『再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』バフティヤル・フドイナザーロフの世界

『再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』バフティヤル・フドイナザーロフの世界

中央アジアが生んだ早世の天才バフティヤル・フドイナザーロフ監督の特集上映『再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』

中央アジア映画。なかなか聞くことの無い地域の映画では、ないだろうか?2021年、2022年連続で、『中央アジア今昔映画祭』という特集上映が組まれた。本特集上映は、その延長戦にあると認識しても遜色はないだろう。私自身も、2022年に開催された『中央アジア今昔映画祭』を取り上げたが、改めて中央アジア映画の素晴らしさを再認識させられた。トルキスタン地域のほか(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国)、カザフステップ、ジュンガル盆地、チベット、モンゴル高原、アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む。トルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアのシベリア南部などが含まれるが、この2つの映画祭が紹介する国々は、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国を含める西トルキスタン地方で多くの映画が、制作されている。今回の特集上映『再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』では、中央アジアの一つの国家であるタジキスタン出身のバフティヤル・フドイナザーロフ監督一人に焦点を当てている。こうして、中央アジア出身の監督の単独特集上映が、日本で組まれる事は、非常に珍しい機会である。デビュー作や国内初上映作含む、今回集められた5作品『少年、機関車に乗る』『『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』『ルナ・パパ』『スーツ』『海を待ちながら』が、日本で観られるのは今回限りだろう。表題にもあるように「ゆかいで切ない夢の旅」と題されているが、作風そのものがまさに、社会的でありながら、どこか寓話的御伽噺の要素を含ませている。社会性の中の寓話性。寓話性の中の社会性を表現している稀有な作品群だ。ぜひ、バフティヤル・フドイナザーロフ監督の世界観を堪能して欲しい。

映画『少年、機関車に乗る(Bratan)』1991年公開。

一言レビュー:機関車によるあるひと組の兄弟の珍道中を壮大な冒険譚として全編モノクロで綴った映画『少年、機関車に乗る』は、本特集上映で組まれたバフティヤル・フドイナザーロフ監督の代表作だけに留まらず、監督の出身国カザフスタン、もしくは中央アジアをも包括する代表作の一つだ。中央アジア映画史を語る上で、本作は避けては通れない名作中の名作だ。物語は、至ってシンプルで、祖母と共に暮らす父親不在の17歳と7歳の男兄弟が、父の元を尋ねて機関車に乗り込む。でも、その汽車は、道中、機関士の実家に立ち寄ったり、線路沿いを走るトラックと競争を始め、子どもたちに石を投げつけられと、一筋縄では行かない線路の旅が展開される。果たして、彼は父親と再会できるのかという兄弟の成長が描かれる。雄大なタジキスタンの大地の上を、少年たちがひた走る。本作を観て感じたのは、ギリシャ出身のテオ・アンゲロプロス監督の代表作『霧の中の風景』を思い出す。こちらの作品でも似たように幼い姉弟が、不在の父親を探す物語だ。ただ、両作を比べた時、共通点の差異は確かにあり、アンゲロプロスの映画は重厚な作品として仕上げられている反面、フドイナザーロフ監督の映画は非常に軽快な作品として仕上がっている。要は、難解か、そうでないかの違いだけではあるが、この違いは作品を観る上では非常に重要なポイントだ。でも、どちらも映画史を語る上では非常に肝要な作品である事は、認識する必要がある。子どもは、家に親が不在という環境は、どれだけ気丈に振舞っていても、寂しいものだ。それが、両親が両方いようが、父親家庭、母親家庭にも関係なく、子どもは親の存在や抱擁力を求めるものだ。両作は、そんな子どもの心情に丹念に切り取った名作。先日、親が子どもを殺めてしまう事件(※1)が発生してしまったが、本作を通して、再度、家族とは何か、親子とは何か、繰り返し何度でも、その大切さに対して想いや考えを巡らせて欲しい。

映画『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って(Kosh ba kosh)』1993年公開。

