映画『一月の声に歓びを刻め』「歓びが刻まれて」三島有紀子監督インタビュー

映画『一月の声に歓びを刻め』「歓びが刻まれて」三島有紀子監督インタビュー

2024年2月29日

心を探す旅の映画『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督インタビュー

©Tiroir du Kinéma

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—–まず私自身のお話をしますと、三島監督と同じで、 私も幼少の頃、性的な被害を受けた経験があるんです。繋がる部分もあると思い、この度、お話をお聞きしたいと感じました。私の実体験を踏まえて、ご質問できればと思います。まず、本作『一月の声に歓びを刻め』の制作経緯を教えて頂きますか?

三島監督:お話しくださり、ありがとうございます。どこから話せばいいか悩みますが、自分自身が被害に遭った時、映画があったから生きて来られたのかなと思うんです。自分みたいな、同じ経験をしている方に向けて、映画を作りたいと思ったのが本作を作るきっかけでした。映画を作るようになってからもなかなか、大阪で撮影できなかったんです。やっぱりあの時の経験が炙り出されてしまうんで、その時の記憶を避けて撮る事ができなかったんです。家族ぐるみの付き合いだった洋食店インペリアルが閉店し、短編『IMPERIAL大阪堂島出入橋』を撮影する事になり、ロケハン中、偶然入ったカフェから犯行現場は建物の関係上、見えないと思い込んでいたんです。ただいつの間にか、建物が壊されていて、犯行現場が見えてしまったんです。突然、視界に入って来て驚いて、プロデューサーをやってくれた山嵜さんと一緒にいましたが、彼から「どうしたんですか?」と聞かれたので、「実は…」と、その場所で起きた事を話したんです。意外と淡々と喋って47年経った今なら、そろそろ、このことを掘り下げて映画を撮る時期が来たのかなと、思えたんです。この映画を商業作品として成立させる形を目指すよりも、自分達の伝えたいことをそのまま素直に伝えられる映画を目指したいと思って、自分たちでお金を集め始めて、自主映画として始めました。

—–ただ、自身の実体験をモチーフにしていても、世間にカミングアウトできる事は、心や精神が強いと感じています。この題材が、今の時代に必要だからこそ、本作が出てきたと思います。

三島監督:今の時代というより、私の中で47年間、あの時を経て、やっと今、見つめられるようになったんだろうなと思うんです。自分の中での今、本作が産まれた感覚です。

—–世相の流れではなく、監督自身の今なのですね。実体験に対して、今まで蓋をしていたのでしょうか?

三島監督:のうのうと生きていよう、と決めて生きてきましたけど、その中で蓋をしていても、心の中で疼いたりして、何回も見えて来る事はありました。でも、映画を作るというのは、とても大変なことで、相当なパワーと覚悟がいるものだと思っています。それを9本やってきたわけですが、あの出来事から映画を作るとなると、自分の中でずっと見続ける必要があります。

—–自ら傷口を開けるのは、苦痛ではないですか?

三島監督:傷口を開けて、ずっと見続ける作業は、作る上で必要になります。フラッシュバックは何度かありましたが、脚本を書くために、「では、始めます」と自分に言ったのを覚えています。自分にひとつひとつ、取材をするように尋ねていきました。ただ、過去から目を逸らさずに作業をしたのは、事件以降、今回初めて向き合えた事でしたから、制作は結構な時間を要しました。

—–およそ一年間は、向き合ったのでは?

三島監督:そうですね。現在もこうして取材をしていただける今も、現在進行形で向き合っています。が、映画監督として語る事には何も抵抗はありません。

—–監督自身の実体験から、この物語はどう膨らましたのでしょうか?

三島監督:作品的には、長い道のりがありました。

山嵜プロデューサー:そもそも、三島さんも自分も劇映画を作ってきたのでフィクションにする話は出ていました。だから、実際にあった出来事を描くのではなく、フィクションとして成立する物語を考えました。

三島監督:私が体験した事をそのまま映画にするのではなく、あの時の体験をモチーフにして、似た経験をした女性が、30歳まで生きて来て、自分の身体が穢れていると思ったまま生きているので、好きな方と身体を交わらせる事もできない思いを抱える中、好きだった人がコロナで亡くなったという人物を考えました。そこから物語が始まり、レンタル彼氏に出会うことにしたんです。

—–前作『東京組曲2020』からの繋がりも感じられますね。

三島監督:そういう意味で言えば、そうかもしれません。前作と本作は、コロナ禍の中で作った2本です。「声」が誰かに届くという意味でも繋がっています。『東京組曲2020』は、誰かの泣き声が届いた側のリアクションで構成しました。

山嵜プロデューサー:結局、自分自身の体験と、三島監督が事ある毎に話していたお父さんの話と、そして、もう一つは加害者の3つの物語が産まれました。

—–物語の父親とご自身のお父様と何か重なる事がございますか?

