ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』真の映画愛を探して…

ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』真の映画愛を探して…

アフリカのウガンダ発の熱い衝撃!ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』

アフリカに映画!?そんなジャンル、今まで聞いたことも、観た事もなかっただろう。そもそもアフリカには、映画産業や映画文化が栄えているのか、皆さんは甚だ疑問ではないだろうか?日本は、アフリカという大陸の偉大さにまだ気付けできない。そんな私も、全体の1%も理解してないだろう。アフリカは奥が深く、神秘深い。まだまだ可能性は眠っていて、新しい人材も技術も生まれているに違いない。独立行政法人である国際協力機構は、「アフリカにおける民間投資は増加しており、民間資金の投入はODAのそれを大幅に上回る。また、近年の資源価格の低迷はあるものの高い経済成長を維持するアフリカ諸国も多く、日本企業の関心は高い。」(※1)と述べている。アフリカにおける技術発展は、著しく成長している。「アフリカ経済の「超加速度的な成長」を支える「リープフロッグ」現象の正体」というネット記事(※2)では、「日本人に馴染みの薄いアフリカ。最後の成長大陸、アフリカ。現在の人口13億人、これが2050年には26億人になると予測されている。2100年には30億人を超え、全世界約100億人のうち3割強がアフリカ人になるといわれている。」と述べているように、人口的にもどんどんどんどん人が増え、人為的技術は益々、発展の兆しを見せる。それでも日本人は、アフリカ大陸全体が貧困地域で、今でも全裸に槍を持って、サバンナの荒野を裸足で駆けて、野生動物を数人のマサイの戦士が追っかけている、そんなステレオタイプのイメージが日本人の中には植え付けられているのではないだろうか?そんな昭和の古臭い固定概念はサッサと捨ててしまった方が、あなた自身の価値観や物への視野がより広がりを持って、世界を受け入れられるだろう。ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』は、ウガンダにあるスラム街ワカリガの一画を映画の都ワカリウッドと監督自ら名付けた映画スタジオを舞台にしたアフリカ産の映画内映画のドキュメンタリーだが、上記に述べたような日本人がイメージするステレオタイプのアフリカ人は登場しない。ここには、手作りの低予算、非常にチープでありながら、溢れんばかりの映画愛に満ち溢れたナブワナ I.G.G.監督を中心とした映画関係者達が日々、皆楽しそうに映像制作に取り組んでいる。初めて、ナブワナ監督の作品に触れてから、私自身、彼の制作現場に参加したいと思えるほど、純粋に楽しんでいるアフリカ人の映画関係者達の眼差しに胸が熱くなる。スラム街ワカリガに住む住民が、作品制作に参加する時、ナブワナ監督が一つ確認している事がある。それは、「映画が好きかどうかだ」。本当に、心から映画を愛する者しか選抜していないと言うから、現場の映画愛は果てしない。ナブワナ監督以外の関係者は、技術者も出演者も皆、現地のスラム街に住む住民、すなわち素人で固めている。プロが作る大作映画を観ている日本人からすれば、ワカリウッドの映画はB級以下のつまらない映画と判断してしまうだろうが、そんな価値観をも吹き飛ばしてくれる破壊力が、ナブワナ監督作品には存在する。映像制作における監督とプロデューサーの友情と情熱、成功と挫折を本作。作品に登場するニューヨークに拠点を置いていたアメリカ人の映画プロデューサーのアラン・サリ・ホフマニスが、ナブワナ監督作品を目にして、凄まじい勢いを感じ、アフリカに渡った経緯が作品冒頭で語られている。「ニューヨークで活動するか、心の赴くままウガンダに渡るか。私は、心に従った。」というホフマニス氏のアフリカでの映像制作活動への決意は、ホンモノだ。ワカリウッド映画が、そんな彼の何を揺り動かし衝動のままに行動させたのか。その理由は、本作に随所随所に散りばめられている。あなたのその目で確かめて欲しい。

