に感じた景色です。僕自身の中で、一瞬、無音状態が続きました。

初めて、その一報を聞いた時は、音の無い世界でしたので、映画としてはそのまま再現しました。

ただ、テレビでは逆に、無音の演出は、NGなんです。

映像としては、完全な放送事故です。

—–映画であれば、一言、演出と言ってしまえば、済む話ですが、テレビではそう簡単には行かないんですね。映画の可能性を感じてしまいます。

風間監督:それは、映画だからこそ、出来る事なんです。

映像はもちろんのこと、音に対しては意識して作りました。

他にも、無音の場面がありますが、それは意識的に、演出として音の無い状態で作っています。

—–テレビがNGなのは、作り手の思想を入れてはいけないというルールからなのでしょうか?

風間監督:それも、一理あります。

その点は、自分でも苦労した部分でもあります。

僕は報道の出身なので、どこまでも中立で、公正な立場を取らないといけないんです。

誰の側にも立たずに、常に真ん中を行くことが、報道する者としての大鉄則です。

映画って、自分の想いを伝えるものなので、その点は最初、切り替えるのに苦労はしました…。

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—–取材を通して、「東日本大震災」に対する考え方は、監督自身の中で変化はございましたか?

風間監督:報道する者としては、僕のやり方は非常に特殊な方法です。

取材に行くのは、「つなかん」だけでした。

—–他の地域は、行かれてなかったのですか?

風間監督:よく一代さんからバカにされてしまうんですが、僕は「つなかん」にしか取材に行ってなかったんです。

「つなかん」は、気仙沼の市街地から少し離れた場所に位置しています。

一番有名な場所は市街地ですが、いつもスルーして、「つなかん」ばかりに足が向いていました。

少し変わった取材をしていたのは、事実です。

震災への想いですが、気仙沼の街は足を運ぶ度に、僕の場合、定期的に訪問していましたので、間近で街が復興して行く変化を目の当たりにしていました。

あそこにお店ができたとか、新しく施設ができたとか、コンビニができたとか、色んな細かい変化を意外と見てきたので、少しずつ街全体が復興して行く姿に対して、実感は持っていました。

今は、津波を防ぐための防潮堤も建設され始めました。「つなかん」の前にも、それが着実に作られ始め、それができた事によって、海が見えていた「つなかん」が、今は見えなくなってしまっているんです。

少しずつ街が変わって来ていますが、そこに暮らしている人々は、それを悪い物として捉えておらず、現実をしっかりと受け入れて、前向きに生きています。

そういった姿が、よく報道されている東北や三陸ではなく、とある小さな町でも、とある家でも起こっていると、実際に観てもらって、多くの方々に実感して欲しいと、願っています。

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—–公式ホームページの監督からのコメントにて、「先が見えにくい世の中、自分が進む方向に対して、どこが見失っている人もおられるでしょう。」と、一部抜粋しましたが、そういう方に向けて、何かメッセージはございますか?

風間監督:一代さんって、これまで震災を経験したり、事故に遭ったり、コロナ禍にも直面し、大変な経験をされている方の10年を描いる作品です。

でも、彼女の何とか乗り越えようと、前に進もうとする姿を見て、気付きや発見、何か感じる事があるのでは無いかなと、思っています。

あとは、若年層である若い方々には、逆に一代さんではなく、移住した元学生ボランティアの子達の決断に触れ、思いを馳せて欲しいです。

大学卒業後、移住を決断し、自分たちで仕事を探して、何とかこの10年を生きてきた姿を見て、若い方達は何か感じるものがあるのでは無いかと、思っています。

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—–風間監督は、あるコメントにて、「本作は、多くの人々の10年間を描いた作品です。本作を通して、改めて、人付き合いや絆について、考えるきっかけになりました。」と、お話されておられますが、監督として、風間さんが思う「絆」とは、なんでしょうか?