三島監督:先程、お話したように、自分の経験に近い経験をしているのが、大阪篇の前田敦子さんの役です。お父さんのお話が出ましたが、カルーセル麻紀さんの存在について、実際、父親が私自身が性被害を受けた時に、 私は抱き締めて欲しかったんですが、加害者に対して凄く怒ったんです。その時は傷付いたんですが、改めて、今考えてみたら、父親はあの後、どんな気持ちを抱えて生き来たんだろう。きっと後悔もしただろう。と、色々な想像を巡らせました。すると、私は運良く生きていますが、たとえば、6歳の時に私が映画と出会わずに、もし仮に死んでしまっていたら、父親は自分を責めるだろうと考えたんです。どんな責め方をするのかと思った時に、娘を死に追いやった男性器や男性の雄性的な性欲そのものを責めて行くだろう と思えたんです。それをカリカチュアライズしたのが、実際に、男性器を切ってしまった人という登場人物が浮かんで来た背景があります。そんな出来事があった家族は、ある種、お父さんを失った娘や家族の関係性が失われて行くのは洞爺湖篇。今、さっき話してくれたのは、八丈島編です。被害者本人と被害者の家族の姿を描いています。もう一つは、性というものに対して、罪を犯す視点を持ってみた時に、元々、八丈島は、かつての罪人が、島流しにされた島でもありましたから、その島を背景に、「罪を重ねて生きている人間」という生き物である事をベースに、作ることにしました。一人の女性の延命治療をやめる行為、つまり命を人間の手で終わらせようとする選択をしてしまった事、もう一つは、罪を犯した人間の子供をお腹に宿している2つ物語が、八丈島の罪を犯した者の視点を多面的に描いたら、人間の姿を描けるのではないかと考えました。

—–もう一つ、お聞きしたい事がございましたが、プレスの中のインタビューにて、あの 事件があった時、父親は怒ったと、母親も悲しんだと。でも、本当は抱き締めて欲しかった。と言う言葉があったと思いますが、実質、その後ご自身の中で納得行く事はございましたか?

三島監督:親の愛情を感じた点で言えば、もちろん、それはあります。私は、性加害を受けた事実もあって、父親も母親も異様に愛情深く育ててくれたと思うんです。 しかも、日常の生活を非日常にするぐらい劇的に面白く楽しくしようと努力してくれた両親でした。だから、そういう意味において、ちょっとした 非日常疑似家族と、私は呼んでいます(笑)あの家族なんだけど、一生懸命、頑張って楽しくする家族だったという意味で言えば、頑張ってくれている感じは、非常に愛情を感じました。その後、抱き締めてもくれました。スキンシップも多い家族だったので、深い愛情は誰よりも感じていました。ただ、あの時に自分自身の体が穢れてしまったと思った時の喪失感と恐怖心。非常に怖くてしょうがなかったです。誰も助けに来てくれなかったので、とても怖い思いをしました。その時に、抱き締めて欲しかったのは本音です。「汚れてないよ」「お前は大丈夫だよ、美しいよ」と、自分自身が声をかけられたかった気持ちは持っていました。自分と同じ経験をした人たちに対して、寄り添いながら説得力のある形で力強い相手を励ます言葉を届けられたらいいなと思って、本作を制作しました。

—–では、本作のタイトル『一月の声に歓びを刻め』。「一月の声」には、どんな意味が込められているのでしょうか?

