あったかもしれない景色を描く映画『ピストルライターの撃ち方』眞田康平監督インタビュー
—–本作『ピストルライターの撃ち方』の制作経緯を教えて頂きますか?
眞田監督:制作のきっかけは、2011年の東日本大震災で、あの時、原発事故が起きて非常にショックを受けたんでんすね。それでいつか映画にできればと思うようになったんです。どうアプローチしようか考えているうちに、再稼働していく動きもあって、そんな時たまたま自分の地元にも原発がある事に思い当たりました。実際に、調べてみるとちょうど実家から20キロ圏内にあり自治体に避難計画がある事も検索して初めて知りました。もし事故が、地元で起こっていたら、福島県と同じようになっていた可能性はあったんだと知って、地元でも同じような事故がまた起きてしまったら何が繰り返されるのか、その想像はできると思いました。そしてそこで生活している人々、特にその社会構造の中で、一番底辺で抑圧されている人間たちに焦点を当てた物語を作ろうと思ったのがキッカケです。
—–監督自身のご実家の20キロ圏内に原発があるという事実を知った時、どう受け止めましたか?
眞田監督:自分が子供の頃から当たり前に原発はありました。ただ、もう少し離れている感覚もあり、実際自分とは関係ないと認識していたんですが、20キロ圏内という数字を知るとそんなに離れていないんだと実感し、自身の中でより具体的になった背景があります。
—–当事者に近い立場の方が、作品で原発を取り上げると、説得力ありますね。監督自身の着眼点が、裏社会の話ではなく、しっかりと原発という社会問題にフォーカスしている。それに目を向けているからこそ、社会性やドラマが成り立っていると。
眞田監督:付随する社会構造みたいなものを書きたかったんです。原発事故が起こって、今の状況となり、また今は処理水問題もありますが、まるで当たり前のように受け止めていますよね。ある記事で除染作業員が中抜きされているというニュースも参考にしました。
—–たとえば、シナリオに関してですが、群像劇は難易度が上がるのかなと私は思います。オリジナル脚本を書き上げる上で、 何か注意した点はございますか。
眞田監督:毎回、なぜか大所帯になってしまうんです。過去作も群像劇ばかりですが、なるべく登場人物それぞれに理由を持たせて書いて行こうとしています。本当は3人のロードムービー位の方が分かり易いかもしれませんが、その割り振りが難しいなと思います。ただ、集団になった時の力強さみたいなのは絶対あると思うんです。一人一人、必ず何かしらの意思があって行動をしている。そして、それぞれが影響しあって行動する事は必ずあると思うので、人と人の動かし方は大事にしました。
—–シナリオを書く上で、 難しいのは、登場人物を多く出させた時、一人一人にキャラクターの深みを与える事が、難易度が上がると私は思います。だから、予算的な理由も含め、登場人物は少なめになりがちな部分もあるかなと。だからこそ、群像劇を描く時は、ハードルが高いと感じます。
眞田監督:少ない登場人物のシナリオも書いた事ありますが、結局登場人物は多くなりました。どんどん別のサブキャラクターが出たり入ったりして、とても面白いんですけどね。
—–タイトル『ピストルライターの撃ち方』には、「初めて」「幼い」「少したどたどしい」という印象を受けましたが、監督はこの題名に対して、各々の人物像をこのタイトルにどう絡めようとされましたか?
眞田監督: 2015年頃から、この企画を考えていて、その頃から主演の奥津と中村に、口頭でこんな話をやりたいと話していました。その頃から「ピストルライター」の案は出ていたと思います。制作を始めるにあたって脚本を実際に書いてみて、とても繊細と言いますか、登場人物が何を大事にしているんだろうか、主人公はどうしたいのだろうかと考えた時に、とても優しいキャラクターだと気付きました。優しいというより、ヤクザの暴力的な論理に染まりきれず、躊躇したり失敗して、葛藤を持つチンピラが、ピストルライターという本物の拳銃ではないオモチャを持つダサい姿と重なりました。またピストル、拳銃は暴力の象徴だとも思っていて、そのオモチャのピストルがいつ本物になってしまうのか、その引きが主人公の葛藤とクロスするなと考え、『ピストルライターの撃ち方』というタイトルになりました
—–原発後のどこかの地方都市が、この作品の舞台設定ですが、作品全体に漂うあの殺伐感が、 荒廃した世界観を上手に描いていると私は感じました。この点、監督は演出面で何か気を付けていた事はございますか?
眞田監督:第一に撮影は地方に行きたいという話をした時、主演の奥津が地元の仙台に行けば撮影できるんじゃないかと提案してくれました。みんなで現地を下見したら、仙台の方がとても快く協力してくれたのが大きかったです。画作りとして、元々どうしても地方に行きたいと思っていて、東京で撮影することは、全く考えていなかったんです。ロケ地を探す時も、割と明確なイメージを持っていました。ロケセットも今回はほぼすべて、スタッフやキャストみんなで組み立てました。お借りた場所は、そのほとんどが空箱だったので3日だけですが助人に来てくれた美術部の指示の下で協力して場所を作り上げました。タコ部屋もすべて自分たちで飾りましたが、荒廃した雰囲気が効いていると思います。また、役者陣のお芝居は本当に素晴らしかったです。事前に時間が取れず、細かい演出も伝えきれていない中であれだけ芝居をまとめる事ができたのは、演技ができる人たちが集結したからだと実感しています。自分の演出としては、実際に好きにやってもらって、あとは少し調整するぐらいでした。
—–今のお話の中で、2点気になったのが、荒廃した世界観を出すための、美術の方のお力が作品を左右したという事でしょうか?
