映画『難病飛行』八十川勝監督インタビュー
—–映画『難病飛行』の制作経緯を教えて頂きますか?
八十川監督:筋ジストロフィー(※1)という難病を患った蔭山武史さんという方が、今回の作品のモデルとなった方です。原作者の蔭山さんから私に、彼自身が書いた書籍で映画化してくれないかという相談があり、 作品を作ることになったのが、最初のきっかけです。
—–制作段階の時のお話をお伺いできますか?
八十川監督:実際、引き受けるとなった時、作品の内容の筋ジストロフィーという難病に対して、僕にはまったく馴染みのない世界の話であったので、どうやって作品を作り上げようか悩みました。原作者の蔭山さんからは、障害を前面に出したような話にしてほしくないという話がありました。私も正直、障害者の苦労を前面に表現しているような映画には興味がありませんでした。そのような作品は、既にほかの方がされているからです。では、どのようなテーマにしようと考えた結果、青春映画であるなら描ける気がしました。原作者の蔭山さんと話をしながら、青春モノで作ろうという話にまとまっていったのです。ただ、そうはいっても、いざ、作品制作に取り掛かると、様々な事を調べる必要がありました。まず、養護学校に対して、私自身がまったく知識を持っていない。筋ジストロフィーに関しても、全然知らない、調べ物がてんこ盛りでした。最初にした事は、実際に難病を患っている当事者の方やそのご家族にお話を伺い、また、当時の養護学校の先生方や同級生の方に色々とお話を伺いしました。この作品は、彼の小学生の頃の話から二十歳前後の話までを表現しています。小学生時代の話については、私自身も小学生を経験していますので、だいたいイメージを描くことが出来ました。私の知っている小学校における生活の中に、彼自身が体験したエピソードを重ね合わせることで、脚本家と話を構成していきました。問題は、養護学校時代の話です。養護学校の話に関しては、本当に、何も知らなかったので、さすがに最初は頭を抱えました。現在の養護学校と当時の養護学校は、学んでいる生徒の症状も環境も全く異なり、実際の授業風景を見ることはすでにできません。そこで、彼が毎日、養護学校でどんな生活をしていたのか、タイムスケジュールを調べながら、探っていきました。起床時間、通学、朝礼、放課、授業時間等、細かく分刻みのスケジュールがどのようになっているのか調べていきました。また、当時の先生にも協力していただき、彼が通っていた養護学校で、実際の模擬授業をしていただきました。当時とまったく同じ授業を当時の場所での再現です。各生徒の症状による動作の違い、またそれに付随するサポートなどはありますが、結局のところ、それ以外の点においては、普通科の高校の生徒と大差ないな、というのが私個人の感想です。あと、普通科の高校と異なるイベントが、年に何度か開かれるラジコンカーレース大会です。このラジコンカーレース大会は、多くの生徒が楽しみにしている一大イベントでした。これについては、実際、作品の中でもしっかり描こうとおもいました。それから、彼の同級生についてなんですが、1人の方を除いて、全員が亡くなっており、ほどんどの方が、20歳を前にして亡くなられています。現在は、医療技術の発達によりそうではないのですが、当時は、短命な病気だったようです。それだけに、暗い話にはしたくなかったです。希望のある物語にしたいと思いました。希望のある物語というのは、蔭山武史さんの願いでもあり、私と武史さんとの約束でもあります。
—–では、どういう流れで、蔭山さんから依頼を受ましたか?
八十川監督:話があったのは、いきなりでした。実は彼から連絡を頂く10年以上前に、たまたま本屋でこの『難病飛行』の本を見かけて、その存在を知っていました。立ち読みをした記憶があります。なので、SNSを通じて連絡があったときは、あ、あの蔭山武史さんだ、というくらいの感覚はありました。最初は他愛のない話をしていたのですが、何度が連絡を取り合ううちに、映画化して欲しいと話があったんです。正直、最初は、荷が重いなと感じたのが、本音です。ちょうど、そのころ、別の作品の話が進んでいて、私の性格として、2つの話を並行して考えるという事ができないので、「難病飛行」の映画化については、まず、今の作品が終わってから、実際に撮るかどうか、慎重に検討しようと考えていました。さらに、本人に直接会って話を伺いたいと思いました。直接会ってみて、本人、およびお母様との話を進めていくうえで、映画化を決意しました。親しくなってからわかったのは、彼は人を巻き込んで夢を実現し、そしてその中で、人を幸せにしていく天才だったのです。これまでも、本の出版や、音楽CDの制作など、実現しているのですが、巻き込まれた人みんなが彼のおかげで幸せを感じていると思います。資金の調達には、クラウドファンディングも活用しました。さて、制作費の目途もつき、さあ、これからキャストのオーディションの募集告知をしよう!としていた矢先、蔭山さんが亡くなられてしまいました。2021年8月の事でした。当事者がいない中、果たして映画化が可能かどうか、悩む気持ちもありました。ただ、これまで、さまざまな夢を実現して形にしてきた蔭山武史さん、そして、映画がとても大好きだった蔭山武史さんの、最後の目標、それが自身の人生の映画化。その遺志を引き継いだ身としては、必ず形にしたいと思い、ご家族と一緒に、彼の夢の実現を続行しました。
—–本作は、当事者である蔭山さんが執筆された自叙伝を元にしていますが、本作のタイトル『難病飛行』には、私自身、前向きな印象を受けました。八十川監督はこのタイトルに対して、どう受け取られましたか?