一言レビュー:バフティヤル・フドイナザーロフ監督にとって、長編二作目となる本作『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』は、タジキスタンの内戦の中、男女が自身の恋を精到に描いた大人向け恋愛映画。しかも、映画の部隊としては珍しい「ロープウェイ」が、男女の恋路を描く。ロープウェイを舞台にした作品は、非常に珍しく、例えばロシア映画の『フローズン・ブレイク』や日本映画の『宮松と山下』、自主制作の短編映画『ロープウェイ』。また、一部作中で使用されている日本映画の『海炭市叙景』などが、挙げられるが、全世界の作品全体を見渡しても、「ロープウェイ」が主体の映画はほとんど見受けられない。このような点から言えば、本作はロープウェイを舞台にした非常に稀な作品である。また、この作品でもう一つ注目する点があれば、実際の戦争を背景に映画が作られている事だ。ある種、この時代の記録映像の側面もあるが、作品は至って物語的だ。現実の世界で銃撃戦が起きていても、映画はそれを表現していない。物語の中心は、男女の恋路を行き来を繰り返すロープウェイで丹念に表現している。それでも、彼らの陰には、彼らの背後には「紛争」という二文字が横たわる。この時代に起きた戦争を「タジキスタン内戦」(※2)と呼び、この戦争は1991年にソ連から独立を果たしたタジキスタンが、翌年1992年から1997年までの5年間、タジキスタン国内で発生した国内紛争だ。この内戦の死者は5万~10万人と推測され、多くの民間人も犠牲になるほど、被害は甚大であった。その時代背景を、しっかり映画として反映させたバフティヤル・フドイナザーロフ監督の眼差しは、戦争に対する悲哀や悲嘆、不甲斐なさを作品を通して表現する。戦争はいつの時代にも起こりうるもので、2022年2月24日から開戦したロシアウクライナ戦争でもまた、タジキスタン内戦と同じように多くの民間人が、現在進行形で犠牲となっている。その中には、若いカップル達も国内の内乱によって、翻弄されている。戦争が始まってから、20代の若い多くのカップル達が婚姻(※3)を進めている。その背景には、戦争が原因で二度と結婚ができないから、離れ離れになる前に自身の婚姻を進めている。まるで、戦時下の日本を彷彿させる。いつも戦争が原因で振り回されるのは、何の罪もない民間人であり、その中の若者世代に多大な影響を与えている。本作『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』に登場する若いひと組のカップルもまた、戦争から何かしらの影響を受けている。映画は、直接的な表現を控えていたとしても、二人の恋愛、心情、生活、人生に対して、私達の目には見えない範囲の中で何らかの影響を及ぼしている事を認識したい。いつか、男女が安心して、愛を育める世界を訪れる事を祈って。

映画『ルナ・パパ(Luna Papa)』1999年公開。

一言レビュー:タジキスタン内戦が終戦後、バフティヤル・フドイナザーロフ監督が手掛けたのは、女優を夢見る17歳の少女の人生を悲喜交々に、ファンタジーとコメディを織り交ぜながら描いた社会は派ドラマだ。戦争の後遺症を抱える兄(ここにもタジキスタン内戦の爪痕や背景がある)や厳しい父親と共に暮らす17歳のタジキスタン少女マムラカット。彼女には、大女優となる夢がある。そんな満月の夜、彼女は見知らぬ男に襲われて、子どもを身篭ってしまう。逐電したお腹の中の子の父親を探すため、少女は兄と父親と共に赤ん坊の父親探しの旅に出る。タジキスタン内戦が終結後、数年後のタジキスタンの社会情勢は、この映画でも見て取れるように不安定な世の中だったのだろう。戦争後遺症に悩む家族、貧困家庭、治安悪化など、10代少女を取り巻く環境は、お世辞にも良いとは言えないほど、当時のタジキスタンの若者たちを苦しめたのだろう。それでも、少女マムラカットは、自身の夢を捨てずに、お腹が大きくなっても、女優になる夢は捨てずにいる。日本の場合、若年層の妊娠の原因(※4)は、無知であったり、家族間の問題、親子同士の関係性など、様々な複雑な問題が絡み合っていると言われている。反対に、海外では、今でも児童に対するレイプ事件は多発しており、幾例を挙げるとするなら、アメリカのオハイオ州で起きたレイプ事件(※5)、インドで起きたレイプ事件の裁判の様子(※6)、南米エルサルバドルで起きたレイプ被害の少女が出産後に禁錮30年を言い渡された裁判(※7)など、世界では今でもレイプ被害で苦しむ幼女や少女が、たくさんいる。映画の中だけの問題ではなく、現実社会においても実際に起きている事実に目を背けてはいけない。それも、20年前、30年前の話ではなく、ここ数年の間に起きている「今」の話だ。昨今、女性問題やコンプライアンス案件が叫ばれる中、それでも女性や女児の権利は蔑ろにされている側面がある。世界が、早く今のこの問題に真正面から向き合い、男性女性関係なく、誰もがノーと声を上げれる社会を作ることが、先決だ。今も世界中のどこかで、貧困に苦しみながら、少女マムラカットのように、苦悩しながらも毎日を必死に、逞しく力強く生きている少女がいる事を覚えておきたい。

