母の強さは、私の心に。映画『アメリカから来た少女』ロアン・フォンイー監督インタビュー
台湾の若手監督の幼少期を映像化した非常にパーソナルな台湾映画『アメリカから来た少女』を監督したロアン・フォンイーにインタビューを行った。監督自身の過去、母親との確執、主人公を演じたケイトリン・ファンとの類似点、また本作の魅力について、お話をお聞きした。
—–本作『アメリカから来た少女』の着想を教えて頂きますか?
ロアン監督:アメリカの修士課程の研究所で、映画を学んでいました。
その時の卒業作品が、短編映画『姐姐(お姉さん)』という作品を撮りました。
それは、90年代にアメリカに渡った家族のお話でした。
この映画は、作品を観てくれた方々から共感を頂きました。
それで、本作のような物語を作ってみたいと思っていました。
また、2018年には映画『レディバード』という作品を鑑賞しましたが、この作品から着想を得て、2003年に経験した事を作っておこうと思いました。
家族をテーマにした作品ですね。
映画を撮ろうと考えた時はまだ、コロナは始まっていませんでした。
—–今だからこそ、タイムリーに感じますね。
ロアン監督:その時はまだ、コロナの時代ではなかったので、自分の記憶をメインにして、作品を作ろうと思い至りました。
今までの台湾映画の中では、私たち世代の文化や時代を撮った作品は、大きいスクリーンで観たことがないと、思い立ちました。
ほとんどの台湾映画は、90年代を舞台にした物語が主でした。
突然アメリカから台湾に帰って来て、暮らし始めた家族や私自身が経験した出来事を映像化した作品は、過去に作られて来なかったんです。
その意味でも、ちゃんと撮って、残したいと思いました。
—–ロアン監督はこの度、なぜ経験した出来事を映画として表現しようと、思いましたか?
ロアン監督:映画監督にならなかったら、作家になりたいと思っていました。
ですので、今は映像が特化した時代。
「映画」というメディアが、今の時代に非常にフィットしていると、思いました。
映画とはもちろん、音とビジュアル、そして様々なモノを織り交ぜて、何かを表現し、創作できる媒体です。
やはり、今の時代において、何かを発信するには、映画が相応しいと思いました。
もし、映画として撮れないならば、自分で自分の経験を小説として発表したかもしれません。
例えば、時代感を表現するモノは、音楽で言えば、周杰倫(ジェイ・チョウ)の楽曲、また昔で言えば、PCのダイヤルアップ接続など、これらは「音」として時代感を表すモノとして、映画なら入ってくると思います。
それを小説として残すよりは、映画の中に組み込んだ方が、非常に効果的だと考えました。
やはり、時代の何かを表すことは、文字だけではなかなか難しいんです。
—–シナリオを執筆するに当たり、同時に過去と向き合う必要もあったと思いますが、脚本の執筆中に過去との対峙で見えていた事、感じた事は、ございますか?
ロアン監督:シナリオを書く前は自分の視点でしか、その時の事は見えていませんでした。
脚本を書くに当たり、別の人物の視点から様々な事を見る必要でした。
例えば、父親、母親、そして妹の視点から物事を見ることが必要だったんです。
ですので、個人の体験という事実を乗り越えていく事が、シナリオを書く事だったと思います。
だから、多くの関係者の視点を合わせて、組み立てて行くパズルのようなモノでもありました。
それが、私のシナリオ制作だったと思うんです。
色々な物事は、全方面の角度から見ることは不可能ですが、できるだけ色々な人々の視点を盛り込む事によって、色んな人からの共感を得る事ができると、思いました。
—–演技未経験でありながら、2つの映画祭にて、最優秀新人賞を受賞されたケイトリン・ファンさんの瑞々しい演技は、素晴らしかったと思います。監督は、彼女のどこに惹かれて、主人公として彼女の出演を決めましたか?また、自身の少女時代を演じる重要な役だからこそ、この子に決めた理由は何でしょうか?
ロアン監督:キャスティングの必須条件として、まずバイリンガルであること。英語を完璧に話せる事が、一番重要でした。
ケイトリン・ファンさんは確かに、演技経験はありませんでしたが、やはり他の少女とは違っていたんです。
シナリオに多くあるセリフの中には、辛い台詞もいっぱいあります。
彼女は、それを上手く言葉として出してくれました。
彼女の、ケイトリンのいい所は、彼女がそのセリフを口にすると、他の人が言うと、非常に嫌な感じを人に与えますが、彼女の口から出てきたマイナスな言葉たちは、そういう風には感じさせません。
そう口にして、当然だよね、と人を納得させ、反感を持たせない子だと受けました。
演技とかではなく、彼女自身の口から自然と出てきた言葉と、私は感じました。
私が、キャスティングをしていく中で、主人公をケイトリン・ファンに決めた一番の理由は、そこにあります。
—–主人公のファンイーは、監督自身の幼少期の少女ですが、この人物を演じるケイトリン・ファンに対して、何か特別な感情は抱きましたか?また、自身の過去と共通するところは、彼女にありましたか?
ロアン監督:何と言っても、主役ですから、彼女に対する演技指導含め、色々なことに一番、時間をかけました。
彼女への演出は、最も力を入れたところです。
ケイトリンは当時、14歳だっんですが、この年代の女の子って、本当にこんな言い方するかなと、何度も何度も頻繁に聞いていました。
リハーサルの時も、より自然に演技ができるように、脚本や動きを修正して行きました。
セリフも調整したりと、色々な箇所の変更は彼女に合わせて、撮影を進めたんです。
彼女の年齢の魅力は、非常に大きく、作品のほぼ全体を占めています。
—–シナリオは、撮影していく中、当て書きに近いことをされて、適宜書き換えていきましたか?