八十川監督:『難病飛行』というタイトルに関して言いますと、「難病」という言葉自体は、彼自身の症状、静の側面を、また「飛行」という言葉には彼自身のアクティブな側面を表現しています。体は動かせないけれど、ネットの世界では飛び回って、多くの方々を巻き込み、巻き込まれた人を幸せにする。「難病」と「飛行」、静と動、一見すると相反するかのような言葉ですが、このタイトルには、物事の一面だけでなく、行動することにより可能性がより開いていく、大きな希望があります。
—–蔭山さんが患った難病「筋ジストロフィー」には、様々な種類(※2)の病名がありますね。今回、作品を取り上げるにあたり、筋ジストロフィー自体は以前から知っていましたが、調べてみると、思った以上に病名がたくさんあるんですね。蔭山さんの病名は、その中のディシャンヌ型筋ジストロフィーと言えそうですが、この難病を取り上げるにあたり、監督自身、この病気をどう捉えていますか?
八十川監督:様々な種類の筋ジストロフィーありますね。この病気に関しては、色々勉強しましたが、分かったのは進行とともに筋力が衰えて行くこと。現在は、まだ根本的な治療法は確立していないという事。ただ、映画の中では、細かい症例までを描いていません。個人的な想いとしては、難病物の映画をリアルに描くのであれば、ドラマよりもドキュメンタリーのほうがいいだろうな、とは思っています。それだけに、難病その物の表現をリアルに描くことの限界、みたいなものは感じています。今回「難病飛行」を撮影するにあたり、他の難病物のドラマも参考にしました。ただ、ほかの作品を参考にしてみても、病気の当事者でない役者がリアルな病状の表現を追求しようとしていると、どうしても、「あ、この役者さん頑張っているな」という風に、役者が頑張って演技している、と感じてしまっている私がいたのです。それに対して、実際の当事者が出演しているドラマは、リアル、というかとてもその症状に対して自然でした。まあ、あたりまえですが。そこで、私の中では、病状による動きの再現よりもドラマとして、見易い方に特化した表現を選ぶことにしました。できる限りリアルを追及して表現していきたいと普段思っている身としては、今回の表現に至るまでには、かなり悩みました。カーレースの場面には、実際の車椅子ユーザーの方に出演していただいております。このシーンは、リアルを表現したいという私の思いの表れです。なので、作品としては、まずは、筋ジストロフィーという病名を知っていただくことに主眼を置いています。表現したものもあれば、省いたものもあります。
—–筋ジストロフィーをテーマにした作品は、過去に国内外問わず、何本か、製作されています。個人的に、副腎白質ジストロフィー(※3)を取り扱った映画『ロレンツォのオイる/命の詩』という作品を思い出したんです。今回、八十川監督が本作の原作以外で、何か参考にされた作品や書籍はございますか?
八十川監督:それこそ本当に、筋ジストロフィーについてまったく知らなかったので、資料として筋ジストロフィーに関する映画はみました。 『こんな夜更けにバナナかよ』、めちゃくちゃよかったです。また、筋ジストロフィーではないですが『1リットルの涙』もみましたね。ただ、結局のところ、参考になったのは、蔭山武史さんの養護学校時代に書いていた、クラスの交換日記や、当時の先生の話、同級生の話が、おもですね。同級生の方には、養護学校の中で、どのように青春時代を過ごしていたかを事細かく聞かせていただきました。正直なところ、わからないことだらけでしたね。介護を受けていることもあって、一人きりになる瞬間がほとんどない。移動するにも、誰かと一緒に移動しないとダメ。恋愛についても、人目を気にせず、誰かに告白するのを、どうしていたのか。などなど。わからない事ばかり。普段の移動については、近くを通りかかった先生や職員の方に、車椅子を押してもらって移動していたというような話も聞きました。
—–難病もの映画で連想するのは、冒頭の話の通り、暗いというイメージが先行されがちですよね。本作は、非常に明るい印象を、私自身は受けました。作品全体の雰囲気を明るいイメージとして持たせるために、何か演出面で気を付けた事はございますか?
