映画『宇宙人の画家』「うねりとなって登場人物たちの「想い」が動いていく」保谷聖耀監督インタビュー

映画『宇宙人の画家』「うねりとなって登場人物たちの「想い」が動いていく」保谷聖耀監督インタビュー

2022年7月23日

ディストピアから天上の涅槃へと跳躍する映画『宇宙人の画家』保谷聖耀監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

©2022,Eiga-no-kai

—–まず初めに、本作『宇宙人の画家』の土台となっている作品のテーマについて、教えて頂きますか?

保谷監督:テーマと言えるのかどうか分かりませんが、最初にやりたかった事は、画家というモチーフで映画を撮るということでした。

ただ、画家と言っても、単純に目の前のモデルさんを描くとか、自分の想像上の何かを描くとかではなく、「宇宙」そのものを描きとるような、スケールの大きな「画家」のイメージでした。

映画『2001年宇宙の旅』のラストで、胎児が宇宙に浮かんで地球を見ている場面があると思いますが、宇宙空間に胎児のようにポツンと浮かんでいる画家が空中に手を翳して、世界を擦り、無心で描き取っている、というイメージです。

宇宙や地球、そこで生きている人々の有象無象の営みを、ただただ延々と描き続けているイメージ、それを一本の作品にしようと思ったのが、この作品の始まりです。

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—–少し映画のお話から反れてしまいますが、監督自身が大学で学ばれていらっしゃる「宗教哲学」がどのような学問なのか、作品とは切り離して教えて頂きますか?

保谷監督:僕が語るのは恐れ多いのですが。

「宗教哲学」とは何か?ということだと思いますが、それを問うこと自体が「宗教哲学」だと理解しています。

宗教についての哲学と言えば分かりやすいと思いますが、哲学という学問そのものがキリスト教などの西洋の宗教との切っても切れない関わりの中で発展してきている一面があり、哲学を勉強していきますと自然と「宗教的」になってしまう、という側面があると思います。

「神」などといった超越的な存在が哲学には最初から内包されているような…。

そういう意味で、哲学と宗教はある種の緊張関係にあると思います。

今回の映画では、真っ白なキャンバスが発する光を浴びた人物が、それまでとは性格も外見も変貌してしまうシーンがありますが、そういう、人間をガラッと変えてしまう啓示?のような「光」については脚本段階から議論していました。

そこで話に出て来たのが(※1)禅仏教における「十牛図」というテキストです。

僕が通っている京都大学の宗教哲学研究室は、(※2)西田幾多郎らが立ち上げた京都学派という哲学流派の流れを強く受け継いでいるのですが、京都学派の上田閑照が(※3)「十牛図 自己の現象学」という著作で「十牛図」について論じています。

「十牛図」は、10個の牛の絵からなる漫画のようなものなのですが、非常にざっくり言ってしまえば「いかに悟ることができるか」ということを十段階で示したものだと思います。

「本当の私とは、何か?」ということを求めて修行をしている一人の男が主人公なんですが、本当の「私」、つまりは悟りの境地が牛の姿として比喩的に描かれています。

第一図から第六図までは、男が牛を捕まえる過程が描かれるのですが、牛を捕まえた後、これで悟りの境地へと到達したと思い込んで男がホッと一息ついていると、第七図で牛は男の前から消えてしまい、ついに第八図では男も周りの景色も何もかも消えて無くなってしまいます。

そこには真っ白な空白があるだけで。

この第八図がいわば悟りの境地を描いているというわけですが、第七図までの、本当の「私」を手に入れたと思って満足してそこに安住している段階は未だ悟りとは言えず、「私」自体が無化されるところまで突き詰めたのが第八図の真っ白な絵です。

真っ白な「光」と読み替えてもいいのかもしれません。

「悟り」とは描かないという仕方でしか描くことができないという逆説的なありかたなのだということを示しています。

—–超越してしまっているという境地ですね。

保谷監督:悟った人間は、語り得ないと言いますか。

—–この世に生きとし生けるものは、誰もまだ悟れておらず、悟れた存在は神であるキリストや仏陀だと思うんです。

保谷監督:とはいえ宗教と芸術で異なっていると思うのは、芸術家は物との対話で作品を生み出していく存在だということです。

画家なら目の前の風景や絵の具やキャンバス、彫刻家なら木とか石膏とか。

だから物体として目に見えてないといけないんですが、一方で宗教では描くことすら禁じられており、悟りとは描けない上、言葉で説明することすらできないんです。

ただ哲学という分野は、言葉や論理と言った言語で語らなければならない宿命を背負っているから、宗教との間には捻れた関係が存在しているというか…。

「宗教哲学」とは、そのような学問だと考えています。多分…。

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—–とても興味深いお話、ありがとうございました。今お話頂きました「宗教哲学」が、やご自身の創作意欲や作品に影響を与えていると思いますか?