映画『スーツ(The Suit)』2003年公開。

一言レビュー:前作『ルナ・パパ』とは打って変わって、本作『スーツ』ではミドルティーンの少年たちが、一着のスーツを巡って、奮闘する姿を描いた爽快な青春映画だ。舞台をタジキスタンから離れ、クリミア半島を選んだ意欲作だが、クリミア半島とは今、ロシアウクライナ戦争の渦中にある島(※8)であるのは、周知の事実だ。また、クリミア半島は2014年にプーチン大統領が「自国に編入したウクライナ南部クリミア半島に「カジノ特区」を創設する法案」(※9)を提出している。今、クリミア半島はロシアウクライナ戦争の渦中で揺れに揺れている島だが、ここが戦争という二文字に翻弄される前の穏やかな時代を映像として残っているのは、貴重だ。また、作品の背景には貧困地域に暮らす三人の青年達が、富裕層エリアの店先に陳列された高級スーツに心奪われる訳だが、ここには地域格差、貧困格差と言った社会における市民たちの不公平さを描く一方で、この障壁を何とかして打ち砕こうと奮闘する若者の姿が、清々しい訳だ。自身の中で何かが足りなく、それに対して羨望よの眼差しで心奪われる経験は、誰にも存在する事だろう。そして、その対象を手にすれば、自身のステータスや階級が躍進するのであれば、誰だってそれに尊敬の念を抱かざるを得ないに違いない。そんな若者たちの心情を上手に作品に乗せたバフティヤル・フドイナザーロフ監督は、作り手として精良だ。私はふと、本作『スーツ』が、イギリスを代表する映画監督ケン・ローチ作品『天使の分け前』にも彷彿させるとして、これら2作を観比べたて見えて来るのは、若者たちが今の世で感じる苦悩や苦難を描きつつ、その逆境を乗り越えようと勇ましく生きる姿を丹念に描く。その姿は、本作に限らず、映画『少年、機関車に乗る』『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』や『ルナ・パパ』でも、似たような題材で作品を作り続けている。彼らの時代や環境、生活に違いや差があっても、そこには必ず人生の苦悩があるが、それを自身の力で克服しようとする人物を、バフティヤル・フドイナザーロフ監督の視点から見た眼差しで、声高では無いが、何かを訴えかけている。若者とは、未来を支える宝だからこそ、彼らの存在そのものを大事にする必要がある。フドイナザーロフ監督は、それを分かっているからこそ、これらの作品が生まれたのであろう。若者たちの未来に、幸福あれ。

映画『海を待ちながら(Waiting for the Sea)』2012年公開。

一言レビュー:本作『海を待ちながら』は、若くして夭逝してしまったバフティヤル・フドイナザーロフ監督の遺作。病気が原因で短い生涯を、49歳という年齢で幕を閉じたフドイナザーロフ監督が、もし生きていたら、どんな作品を世に放っていたのだろうかと、思い巡らせてくれる最期の作品であった。本作のあらすは、船長のマラットがアラル海を航海中に大嵐に遭遇し、妻や仲間を失い、たったひとり生き残る所から始まる。心に深い傷を負ったマラットは、旱魃で干上がってしまったアラル海に舞い戻り、荒野に横たわっていた嵐に襲われた自身の船と再会する。その船を引き摺り、水のないアラル海を横断する旅に出る。その旅の向こうで、彼に待ち受けるものはなんであろうか?本作は、自然の猛威に翻弄されながら、自身の家族を失った一人の男が、自らの贖罪に終止符を打つため、自然災害で大破した船を運ぶ孤独な男の話だが、一部の人からは本作が、「まるで、宗教的な様相をしている」という意見も見られる。自国の内戦や大切な人の死を通して、監督自身が感じた死生観や宗教観が、この作品に収められていると話す。確かに、その考えには納得するものがあるが、その一方で作品に対する考え方には、正解はない。100人いれば、100人分の解釈がある。だからこそ、私が本作を通して感じた事、それは本作に登場する船乗りの男マラットの姿や船は、今の世を生きる私たちの姿そのものであるということ。そして、干上がった大海は、現代社会全体を指している。何も無い荒廃した世界を、私達は今、生きている。映画のタイトルは、乾涸びた海を船を押して歩く男の姿を通して『海を待ちながら』とあるが、私達は「希望を待ちながら」「まだ見ぬ未来を待ちながら」、干上がった大海原という現代社会を、当てどもなく彷徨い生きているのだ。社会を生きる亡者のように。今の社会は、本当に生きにくい(※10)。賃金面、生活面、社会面など、もっと一人一人に対しての生きていく上での補償があってもいいが、それが一つもない。人は皆、ただ今を一生懸命生きることに精一杯だ。本作は、そんなどうしようもない今の社会を代弁しているかのようでもある。