アフリカ映画の起源を遡るとしたら、凡そ60年前となる1960年代の西アフリカ地域のセネガル共和国で産声を上げた。セネガルのカザマンス ジガンショールで産まれた「アフリカ映画の父」と呼ばれるセンベーヌ・ウスマンが、1960年代に数本の中短編を発表したのが、アフリカ映画の起源だ。彼は元々作家で、映画監督に転身する前には数冊の本を自費出版していたが、自身の母親含め、当時のセネガルで字を読めない世代の人が多くいて、本ではなく映像で理解できるよう考え、単身モスクワにある映画学校に入学し、1950年後半から映像学を学んだ。その後、セネガルに帰郷したセンベーヌ監督は、1963年に『Borom Sarret(ボロムサレ)』。1964年に『Niaye』。1966年に『La Noire de…(黒人女)』など、初期作品を発表しているが、これらの作品が正式にアフリカ映画として評価された背景がある。私は、西アフリカ全体が、フランスの植民地であった背景から文化や言語(フランス語)もフランスに近く、センベーヌ監督もフランスで映画学を学んだものと勝手に思っていた。1950年代から1960年代は、フランスでは映画の新しい波「ヌーヴェルヴァーグ」が世間を旋風していた時代、フランス仕込みの監督とばっかり思っていたが、その考えは真反対でもあった。それでも、その時代のヌーヴェルヴァーグの影響は、ヨーロッパ全土だけでなく、イギリス(イギリス・ニュー・ウェイヴ、ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ)や日本(松竹ヌーヴェルヴァーグ)、またポルトガル(ノヴォ・シネマ)やブラジル(シネマ・ノーヴォ)にまで影響を与えていた時代。当然、セネガル出身のセンベーヌ監督にも影響を与えていたと考えられる。だから、1作目のデビュー作『Borom Sarret(ボロムサレ)』は、セネガルの街に飛び出し、馬車を引くセネガル版タクシーの運転手の日常、貧困層の苦しみなど、イタリアのネオリアリスモやフランスのヌーヴェルヴァーグを彷彿とさせる演出が垣間見え、私はこの作品を勝手に「アフリカン・ニューシネマ」と呼んでいる。アフリカ映画の夜明けを感じさせる記念碑的作品でもある。ウスマン・センベーヌが世界の映画界に突如として彗星の如く出現した1960年代以降、イドリッサ・ウエドラオゴ、メド・オンド、ガストン・カボーレ、アブデラマン・シサコ、スレイマン・シセ、ジブリル・ジオップ・マンベティなど、多くのアフリカにおける映画監督(国は、それぞれ異なる)が誕生している。近年では、2022年に「アフリカ・コンゴの弱小映画製作チームを世界に通用するレベルにしたい!」と言うグラウンドファンディング(※3)が実施されていたり、ケニアでは「One Fine Day Film Workshop」(※4)と言うワークショップが開催され、多くの若手監督を輩出し、映画祭に作品を出品している。現代のアフリカにおける映画産業は、アマチュアながらも、精力的に活動している。世界レベルに通用しないから、なかなか国外輸出が叶わない背景があるが、現代においてアフリカ映画が紹介されないのは残念でならない。日本では、1970年代から1990年代にかけて、岩波ホールの総支配人高野悦子氏(映画プロデューサー)が中心となって結成された名作映画上映運動「エキプ・ド・シネマ」(※5)が、頻繁にアフリカ映画を日本に紹介していたが、2000年以降、この運動は終了してしまい、その結果、アフリカ映画も日本に紹介されなくなってしまった。これは、由々しき事態であると私は思っている。再度、アフリカ映画や埋もれた名作を配給する運動が再度、エキプ・ド・シネマの遺志を継いで日本国内でも起こってもいい頃合だろう。

