映画『マンティコア 怪物』社会の中の怪物と対峙しながら

映画『マンティコア 怪物』社会の中の怪物と対峙しながら

人間の心の闇のタブーに踏み込んだ衝撃映画『マンティコア 怪物』

©Aqui y Alli Films, Bteam Prods, Magnetica Cine, 34T Cinema y Punto Nemo AIE

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人は、誰しもが心の中に他者には言えない深い深い闇を抱えている。それは本人すらも気付かないほど、深淵で邪悪に満ちて黒光りしている。「私(僕)、そんな闇なんて抱えてない。いつも、ハッピーです」なんて笑顔で言えば言う人ほど、ご本人でも自身で気付かない程に、人には言えない深くて黒い心の闇を抱えていると、私は認識している。いつ、その黒い部分が、突如として牙を向いて、社会や他者を傷付けようとする。そのメカニズムは未だ、誰も解明出来ていない。ある日突然、その爆発が起きる訳ではなく、蓄積の積もり積もった積年の強い感情が黒いヘドロの川になって、他者を傷付けようと暗く濁った心の奥底から狙っている。人は、理性という言葉を持ってして、自身の感情をコントロール出来ているが、深層部に静かに眠る「それ」がいる時、マグマのように吹き出し、人間の理性を覆い隠し、心と脳を支配した瞬間、人は〈怪物〉へと変化する。それは日本の人気キャラクターであるポケットモンスターのように可愛い時もあれば、得体の知れないザ・怪物へと進化する恐れもある。最初に赤ん坊として産まれた人間が、大人へと成長する過程の中、いつどのタイミングで心の闇を自身の中に植え付けさせるのか、それは誰にも分からない。幼少期の頃か、学童期の頃か、青年期の頃か、社会人の頃か、壮年期か中年期か、それか高年期になってからなのか、それはその方を取り巻く環境や生活スタイル、人生の一瞬一瞬のイエスか、ノーかの選択肢によって、大きく変化を齎す。その選択の先で起きるストレスフルの生活が、人の心の奥底に陰湿で何か黒くギトギトした感情を製造させる。本作『マンティコア 怪物』は、ゲームクリエイターの青年がある日を境に(隣家の火事で少年を救った事によるPTSDが原因で)、ゲームのために創造していたクリーチャーを妄想の世界から現実の世界に召喚させてしまう姿をダークにも、ミステリアスにも描いた異色作。怪物とは、一体誰か?自身の中に眠る怪物が目を覚ましたとしても、誰もそれを自制する事も出来なければ、ヤツを殺す事も出来ない。なぜなら、それは自分自身であり、あなた自身であるからだ。昨年も、ある映画で「怪物」論争が巻き起こったが、その答えは未だに導き出せていない。ただ一つ言える事があるとすれば、怪物は私やあなたの心の中に今も静かに眠っている。次、起こるであろう出来事に期待して、そっと静寂の中、その時を今か今かと待ち望む。まるで、悪魔の申し子かのように。