山嵜プロデューサー:では、このタイトルに関して、あなたはどう思われましたか?映画の解釈には、正解不正解はありませんし。

松村さん(宣伝担当):前作『東京組曲2020』でも「声」を大切にしていましたので、だから今回も「声」が入っているんです。「声」には、前作『東京組曲2020』からの繋がりを持たせている事に意味があるんです。

三島監督:松村さん、まったくその通りです。12月の「終わり」と1月の「始まり」。物語もまた、おせちを食べる行為が1月1日。お正月の元日に家族が集まって、おせちを食べる日本文化。象徴的なおせちの内容一つ一つに対して、昔から受け継がれて来た意味があります。それに対して、女性たちがどう受け取るかが、大切です。すべての始まりの「一月」。

松村さん(宣伝担当):すべてを改め、前田敦子さんが小さいながらも、新しいスタートを切るんです。だから、タイトルを「一月」としているんです。小さなスタートを踏み出そうとしている姿が、スクリーンにはあるんです。

—–彼らは皆、もがいているんですね。自身の環境や生い立ち、目の前にある事すべてに、もがいているんですね。
—–作品の冒頭は、12月31日から1月1日の大晦日から元日ですね。私の目を通して観たら、どうしても先日の1月1日に起きた令和6年能登半島地震(取材は1月初旬に行っています)をどうしても繋げてしまいます。私の目には、あの地震が写ってしまいます。1月1日の正月は、本来、皆さん幸せに迎えようとしていたと思います。

三島監督:見え方は変わるのかもしれません。きっと見る時期で、変わるでしょうね。もしかしたら冒頭の場面が、逆に、幸せにも見えるということでしょうか?

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—–ただ、恐らくは、この作品の冒頭を観た方の中にも、今回の地震を連想させる方も少なからず、いるのではないかと思います。毎年、幸せな日々を送っていたが、まさか今年は有事が起きてしまった。この作品を観た時に、今年のあの日を思い出してしまう。私は、何度観ても、あのシーンが震災の日と重なってしまうのは、私の中では大きいと感じています。作品とは関係ないかもしれませんが、必要なシーンだと思います。2月の公開がまた、意味があると思います。たとえば、もし8月公開なたば、記憶として薄れている可能性もあると思います。今回の地震に対して、何か思う事はございますか?震災に対して、本作がどのような立場になれるのでしょうか?

山嵜プロデューサー:本作を制作中は、1ミリも震災について考えた事がありませんでした。だから、後付けでこじつける事が、本当にその方々に対して失礼にならないかという恐怖は我々にはあります。ただ、今回は「傷」というテーマを出していますので、色々な方の傷と三島監督の傷を重ねて、映画として、色々な人に共感できるようにならないかと、思っています。その「傷」と、地震で受けた「傷」を結び付ける事はできますが、少し安直過ぎます。イコールにはなり得ないと、思います。

三島監督:まったく、イコールにはなりません。地震自体もこの間の出来事ですよね。「傷」が、どうのこうのとは言えません。一緒に語れるようなことではないと思っています。まだまだ、必要なものが届いている状況とも言いにくいですし、苦しみや悲しみやいろんな思いで過ごしてらっしゃいます。神戸の地震を取材していましたが、もちろん個々のケースが違いますが、自分の傷を振り返られる…今はそれどころじゃないですよ。全然、そんなどころじゃないと思うんです。

山嵜プロデューサー:皆さん、まだ癒されてもいない状態です。

—–作品とは、少し離れた質問をしてしまい失礼致しました。

山嵜プロデューサー:ただ、多くの事を考えるきっかけになって、良かったです。

—–その傷が癒えるかどうかについてお話をお聞きして、私自身も30年前に体験した阪神・淡路大震災が記憶に残っています。幼少の頃で記憶は朧気ですが、あの当時の映像を見ると、覚えているんですよね。あの時代に体験した事を。今、自身の中で癒えているかと問われれば、まだまだ癒えてないです。

松村さん(宣伝担当):私は大阪在住のため、大きな被害はありませんでしたが、兵庫県の方々はあの被害に遭われて、30年経った今でも傷なんて癒されてないと思います。震災で受けた傷は一生、残りますね。

