モノクロームの世界観が怪しさと品格を放つ映画『ホゾを咬む』髙橋栄一監督インタビュー
—–まず、映画『ホゾを咬む』の制作経緯を教えて頂けますか?
髙橋監督:俳優・プロデューサーの小沢まゆさんから一緒に作品を作りませんか?とお話いただいたのが始まりです。小沢さんは一昨年辺りからご自身でプロデュース作品を作り始めていたんです。小沢さん初プロデュース作品『夜のスカート』は40分ぐらいの中編作品だったので、今回は長編にチャレンジしたいと監督を探しており、若手の監督と作品を作りたいとの想いもあって、僕に声を掛けて頂いたんです。これが、本作制作のスタートでした。
—–最初は、そんな流れがあったんですね。ではその後、この企画が動き始めた経緯はどうでしょうか?
髙橋監督:僕が元々持っていた企画を2つ小沢さんにみてもらい、そのうちの一本をベースにして一緒に企画を作りあげていきました。
—–少し踏み込みますが、作品の取っ掛りには、監督自身のパーソナルな部分を押し出している一面もありますが、それは企画段階で出てきたのか、それともご自身が気付いた時に、要素として挿入しようとしたのか、その点はどうでしょうか?今に至る経緯について、どうお考えでしょうか?
髙橋監督:僕はあるきっかけでASD(自閉症スペクトラム症)の検査を受けたのですが、グレーゾーンの診断を受けました。ASDには他者の気持ちが分からなかったり、異常に何かに固執したりなどの特性があります。まったく自覚はなかったし、それが当たり前だと思っていましたが、僕が思う当たり前は一般的な当たり前ではなかったようです。僕が信じていた人とのコミュニケーション感が転覆した出来事でした。
—–ある種、この考え方であれば、自身を否定されているようにも感じますよね。
髙橋監督:僕から見たら、みんな変な人ばかりです。僕がおかしいのであれば、すべての人がおかしいなと思いましたね。なので今回は、噛み合わない人物達のお話を作ろうと思い立ったんです。この作品に僕の感じている事を落として行った感じです。ですので、病気を押し出そうとは全く考えていませんでした。根本的に、噛み合わない人間同士の話に仕上げています。
—–タイトル「ホゾを咬む」には、日本では「既にどうにもならない事を後悔する」という意味があり、中国では自身の臍を噛む事ができないという諺もありますが、本作に登場する主人公の男の行動とこの言葉が、深く関係していますか?
髙橋監督:コミュニケーションを取るのが苦手な関係性の中、他者と共存して行く事こそが、「ホゾを咬む」という状態のニュアンスで、このタイトルを付けています。分かり合えないと分かっていても、他人と接していかないと受け入れる必要がある。それが、コミュニケーションをする事だと思うんです。なので、本作の登場人物達はかみ合わない会話を続けているんです。
—–後悔している男というより、日常のままならなさに対して、苛立ちを「ホゾを咬む」と表現しているのですね。
髙橋監督:過去の事を後悔している意味合いではなく、能動的にできない事をやらないといけないという意味に比重を置いています。
—–本作は、白黒の映像で制作に挑戦していますが、映画を作るに当たり、白黒映像は非常にハードルが高いと感じますが、これは監督自身が実際の実施生活から見た世界に対する色の見え方が作品に反映されていると考えられますか?
髙橋監督:実は、まったく関係ないんです。実際、作品はカラーとして作っており、撮影が終わった後の初号試写で鑑賞した時、現場で作ったものがカラーでは表現できてないと感じたんです。撮影監督の西村博光さんの提案でモノクロを試した結果、情報量が一気に少なくなって人物の機微にフォーカスできるようになり、とても良くなった感じです。
—–制作経緯から生まれた偶然の産物のようですね。
髙橋監督:そうですね。最初から、白黒映画を想定して作った訳ではありません。むしろ、衣装はカラー作品に合わせて、カラフルな色を使っていました。モノクロになったので映像では表現されてはいませんが、カラフルな衣装を使ったことは現場の雰囲気とキャラクター造形に活きたと思います。
—–監督は、本作において、「困難なコミュニケーション社会で徐々に変化していく主人公を描いている」と言っていますが、監督にとって、この困難のコミュニケーション社会とは、どうお考えでしょうか?