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人が持つ「心の闇」が、実際に実在すると定義されたのは、いつ頃からだろうか?「なぜ「心の闇」は語られたのか-少年犯罪報道に見る「心」の理解のアノミー-」(※1)という非常に興味深い論文を見付けたが、この一説(1行目から8行目)を引用すると、「本稿の目的は、なぜ少年犯罪において「心の闇」が語られるようになったのかを明らかにすることである。「心の闇」は、1990 年代後半から 2000 年代中頃にかけて社会問題化した戦後「第 4 の波」と呼ばれる少年犯罪を語るうえで重要なキーワードの 1 つとなった言葉である。この「心の闇」の語られ方には、それが、一方で理解すべきものとして語られながら、他方でどれだけ努力しても理解できないものとしても語られたという特徴がある。つまり「心の闇」は、「心」を理解したいという欲望の充たされなさによって特徴づけられているもの。」と記されているが、日本国内における少年犯罪が激化した1990年代後半から「心の闇」という言葉が、マスコミによって流布された。この時代は、「キレる17歳世代」「理由なき犯罪世代」「酒鬼薔薇世代」と呼ばれた背景があり、1982年(昭和57年)産まれの17歳前後から1986年(昭和61年)産まれの少年を指す言葉として一気に全国に駆け回った。特に、1982年(昭和57年)生まれと1983年(昭和58年)生まれの少年凶悪犯が、どストライクの世代だ。人々の記憶に新しいものとして、神戸連続児童殺傷事件や西鉄バスジャック事件、土浦連続殺傷事件、栃木女性教師刺殺事件、豊川市主婦殺人事件など、これらの事件を起こした同世代の少年犯罪者を指す言葉として「キレる17歳」が、注目を浴びた。一様に、なぜ彼等は類似の事件を起こしたのかと世間は疑問を持ち続け、その過程で「心の闇」を持つ少年達として、象徴化されたのであろう。日本では1990年代以降、「心の闇」という言葉が頻繁に社会で使われるようになったが、この闇は誰の心にも意識的にも、無意識的にも有する現象であると言えるだろう。近年、この「心の闇」に対する考え方は変貌を見せ始め、心に何かしらの重圧、たとえば孤独感や疎外感、悲壮感を攻撃的に受けた時、一部の人間は世間への報復として拡大自殺(※2)を図るようになる。最初期拡大自殺による事件で言えば、川崎男児投げ落とし事件が発生している。それが、近年では頻発して起きており、東海道新幹線火災事件、2018年東海道新幹線車内殺傷事件、川崎市登戸通り魔事件、北新地ビル放火殺人事件、小田急線刺傷事件、京王線刺傷事件、東京大学前刺傷事件などは、2010年代後半から2020年代に起きており、この犯罪者らは一様に皆、自身の育成歴(もしくは生活環境の中)で社会や他者との深い溝が心に生まれ、それが「心の闇」として放出した結果、拡大自殺という重大事件を起こしている。少しでも同様の事件が近い将来、二度と起きないようにするには、心に闇を抱えた人の心をどうケアするかについて、より具体的なガイドラインを作成し、日本社会全体や医療機関、専門機関が一丸となって、取り組んでいかなければ、必ず累犯者は生まれ、類似事件は起きる。加害者側、被害者側に共に起こる悲しみの連鎖を今ここで断ち切るために、私達に課せられた課題に対してどう向き合えば良いか議論して行く必要があるだろう。

