「怪物」探しの果てに、私達は何を見るのか?映画『怪物』
「怪物だ~れだ?」と、公開前から作品のトレーラーにて、煽り文句のように宣伝し続けられて来た本作。
この売り込み口上に翻弄されるかのように、観客は、日本の映画ファンはこの物語に登場する誰が「怪物」なのか、浮足立ちながら、作品を今か今かと楽しみにしていた事だろう。
この中の誰が怪物で、誰が人間か。誰が聖人で、誰が愚人か。
その答えが、本作のどこかに隠れているのだろうか?それを見つけるのに、誰もが躍起になっていた。
自身も本作のレビューを書くとしたら、どこに焦点を置くか、誰が怪物で、誰が聖人か、またどのようにアプローチするべきか考え続けた。
実際、私自身、熱狂的な是枝監督の熱狂的ファンでもある。
2004年に公開された映画『誰も知らない』を初めて観た時の衝撃は、今でもハッキリ覚えている。
洋画にかぶれた映画少年だった私が、明確に「邦画」という存在を意識するようになったのは、間違いなく本作からだ。
日本の映画にも社会的暗部を鋭く切り取った作品(小中学生だったため、それまでの作品に触れてこなかった)があった事に、当時は心どころか、魂を鷲掴みにされ、激しく揺さぶられた。
脳天に青い稲妻が走り、感電したような感覚を作品から与えられた。
それほどまでに、あの時代の映画としてはどこか、革新的画期的に見えて仕方なかった。
この作品以降、新しく映画が制作公開される度に、足繁くトークイベント、初日舞台挨拶付きの上映は欠かさず観に行った(他の作品では、一切そんな行動はした事なかったにも関わらず)。
恐らく、映画『DISTANCE(2001)』とドキュメンタリー映画『大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-(2008)』以外は、すべて観ているはずだ。
TVドラマもプロデュース作品も半分ほどは観ている。よくある人からの質問として「好きな監督は?」には、必ず是枝裕和監督の名を挙げていた。
この20年間の映画人生の下地には、間違いなく是枝監督作品群の影響力が確かにあったと自覚している。
それでも、私は今回の作品で一つ悟ってしまった事がある。
言うなれば、今までの20年という時間を取り返したい。
なぜ、熱狂的なまでに是枝監督を信望していたのか、今ではまったく分からない。
そうはいっても、作品に対する今までの気持ちと今の気持ちを確かめたくて、再度過去作を観返したくなった。
私は、どこかで何かを見落としているのか?
何に気付いて、何に気付いていないのか?
もう一度、この20年という映画人生の答え合わせをしたいという感情が沸き起こっている一方、それに立ち向かう怖さに蓋をしたくて、心の中で悶絶し、葛藤している。
私は今まで、是枝監督作品の何をこの目で見つめて来たのだろうか?
その答えはきっと、この先の未来に待っている。
今回、私が非常に違和感を覚えたのは、本作の要素となっているそれぞれのエピソードだ。
すべてが説明不足の宙ぶらりん状態で、要素と要素が作用することも無く、すべてがラストに回収されることも無く、ただ支柱となる物語に枝葉である要素を取って付けたようにも感じた。
作り手たちの怠慢さが、スクリーンから滲み、透けて感じ取れる。
言うならば、今社会で問題になっている事柄を要素として、挿入しただけ。
その問題に対して、しっかり取材をしましたか?関係者の声に耳を傾けたか?
当事者たちの心の声を、自身の痛み苦しみとして分かち合ったか?
