映画『ある惑星の散文』『ナナメのろうか』配給合同会社夢何生 代表 夏井祐矢氏インタビュー「「記憶」と「記録」という要素が潜む」【連載】

映画『ある惑星の散文』『ナナメのろうか』配給合同会社夢何生 代表 夏井祐矢氏インタビュー「「記憶」と「記録」という要素が潜む」【連載】

2022年9月21日

映画『ある惑星の散文』『ナナメのろうか』配給 合同会社夢何生 代表 夏井祐矢氏インタビュー

©Takayuki Fukata all rights reserved

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—–現在、夏井さんが配給会社の代表やプロデューサーとなられた経緯を教えて頂きますか?

夏井さん:学生の頃から、映画は好きでした。父親が映画好きで、小学生の時によく映画館に連れて行ってもらい『スター・ウォーズ』のような、大作映画を観る機会がありました。

将来を考えていた高校の頃に華々しい映画の世界で仕事がしたいと思い始めました。

大学は武蔵野美術大学の映像学科に進学しました。

卒業後は映画の道とは離れますが映像制作会社や広告代理店で働いていました。

後に国際短編映画祭を企画運営する会社とご縁があり、そこで作品のプロデュースをしながら、多くの作家さんと交流を持つ機会がありました。

映画祭の角度だけではなく、若手監督が活躍できる場や作品をサポートができないかと、強く感じました。

また日本映画の多様性が損なわれつつあるように感じていたので、映画表現の自由さを求めるようになっていました。

この時の経験が、会社を設立する機運となっています。

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—–合同会社夢何生には、名前の由来や込めた想いとは、何でしょうか?

夏井さん:「夢何生(ムカウ)」の由来は、漢字が違いますが、「無何有」という言葉が出発点となっています。

『論語』で有名な孔子の弟子に荘子という方がいます。

彼の思想で「無何有」という言葉があります。

その言葉は「作為がなく自然なこと。また、そのような境地」という意味があります。

身体ひとつで表現をする芝居にも、通じる意味があると感じます。

私は漢字を変えて、夢や目的から何かを生み出す意味として会社を「夢何生(ムカウ)」と名付けました。

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—–夏井さんが、代表として運営されている夏配給や宣伝とは、どのような仕事ですか?

夏井さん:お客様と映画を繋いで、見てもらうきっかけを生み出す役割です。

様々な映画があって楽しい反面、作品を見てもらえるか否かを生み出す重要な役割なので、とても責任感を感じます。

分かりやすい会話劇の物語は観客にも伝わりやすく口コミも広がりやすいかと思いますが、観客に解釈を委ねる作品(例えば作家性の強い作品や、アート系と呼ばれる作品など)になると分かりづらいと現代の日本ではネガティブに捉えられる風潮があるかと思います。

作家性という言葉で何でも観客に受け入れてもらえるわけではないと思いますが、真摯に映画と向き合う時間が凝縮された作品は、数は少なくても観客にその魅力を宣伝という領域でカバーし観客に伝えたい。

そして、配給・宣伝とは少しそれますが、その観客の数の割合を大きくしていく事も、とても重要だと感じています。

配給とは、作家性を尊重しながら観客と映画を繋げ、作家に利益を還元する存在ではないかなと思います。

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—–映画『ある惑星の散文』の配給・宣伝に携わった経緯は、ございますか?

夏井さん:この作品の深田監督は、高校の同級生でした。

お互いにその時から映画の世界に興味を持っていました。

当時は映画や映像を学ぶ場所は、美術大学か、専門学校の二択でした。

美大を目指す上では、デッサンの試験がある大学もあったので、それを学ぶために、スクールに通い始めたところ既に彼が通っていました。

ただ、僕達は別々の大学に進学し、年に一回ほど会う間柄でしたが、お互いに卒業後も映像や映画のフィールドで居続けていた。

そして私が会社を設立したタイミングで彼の作品の劇場公開について話がありましたので、協力させてもらいたい気持ちが強くなった事がきっかけです。

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—–配給として、作品に関わる中で、夏井さんの本作『ある惑星の散文』に対する気持ちの変化は、ございましたか?

夏井さん:気持ちの変化はありました。

配給として関わる中で、観客として作品と向き合う体験以上に作品の事がとても好きになりましたし、彼の作家性を考える上でもいい時間だったように思います。

作品をお客さんに伝える、認知してもらう上で『ある惑星の散文』に限らずですが、単純に自分が観客として見る良し悪しとは違ったベクトルで作品を見つめ直していく事が必要になります。

しかし、自身がその作品を初めて見た時に感じた印象も大事にしています。

その印象をもとに観客に想像の余地を残しつつ、背景を語らないと魅力が伝わりづらい点を補いながら訴求のバランスを検討しています。

伝え方は作家性とも密接に関わる部分なので(観客に映画をどのように体験してもらいたいか)、監督によって慎重に考えますね。

—–映画『ナナメのろうか』は、どうでしょうか?

夏井さん:前作同様、この映画も非常に趣のある作品です。

祖母の家を片付けに来た姉妹が、子供の時の記憶を思い出しながら、大人になりお互いに昔の関係ではなくなった姿を描いています。

前半は会話劇として映画を展開し、後半は姉妹が同じ家の中で彷徨い探し合う感覚的な映画のアプローチをしています。

前半は祖母の家の片付けのために集まった姉妹が、片付けを通してお互いの記憶や時間の旅をするシーンがとても素晴らしいです。

映画『ある惑星の散文』もそうでしたが、映画の中で無理に物語を完結させない監督なので、劇中で繰り広げられる映像の内容から観客が解釈をする必要があります。

しかし、映画の内容から観客自身が自分の記憶と向き合う事で、映画が補完されていく不思議な魅力を持った映画だなと感じています。

今回は44分と短めの映画なので見やすいですし、映された映像世界を楽しんでほしいと思います。

—–映画『ある惑星の散文』と中篇『ナナメのろうか』の魅力を教えて頂きますか?

夏井さん:映画『ある惑星の散文』は初めて見た時、この作品の描こうとしている世界を不思議に眺めていました。

初見の際は正直、なかなかドラマが進まずに退屈な印象はありました。

しかし、複数回見ながらこの監督が表現したかった事を考えると、この作品が距離や停滞した時間をめぐる物語であり、ロケーションと物語が呼応するから要素の奥深さを感じるにつれ、とても噛み応えがある作品だと発見できた気がします。

また劇場で視聴した体験では、音の使い方が非常にユニークに感じました。

映画『ナナメのろうか』は、前半と後半で作品のテイストが少々異なり、二人の姉妹の芝居が素晴らしいです。

また映画『ある惑星の散文』もそうですが、ロケーションの活かし方が単純に物語を語る上での場所だけに終わらない演出をする監督なので、今作も似た要素があると感じました。

深田監督の作品には「記憶」と「記録」という要素が潜んでいます。

この作品にも、観客を前のめりにせざるを得ない仕掛けがあり、ぜひ劇場で楽しんでいただきたいと思います。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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映画『ナナメのろうか』は、東京都のポレポレ東中野にて、今週末の9月23日まで上映中。9月30日から下北沢のシモキタ – エキマエ – シネマ『K2』で上映が決定!!