—–毎年、この時期が来ると、1月17日の震災に関するニュースがいっぱい出るんですけど、毎年毎年、被災された方の実体験がニュースになって、世に出るんです。でも今、私がずっと毎年感じているのは、街全体は確かに復興しているんです。でも、あの場所で震災に遭われた方々の人々の心の傷は、何十年経っても、癒えてないと感じています。 地方自治体や国は復興したと言っていますが、人の心自体は何十年経っても、復興するのが難しいと感じています。今のお話を受けて、人の傷は簡単に癒えないからこそ、何か映画(本作に限らず)が人の傷に対して、少しでも癒える存在になってくれたらいいと感じています。これからもずっと、お互いに寄り添い続ける事が大切です。

三島監督:それは第三者の意見として受け入れつつ、私達は作り手の立場として、押し付けることはできません。ただ、何か一つでも、小さい事でも構いません。寄り添いながら届ける事ができたらいいなと、願っています。届くかどうかは、今の段階では、まだ分かりません。先程の傷の話で言うと、監督した『少女』という映画が公開した時、広島に舞台挨拶に行きました。ちょうど、広島の原爆ドームの前でお花見しているんです。私は、その光景に凄く驚きました。向かい側の対岸で、皆さんお花見しているんです。広島の方に原爆ドームの前でお花見する事に対して、気持ちとしては大丈夫なのか、お聞きしたんです。すると、「三島さん、私たち、あの原爆のことを忘れる日は1日もないんです」って、おっしゃったんです。 「私たちはずっと、あの傷と一緒に生きているんです。でも、だからと言って、毎日悲しんでいるわけではありません。1日1日を大切に生きているだけですが、忘れる日はありません。その傷が癒える事もありません」って、おっしゃったんです。その言葉は私にとても重くのしかかったのと同時に、やはり、誰にとっても傷は癒える事もなく、無くなりはしません。ずっと、一緒に生きているんです。それを見せないようにして、生きている。それは、いろんな傷を抱えている皆さん一緒だと思います。みんな、大なり小なり、その 傷の大きさ、それはもう人それぞれですけれど、もちろん。

松村さん(宣伝担当):皆さん、傷は残っていますが、明るく振舞っているんです。でもある時、その傷が出てくるんです。人生は、続いて行くんです。落ち込んでいる場合では、無いんです。

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—–3つのエピソードの中の堂島編の前田敦子さんのセリフには、非常に生々しさを感じました。監督自身の実体験そのままが、あの言葉たちに託されていると思っています。今、ご自身の過去の出来事に対して、何かお考えやお気持ちはございますか?

三島監督:まず、前田敦子さんが演じるれいこが語る言葉は、私が経験した事そのままではないんです。れいこさんは別の人格で、まったく違う家庭環境で育っています。性被害の内容も違います。近いところもあれば、遠いところもあります。架空の設定ではありますが、モチーフとなっているのは、私自身の体験です。

—–では、あのエピソードが白黒なのは、どうしてでしょうか?

三島監督:自身が性被害を受けた時、世界がモノクロになってしまったんです。もう色がなくなってしまったんです。いくら傷が癒えても、あの世界がカラーにはならないんです。映画の中では最後まで、色は着かないです。いつか彼女の人生の中で、色が着くかもしれないし、着かないかもしれないです。少なくとも、あの段階ではカラーにはならないんです。ただ、インタビューの冒頭で性加害を受けたとお話されましたが、当事者から見て、作品はどう映りましたか?

—–正直、つらいですよね。私はまだ、つらく感じました。特に、堂島篇がつらかったです。カルーセル麻紀さんが、演じる人物の葛藤もつらかったです。

三島監督:最後、観終わった後もつらかったんですね?

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—–ただ一つ言えるのは、向き合うべきかどうかです。私は、このお話を受けた時、正直どうしようか迷いました。お話はお聞きしたいけど、どう受け止めれば良いのか悩みました。作品を通して、監督もオープンにされているからこそ、私自身も少しでもお話できればと思って、今回の取材を真摯に引き受けました。

—–また、ラジオをお聴きしましたが、カルーセル麻紀さん演じる人物が、男性性を捨ててしまったと表現されましたが、私自身は性を捨てるという表現に違いを感じました。生まれ変わると、私は信じたいです。でも、なぜ「捨てる」という表現になったのでしょうか?

