小沢仁志、最後の無茶。映画『BAD CITY』小沢仁志さんインタビュー
アクション映画『BAD CITY』の小沢仁志さんにインタビューを行った。製作の経緯、アクションの凄み、ロケ地を九州にした理由、若手の育成に関して、また小沢さんが考える「生きざま」について、そして作品の魅力について、お話をお聞きしました。
—–本作『BAD CITY』が、産まれた経緯を教えて頂きますか?
小沢さん:25年前に、映画『SCORE』を作って、アクション映画では話題にもなり、旋風を吹かせたんだ。
でも、興行的には失敗で、俺の中では「負けた!」という悔しい気持ちをずっと持っていたんだ。
日本のアクション映画をヒットさせるのは非常に難しいし、なかなか定着しません。
製作サイドも、積極的にアクション映画を作ってないよね。
作っても、興行面ではリスキーで、製作面ではコストがかかり過ぎる。
日本の映画ファンは、ハリウッドのアクションは好きですが、国内のアクションは観ない方も多くおられるよね。
今の環境、状況では、日本のアクションな続きもしないし、産まれても来ないよね。
この現状には、いつも悔しさを感じていました。
それをバネに、もう一度、制作して、次は「勝ってやる!」と、いつも誓っているんだ。
それに、還暦を迎える60歳という節目を前にして、25年目という数字的に蹴りを付けるにはちょうどいいと思ったんだよ。
だから、久々にでっけー花火打ち上げようとしたんだ。
でも、25年前の映画『Score』の時の熱気や熱意のようなモノに包まれた映画を作る力が、まだ残っているのかと、自分に対する至近戦でもあるんだからさ。
自分を試すためにも、作ろうかと動いたんだよ。
そこから、皆に声を掛けて、福岡に来て欲しいという声もあったから、そこでの撮影が決まった。
あとは怒涛のように3週間の製作が始まったんだよ。
—–数多くの作品で、主演をされていたり、脚本を書かれたりする小沢さんですが、今回、この作品を製作する上で、何か気をつけていたことはございますか?
小沢さん:俺自身が、引かないこと。
製作陣たちが、「俳優人生、最後の無茶」とキャッチコピーを考えたんだよ。
どんな撮影に対しても、彼らは無茶だと言っていたんだが、このキャッチコピーが何かの警告にも聞こえるんだよ。
それでも、俺は何を言われようが、引かなかったね。
最後まで、この「無茶」を貫き通したね。
それで、撮影に「ゴー」を出してもらって、現場入りしても、絶対に引かない。
監督は、園村くんですが、彼も撮影に関しては引かないんですが、俺らは意思疎通ができてるからこそ、あとは二人で色々話し合って、撮影を進めんたよだよね。
俺は、監督の盾にならないといけないという意味での製作総指揮なんだよ。
—–今回、本作でロケ地を九州の福岡県中間市での撮影を敢行されておられますが、小沢さんにとって、福岡は何か深い関係や思い入れは、ございましたか?
小沢さん:まず、福岡には仲間が沢山いるんだよ。
中間市は、過去に「日本極道戦争」の時に、市役所を借りて、市長室で撮影をさけて頂いた経緯もあります。
今回のように、エキストラから何から何まで、大体的に街で撮影したんだけど、エンドロールを見てもらえば分かりますが、長いですよね?
日本映画では珍しいけど、作品の関係者が非常に多いんだよ。
中間市での作品公開時に、舞台挨拶で駆け付けた時、映画に関係した皆も集まってくれて、エンドロールで自分らの名前をみつけて、大喜びしてんだ。
本編じゃなくて、エンドロールで盛り上がるんだよ。
それでも、舞台挨拶で壇上に立った時、皆が喜んでくれたのを感じた事が、一番嬉しかったんだよね。
—–今回、製作総指揮として、主役として、本作に携わる中、小沢さんにとって、印象深い出来事はございましたか?