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前述では、人が持つ「心の闇」についての深層部を深く記述したが、事項では人々の心の中にある「怪物」について記述してみる。冒頭に「突如として牙を向いて、社会や他者を傷付けようとする」と書いたように、人の中にある怪物はいつ何時、覚醒するか分からない。社会や世間に対する憎悪が、心の中で満ち溢れた瞬間、それはダムが決壊するかの如く、爆発的に社会に向けて牙が剥く。それは、当事者と世間との心のズレや溝が、少しづつ生じ始めた結果、粗暴な振る舞いで他者を傷付ける。動物的な暴虐的心理行動は、時に社会における凶悪事件として発展する。たとえば、最も古い凶悪事件と言えば、津山三十人殺しが有名だ。村内における当事者への嫌がらせや悪い噂話が、本人の心を蝕み、最終的に殺人という結果を招く。内省的に本人による心のコントロールも必要となるが、人の中にある怪物を呼び覚ますのは社会や他者からの強い攻撃性のある心無い言葉や振る舞いからの外的原因も考えられる。ピアノ騒音殺人事件も然り、新宿西口バス放火事件も然り、社会への憎悪犯罪がどの年代も目立つ。怨恨殺人や保険金殺人、身代金目的の誘拐殺人事件を除けば、これらはすべては社会からの強い外的要因や過度なストレスが原因と考えられる一方で、当事者本人の強烈な被害妄想(もしくは、迫害妄想や偏執病、パラノイア)が引き起こしている可能性もあるが、ここまで来ると、これはもう、精神疾患の恐れがあり、まずは心の治療に専念する必要があるが、昭和初期から昭和後期、また平成中期辺りまでは、精神疾患への治療が見直されて来なかった背景も考えられる。もっと早急に医療機関や研究機関が、この由々しき事態に気付けていたら、今の時代のような事件は起きていない。憎悪犯罪のように人の中に眠る負の感情が怪物となって社会や他者を傷付ける事件は、平成時代に突入しても頻繁に繰り返され、国や社会はまったく学習していない。たとえば、池袋通り魔殺人事件、下関通り魔殺人事件、秋葉原通り魔事件、大阪姉妹殺害事件、大東市女子大生殺害事件などは、社会的外的要因により引き起こされた凶悪事件として認識しても良いだろう。また、人の心の中にある「怪物」が覚醒され暴走した結果、引き起こされた事件には茨城一家殺傷事件や甲府市殺人放火事件(前述の大阪姉妹殺害事件も含まれる)が例として挙げても良いだろう。また少し違う視点として人の中に潜窟する怪物が牙を剥く事件には、小中学生や幼い子ども、幼児を対象にした性的犯罪は、子どもにとって、その大人が怪物の他ならない。近年では、ベビーシッターによる幼児への性犯罪(※3)が横行し、2014年には富士見市ベビーシッター事件が社会に衝撃を与えた。また類似事件として、平成23年7月から平成28年8月にかけて、小学生らが対象の校外教室に添乗員として参加した開発哲也被告を中心とする児童性犯罪者グループが、過去に芋づる式に摘発された事件(※4)は記憶に新しいだろう。こちらも、事件が発覚した当初は社会的注目度が高かった。また教育機関にも子どもを狙う怪物は存在(※5)し、信じられないほどの多くの事件が起きており枚挙に遑がない。果たして、今の日本の教育機関に大切な我が子を預けても良いのだろうか?と、疑問を持つ親御さんは多くいる事だろう。また、子ども同士でも類似の事件は起きており、20年が経った今でも風化される事なく、人々の記憶に残っているのは長崎男児誘拐殺人事件ではないだろうか?また男児児童に限らず、女児児童の被害はその数十倍に登るだろう。これは、今の時代に鍵らず、数十年前の事件も含まれ、昔からある子どもが性的対象として狙われる事案は、この先ずっと消える事は無い。近頃では、四谷大塚という塾講内で起きた塾講師による女子児童に対する性的搾取事件(※6)もまた、世間の子を持つ親達に不信感や不安感を与えたに違いない。性加害を繰り返し行って来た元小学校校長の行為もまた、許しがたい犯罪(※7)だ。はっきり言えば、これらの事件は歴とした犯罪だ。幼い子どもに手を出す大人は皆怪物で、社会的制裁を受けるべきだ。それは、大人だけでなく、子どもでも同じだ。児童の性犯罪被害防止キャンペーン特設サイト(※8)は、これらの行為が厳然たる犯罪行為として強く呼び掛けている。どんな理由があろうとも、「知らなかった」としても、犯した罪の先には必ず社会的制裁が待っている。それでも、怪物の心を持った小児性犯罪者(もしくは、小児性犯罪者予備軍)の中にも、自身で自制心を持って、子どもに手を出さないと決めている人種(※9)が一部でもいる事を知って欲しい。本作『マンティコア 怪物』を制作したカルロス・ベルムト監督は、本作における内なる悪魔について聞かれ、こう答えている。

Vermut:“Por supuesto que una de las lecturas de la película es la de cómo nos relacionamos con nuestros secretos, cómo convivimos con ellos. Todos tenemos nuestros propios monstruos interiores, y claro que el del protagonista está llevado al extremo. Cinematográficamente era interesante porque aquí no hay debate: todos estamos de acuerdo en lo terrible de la pedofilia, no hay matices. Dejando eso claro y compartiendo todos la idea, podíamos centrarnos en cómo el personaje se relaciona con eso, en cómo lo gestiona.”(※10)