ちゃんと取材をして理解を得れていたとしても、それらがちゃんと物語への効力として力を発揮したと言えるか?と疑問を投げかける。
本作が取り上げている要素には、今の日本社会を代表する社会問題ばかりだ。
シングルマザー、いじめ、教育現場による隠蔽体質、体罰教師、同性愛、発達障害など、様々な問題が複雑に絡み合う社会に生きる私たちは、毎日これらの問題と直面している。
それでも、今回非常に気になったのは、柊木陽太さん演じる星川依里という存在だ。
彼の姿を見ていると、同性愛と発達障害の要素を合わせ持つ少年の姿が、どうしても自身とダブってしまう。
ただ、今回は主演の星川依里役を演じた柊木陽太さんが、正直不憫でならない。
発達障害持ちの同性愛者というナイーブでセンシティブな人物を演じる姿は、胸が苦しい。
まるで、あわせ鏡で自身を見ているようでもあった。
彼には必ず、アフターケアが必要だ。
本作出演の柊木さんの今後の活躍を応援するのであれば、出演後のケアは必須であることを、関係者も映画ファンも理解してあげて欲しい。
そして、私自身が実を持って体現しているからこそ言えるのは、これらの体質を持つ者は今の日本社会で生きるには非常に息苦しさと生きにくさを感じている事。
にも関わらず、本作は、特に同性愛要素を、ある種美しい友情物語として描き、是枝監督特有のいつもの映像美でオブラートに誤魔化している訳だ。
映画は、これらの問題が持つ本質を何一つ開示すること無く物語のエピソードとして作中に据え置いただけ。
あたかも、無理やりねじ込み、ちゃんと作品に取り込んだでしょ、という思考が垣間見える。
近年、同性愛者の問題が少しずつ注目を集めている。
たとえば、アウティング問題(※2)が日本国内でも問題視された事を皆さんはご存じだろうか?
それは、一橋大学アウティング問題(※3)だ。
また、思春期に祖父から性被害(※5)を受けたとされる青年のニュースが、近頃ネットで報道された。彼もまた、その時から今まで性被害に対して悩み苦しんだ日々を送っている。
映画関係者や映画ファンは、世間には届かない、そんな彼らの心の叫びに耳を傾けているか?
今の現状で言えば、認知はしているけど、到底理解には追いついてないように思える。
前回、映画『はざまに生きる、春』では、自身の発達障害について触れたが、今回は自身の違う側面に触れたい。
映画は、いじめの原因となっている同性愛要素をどこまで掘り下げ切れているか?
制作陣は、どこまで同性愛について歩み寄れているか?
私は、作品を観て感じ取る事ができなかった。
なぜ、そのように感じたのか、それは上記で紹介した2つの記事と同様に、私自身も幼少期にある男性から性的虐待を受けた経験を持つからだ(性的虐待と言っても、性的いたずらではあるが、それも立派な性犯罪)。
自身を振り返って思うことは、なぜあの時、私は拒絶を示さなかったのか?
なぜあの時、受け入れてしまったのか。私は確かに、あの時レイプされた。
今は自分を憎んでも、憎み切れない。
この事実と向き合うのが怖くて、ずっと逃げて来たんだと今は思う。
子どもには、子どもなりの同性愛に対する葛藤がある。
小中の頃、星川依里のように少し女の子っぽい男の子がいた。恐らく、気になっていたのだろう。
自身の想いを伝える代わりに、私は彼の心を傷付けたと、今は心から深く反省している
気持ちを言語化にするのができなくて、ちょっかいをかけて誤魔化していたと、今は思う。
人は必ず、罪を犯す生き物。
また子どもの世界は残酷で、同性を好きになった子どもは、相手に自分の思いの半分も伝えられず、「自分は、人を愛して幸せにはなれない。」と自己を責める。
また、私のように知らず知らずうちに同性愛の世界へ引き摺り込まれる子がいるのも事実。
この作品には、そんな子どもの痛みを理解せず、美しい映像美で誤魔化したに過ぎないと、私は感じる。
本作が、要素として取り上げた同性愛問題も発達障害、また他のエピソードすべて、なおざりにされている。
当事者の中には本音を打ち明けられず、心で泣いている方もいる。
その上、社会は差別と偏見、罵詈雑言に溢れ、彼らは生きながら責め苦を味合わされている。
それでも、世の中は本作が表現する同性愛描写を、良しとしている風潮が垣間見える。
また、カンヌ国際映画祭が本作に贈った「クィア・パルム」(※6)に対しても、今回は非常に懐疑的だ。