では、本作の舞台となっているウガンダの映画産業の歴史は、いかがだろうか?私は正直、ナブワナ監督の映画スタジオであるラモン・フィルム・プロダクションズ周辺地域を中心に自身で名付けたワカリウッド(スラム街ワカリガから命名)しか知らなかったが、よーく調べてみると、ウガンダには1990年代中頃から新興映画産業ウガウッド(またはキナウガンダ)というハリウッドやボリウッドを文字った映画の都が存在し、ウガンダ国民がこう呼んでいるようだ。アフリカには、ワカリウッドの他に、ナイジェリアにはノリウッドと言う映画の都が存在しているが、今回初めてウガウッドと呼ばれている映画の都が、ウガンダに存在していた事を改めて初めて知った。これは、情報としては良い収穫だ。このウガウッドが輩出した映画監督には、アシュラフ・セムウォゲレレ、ジャヤン・マル、マット・ビッシュ、マリアム・ンダギレ等がいる。その内の一人アシュラフ・セムウォゲレレ監督2005 年に発表した映画『Feelings Struggle』が、ウガンダにおける初の長編映画と呼ばれている。その後、ジャヤン・マル監督の『The Route(2013)』やマット・ビッシュ監督の『Battle of the Souls(2007)』が制作されている。後者の作品は、第5回アフリカ映画アカデミー賞にて、最多10部門からノミネートを受けている。ちなみに、この年(2009年)の最多でノミネートされた作品は、『From a Whisper(2008)』だ。最多12部門からノミネートを受けている。アフリカ映画アカデミー賞(※6)とは、2005年から始まり今年で19回目を迎える比較的新しいが、既に長寿な映画祭だ。来年で20年目を迎え、多くの作品が出品され、多くの映画監督が輩出されているにも関わらず、残念ながら日本の配給は総スカンだ。本映画祭の公式インスタグラムの投稿は、近年における魅力的なアフリカ映画が紹介されている。これは、非常に貴重であり、連絡手段があるのも好意的だ。いつか、この映画祭と組んで、日本でもアフリカ映画祭を開催し、より多くのアフリカ映画を紹介したいと思えば、ワクワク感が止まらない。結局のところ、本作『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』に登場するナブワナ監督は、独立主義(インディペンデント系)のフィルムメイカーだ。今でもウガンダは、あるゆる形で多くの映画が制作され続けている。いつか、ウガンダ映画の新作が日本に紹介される事を願わずにいられない。

最後に、ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』やナブワナ I.G.G.監督が制作した映画『クレイジーワールド』『誰がキャプテン・アレックスを殺したか?』『バッドブラック』には、現代における世界規模の、世界ニーズの映画的感覚は存在しない。アメリカにおける大作主義、ヨーロッパにおけるアート主義、日本におけるマウント主義と言った映画の良くない部分に塗れたものが、ナブワナ監督作品にはまったく見受けられない。監督をはじめとする、制作者や出演者は皆、アマチュアか素人ばかりの集団だ。技術が伴わず、演技力も素晴らしいとは言いにくい。それでも、彼らを観ていて心の底から本当に思う事は、純粋に映画を愛しているという事。映画愛が、画面の向こう側からこちら側にビシビシ伝わってくる。国境を越えて、ウガンダから日本に強く激しい映画愛の塊が、マシンガンをぶっぱなしたように脳天のその奥にガンガン響いて来る。映画とは、こういうものではないだろうか?いつからマウントの取り合いになったんだ?いつから大作主義、アート系主義に変わったのだろうか?本当に映画を愛しているのであれば、そんなのは関係ない。真正面から真摯に愛を注げる感情を持つこそが、映画人(映画ファン)に相応しい。映画は、B級以下のチープな低予算映画かもしれないが、ナブワナ監督作品に携わる関係者は皆、どんなランクにも属さない最高の映画愛を持ち揃えている。私達は再度、映画とは何か?と、彼等から教わらなければならないだろう。真の映画愛を探して…。

ドキュメンタリー映画『ワカリウッド・フォーエバー!ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウガンダ』は現在、配信プラットフォーム「Jaiho」にて配信中。

(※1)アフリカの経済成長、持続可能な開発と日本企業の役割https://www.jica.go.jp/africahiroba/business/detail/business02.html(2024年4月15日)

(※2)アフリカ経済の「超加速度的な成長」を支える「リープフロッグ」現象の正体https://wisdom.nec.com/ja/series/africa/2023012701/index.html(2024年4月15日)

(※3)アフリカ・コンゴの弱小映画製作チームを世界に通用するレベルにしたい!https://motion-gallery.net/projects/congo-film(2024年4月17日)

(※4)Call for African filmmakershttps://m-akademie.dw.com/en/call-for-african-filmmakers/a-16578734(2024年4月17日)

(※5)芸術性・歴史性高い「エキプ・ド・シネマ」着実にファン増加https://www.news-postseven.com/archives/20111001_32252.html?DETAIL#google_vignette(2024年4月17日)

(※6)These Are The 2023 Africa Movie Academy Awards (AMAA) Winnershttps://www.bellanaija.com/2023/10/these-are-the-2023-africa-movie-academy-awards-amaa-winner/(2024年4月17日)