保谷監督:映画を撮っているときには、あまり哲学のことは考えないです。考える余裕もないというか…。

ただ、哲学の勉強をしている時と、映画を撮っている時の感覚は似ている部分があると個人的には思います。

哲学とはある意味では、言葉や概念を扱うものだと思いますが、そういう「形」あるものとしてこの世界に存在している物を扱うということにかけては、映画もまた目の前にあるものをカメラに収め、それをワンカット単位で独立した素材として、どう組み立てていくのかという部分で共通するものな気がします。

また、映画を撮っている間も、絶対的な何かを常に頭の片隅に置いているところがあります。

映画とは娯楽であって見せ物であり、観客を意識して作るのももちろん必要なことだと思いますが、純粋に何か物を作っている時は、芸術の神様みたいなものを頭の片隅に起きながら作っている側面もあります。

それは、言葉では説明するのは難しいのですが、少なくとも僕の場合は、自分を導いてくれるような超越的な何かがないと映画は完成しないと思います。

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—–今までは監督という視点からお話をお伺いしておりましたが、ここから少し違う視点から実験的な事をしようと思います。保谷監督ではなく、ペンネームの京阪一二三としてお話をお伺いできたらと思います。まず、ペンネームが産まれた経緯とその人物像を教えて頂きますか?

保谷監督:京阪一二三というのは僕だけのペンネームではないんです。

—–たしか、共同でのペンネームだとお調べ致しました。

保谷監督:共同執筆者である小野寺生哉さんが付けた名前なんです。なので、正直なところ名前の由来は分かりません(笑)

—–そうだったんですね(笑)

保谷監督:僕が京都在住で、京阪電車が京都を通っているところから、恐らく「京阪」と名付けたんですよね。

あと、今回は制作スタッフとして参加してくれた同じ映画サークルの友達もある時期に共同執筆をしておりました。

そういうわけで実際は三人で執筆したシナリオですので、一人、二人、三人で、「一二三」だと推測しています。

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—–とても面白いですね!この作品を観て感じたのが、脚本の妙です。気になったので脚本家についてお調べしましたが、「誰?この人?」となってしまい(笑)。ですので、脚本家についてお聞きしました。共同脚本として、お二人のお名前をお出しになっても良かったと思いますが、そこはどうなんでしょうか?

保谷監督:先程、宇宙人がただ延々と絵を描いていて、絵が自ずと描かれ続けているというお話しをしましたが、ただただ絵を描き取っているという状態は、むしろ絵の方が一人でに生まれているともとれるわけで、そこで描いている主体をわざわざ問う必要はないんじゃないかと。

作品の作家性や作家の個性云々とはよく言われる事ですが、そういうものは色々な要因が重なった上で、後から滲み出てくるものではないか、と思います。

「これが自分の個性だ。」「自分の撮るべき映画はこれだ。」と囚われ過ぎてしまいますと、それに閉じこもった作品しかできないんだ、と今回の映画で気づいたところがあります。

頭でっかちになってしまうと面白いモノは出来ないというか。

あえて個人名を出さずに「京阪一二三」としているのは、そういう意味合いがあると思います。

結局こうやって話をしているんで一緒なんですが。

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—–本作の脚本を執筆するにあたり、参考にされた物語(映画や小説)は、ございますか?

保谷監督:ラストのアニメーションは、映画『ファンタスティック・プラネット』を製作したルネ・ラルー監督の初期の短編アニメーション『死んだ時間(Les Temps Morts)』という1964年に製作された映画を参考にしました。

紙芝居のようなアニメと実写映像が融合されているにも関わらず、かっこいい映像ができており、色々なメディアを使ってフィクション性の高い映像を成立させようとしている所に感銘を受けました。

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—–脚本を書く上で気を付けていた事や、作品のテーマの方向性をどう決定づけたか、お話頂けますか?

保谷監督:テーマとは、後から付いてくるものだと思っております。

ですので、書いている間は、難しい事を考えずに、欲望のままに書くと言いますか。

それが1番難しいんですが笑。書いているうちは、テーマだけでなく、脚本の流れもあまりよく分かっておりません。

撮影して、編集していく段階になって初めて分かって来ました。

もちろん、先程お話したような「画家」や「光」のコンセプトは最初からずっとあって、そこに向かって脚本の要素が収斂していくように考えました。

先程のご質問の「参考にした作品」について、もう一作思い出しました。

僕は手塚治虫の漫画が大好きで、小学生あたりからずっと読んでおりましたが、彼の作品群の中に、短編SF漫画『ドオベルマン』という物語があるんです。

この話もまた、画家の話なんです。

それこそ、ある惑星の一生を描く画家の物語なんですが、違う銀河に住んでいる異星人たちが、地球に住んでいるその画家の脳にテレパシーで情報を送り、彼はその指示に従ってキャンバスに向かって絵を描いて行くんです。