八十川監督:病気のネガティブな部分を描いている作品は、世の中にごまんとあるので、そこは、もう、私があえて描く必要はないなと思っています。その役割は、ほかの監督がすでに担ってくださっています。私の役割はほかの方があまり描いていない部分にスポットを当てることだと思っています。また、この作品では人が亡くなります。ただ、そこに関しても淡々と表現しようと気を付けました。一か所、人が亡くなる瞬間にスローモーションの表現を入れていますが、最初、あのシーンですら、もっとあっさりと表現しようかと思っていたくらいです。ただ、あまりにもあっさりしすぎていて、ドラマ的な要素が無さすぎるので、スローモーションについては、カメラマンの提案を採用しました。
—–本作を鑑賞させていただく中、気になった点が一つあります。先ほど、お話されたカーレースの場面で実際の障がい者の方々を出演させている点ですが、映画としては選択肢として出演させないという方向性もあったと思います。でも、障がい者の方々ができる事を増やすことは、社会的に見ても非常に良いことと思いますが、障がい者の方が映画に出演して頂ける意義はなんでしょうか?
八十川監督:極端な話、キャスト全員に実際の障害者の方に出演していただければ、とさえ思っています。その方が間違いなくリアルに描けます。たとえば、主演の方も当事者の人たちに演じて頂けるのであれば、それが本当に理想です。ただ、まず、根本的な話、当事者であり、かつ役者であるという方が、そもそも少ない、というかほぼいないですね。ちゃんと演技ができるのかそこがむずかしいです。オーディションには当事者の方も来て下さいました。ここで来て下さらなかったら、あのカーレースの場面はもう少し違ったものになったかもしれないです。本当は、クラスメイトの一人として出演も考えていましたが、1日の拘束時間が長くなり、また撮影期間も長くなるため、そこは、残念ながら断念しました。今回の作品は、筋ジストロフィーそのものは、だいぶオブラートに包んだ表現にしています、もし、筋ジストロフィーの方がちゃんと演技ができ、出演して頂けるのが可能であれば、僕のように演出力の乏しい監督であったとしてもリアルに表現できたのではないか、と思う気持ちもあります。まあ、物理的に難しいですが。
—–障がい者の当事者の方を全員出演させたら、逆にドキュメンタリーでもいいのではないでしょうか?そんな意見も出て来そうですが、非常に難しい問題ですね。劇映画にするからこそ、伝えられるものもあると私は信じています。ただ、社会がもっと優しくなって欲しいと願います。障がい者の方と、いわゆる健常者の方の住む世界は、スパッと分かれている印象がありますよね。
八十川監督:前作『夏の光、夏の音』という、視覚障害者と聴覚障害者の恋愛ものの映画を制作しましたが、実際、聴覚障害者の方は聾学校や盲学校という環境の中、日常生活を過ごすわけです。実際、彼らが初めて外の世界と接点ができるのが、聾学校や盲学校を卒業してからになるんです。昔は、障がい者の方と健常者の方の住む世界が分かれているという考えもありませんでした。今、その考え方が、徐々に変わりつつある中、ネットが普及したおかげで、健常者と言われている人々と障がい者と呼ばれている人々が、普通にコミュニケーションできるような、そんな環境がどんどん整い、広がってきています。実際、今回の蔭山さんに関しても、SNSがあったからこそ、僕に連絡を取ることができたわけです。彼自身が本の中で書いていますが、自分の親に対して、「インターネットがある時代に産んでくれて、ありがとう」と。彼は、ネットがあるからこそ、活躍できています。いわゆる健常者と障害者との社会の壁や環境の垣根みたいな目に見えない障壁は、まだ存在しますが、その壁は、今後徐々に、その垣根が低くなっていくと思います。
—–それは、思います。健常者の世界の人たちも、もっと歩み寄る必要があると思うんです。映画の世界で言えば、もっと障がい者の方たちも一緒に楽しめる世界を作っていいと考えているんです。正直、映画鑑賞に関して、 障がい者への配慮が足りなく、ハードルが高い印象を持っています。割引を利用しても、手帳があって安くなるぐらいです。そこまで、恩恵がないのも事実です。理想は高いですが、撮影現場に参加することも可能性になって欲しいんです。でも、そもそも障がい者という言い方も、良くないと感じています。健常者も障がい者の方も皆、一人の人間(※4)です。皆が平等に公平に楽しめる世界があればと、願うばかりです。 どんな人にも夢を見ることができ、夢を与えてもらうこともできる、そんな社会作りが必要ではないでしょうか?