小沢さん:印象深い出来事なんて、ありすぎるんだよね。
撮影現場ではないんだけど、仲間内には色んな会があるんだ。
その中には、婦人部という方々もおられんだが、撮影中は大変お世話になったんだよ。
寒い時には、弁当と豚汁を用意してくれる。
「残してはいけない」というドレスコードも産まれたんだけど、凄いデカイ寸胴で作ってくれるんだ。
次の日には、違う婦人会が、けんちん汁を作ってくれたんだけど、小沢会の差し入れで、北九州から超有名なうどん屋が、うどんカーで来て、振舞ったんだ。
色々な食事のメニューで、現場を楽しませてもらって、撮影よりも食事の時間の方がもっと大変で、結局、クランクアップ後はスタッフはみんな、太ってしまったんだよ。
お菓子の差し入れも別にあったので、それも食べる必要があり、多少大変でしたが、非常に嬉しい一時でもあったね。
—–先程もちらっとお話がありましたように、この作品ではアクション監督としてご活躍されている園村健介さんに、本作の監督を任命された目的は、何でしょうか?
小沢さん:作品を作る時は、監督を誰にするのかが、まず最初に浮上しますが、シナリオができない限り、その相手にもどのような映画なのか説明できないので、まず脚本から書き始めたんだよ。
俺が監督をしてもいいが、若手を育てないといけないと感じたんだ。
そこで、誰か作品とマッチする人物はいないのか、探したんだよ。
誰かいないのかと関係者に相談すると、園村くんを紹介してくれたんだ。
前に映画『HYDRA』という作品をアクション・チームだけで作ってるんだよ。
それを観てみたら、なかなか良かったと感じたわけ。
あれはあれで、元々、バジェットの低い作品だが、良作でした。
その反面、自分たちの中の世界観で完結している節もあり、マニアック感がどうしても出てしまってたんだよね。
それでも、会ってもいいなと思い、紹介して欲しいと伝えました。
若手であるお前たちが今後、メジャーになって行く事が、日本映画界に対して新しい勢いを産んで行くんだよと。
確かに、アクション映画は、リスキーでコストも掛かってしまい、商業でもそんなに作らなくなった背景もある中、作品は人の名前に頼らず、キャスト、スタッフ含め、新人や中堅どころの人材を、どんどん使って行く必要があるんだよね。
園村くんも、監督としてメジャーになって行かなければいけないと思うから、一緒に映像製作しようと、声を掛けたんだよ。
ここから、この作品の製作が始まった。
商業になかなか呼ばれない彼らを起用し、もっともっと認知され、表舞台に出ることが今後、彼らの武器や実績になるんだよ。
—–現在の日本のアクション映画において、出演者皆さん含め、園村さんのアクション・コーディネートは今後、必要不可欠な存在になりつつありますが、本作でもアクションシーンが非常に締まりがあったと思います。現場にて、小沢さんが園村さんに対し、信頼を置けた一面や、感じた出来事はございますか?
小沢さん:まず、その考えは、間違いないよね。
ただ、今回では、このバジェットの規模の作品を作ったのは初めてなので、演出にしても、どこまで出来るのか、正直なところ、不安もあったんだよ。
俺が前に出て解決するのではなく、一つ一つの出来事をどう乗り越えて行くのか、そっと後ろから見てたんだが、彼はしっかりと向き合って、妥協もせず、自身の考えをちゃんと貫く姿を見て、俺は安心したんだよ。
—–園村さんの、監督だけでなく、アクション監督としての素養と言いますか、今までのアクション映画において、いなかった存在かなと、思います。
小沢さん:日本のアクション映画が変わって行ったのは、谷垣健治が携わる映画『るろうに剣心』からだと思うんだよね。
そして、彼が率いる下村健二、園村健介なんだよ。
谷垣を日本で初めて、アクション監督として起用したのが、俺なんだよ。
2002年の製作の映画『龍虎兄弟 BLOOD BROTHERS』からだよね。
その時、下村くんも、園村くんも、谷垣くんに付いて、あの3日徹夜という地獄の撮影現場に居たらしいんだよ。
それで、自分らでも、製作をするようになり、谷垣が香港と日本を行ったり来たりしながら、ある時を境に、日本で台頭して来た頃、多くの作品を作ってきているんだよね。
北村龍平監督だって、映画『VERSUS』の頃から、台頭し始めて、2000年以降、日本のアクション映画の風向きは変わり始めてたんだよね。
—–本作は、小沢さんの還暦記念作品として製作されましたが、昨年の6月に還暦を迎えられた小沢さん自身、この作品に対して、特別な想いはございますか?