髙橋監督:一般的な価値観として、「ありのまま」であることの美徳があると思います。しかし僕は、「ありのまま」という考え方はそれ程良いものではないと考えています。本当の「ありのまま」というのは利己的な状態なので、人とコミュニケーションをする際、どうしても仮面を被らないといけない。何かを抑える事によって、自分らしさもぐにゃりと歪んで行くと思うんです。コミュニケーションを取る難しさこそが、社会の中の困難さに繋がって行くと考えています。
—–お話をお聞きして、私自身が感じた今の日本社会は、ありのままでもいいと発信しつつ、本来、根底にあるのは「本音と建前」です。その考えが、ずっと付き纏っているんです。ありのままで、自分らしさと言っていますが、日本ではその考えが定着しないと思います。「本音と建前」がある限り。
髙橋監督:とても共感できる話ですね。僕は小学校の時から、道徳の授業が非常に嫌いだったんです。今でも覚えているのは、学校帰りに転校生が一人で帰っている状況で、あなたはその子にどうしてあげますか?みたいな課題がありました。声をかけてあげると答えるクラスメイトが多い中、僕は一人で帰りたい可能性もあるし声を掛けないと答えました。そうしたら、その授業の中では声をかけてあげることが正しいとされたんです。おかしな世界だなと思いました。
—–日本の教育自体が、型に嵌めようとしているんです。結局、自分らしさなんて、表現できないんですよね。 監督が体験した道徳の授業での答えは、個人が各々出した答えが正解だと思うんです。個人の価値観を尊重して、受け入れるべき授業の場。みんなが否定する事によって 個人を殺してしまう事になりかねません。
髙橋監督:ナンセンスですよね。集団に溶け込めないアウトサイドの方々にとって、「ありのまま」という言葉は、とても嫌な言葉だと思うんです。絶対に受け入れられないと思います。「ありのまま」ってそれ程美しい状態じゃない。「ありのまま」だとコミュニケーションがままならないからお互いに歪めあった状態で接する必要がある。それが、この社会に困難さと考える事ができます。
—–ありのままではなく、もしかしたら、欲望のままかもしれないです。
髙橋監督:今回の映画は、それぞれの登場人物が欲を持って生きています。「愛すること」をテーマにしていますが、根本にあるのは、原始的で排他的な欲です。自分勝手で利己的なものしか持っていない、それぞれのキャラクターを作っています。
—–監督は、プレス内のメッセージの中で、「自身と他者が作り上げた人物像は、単なる「ツクリモノ」であった。これを超えないと真の人付き合いはできない」と仰っていますが、監督自身が感じた「ツクリモノ」について、具体的にお話いただけますか?
髙橋監督:他人と共存するために自分を歪めてコミュニケーションをとる。それで他人に認知されるものが「ツクリモノ」の状態です。そこでの付き合いがまた、形成されて行きます「ツクリモノ」同士のやり取りをしているんです。
—–だから、もっと、お互いが歩み寄れたらと思います。理解し合える関係性が、いいですね。
髙橋監督:理解し合える世界があるとするなら、そうであって欲しいと思います。
—–私達は個々の関係性ですが、少しでも意識さえすればいいと願っています。相手は何を言いたいのか、想像を働かせる事が大切ですね。恐らく、皆さん自分の事でいっぱいいっぱいだと思うんです。それが、優越感やマウントの取り合いになるんです。お互いがもっとフラットな関係性で、仲良くできれば思うばかりです。
—–最後に、本作『ホゾを咬む』の展望や魅力をお聞かせ頂けますか?
髙橋監督:この映画は、どんな角度でも捉えられるような作りをしています。映画は基本的に、感じたり思ったりしてもらうための意図した演出をすると思うんですが、僕はそれが非常に嫌になんです。日々暮らしていたら、感情の押し付けを感じる瞬間がありますが、本作はもっと自由に感じていい物語です。決め付けられた感情を思う表現が一切ないのが、本作の魅力だと思っています。ストーリーを読む映画ではないので、自由に作品を感じてもらいたいと思っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『ホゾを咬む』は現在、関西では12月16日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォにて公開中。また、兵庫県の元町映画館では、来年2024年公開予定。また、シネ・ヌーヴォで12月23日(土)にプロデューサーの小沢まゆさん、12月24日(日)に出演の河屋秀俊さん、12月28日(木)と12月29日(金)髙橋栄一監督の舞台挨拶が行われる予定。