最後に、バフティヤル・フドイナザーロフ監督は、今回特集上映として組まれた作品の他に、映画『タンカー・タンゴ(Танкер Танго)(2006)』TVミニシリーズの『ソコロフ少佐のヘタエラ(Гетеры майора Соколоваa)(2014)』など、監督作品を発表しているが、TVミニシリーズは難しくても、映画『タンカー・タンゴ』がお披露目される時が来ることを願うばかりだ。と言っても、こちらの作品はアクション映画でもあるので、今回の特集上映の色には合わなかったのではないかと推測できる。また、バフティヤル・フドイナザーロフ監督は監督業の他に、プロデューサー業も担っており、若手監督の作品にプロデューサーとして参加している。例えば、『Ragin(2004)』『Набераи Гагарин(2007)』『Bez muzhchin(2011)』などのプロデュース作品が存在する。また、映画『My Sweet Home(2001)』では、役者として出演している。非常にマルチな活動を見せていたにも関わらず、49歳という若さで急逝したのは、本当に悔やまれる限りだ。これを機に、若き天才バフティヤル・フドイナザーロフ監督の世界観に触れてみてはどうだろうか?

特集上映『再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』は現在、関西では7月14日(金)より京都府の出町座にて上映中。兵庫県の神戸元町映画館は近日公開予定。また、全国の劇場にて、公開予定。

(※1)「子ども殺した」通報の母聴取 8歳男児と5歳女児死亡https://www.tokyo-np.co.jp/article/265041(2023年7月24日)

(※2)タジキスタン内戦と戦後復興https://drive.google.com/file/d/1c4mIpXi0L3k2YvAiTS_k6PT85d3hwD6A/view?usp=drivesdk(2023年7月24日)

(※3)戦時下で結婚急ぐ若者急増、首都では8倍超に ウクライナhttps://www.afpbb.com/articles/-/3417700?cx_amp=all&act=all(2023年7月24日)

(※4)【10代の性と妊娠】若年妊娠率、全国平均2倍の沖縄が抱える根深い課題。おきなわ子ども未来ネットワークの取り組みhttps://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2020/51764(2023年7月25日)

(※5)性暴力で妊娠した10歳の少女 地元で中絶拒否され手術求めて州外へ アメリカhttps://www.huffingtonpost.jp/entry/10yr-ohio-abortion_jp_62c2447fe4b0ffe00a138a13(2023年7月25日)

(※6)レイプ被害少女が産んだ乳児の遺体、印裁判所が掘り起こし命令https://www.afpbb.com/articles/-/3157192(2023年7月25日)

(※7)レイプ被害少女が死産し有罪に、殺人罪で禁錮30年 エルサルバドルhttps://www.afpbb.com/articles/-/3135036(2023年7月25日)

(※8)ウクライナ、クリミア半島と結ぶ橋を攻撃か 英長距離ミサイルを使用とロシアhttps://www.bbc.com/japanese/65994975(2023年7月25日)

(※9)ロシアがクリミアにカジノ特区を導入へhttps://www.pidea.jp/articles/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%8C%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%8E%E7%89%B9%E5%8C%BA%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%B8(2023年7月25日)

(※10)なぜ日本は生きづらいのか?3つの社会的原因と合わない人の特徴・診断・処方箋https://mublog01.com/%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A5%E3%82%89%E3%81%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B(2023年7月26日)