八十川監督:僕は、人に対して明確な区分を持ちたくないんです。あなたは障がい者、私は健常者みたいな区別はあくまで、社会保障の範疇です。まあ、だからと言って、障がい者に対する上手な表現や言い回し、言葉があるわけでもありませんが。ただ思うのは、実際に、映画を作る上でやってみているのが実際の体験です。いわゆる健常者といわれている人々は、障がいを体験することができる立場にいます。たとえば、車椅子を人生のうちの1週間だけ生活してみて下さい。実際に体験することによって、今まで感じる事ができなかった、道の段差や段差を理解する事もできます。目を閉じれば、目が見えない人たちの聴覚の鋭さを感じることができます。私自身、映画「夏の光、夏の音」を撮影する前には、実際に目をみえない状態にして、毎日、白状だけで家から駅まで歩いて通勤してみました。聴覚の感覚が鋭くなっていくのを感じましたね。新しい発見がいくつもありました。
—–ライターとして活動していく中、作品の舞台挨拶での手話通訳者をされている方を見ていると、手話という存在が映画業界にも益々必要になって来ると感じました。勉強したいと真剣に、思ったんです。実際に、地元の手話サークルに足を運んでみたんです。その日は、聴覚障害の方が足を引き摺りながら、痛そうにしていたんですが、車を運転して来ているんです。この時初めて、健常とか障がいとか、関係ないと実感しました。言葉で分ける必要なんてないと、心で決めました。皆、普通の人です。ただ、障がいを持って産まれたか、産まれてないかの、そんな違いだけです。
八十川監督:障がいを持っているけど、今お話しされた通り、都合よく、社会保険の流れで作った区分けが存在しているんです。私達健常者の方々が、分かりやすくするために、ただ障がい者という言葉を生み出しただけです。
—–分ける必要なんてないんです。なぜなら、人は皆、一緒です。 今お話した体験を通して、非常に大きいものを得たと思っています。また、筋ジストロフィー自体は、国から指定された難病に登録されています。また、世間からも不治の病という見方をされているのも事実です。作品の意図そのものは、蔭山さんが病気と向き合いながら、前向きに生きた証を表現していると思うんです。ただ、別の視点から言えることは、この作品を通して、筋ジストロフィーの認知や理解が推進されるのを、監督自身は映画を通して願いを持っておられますか?
八十川監督:その願いは持っています。まずは、最初は、筋ジストロフィーという言葉だけでもいいんです。病名だけでもいいから、この作品を観て、覚えて帰って欲しいです。知って頂くことが始まりです。あと、実際の障がい者の当事者の方とお話した上で思うんですが、人は知らないものを警戒し、怖がる傾向があると思うんです。障がいのある方に対して、どんな人だろうと思うかもしれませんが、そこにいる方は私達との違いはありません。違いがないと認識して、帰ってもらえたら、嬉しいです。
—–最後に、本作『難病飛行』が今後、どのような道を歩んで欲しいのか、また、作品の展望はございますか?
八十川監督:関西から関東、全国に羽ばたいて行って欲しいです。また、国内に留まらず、海外に向けても、 羽ばたいて頂きたいと願っています。本当に、広く羽ばたいて行って欲しい。この願いを持っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『難病飛行』は現在、関西では9月23日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォにて、公開中。また、9月29日(金)より兵庫県のシネ・ピピアにて上映中。
(※1)ジストロフィー(指定難病113)https://www.nanbyou.or.jp/entry/4522(2023年9月23日)
(※2)筋ジストロフィーhttps://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease11.html(2023年9月23日)
(※3)副腎白質ジストロフィーhttps://www.shouman.jp/disease/details/08_07_104/(2023年9月23日)
(※4)障害者とは健常者と同じように接することが大切 | 介護職の基礎知識https://kaigo.ten-navi.com/article/29(2023年9月23日)