過去の受賞作を比べてみると、2012年には『わたしはロランス』2014年には『パレードへようこそ』2015年には『キャロル』2017年には『BPM ビート・パー・ミニット』2018年には『Girl/ガール』と、これら作品群が示すのは、一貫して同性愛問題を真正面から描いている作品が、高く評価されている点。
本作は、作品の要素に留まったにも関わらず、賞を与えられている。
ショーレースに関係なく、海外のLGBTQを取り扱った作品は、真正面から誠実に制作した骨太な映画がたくさんある。
一例を挙げるなら、『真夜中のパーティー』『トーチ・ソング・トリロジー』『運命の瞬間/その時エイズは蔓延した…』『司祭』などだ。
同性愛における外国と日本の認識の違い(※6)が、確かにあるのは事実。
この違いが、消極的な演出に留まったという見方もできるが、そろそろ日本社会全体も同性愛だけに関わらず、あらゆる問題に対して、価値観を変える時代が来ている事を再認識する必要がある。
映画『ミューズは溺れない』の淺雄望監督とは、インタビューを通して話し合ったが、これからの未来、男性女性という性に囚われず、一人の人としてお互い尊敬できる時代が訪れて欲しいとディスカッションを重ねた。
本作『怪物』における脚本家の坂元裕二さんの声明「たった1人の孤独な人のために書きました」とおっしゃるが、果たしてそうだろうか?
本当に、その人の痛みに寄り添えたと思えているのか?
私は、あなたの力量なら、もっともっと寄り添えたと信じている。
あなたが書くシナリオの力なら、もっと人を救えると私は信じたい。
だからこそ、現状に満足しているこの言葉には、心から喜べない。
もっといい作品を生み出せるはずだと、強く信じている。
最後に、本作が人々に呼びかける「怪物だ~れだ?」という文言は、心に引っかかるように投げかけられる。
果たして、怪物は誰なのか?その答えはきっと、皆さんの心の中にある。
脆く多情多感な同性愛問題を含む、今の社会問題を取り上げてるが、それらを作品にまったく反映せず、それでも様々な社会問題を取り上げたと誇らしげにトロフィーを片手に持つ映画監督や脚本家が、本作での一番の怪物だ。
そして、周囲の映画関係者、作品を褒め称える映画ファン、何よりそんな彼らに噛みつき、楯突く私が一番の怪物だ。
そんな大人たちの犠牲となっているのは、本作で立派に難役をやり遂げた主演の小さな役者たち。
それでも、私はいちファンとして希望は捨てない。
次回作では必ず、監督と脚本家の再タッグで、一つのテーマに絞り真正面から作品を描いて欲しい。
それが何年かかろうが、私は期待を持って待ち続ける。
映画『怪物』は現在、全国の劇場にて上映中。
(※1)【性加害問題】“実態を知ってほしい” ジャニーズ事務所 元所属タレントたちの声https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pVyKAXLR0P/(2023年6月10日)
(※2)アウティングされた一橋大院生の死から5年 弁護士になった同級生 「差別、偏見をなくしたい」https://www.tokyo-np.co.jp/article/50662(2023年6月10日)
(※3)ゲイを暴露された一橋生の死から4年「事件を風化させない」行動する在学生や卒業生https://www.businessinsider.jp/post-197642(2023年6月10日)
(※4)中2のとき、祖父にされたー 誰にも言えなかった性被害、30代男性 自分の心も体も大切にできなくなったhttps://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202306/0016454879.shtml(2023年6月10日)
(※5)カンヌ国際映画祭脚本賞&クィアパルム賞受賞! 『怪物』をめぐり是枝裕和監督×永山瑛太が社会と属性について語るhttps://www.harpersbazaar.com/jp/culture/tv-movie/a44010177/koreeda-nagayama-kaibutsu-interview-230602-hbr/(2023年6月10日)
(※6)なぜ日本では同性婚の議論が進まないのか? アメリカとの違いから見える日本の現在地https://www.businessinsider.jp/post-246360(2023年6月10日)