眞田監督: 誰もタコ部屋に行く機会なんて無いに等しいですし、口頭だけで伝えてタコ部屋を表現するのは、非常にハードルが高いなと思ったので、インターネットで検索して、出てきた画像を美術部に渡してイメージを作ってもらいました。ロケ地の方の協力もあって満足できる美術で撮影する事ができました。
—–もう1点。なぜ 東京で撮ろうと思わず、地方で撮影しようと思ったのでしょうか?
眞田監督:僕は元々、石川県出身ですが、東京と地方では画が全然違うと思うんです。この映画を東京で撮るイメージが湧かず、どうしても地方で撮影したいと思っていました。シネマスコープという横長の画面サイズを採用したのも、バーンと開けた風景を撮りたかったという理由もあります。地方ロケではその場所の背景みたいなものがふっと見えてくるんです。作り込まなくてもそのままで素晴らしい場所がたくさんありますし、東京での撮影は、すごく大変という側面もありますね。
—–全編宮城県オールロケを行ったそうですけど、本作において、宮城県という土地が、登場人物や物語にどう作用が働いたと思いますか?
眞田監督:僕自身より、主演の奥津が仙台出身で生まれは石巻なんですね。最初のシーンで主人公の達也と親友の諒が海辺を走ってくる場所は、震災の時に大変な被害があった場所で、今は綺麗に整備されているんですが、それが初日だったんです。奥津はやはりこういった場所で、しかも原発を舞台にした映画を撮影するからには、やはり半端な気持ちではできないと感じている部分はあったと思います。
—–今作の物語の設定は、 地震が起きた街ではなく、原発事故が起きた街と、ベクトルの向け方が違うようにも感じました。監督は、日本で実際に起きた原発事故に対して、何かしらの影響を受けて、この作品の設定にしたのでしょうか?
眞田監督:3.11の中でも特に原発事故の衝撃はすごく強かったんです。あの時にもう後戻りできないという感覚になったのは大きかったですね。それまでの自分の映画は、いろんな映画に憧れて映画を撮っていると感じでしたが、初めて、社会の中の問題に興味が湧いて、自分の映画制作の中で1度は挑戦してみたいというきっかけにもなりました。震災に関しては大変なことが起こったけれど復興していくというイメージはなんとか掴めるように思うんです。でも原発の問題は、今でも本当に先に前に進んでいるのか全くわからない。もう元に戻るということが出来ないのであれば、世界は次のフェーズに突入している。でも、自分が危機感を感じたことが、ずっと続くかと言えば、どんどん普通の日常生活に戻って行く事が、当たり前になっていますよね。見て見ぬふりではないですが、忘れつつあることが非常に怖く感じて、そのものの恐怖より、自分たちが単に大丈夫だと思う事に恐ろしさを感じました。その影で70年代にあった原発や原発ジプシーの問題は、今の時代でも形は変わっても本質的には変わっていないんですよね。いわゆる下に、どんどん下に抑圧されていって、人生や命への価値観が全く変わっていないんだなと感じ、今こういう物語を問うてみるのはアリだと感じたんです。
—–プレス内のイントロダクションの説明では、再び原発事故が起きたと、書いてありますが、過去に起きた街での話ではなく、“再度”起きてしまったことが作品の肝だと思います。では、なぜ映画で悲劇をもう一度繰り返す。それは、なぜでしょうか?
眞田監督:そのイントロダクションには続きがあって、一見、相変わらず変わらない日常を舞台にしたかったんです。また同じ悲劇を繰り返す中で、その絶望感が一層際立っていく。そして、そこで生じた歪みがその場で生きる人々をどんどん追い詰めて、そこに人間のドラマが噴出して来るだろうと思いました。
—–今、原発や地震の事故や災害から12年が経ちましたが、 それでも近年、水をどう処理するのかという処理水問題が浮上し、まだまだ身近なところにこの原発の問題があると思います。この原発や震災に対して、私達は今後、どう乗り越えていけば、よいでしょうか?
眞田監督:実際に出来ることがどのぐらいあるのか考えた時、直接的には少ないかもしれませんが、折を見ていまだに解決していない問題があることを思い返して行く必要があると思うんです。実際に地元の原発はいま停止していますが、それでも動かそうと避難訓練を行ったりしているんですよね。僕はたまたま当事者に近い立場にいて、そう言った事に興味を持ったけれど、そうでなくても考え続けなければいけない事が常にまだたくさんあるのではないでしょうか?
—–最後に、映画『ピストルライターの撃ち方』が、今後どのような道を歩んで欲しいとか、作品への展望はございますか?
眞田監督:原発を舞台にしてはいますが、描きたかったのは、その権力やシステムの中で、追い詰められていく人間たちの悲喜交々といった人間ドラマです。きっとこういう物語を必要としている方もいらっしゃると思うので、出来るだけ多くの方に見て頂きたいと思っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『ピストルライターの撃ち方』は現在、関西では9月16日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて上映中。また、9月29日(金)より京都シネマ、10月6日(金)より神戸映画資料館にて公開予定。
(※1)【福島原発事故11年】「処理水問題」はなぜこじれたのか? 「民間事故調」報告書よりhttps://apinitiative.org/2022/03/10/34919/#:~:text=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E5%BE%8C%E3%80%81%E6%AE%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F,%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%AB%E6%B1%9A%E6%9F%93%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82(2023年9月18日)