映画『明日になれば~アフガニスタン、女たちの決断~』サハラ・カリミ監督インタビュー
—–本作の着想を教えて頂けますか?
カリミ監督:私自身は、スロヴァキアで長い期間を過ごしました。その後、映画学科の監督コースを経て、監督としてデビューしました。
その当時から、私の興味は、「女性」でした。過去には、「女性」あるいは「女性移民」というテーマで、多くの短編やドキュメンタリーを製作しております。
私の撮る映画の主軸は、どの作品でも「女性」がテーマなんです。
そして、自国に戻ってからは、各地を旅行したり、旅を通して多くの女性と会話する機会を得ました。
その経験を基に、環境に関わらず、女性が置かれている問題には、ある一定の共通点があります。伝統的な社会において、やはり同じ問題やテーマが議題となります。
妊娠をして、母になるということは、アフガニスタンでは直ぐになれてしまいます。ただ、その逆に離婚することは大変で、難しい国でもあります。
母になることも、伝統的な社会では大変なことであり、苦労もたくさんあり、楽しいことではないんです。そういう環境下での話をお聞きし、友達と脚本を書き始めました。
シチュエーションの異なる三人の女性を主人公に、映画を描くことに決めました。
また、その女性たちは専業主婦であったり、高学歴の女性であったり、三人目の女性は恋愛結婚を夢見る人物を描いております。
その彼女は、女性的な経験をボーイフレンドとしますが、最終的に恋人から捨てられてしまい、生き延びるために解決策を探さなければならない状態になります。
本作では、そんな人物たちを描いております。様々な物語、現実、シチュエーションにいる女性を表現しております。
ただ、この女性たちはアフガニスタン国内の今の状況を表し、三つのピース(欠片)が作品を物語っているのです。
私は今まで語られることのなかった、アフガニスタンに住む女性たちの生活について語りたいと、自主映画として製作を始めたのです。
イランのプロデューサーが参加したことで、本作を完成させることができました。
ヴェネツィア国際映画祭で上映できるチャンスも、頂きました。
現在、アフガニスタンにタリバン政権が戻って来た状況下で、この映画を世界や日本で上映し、アフガニスタンの普通の女性がどのように、暮らしているのかを観て頂けることが、大変嬉しいことです。
—–次に、カリミ監督自身のことを教えて頂けますか?例えば、映画監督を目指したきっかけや、幼少期のことなど。
カリミ監督:私は、移民の子なんです。
人生のほとんどを、移民あるいは難民として過ごしてきました。
私のお父さんは、高学歴で、教養のある方でした。既に亡くなってしまいましたが、父親との関係はとても良好でした。
私は、父からの強い影響を受けております。若くして、家族から離れ、他国にて自立した生活を送りました。
そのため、私の子供時代はとても遠い思い出です。20年以上、家族としての幸せに触れておりません。
家族全員で過ごせたことが、20年近くありませんでした。私の幼少期の思い出は、遠い存在なんです。
現在、私のお母さんは妹と一緒にカナダに移住しております。また、私の兄は、タリバン政権が発足するまでアフガニスタンに住んでおりましたが、情勢が変わってしまい、現在はウクライナを経由してスロヴァキアに避難しております。
私は、中等教育をイランで受け、スロヴァキアで高等教育を受け、現在はローマで仕事をしております。
色んな国で過ごしてきましたが、それと同時に「どこにもいない」という現代で言えば、流浪の旅、ノマドの状態と言いますか、私には国籍がないのが、現状です。
また2012年に、アフガニスタンに戻ってみました。その目的は「故郷」の意味を肌で感じたくて、戻ったのです。
子どもの頃の美しい思い出を求め、アフガニスタンへの帰国を決意しました。しかしながら、昨年のカブール陥落によって、「家族」だけでなく、「故郷」への想いも消え失せてしまいました。
スロヴァキアに対しては、長く過ごしてきた信頼関係や想いはありますが、アフガニスタンに戻りたいという感情も同時にあります。
同時に、私は「故郷」を無くしてしまいました。子ども時代と聞かれると、あまりにも遠すぎて、そんなに歳を重ねたわけでもありませんが、別の星の出来事のように、感じております。
私の父親との関係は、人格を作る上で、とても大きな影響を与えてくれました。
私が現在、様々な権利を求めて、活動をしているのは父からの多大なる働きかけがあったからです。
そして、何度も何度も、一からやり直さなければならなくても、立ち上がる力を教えてくれたのは、お父様のお陰です。
父は、私が産まれた時には既に62歳で高齢でした。その彼から認めてもらいたい、ありのままの自分を愛して欲しいと、随分長い間議論を交わし、話し合いしたことが、今の私を形成しております。
そんな関係でも、父親からは自由を与えてもらい、人格形成にも大きく影響しております。
お母様とも深い関係を築きましたが、やはり今の自分を作ってくれたのは、亡き父なのは間違いありません。
—–物語に登場する三人の女性の姿に、監督自身、どのような理念、哲学を投影されておりますか?