ロアン監督:もちろんですね!ケイトリンが現場でシナリオには書かれていないセリフ発言する毎に、私は一つずつ採用し、脚本に盛り込んで行きました。
リアルではないローティーンの言葉はなるべくカットして、そのシーンの雰囲気そのものも変更して、撮影を進めて行きました。
彼女や状況に合わせて、色々と変えて行ったんです。
—–アメリカと台湾の文化の違いの中に挟まれた当時の監督にとって、学生の頃に戻った台湾の暮らしは、監督自身にどう影響を与えましたか?
ロアン監督:その当時の私は、アイデンティティの危機に直面していたと思います。
ずっと私は、「私が誰なのか?」と思い続けていた訳です。
それが2003年に台湾に帰って来た原因が、より強烈に影響していました。
だから、私は他の子と同じ黒い髪、同じ皮膚の色にも関わらず、私はどこか違うようにも感じていたんです。
だから、その違いと対峙しながら、皆の中で適応していく術を身につけていかなければいけませんでした。
その当時、台湾での帰国子女はまだまだ少なく、私自身、学校やクラスで目立った存在だったと思います。
だからこそ、自分は余計に「私は誰?」と、思い詰める場面もあったと思うんです。
アイデンティティの危機に対面していました。
ただ、今は人と違うことが比較的、マイナスではなく、プラスの方向に働く状況になっています。
—–物語の終盤において、主人公が弁論大会に出場する予定でしたが、物語上では内容は明かされぬまま。ただ、一人一人観る側の想像にも依りますが、スピーチで話すはずだった「手紙」の中身には、監督自身、お母さんに対して、どんな想いを込めていますか?
ロアン監督:この質問はいつも、一番よく聞かれます。
確かに、シナリオを書いている時、その場面を表現するべきか、スピーチの内容を伝えるべきか悩み、議論しました。
でも、いくつの諸事情により、あの終わり方を選択したんです。
14歳の少女が伝えたい事は、前の場面ですべて語っています。
そして、次のシーンの弁論大会で、再度同じ話をするのは、重複してしまうため、敢えてしませんでした。
もう一つの理由としては、エドワード・ヤン監督の映画『ヤンヤン 夏の思い出』のラストにも、重なってしまうため、違う演出を考えました。
「スピーチで終わる」という設定が、あまりにも似すぎてしまっているため、その点にも意識しました。
ですが、やはり主人公のファンイーが伝えたかった事は、スピーチ・コンテストで聞いている聴衆に向かってではなく、お母さんに伝えたい言葉ですよね。
そして、お母さんが死ぬかもしれない事への恐怖を、彼女は別の場面でしっかり語っているんです。
だから、私は十分だと感じて、ご指摘の場面はあのような演出で物語を終わらせることにしたんです。
—–実際に、お母さんとは不仲で、ガンを患い、妹さんもワガママで、そんな家庭環境だったのでしょうか?登場人物のキャラクター像もすべて、過去の実話だったのでしょうか?
ロアン監督:母と私の関係はまさに、この映画で描いた親子関係でした。
頻繁に、ケンカをする親子だったんです。
だから、そのまま、実際にあったケンカを盛り込んでいきました。
アメリカから帰って来た理由は、もちろん母が乳ガンになった事も原因ですが、もう一つは私自身が中学生へと進級する時に、両親がどこの学校に通わせるかという理由もあり、一度台湾に戻ったんです。
アメリカではなく、台湾で進学した方がいいという判断もありました。
もう一つ、妹の人物像ですが、実際には私と妹は1歳しか違わないんです。
実は、シナリオの段階では、この姉妹はよくケンカをしている設定でした。
この2人が言い争う部分は、全編通して、カットしました。
なぜなら、母ともケンカをしていると、様々なシーンで言い争うシチュエーションが出てくると、あまりにも多すぎると辛くもなりますので、姉妹の間ではそんな関係性はなかったという設定にしました。
妹とは、姉の分身でもあります。
姉が言えない事を、妹の言葉として、代弁させてあげるんです。
このようにして、妹の役柄を設定しています。
—–本作が取り上げているこの時期は、監督自身の人生において、最も辛かった期間としてカウントできると思いますが、幼少期の自分自身をモチーフにし、作品を通して、自身の過去と向き合うことで、現在何か心の変化はございますか?
ロアン監督:映画として大きな変化も、ありました。
撮影して、一つの作品にして、良かったと思っています。
人生の様々な時期の価値観は常、非常に複雑なモノです。
そういうモノを作品にし、残せたのは、とても良かったと今でも思っています。
今、私が思うのは、自分の心の中に大きくて、豊かな空間ができたと感じています。
だから、この心の中にある豊かな空間には、これから色々なモノを吸収して、得られる想いがあります。
—–最後に、本作『アメリカから来た少女』の魅力を教えて頂きますか?
ロアン監督:もし、兄弟姉妹同士がケンカしていたり、ご両親と揉めてしまったりと、色々な場面で言い争ってしまうこともあると思います。
この映画を観て頂ければ、相手を思いやる気持ちが多少なりとも、湧いてくるかもしれません。
その点において、私自身がお役に立てると、思っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『アメリカから来た少女』は現在、関西では1月6日(金)より京都府のアップリンク京都、1月7日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォにて、上映中。