小沢さん:さっきも言ったように、この作品は25年前の『SCORE』のリベンジなんだよ。
プロデューサーとしての想いもあるけど、『SCORE』の仇討ちを取るために撮った訳でもなく、とにかく、人を巻き込んで作品を作る熱量はまだ残ってて、この爆発的なエネルギーは本作のために残っていたもんだ。
やはり、この『BAD CITY』が『SCORE』の無念を晴らしてくれると、願っているんだよ。
まさに、あの作品が産まれたからこそ、この作品があるんだ。
あの時に『SCORE』が成功してたら、この『BAD CITY』は産まれていない。
その時には、アクションに対する一つの区切りを付けて、「もういいんじゃない」と、違う方向に行っていた可能性も、否定できない。
あの作品が世間的にヒットしなかったことは、非常に悔しかったからこそ、この25年間、アクション俳優を続けてるんだよね。
失敗は成功のもとと言うように、『SCORE』での失敗は必ず、『BAD CITY』に生かされているんだ。
今回、必ず成功すると、願ってるんだよね。
—–そのリベンジの真意とは?
小沢さん:興行面だよね。
業界からは、非常に評価が高かったのに、蓋を開けてみたら、興行収入は振るわなかったんだよね。
だから、今回はあの当時のリベンジを狙ってんだよ。
—–あるインタビューで、両膝の半月板損傷に加え、身体は肉体的にボロボロだと仰っておられますが、それでも、作品に掛ける想いは必ずありますよね。ボロボロになりながらも、アクションに熱中するお姿が、小沢さんの生き様かと思います。小沢さん自身が考える生き様とは、なんですか?
小沢さん:ボロボロでも、あんだけ動けるから、アドレナリン出てしまうと、映画のように動いてしまうんだよね。
日常では、野球のピッチャーしてるんだけど、これがまた、痛いんだよね。
でも、生き様って、色々あると思うんですが、まずは諦めない事だよね。
ある程度、歳を重ねてくると、つい数字を気にしてしまいますよね。
年齢のせいにして、すぐ諦める方向に持って行きがちだよね。
俺は、年齢なんて関係なく、どんな演技でも、どんなアクションシーンでも、挑み続けるよ。
どんな事にも、妥協しない、諦めない。
—–それが、小沢さんが考える生き様なんですね。
小沢さん:俺はそうやって、生きて来たんだから。
生き様と言われれば、こういう考え方になるかも知れないね。
今まで考えた事ないけど、これが俺の生き様だと思うんだよね。
妥協しない、諦めない。
—–最後に、映画『BAD CITY』の魅力を教えて頂きますか?
小沢さん:魅力は、とにかく、劇場に来て、観て、肌で感じて、熱くなって欲しい。
皆が、ラスト23分、息を飲んで、どこで息をしていいか分からない、あの空間で怒涛のアクションを楽しんで欲しいですね。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『BAD CITY』は現在、関西では1月20日(金)より大阪府では、なんばパークスシネマ、MOVIX堺、MOVIX八尾。京都府では、MOVIX京都。兵庫県では、kino cinema神戸国際、MOVIXあまがさき。和歌山県ではイオンシネマ和歌山にて絶賛公開中。また、全国の劇場にて公開中。