カリミ監督:「哲学」ほどのものは、入れておりませんが、私自身が考えたことを反映させております。
私は各国の人々が、自国について語るべきだと、思っております。
特に、現実では見たくないもの、辛いことに対して、語る勇気を持って欲しいと思っています。映画は、大変力強いツールです。
もちろん、エンタメが主な部分でもありますが、映画には議論を引き出し、引き起こせる力があります。
そのために、物語を共有することが非常に大事だと思っております。
この映画は、アフガニスタン国内でも、自分たちの社会がこれほどまでに、反女性的、アンチ女性的なのか、なぜ女性蔑視な社会なのかを議論する機会を与えたいと思い、本作を製作しました。
なぜ、私たちアフガニスタン社会は、女性に対してこのような仕打ちをするのだろうと、語れる時、語る場があればと、願っております。
母性(結婚)とは、一般的に美しいものであり、美しい経験でもありますが、残念ながら、一般的なアフガニスタンでは女性が社会に受け入れてもらうため、あるいは家族に認めてもらうための一定条件を課されているような状態です。
母親になりたくない、もしくは母親になれない女性たちは、一体どうすればよいのでしょうか?
忘れられるべきなのでしょうか?それとも、社会から弾かれたままでいいのでしょうか?
普遍的伝統的社会では、どうしても反女性的な社会では母親になれないということが、足枷になる場合があることを知って頂きたいです。
そして、本作の主人公は、お腹で子どもが亡くなったかもしれないと、必死に助けようとする女性、母親になりたい気持ちを持ちながら夫との関係に問題があり、自由を選択するために堕胎という決断をする女性、そして三人目は愛情から妊娠しましたが、生きるために子どもを殺さなければいけない10代の少女を描いております。
この普遍的な社会で、女性が母親になるまでの多くの据(しがらみ)を描いております。
その反面、ヨーロッパの女性たちは自由ですし、法律や社会のシステムで、彼女らの「自由」が保証されております。
残念ながら、アフガニスタンでは制約がたくさんあり、良い母親、良い娘であることを世間から無理強いさせられる風潮があります。
—–撮影中、大変だったこと、苦労したこと。または、良かったことは、ございますか?
カリミ監督:独立系の映画を作る時は、どこでも難しいことかと思います。
アフガニスタン国内でも、独立系を作ることはサポートがないと、とても大変です。
例えば、ヨーロッパでは、奨学金や助成金のシステムがありますが、アフガニスタンではそういうシステムが一切ありません。
ですので、資金がない、技術がない、機材がない状況で、撮影が行われました。
その点はとても苦労をしました。アフガニスタンでは、道を使用する時の撮影は、安全面での問題もあります。やはり爆発があったり、テロが起きることもあります。
例えば、ある場面を撮影している時には、近くで爆発テロがありました。
そのような面では、とても苦心もしました。また、出演者の皆さんもプロの役者の方ではなく、素人の方ばかりでしたので、そういう方々を見つけたり、探したりするのも、一苦労ではありました。
また楽しいこともあり、人々に「不可能だ」「できないぞ」と言われていましたが、頑張ればできることを証明できたこと。
この点は、とても楽しい思い出でもありました。この作品を作ったことに後悔はなく、前向きな気持ちを持っております。
—–先日(2022年5月8日)、(※1)BBCニュースで報道されましたが、アフガニスタンの女性の規制が再度、厳しくなったとありますが、今回の背景には何が原因でしょうか?
カリミ監督:アフガニスタンにタリバン政権が戻って来たことによって、女性の生活は石器時代に戻ってしまいました。
現在、アフガニスタンの女性たちは多くの制限に直面している現状が続いています。このような事態に陥ってしまったことは、とても悲しいことです。
過去20年間で、私自身含め女性たちは、たくさんのプロジェクトやイベントを通して、人々の考え方を変えるように、活動を続けて来ました。
それも、一定の達成を築けていたにも関わらず、今回の件で再び女性は基本的な人権や権利を求める闘いに戻ってしまいました。
現在、多くの女性たちがデモを行っております。つい最近のニュースではタリバンが「女性は顔を隠さなければいけない」という命令を出しましたが、これに関して私はイスラム的ではないと思っております。
以前のアフガニスタンでは、髪や頭を巾着(ブルカ)で隠すことで、問題は起きませんでした。
ただ、ここ数ヶ月のタリバンの姿勢は、高学歴な女性や女性活動家を閉じ込めたりもします。
また、女性を社会的に見えない存在にする時代が、再度訪れた事を危惧しております。
—–ここ日本でも、「女性」の問題はたくさんあります。将来、男性も、女性も、お互いを尊重し、気持ち穏やかに過ごすためには、何が必要でしょうか?監督自身のお考えをお聞かせ頂けますか?