三島監督:ラジオでは、男性性を「捨てる」という表現をしましたが、娘を死に追い込んだのは男性器です。だから、自分の肉体の中にある男性器を捨てるんです。憎むべき対象として、捨てるんです。それは、女性になりたいというジェンダーの意味ではなく、自分の肉体に持っている物自体が、娘を死に追いやった存在です。それを切り捨てる、自分の肉体から切り捨てると表現しています。

—–ジェンダーの問題ではないとお話されましたが、私が今、思っている事は同性愛という考え方を変えようと努力しています。性に囚われない自分が一番いいと思っています。だから名乗るであれば、「ノンバイナリー」という男性性でも女性性でもない人として生きたいと願っています。

三島監督:カルーセル麻紀さんは女性として生きたいと考えていらっしゃいますが、この映画のカルーセル麻紀さん演じる人物は、男性を捨てたいとか、女性になりたいという感情はないんです。ただ、肉体の中に存在している娘を死に至らしめた性欲の源である性器を切る行為をしただけです。だから、LGBTQのトランスジェンダーという人物ではないんです。あの方には、苦しみの中で懺悔として性器を切る選択をする道しかなかったんです。

—–性器を切る行為に対して、正直私は受け入れられません。恐らく、私の中で拒否反応があるんです。

三島監督:彼女は、そうとしか生きる道が残されていなかったように思っています。

—–正直、恐ろしくも感じます。追いつめられて追いつめられて、性器を切るという最終的な選択になって行きますので…。

三島監督:ある意味、責めるあまりに狂った世界ですね。

—–でも、本人は苦しんでいますよね?性器を捨てても、苦しんでいる姿を見て、その世界観に非情さを感じます。

山嵜プロデューサー:でも、物体を切っても、本質は変わらないと思うんです。

三島監督:変わりません。なるべく、その男性性から離れるように意識していることしかできないんです。

—–でも、あの人物に正直、相容れない部分もあるんです。性器を切る行為や彼女の気持ちに対して、少しでも近づきたいと、私は思います。

山嵜プロデューサー:今まで女性の方が、取材に来てくれました。女性の方は、前田さんの話を聞いて頂けたんです。でも、カルーセル麻紀さんが演じた人物の話になるのは、入口が彼女と似ているからですよね。僕らも多分、カルーセル麻紀さんや哀川翔さんに目が行くと思うんです。自分との距離感が詰まっているところから興味が湧いてくると思うんですが、良い悪いを言いたい訳ではなく、この映画の良さはこの点だと思います。女性の視点、男性の視点、それぞれ観ることができると思うんです。3名の視点で考える事ができるからこそ、この幅を取りたくて、3つのエピソードを描いているのが、本作の良さの一つです。

三島監督:ユーロスペースの北條さんのコメントで、「観るにつれて、この映画は女性にも男性にも等しく語りかけているんだと沁みこんできた。」と書いて下さいました。

山嵜プロデューサー:良いぶつかり方ができる映画だと、僕は思います。

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—–ラジオで、「幼少の頃に心を傷つけられた自身が、生命存在の美しさを知れたのは、映画の影響が大きかった」と、おっしゃっていますが、なぜ映画を見る事によって癒されたのでしょうか?

三島監督:まず、4歳の時に最初に観たイギリス映画『赤い靴』があるんです。アンデルセンの童話がベースの話で、バレエダンサーを目指して、赤い靴を履いたら、もう二度と逃げられない。踊り続けるしかないというアンデルセンの童話です。それをベースに作られたバレエ映画ですが、主人公がバレリーナになりたくて、赤い靴を履きました。プリマドンナにさせてやると約束されますが、ちょうど作曲家と恋に落ちるんです。恋人を選ぶのか、バレエダンサーとしてプリマドンナのソロを選ぶのか。バレー団の団長に言われて、彼女はものすごく悩んで、最後、列車に飛び込んで自殺するラストです。つまり、芸術事を一度始めたら、それをやめられない非常に厳しい物語だったんです。それが人生で最初に観た映画です。4歳の私は、字幕は読めなかったんですが、映像を通して彼女が何に悩んでいるのか分かりました。彼女は、男性とバレエに悩んで、最後非業の死を遂げるんです。自ら死を選んだのを見た時に、自分で死ぬ選択がある事が私の中にも生まれました。 6歳の時に性被害を受けた時、『赤い靴』を思い出したんです。映画の彼女は死にましたが、私は今、存在しているから生きているんだと、この瞬間は死を選んでないんです。いつでも死ねると考えたら、気が楽になったんです。性被害を受けた私はずっと、モノクロの世界で生きていましたが、感覚的にモノクロは私の中の世界 だけで、映画はモノクロだったとしても、カラーでした。映画に色が、着いていたんですよ。だから映画を観て、繋いで行く中、チャップリンの映画から始まり、やがて、トリュフォーやデヴィッド・リーン作品に出会って、人は一生懸命、最後は死ぬとしても、もがきながら一生懸命生きています。その姿は非常に美しいと思えたんです。 生きている人間は、生命存在として美しいんです。その生命存在として美しいという存在を誰も汚す事は出来ない上に、誰もが持っている美しさがあると、映画を観ていて感じました。だからこそ、ずっと映画を観て、生きていけると実感したんです。

