映画『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』共に、夢を拾って行きましょう

映画『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』共に、夢を拾って行きましょう

2023年8月2日

人情溢れる、新世界エンターテイメント映画『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』

©明治産業・グッドラックスリー

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時は、江戸時代。日本の演劇文化の一つとして花開いたのが、この「大衆演劇」だ。この時代は、今のような呼称はされておらず、江戸時代には江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋(江戸三座)を「大芝居」、寺社境内などで演じられたお芝居を「小芝居」と分けられていた。そして、時代が流れて戦後日本の昭和20年代、大衆演劇は最盛期を迎える。この頃から今で言う「大衆演劇」と呼称されるようになったと言われている。本作『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』は、その大衆演劇の世界観を映像世界に落とし込んだ実験的且つ画期的な作品へと昇華させている。非情に有名な大衆マニな『邯鄲の夢』を取り入れ、それぞれの人生や演劇への情熱の儚さを映像で表現している。「無名の伝統芸能の文化保存」という目的を元に集まった大衆演劇界隈の関係者の演劇に対する格別な心情が、映像から伝わって来る。時を超えて、伝統芸能の文化保存への取り組みが成功しているかどうかは、本作だけでの判断の尺度では到底、心許ない事ではあるが、それでも本作『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』が、その一助になっているのは紛れもない事実だ。映画文化を除く大衆文化の全般が、本作のように映画と一緒に何かコラボする事により、もしかすれば、映画という媒体がその大衆文化の入門編、窓口となってくれるだろう。衰退しつつある伝統的文化芸術を保存し、継承するための一歩として上手に映像業界と提携を結べば、今まではまったく違う何か新しい価値観の文化が、生まれて来るかもしれない。

©明治産業・グッドラックスリー

映画『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』は、ある大衆演劇一座で、座長を担う沢田の弟子の三津葉銀次は、後継者の座を狙う座長の息子・冴之介に強い嫉妬を抱いていた。一方、冴之介も剣劇の技術を認められ、注目されている銀次に対し、敬畏の念を抱きつつ、悋気深い思いを持っていた。ある時、稽古の練習中、銀次の刃先が冴之介の片目を突くという事故が起こてしまう。冴之介は役者人生を絶たれ、銀次は一座を追われる身となってしまう。というお話だが、この作品の冠、タイトルになっている「邯鄲(かんたん)の夢」は、物語の土台にもなっている。日本の古くから伝わる物語でもある「邯鄲の夢」とは、人生の儚さ、時の儚さ、人間自身の儚さを、一人の男の姿を通して、教訓話のように語られる。本来は、歌舞伎の演目の一つとして非常に有名で、人気の高いプログラムだ。「人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。」という意味が一番妥当であるが、如何に今の世が儚いかを表現した言葉だ。『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による物語では、「盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった。」という話で、これを「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などと呼ぶ。この邯鄲とは、戦国時代、趙の都として最も繁栄した中国の河北省南部にある都市でもある。夢の中の人生の50年間とは、現実の世界ではほんの数十分というあっという間の出来事。私達が日々感じる時の流れは、実は儚くも繊細で大切な時間。50年という歩みは、私達が今思う以上に早いスピードで駆け抜けているのであろう。また、別の言葉として「邯鄲の歩み」がある。こちらは、「むやみに他人のまねをしても自分本来のものも忘れてしまい、どちらも失ってしまう」という意味(※1)。この「邯鄲の夢」は、大衆演劇の演目としても古くから上演されており、中国や日本の大衆文化における非常に重要な演目であることが伺える。少し前に公開された藤井道人監督作品でもある映画『ヴィレッジ』でも、この「邯鄲の夢」が作品のモチーフとして使用されている。映画や大衆演劇で日本の伝統芸能を様々な物語として構築する上で、この「邯鄲の夢」が現代の演劇家や映画関係者にとって必要不可欠な古の物語なのだ。この「邯鄲の夢」や「真正女澤正劇」をベースに構成されたのが、本作『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』だ。発起人として、この作品の制作に携わった三天屋多嘉雄監督は「私は沢竜二の弟子として、この真正女澤正の火を消すわけにはいきません。その一心で、師匠と弟子の情というものを、この映画で描きました」(※2)と、作品に対するコメントを残している。

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最後に、本作『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』は、ある一つの目標の基に制作された。それは、「無名の伝統芸能の文化保存」だ。今、日本の文化は、どれも斜陽産業だ。もちろん、映画界を筆頭に、伝統芸能と呼ばれる昔からある娯楽は、次の担い手もおらず、一つの娯楽として選ぶ人も減りつつある昨今、再度次の世代にどう残して行くのかが、課題だ。それは、映画界も同じなこと。昨今、ミニシアターが軒並み、閉館していく中、映画文化とは何なのか?常に、直面させられている。それでも、映画にはまだまだ可能性があり、今後も何らかの形で残っていくと信じている。また、文化保存の名目で、伝統芸能と映画を掛け合わせる構図は、今後も必ず増えていくだろう。その時は、大衆演劇だけに留まらず、浪曲、歌舞伎、能、落語、狂言、日本舞踊など、日本の伝統芸能(※3)が少しでも未来に継承できるように、映画という側面から微力ながらもお手伝いできればと、願うばかりだ。本作のエンディングにて、流される大衆演劇の代表曲の一つ「花道一人旅」の歌詞の一節を頂戴して、今回は締めたいと思う。

「もし夢が1つ破れたら、もし1つ夢が壊れたら、その時はどうしますか?その時は、もう1つ夢を見ればいい。命は1つでも、夢はいくら見ても死にません。明日も明後日もこれから先もずっと、その夢を開き続けて行くんだ。楽屋に行くのも最後。お客さん、お互いに夢開いて生きて行きましょうや。」

命は1つでも、夢はいくら見ても死にません。一緒に、明日のために、儚い夢を拾い続けたい。そう願うばかり。

「花道一人旅」

©明治産業・グッドラックスリー

映画『邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者』は現在、関西では7月28日(金)より大阪府の大阪ステーションシティシネマ。兵庫県のkino cinéma神戸国際にて上映中。また、全国の劇場にて、順次公開予定。

(※1)人の世のはかなさを意味する「邯鄲の夢」、その由来にはどんな物語が?https://fundo.jp/368436(2023年7月31日)

(※2)伝統芸能継承の難しさを描く「邯鄲の夢 三重芝居と四人の役者」 公開、沢竜二も出演https://lp.p.pia.jp/article/news/275935/index.html(2023年7月31日)

(※3)日本の伝統芸能の種類を一覧で紹介!海外にも伝わる魅力とは
https://we-xpats.com/ja/guide/as/jp/detail/10314/(2023年8月2日)