風間監督:深いことは考えずに、単純に、こうして出会った事を一回限りで終わらせるのではなく、2回、3回と、1年後、5年後、とお付き合いを続けて行く事が大事なのかなと。

「絆」と言えば、少し固い印象になってしまいますが、もっと肩の力を抜いて、そこまで落とし込まなくても、もう少しフラットに、人と人とのお付き合いから、自然と「絆」が生まれて来るものだと思いますね。

取材は1回限りが多いですが、僕は5年後、10年後にも取材している事を想定として、考えています。

でも、それこそが、ある意味、「絆」だと捉えているんです。ある種、自分が心惹かれ、取材しようと思うことが、取材相手への礼儀です。

ちゃんと繋がった方には、こちらも誠心誠意、礼儀を尽くして、取材をします。

取材したものは、世に出ますので、世間に出した責任も伴います。

一代さんは、テレビとしては僕が発掘して、世に出してしまった方なので、彼女を最後まで見守って行かなければいけない責任が、僕にはあると思っています。

それもまた、一つの「絆」だと考えています。

一つ一つ出会った出会いを大切にしていく事が、大事ですね。

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—–震災とは、私達、人類にとって、切っても切り離せない地球上における問題だと思います。先日も、(※1)トルコ・シリア大地震も起きたばかりで、3万5000人(取材当時の数字です)が一瞬に消えてしまうという自然災害の脅威を感じますが、この地震に対して、何か思うことはございますか?震災から自身を守るには、何か考えはございますか?

風間監督:まず一つは、一代さんがよく言っておられますが、彼女の座右の銘として「与えられた運命を愛せよ」という言葉があります。

それは、一代さんの義理のお父さんから言われた言葉ですが、元々、一代さんは岩手県出身の方で、旦那さんに一目惚れして、知り合って3ヶ月で結婚して、すぐに気仙沼に嫁いでいるんです。

右も左も分からないまま、牡蠣の養殖の仕事をして、嫌になってしまった彼女。

その時に、義理のお父さんから、「与えられた運命を愛しなさい」と言われて、その時から自身の運命を受け入れて、無我夢中で仕事をし、気付けば地域一番の早剥き名人として名を挙げました。

その上で、震災が起きてしまい、仕事もすべて流され、被害も尋常ではない中、一代さんは経験の全てを運命として受け入れ、自分が出来ることをやって行ったのが、最終的に民宿になったんです。

事故に遭った事に対しても、一代さんは、大変な事ではありますが、これもまた自分の身に起きた「運命」だと感じようとして、また受け入れようとして頑張っています。

まだ、乗り越えられていませんが、やはり様々な事が起きた中、日本に限らず、世界中で起きていますが、悲観的に思っていたり、現実を受け止められなかったりするでしょう。

これは自身に対して、思う所もありますが、今起きている事を、ある種、運命として一旦は受け止め、その中で、どう生きて行くのかと考えていく姿勢が、結果的に次の一歩に繋がっていくのかなと、思います。

—–最後に、本作『ただいま、つなかん』の魅力を教えて頂きますか?

風間監督:本作は、大震災明けの一年後からコロナ禍まで描いた作品です。

取材期間10年を通して、人間関係や人との繋がりや絆、また人との距離感など、考える良いきっかけになったと思います。

「つなかん」は、一代さんを中心として、様々な人との出会いを描いた作品ですので、この映画を通して、改めて、人付き合いや友達の大切さなど、そういう部分を再度、気付けるきっかけになれればいいなと、思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©2023 bunkakobo

ドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』は現在、関西では3月3日(金)より京都府の京都シネマ。3月4日(土)より大阪府の第七藝術劇場。兵庫県の元町映画館にて、上映中。また、全国の劇場にて、絶賛公開中。

(※1)トルコ・シリア大地震 将来への不安から街を離れる住民相次ぐhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20230302/k10013995471000.html(2023年3月4日)