カリミ監督:社会とは、女性男性両方からの協力や共同作業でないと、成立しないものだと思います。
どんな国でも、どんな社会でも、女性だけでなく、男性でもそうですが、片方のジェンダーにプレッシャーをかけるようなシステムは、どこかで必ず崩壊、もしくはエラーを起こすと思っております。
そのため、両方の性の共生や協力が大事にもなりますし、法律を通して「その可能性」を守るべきだと思います。
私は、社会が変わって欲しいと、しっかり主張する必要があると思います。
発信しないと、何も変わらないので、そのような権利について戦う姿勢を持つ必要もあることでしょう。
—–もし解釈が間違っていたら、申し訳ありません。アフガニスタンの女性が、「声」を上げるのは、危険と隣り合わせだと、認識しております。告発する意義、告発する勇気も、相当おありだと思いますが、監督をそう行動させる、大きな理由は何でしょうか?監督自身の「想い」をお聞かせ頂けますか?
カリミ監督:タリバン政権前は、女性が声をあげることが、それほど危険なことではありませんでした。
もちろん、父権的な社会ですから、一定のリスクはありましたが、リスクは色々なことに、ついて回ります。
でも、以前は、自分の考えを話すことはできたんです。私は、ストーリーは語られるべきだと思いますし、特にタブーについては、アーティストや芸術家が率先して破っていくべきだと思っています。
特別、私が強いわけではなく、絵や音楽、映画などの表現手段が、表現者である女性に、力を与えているのではないでしょうか。
でも、私はもともと、自分の意見をはっきり言う方でしたね。
スロヴァキアでも、自分が外国人と言う立場であっても、賛同できないことには、はっきり意見を表明していました。
現在アフガニスタンで起こっている多くのことにも、私は同意できません。
—–日本の女性に限らず、日本人が本作を通して、何を得られるでしょうか?
カリミ監督:アフガニスタンのステレオタイプな爆発やテロのイメージ、女性が犠牲者かヒーローの両極端として語られる、そのようなナラティブな一面を少しでも変えられたらと思います。
アフガニスタンには、ヒーローでも犠牲者でもない、普通の女性たちの普通の日常があり、世界共通の女性の悩み、例えば妊娠、出産や、夫との関係、家族との関係に悩む女性たちがいます。
日本人の方々にも共感できるテーマだと思いますが、同時に、日本と違い、法律やシステムに女性の権利や地位が保障されていないアフガニスタンの現状、そしてタリバン侵攻により女性の権利がどんどん奪われている現状について、議論する契機になれればと思います。
日本の方も、両国の社会を比較することで、改めて感じ取れるものがあると思います。
—–最後に、この作品の魅力が、どこにあるか、教えて頂けますか?
カリミ監督:作品の中では、伝統的な価値観と、現代的な価値観の葛藤や、女性、男性それぞれの悪いところ、いいところを両方見せるようにしました。
また、背景なども、炊事や、服装、部屋のつくりなど、アフガニスタンの文化が垣間見えるよう、丁寧に撮ったつもりです。
タリバン政権前の「普通のアフガニスタン」を見てもらいたいと思います。
この映画はすでに、タリバン政権下になる前の女性たちの日常を映した、歴史的な作品になってしまいました。
出演した女性たちは皆、アフガニスタンを離れざるを得ませんでしたし、スタッフもそうです。
この映画は全編を通し、アフガニスタン人を役者に起用して、全てカブールで撮影しましたが、もしかすると、国内で制作された最後の独立系の映画かもしれません。
そういう点からも、ぜひ日本の皆さんに観てほしいと思います。
—-貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
映画『明日になれば~アフガニスタン、女たちの決断~』は5月27日(金)よりシネ・リーブル梅田、アップリンク京都、元町映画館にて順次上映開始。また、全国の劇場にて絶賛上映中。
(※1)タリバン、「公共の場で顔を覆う」女性の服装規定を発表 違反者に「段階的罰則」も(2022年5月25日)