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ベルムト監督:「この映画の見どころの一つは、私たちが自分の秘密とどのように関係し、それらと一緒にどのように生きるかということです。私たちは皆、自分自身の内なるモンスターを持っており、もちろん主人公の場合はそれが極端になります。映画的には面白かった。なぜなら、ここには議論の余地がないからだ。小児性愛がいかに恐ろしいものであるかについては誰もが同意しており、微妙な違いはない。それを明確にし、全員がアイデアを共有することで、キャラクターがそれにどのように関係し、彼がそれをどのように管理するかに焦点を当てることができます。」と語っているが、内なるモンスター、内なる悪魔、内なる怪物は一体、どのような姿をしているのだろうか?角が生えている?牙が、鋭いのだろうか?それは、地獄の底から召喚された使者なのか?誰も、その姿かたちを見た者はいないと言うのだろうか?いや、その怪物はあなた方の目の前にいる。まずは、鏡をじっくり覗いて欲しい。その鏡に映るのはあなた自身でしょうか?それとも、違う一面を持っているあなた自身でしょうか?その鏡に映る人物の裏表は誰にも分からないが、じっくり自身と見つめて行けば、自ずと怪物という存在が、一体どんなものか理解できるだろう。

最後に、映画『マンティコア 怪物』は人の心の中に巣食う得体の知れない怪物について描いたサスペンス映画だ。人は誰しもが、自身の心の中に怪物を住まわせている。私の中にも同じように怪物が、ひっそり暮らしているのだろう。それでも私は、日夜、過去に自身の身に起こった性的被害に悩まされている。小学6年生の三学期の3ヶ月、私は同性からの性加害に晒された。その時の苦しみや悩み、葛藤は今もこれからも永遠に未来永劫続く。過去に起こった出来事は、消す事はできない。私のようにペドフィリア(小児性愛者)について記述を書いている方もおられるが、当事者達の苦しみや痛みをちゃんと理解して、この題材にアプローチしているのか甚だ疑問だ。何も書くなと言うと言論の自由を翻し、言論統制にも繋がり兼ねないので、私はこれ以上何も言えないが、ただ一つ言える事があるとすれば、当事者の痛みや苦しみを理解した上で、小児性愛者について記述をして欲しい。当事者性を大事にし、当事者本人の胸の痛みをちゃんと受け止めた上で世に発信して欲しいと強く願う。私は、今も常に過去に起きた事実に翻弄され、悩まされている。それでも、私は人の心に巣食う怪物に立ち向かわなければならないと思っている。性的被害者のみならず、性的加害者の心の葛藤も含めて、私は両者に寄り添える人でありたいと願う。社会の中にいる怪物と対峙しながら…。

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映画『マンティコア 怪物』は現在、4月19日(金)より上映が始まり、全国順次公開予定。

(※1)なぜ「心の闇」は語られたのか -少年犯罪報道に見る「心」の理解のアノミー-
https://drive.google.com/file/d/1jGMq4h_3id0XoKSJedOv0TIptx1_X87p/view?usp=drivesdk(2024年4月21日)

(※2)拡大自殺:無差別大量殺人の連鎖はなぜ起きるのか?https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00790/(2024年4月21日)

(※3)「あの人やだったな。お尻さわってくる人」キッズラインわいせつ事件から1年後に娘が明かした“衝撃の新事実”《安全なシッターマッチングは可能なのか》https://bunshun.jp/articles/-/58808?page=1#goog_rewarded(2024年4月21日)

(※4)校外教室で男児ポルノ撮影 被害児童40人以上 被告に懲役12年 横浜地裁https://www.sankei.com/article/20180523-RBVDRPEXMZJQDAWVALR6X4WGSM/(2024年4月21日)

(※5)「許されてるんだと思って…」勤務先の小学校で児童に性的暴行、元教員に「懲役11年」https://news.goo.ne.jp/article/bengoshi/life/bengoshi-topics-17347.html(2024年4月21日)

(※6)「四谷大塚」で生徒盗撮、25歳の元講師に有罪判決…小児性愛者のグループチャットに投稿https://www.yomiuri.co.jp/national/20240326-OYT1T50066/(2024年4月21日)

(※7)女子生徒わいせつ画像所持の罪 元校長 初公判で起訴内容認めるhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20231219/k10014292651000.html(2024年4月21日)

(※8)その行為、アウトです。児童の性犯罪被害防止キャンペーン特設サイトhttps://out.smaj.or.jp/(2024年4月21日)

(※9)「子供に手は出さない」 若い小児性愛者の告白https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41812774(2024年4月21日)

(※10)Carlos Vermut: “Todos tenemos nuestros propios monstruos interiores”https://www.timeout.es/madrid/es/cine/carlos-vermut-entrevista-manticora(2024年4月21日)