本当荒んだ生活をしており、カップラーメンばかり食べて、ゴミだらけの部屋で、何処かも分からない別の星の生まれてから死ぬまでを描写しているだけの毎日です。

マグマがそこらじゅうでドロドロしているような、惑星の誕生から始まり、そのうちナメクジみたいな異星人が出現してきて高層ビルなんかを作って文明を育み、ラストは核爆発で自滅して死んでいくのですが、そうした惑星の風景を一つ一つキャンバスに描いていくんです。

最後は超新星爆発で惑星ごと吹っ飛んでしまうのですが、異星の一生を描き切った画家も、力尽きて一緒に死んでしまうんです。

確か中学生の時に読んだと思いますが、その時に受けた衝撃は今でも覚えています。

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—–作中において、ダルマが放つ「光」がすべての世の中の悪人が死んで、善人たちの平和な世界が訪れると、あるインタビューでお話されておりますが、もし現実世界でこの「光」が放たれたら、世界はどう変わりますか?

保谷監督:それは、どうなんでしょうか?

僕には、お答えできません。それが分からないから、この映画を製作したと言ってもいいと思います。

「ダルマ光」は想像上の「光」であって、ホウスケという少年の描く漫画の中での光の話なので、完全なるフィクションとして制作しているんです。

架空の話としての力を信じているからこそ、この作品を作りました。

「この現実世界で「光」が放たれたらどうなるのか?」、フィクションとして作った僕には、答えられないです。

「現実世界」から物語は生まれると思いますが、物語を「現実世界」に適用しようとは思いません。

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—–プレスのインタビューにて、「映画の中の特定の人物に寄り添うというつもりはなく、目の前で起きていた様々なことをぼんやりと眺めている」という言葉がありますが、第三者の視点で客観的に本作の世界を見られていると思いますが、その世界を観た人には、どう映りますか?

保谷監督:「客観的に」という言葉があっているかどうか分かりませんが…登場人物たちの心情に寄り添ったり、観客に共感してもらうような作品はたくさんあると思いますが、『宇宙人の画家』はそういう映画ではないと思います。

あくまで「出来事」の連続として描いております。

登場人物の感情的な高ぶりを映画の情動やエモーションに繋げて物語を動かしていくことはありがちな手法だと思いますが、『宇宙人の画家』はもっと広く複数の登場人物たちの「想い」が積み重なってうねりのようになって動いていく映画を目指していますので、観る人もそういう気持ちの流れやその時のテンションを大切にして欲しいと思います。

呂布カルマさんの歌がとても好きで今回使用させて頂きましたが、ヒップホップには自分自身の人生を歌いあげるような曲が多い中で、呂布さんの音楽には、呂布さんが呂布さん自身のことを歌っている感じはしないんですよね。

リリックの言葉の主語が誰なのかよく分からない反面、発せられた言葉や声だけがそこにあって、それが積み重なり、混ぜ合わされ掻き混ぜられる事で大きな世界が生まれている事に、宇宙を感じました。

そういう事を、『宇宙人の画家』では試したかったんです。

だから、音楽を聴くように本作を観て欲しいと思います。

—–最後に、本作『宇宙人の画家』が持つ魅力を教えて頂きますか?

保谷監督:今お話させて頂きました呂布カルマさんの音楽がかっこよく聞こえるように、作中で使用させて頂いております。

呂布さんのライブを撮影期間中に実際に開催して、一シーンとして撮影しております。

音楽面でも、楽しんで頂ければと思います。

あと、石川県加賀市にある全長73mの(※4)加賀大観音像が劇中で大きな役割を果たすことになりますが、この観音様が放出するダルマ光を感じていただければと思います。

最後に、この映画には子供たちがたくさん登場するのですが、出演している子どもたちは、全員地元の小中学生です。

オーディションで選出した彼らの魅力溢れる姿も観ていただきたいと思います。

—–貴重なお話を、ありがとうございました。

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映画『宇宙人の画家』は、7月22日(金)よりシネ・リーブル梅田にて現在、絶賛公開中。7月29日(金)よりアップリンク京都にて公開予定。また、全国の劇場にて順次、上映予定。

(※1)禅とは?歴史と意味を徹底解説!一休さんはじめ「七人の禅僧」の物語とともに学ぶhttps://intojapanwaraku.com/culture/2525/(2022年7月20日)

(※2)発掘、京都https://125th.kyoto-u.ac.jp/discover/02/(2022年7月20日)

(※3)寶樹山萬福寺http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/jugyuzu.html(2022年7月20日)

(※4)巨大観音がお出迎え!ずば抜けたスケールを誇る大観音加賀寺https://www.travel.co.jp/guide/article/3893/(2022年7月21日)