—–一人一人の人間が、唯一無二の存在ですよね。

三島監督:存在として美しく、美しくない人は一人もいません。映画の中では、どんな人も美しいと思えたんです。そうすると、世の中の見え方が変わって行くんです。生きている事が美しいと思えました。逆にお聞きしますが、人間の生命存在が美しいと思った事はございますか?

—–正直、私は人付き合いが苦手で、関係性を上手に構築できない時があります。自分が悪いのか、言葉の掛け違いがあるのか分かりませんが、もしくは私自身が勝手に苦手意識を持っている可能性もあると思います。世界や社会は、そんな事微塵も感じさせず、動いている可能性もありますよね。現時点で言えば、自身の中で距離感を感じていまして、映画を通してなら、美しいと感じる事もありますが、現実社会では虚しく感じます。戦争や差別、憎しみ合いやいがみ合い、もっとお互いを信用して、仲良くできる社会が欲しいです。

山嵜プロデューサー:たとえば、どんな映画を観て、美しいと感じるんですか?

—–たとえば、松山善三監督のデビュー作『名もなく貧しく美しく』(※1)には、人間の美しさを感じました。この映画で言えば、耳の聞こえない夫婦が助け合いながら生きています。ある時、奥さんの弟が、母親が大事にしていた指輪を売った金で購入したミシンを売り飛ばしてしまいます。奥さんは、遂に絶望感から「弟を殺して、私も死にます」と、夫に置き手紙を残して、家を飛び出し、駅へ向かいます。でも、旦那さんが追っかけて来て、車両と車両を越えて、電車の中で手話で説得する場面があります。その時、私は手話の美しさをちゃんと映画で描いていると感じました。言葉で会話はできませんが、聴覚障害者の夫婦には手話があるからこそ、愛を紡ぐ事ができたんです。この夫婦にしかできない愛の紡ぎ方が美しく感じました。

三島監督:美しいですね。今回の太鼓もその島の人たちだけの伝え方な気がします。太鼓でコミュニケーションを取るのは、普段の会話で行うコミュニケーションとは違うと思うんです。言葉ではない手話は、確立されたコミュニケーションですが、たとえば、太鼓という楽器が気持ちを伝えて応え合う一つのコミュニケーションを行う重要な存在です。

—–言葉ではなく、何かを通して、人が何か物を通して意思疎通しようとする、コミュニケーションを取ろうとする姿にこそ、ある種、美しさがあると思います。映画もまた、ある種、似ている存在だと思います。映画やスクリーンを通して、一人一人が分かち合える事、そこに映画の美しさがあると、今改めて、思っています。

山嵜プロデューサー:先程の話題で言えば、前田敦子さんやカルーセル麻紀さん演じる人物が話す言葉は、それぞれがそれぞれに、声や言葉が人の心に届いているんです。

—–物理的ではなく、スクリーンや声、手話を通して、心に届いて行くと思います。そこにもまた、映画という価値が生まれると思うんです。最後に、今後、本作がどう広がって欲しいと願っていますか?

三島監督:本作が、多くの方の心に深く滲み込んで欲しいと願っています。前田敦子さんやカルーセル麻紀さん演じる人物が話す言葉や声が誰かの心に届いてほしいと思って作りました。だから、それらが届いて、少しでも見てくださった方に歓びが刻まれて、その方の発した声がまた誰かに届いて、また歓びが刻まれて・・・そうなっていけたら本望ですね。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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映画『一月の声に歓びを刻め』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)374.名もなく貧しく美しく
http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-entry-391.html(2024年2月9日)